玄界の女たち

「お〜、よしよし! お前は今日もカワイイな〜」

 ヒュースがそれを見たのは陽太郎とたい焼きを買いに行った帰りのことであった。
 二人でたい焼きを食べながら歩いていると空閑より少し背が高い程度の小柄な女が近所で有名な放し飼いをされているイヌと遊んでいるのを見かけた。衣服はボーダー本部でよく見る玄界ミデンの女の衣服で、遊んでいるうちにまくれたのかスカートからなんとも言えない柄の下着が見えているが気づいていないらしい。
(この女、只者ではない)
 しかし、ヒュースが刮目したのは下着よりも彼女が遊んでいるイヌである。この玉狛界隈では狂犬と有名なのだ。一度目をつけられたが最後、疲れ果てて倒れるまで追い回されるらしい。だから、林藤や木崎は陽太郎にあのイヌには絶対近づかないよう厳しく言いつけていた。
 そのイヌも彼女の前では普通のイヌのようにはしゃいで、彼女に懐いている。イヌが大柄だから傍目に襲われているように見えなくもないが、イヌの顔を見ればわかる。戯れているのだ。
「なゆたちゃん、パンツ見えてるぞ」
 しばらく女とイヌの戯れを見ていた陽太郎が彼女の下着を指差しながら言う。なんと、知り合いだったらしい。
「えっ、うそぉ! もっとはよ言うてや!」
 彼女は慌てた声でそう言いながらも、その動きはゆっくりしている。おそらく、イヌを刺激しないためだ。慎重にイヌから離れ、その頭を撫でてから、まくれたスカートを直す。その動き一つとってもやはり只者ではない。
「なゆたちゃんはすごいな。あのいぬともたいとうにわたりあっている……」
「遊んどっただけやけどな。陽太郎くんは絶対真似したらあかんで」
「わかっている。でもちょっとだけうらやましい」
 女のその独特なイントネーションは生駒イコマ隊の面々と似たものだった。故郷が同じなのかもしれない。小柄だし、陽太郎と一緒に去っていくイヌに手を振っているその横顔はまだ幼い。きっと、チカとそう変わらない歳なのだろう。ヒュースがじっと見つめていると、それに気がついたのか彼女が顔を上げる。
「玉狛第2のヒュースくんやんな。複数チームに封殺されても死なんかった」
「そうだが」
 女の方はヒュースを知っていた。確かに、第七戦、最終戦とあれだけ目立ったのだから知られていても不思議ではない。ヒュースは眉一つ動かさずにうなずいた。
「なゆたちゃん、もうヒュースをしっているのか」
「最終戦見とったからな。第七戦のログも見たし。ヒュースくんめっちゃ強いやんな〜。弾トリガーの使い方もうまいし、孤月一本でも全然いけるらしいやん。もう反則ちゃう? 助っ人外国人って感じ!」
「ヒュースにはおれがいろいろしこみました」
 女がヒュースを褒めると陽太郎が誇らしげにうなずく。スケットガイコクジンとは一体どういう意味なのだろう、どうでもいいが。
「カナダから来たんやっけ? カナダでもなんかしとったん?」
「……お前は生駒の知り合いか何かなのか? 同じような話し方をしている」
 女がさらに掘り下げようとしてくる。答えるのも面倒なので、ヒュースは答えずに質問で返すことにした。それに、そろそろこの女の名前を訊くべきだと判断した。彼に訊ねられて、自分がまだ名乗っていないことに気がついたのか、「あっ、ごめん」と声を漏らす。
「わたしは安喜なゆたです。これでも元生駒隊なんよ。やけん、元チームメイトです。イコさんと地元はちゃうけど、同じ地方の出身やから、話し方は似たような感じに聞こえるんやろな」
 先に名乗ったらよかったな。安喜はそう言って微笑んだ。この表情はどこか大人っぽく見える。一体いくつなのだろう。
「ちなみに歳は宇佐美ちゃんとこなみちゃんと同い」
「安喜は俺より歳上なのか」
 思わずヒュースはギョッとする。てっきりチカと同じだと思っていたからだ。
「そういえば、なゆたちゃんはどうしてここに?」
「あっ! そうそう。玉狛に用事があったわ! 森本さんの奥さんにおはぎ作りすぎたから、玉狛の方々におすそわけしてきて〜ってお願いされてたこと、すっかり忘れてた」
「それで、そのオハギとやらはどこにある?」
 ヒュースが訊ねると安喜はそのことに今気づいたのか、目を丸くして口を押さえた。かなり心配になる女だ。元生駒隊ということは防衛隊員ということになる。玄界の戦士がこれで務まるのだろうか。
「電車降りて、玉狛支部まで歩いとったら、途中でボブに会って、えーっと……」
「ヒュース、なゆたちゃんのいちだいじだ。さがすのをてつだうぞ」
「何故だ」
「もりもとさんのおくさんのおはぎはうまい」
 ヒュースは森本さんの奥さんのことも、オハギのことも知らない。しかし、陽太郎がうまいと言うのだから、よほどうまい代物なのだろう。それならば、彼女を手伝わなければ。仕方なく、青ざめながらあちこち歩きまわる安喜のオハギ捜索を手伝うことにした。


 件のおはぎというのは半分米の残った餅をあんこで包んだお菓子だった。皿に載ったおはぎをしばらく観察してから、用意されたフォークで小さく切るとかけらを口に運ぶ。ほどよく甘い餡と少し米が残った感触は宇佐美や新鮮だった。
「ヒュースくん、どない? おいしい?」
「うまい。探した甲斐があった」
「その件は面目ない……」
 ヒュースがそう返すとしゅん、と安喜は肩を落とす。結局安喜が持ってきたおはぎは草むらの中に転がっていた。ヒュースが見つけて安喜に差し出すとそれまで死にそうな顔をしていたくせにぱああっ、と表情が明るくなった。やはり変わった女である。
「あんた、生意気。やすきちはこれでもあんたより年上なんだからね」
 ヒュースの物言いが気に入らないのか、おはぎを食べ終えた小南が苛立たしげに頬を膨らませる。いったいどういう理由だ。
「それは知っている。安喜が防衛隊員だということも。大丈夫なのか、あれで」
「はあ、あんたねえ……。言っとくけど、やすきちは強いわよ。まあ、あたしほどじゃないけど!」
 何故お前がえらそうなんだ。ヒュースは一瞬そう思ったが、そんなツッコミはさらに小南の機嫌を損ねるので入れなかった。
「いえいえ、こなみちゃんがほめるほどでは……。まあ、でも射手ランクは結構いいセンいってるらしいな。あんまり順位とか興味ないから知らんけど」
「なゆたちゃんはいつも九位と十位あたりをうろうろしてる感じだよ」
「ええ〜、微妙やななんか」
 安喜が首を傾げる隣でスマートフォンで射手ランキングを確認した宇佐美がつけ加える。九位か十位、なんとも中途半端だ。小南に強いと言わしめるほどの強さはあるのだろうか。
(生駒隊の射手か)
 女子たちがやいのやいのと話している傍でヒュースはランク戦の最終ラウンドを思い出していた。序盤で犬飼イヌカイと共にヒュースを封殺し、仲間をサポートして緊急脱出ベイルアウトまで追い込んだあの生駒隊の射手の顔が頭をよぎる。同じ部隊で同じポジションにいたのなら、彼のことをよく知っているのだろう。盤面がよく見えていて、その場の状況に臨機応変に対応してくるかなり厄介な相手だった。もしかしたら、この女も相当厄介なのかもしれない。
「そういえば、やすきち、イコさんとどうなの?」
「え〜、今その話します〜?」
「ガールズが揃ったんだから、その話しなきゃ〜。でも、なゆたちゃんって水上先輩が好きなのかと思ってた。よく一緒にいるよね」
「センパイは単によくランク戦付き合ってもらってるだけやけん、そういう好きとかそういう感情はないな」
 女が揃ったと言っても、この場にはヒュースと陽太郎もいる。女たちはキャッキャと盛り上がっているが、すこぶる惚れた腫れたに興味がないヒュースは「なんのはなしをしてるんだ?」と訊ねてくる陽太郎と共に皿を片付けることにした。
「じゃあ、やっぱり本命は生駒さんなんだ」
「いや〜、でもわたしはイコさんと付き合ったらあかん顔してるでしょ。あかんあかん。釣り合わん」
 皿をシンクに置き、ちら、と女子たちを見てみると少し頬を染めた安喜が首を横に振っていた。付き合うことが許されない身分というわけでもないし、好きだと告げたわけでもないのに勝手に決めつけるのはあまりにも浅慮だ。
「やってみなくてはわからない。一度告白してみればいい」
「エエッ……! ヒュースくん?」
「お前を選ぶかどうかは生駒が決めることだ」
 いきなり話に加わってきたヒュースを安喜は驚いた顔で見上げていた。
「いや〜……でもあかんよ」
「身持ちが軽……」
 すべて言い切る前に精一杯爪先立ちした安喜に口を塞がれる。
「あの、それ、言うたらあかんやつやから……」
 冷や汗を一つ垂らしながら、真面目な顔で安喜は言った。さすがにヒュースもこれには口を噤んだ。
「やすきち、どうかした?」
「うん、ちょっと! おはぎ食べたし、わたしそろそろ帰るわ! 夕飯の買い物もせなあかんしな!」
 どこか慌ただしく言うと安喜は急いで帰り支度を始める。こんなの、隠しごとをしていることがバレバレだ。
「なゆたちゃん、もうかえるのか……」
「ごめんなあ。また、違うお菓子持ってくるから」
 しょんぼりした陽太郎の頭を撫でながら、安喜は微笑む。
「おはぎのタッパは今度レイジさんの肉肉野菜炒め入れて、返しに行くね」
「ホンマ? うちの支部、みんなそれ大好きやねん!」
「ヒュース、あんた駅まで送ってあげなさいよ」
「わかった」
 やたら素直なヒュースを見て、小南が目を丸くする。安喜に対し、なんだか悪いことをしてしまったことはヒュースにだってわかる。だから、送るくらいのことはせねばなるまい。


「いくぞ、雷神丸!」
 雷神丸に乗った陽太郎が二人の前を先導している。多分彼には二人の会話は聞こえないだろう。
「安喜は身持ちが軽いことを気にしているのか」
「それ、なんでわかったんか知らんけど、玉狛の人らには絶対内緒にしとってな……。ホンマのことやし、わたしは気にせえへんねんけど、それで友だちが「やらしい安喜と友だちやねんから、細井もそういう奴なんやろ」って言われたことあってな。あんまり言わんようにするようになってん。特にボーダー隊員には。やから、内緒やで!」
 唇に指を当てて、安喜が注意を促す。ヒュースは黙って頷いた。
「わたしの友だち、生駒隊のオペレーターやねん。幼稚園からの友だちでな、スカウトされて、三門市に来たのも一緒やってん。わたし、こんなんやろ。そんでも根気強く面倒見てくれて、感謝してもしきれへん。やから、そんなことで迷惑かけたくない」
 日常生活で隙しかないことを彼女はそれなりに気にしているらしい。そして、その友人に自分のことでこれ以上迷惑をかけたくないと思っている。
「そんなに気にするなら、生駒と付き合って生駒とすればいい。それなら他の男としなくて済むだろう」
「いや、そんな、そんなイコさんといきなりそんな踏み込んだこと……ヒュースくん、ホンマいややわあ!」
「うっ……」
 顔を真っ赤にした安喜がヒュースの背中の真ん中を思い切り叩いた。この女、ふしだらなのか、純情なのか、よくわからない。
「ついたぞ、ヒュース、なゆたちゃん」
 駅に着いて、先導していた陽太郎がこちらを振り返った。
「ありがとう、陽太郎くん。ヒュースくんも」
 安喜が二人の前に躍り出て、一つ頭を下げる。
「また森本さんの奥さんがおはぎ作りすぎたら持ってくるな!」
「おくさんにおはぎはおいしかったとつたえておいてほしい」
「オッケーオッケー!」
 すっかり普段の調子に戻った安喜が指でオッケーマークを作りながら笑う。その森本さんの奥さんとやらには何をリクエストしてもいいのだろうか。ふと思い立ったヒュースが半歩前に出て、口を開いた。
「ん? どないしたん、ヒュースくん」
「俺は今度はどらやきが食べたい、とモリモトの奥さんとやらに伝えておいて欲しい」
「ヒュースくん、自分あつかましいなあ……。でも、伝えとくわ。ヒュースくんはおはぎが美味しかったからそう言うてくれてんねんもんな。そういうの嬉しい人やから、多分作ってくれると思う。今度はどらやきになるなあ」
 いきなり見知らぬ老婦人に対してリクエストをぶちかましたヒュースの物言いを咎めることもなく、安喜は笑った。きっと、その森本さんの奥さんがそういう女性なのだろう。
 今度、安喜がどらやきを持ってきてくれるのが少し楽しみになった。また探すのを手伝う羽目になるかもしれないが。

210522