校舎裏への偏見

 朝の教室ではあちこちで「おはよう」という声が飛び交っている。窓際にある自分の席に座った隠岐はまず、机の中に手を突っ込んだ。置き勉した教科書の上に何か、違うざらついた紙の感触があった。ああ、またか。つまんで取り出すとそれは星とハートがファンシーに飛び交ったかわいらしい封筒であった。思わず、小さくため息を吐いてしまう。
「お、オッキー、それラブレター?」
「多分、そうなんやろなあ……」
 隠岐のため息に気づいた安喜がこちらを振り返ってくる。この間やった席替えで彼女の後ろの席になったのだ。ラブレターを一旦机の上に置いて、教科書やノートを机の中にしまっていく。
「いやあ、モテる男は違いますなあ」
「おれ、一応好きな子おる言うて断ってんねんけど……」
 ラブレターの中身を読み、はあ〜、と今度は大きなため息を吐く。横向きに座り、壁にもたれかかった安喜は神妙な顔で腕を組んだ。
「そら、誰かと付き合ったって話が出るまではワンチャンあると思うのが女やで。ええからはよ、マリオに告白しなさい」
「簡単に言うな。自分もようやらんくせに」
 隠岐の好きな子というのはチームメイトでオペレーターの真織だ。二人の友人である安喜は以前から隠岐が真織に向ける恋慕を知っていて、ことあるごとに早く告白をしろと要求するのだった。自分は生駒に告白するつもりなんてないくせに。隠岐もまた、安喜が生駒を好きだということを知っていた。
「うーん、わたしと付き合ってることにする?」
「それやと後々、やすきちとマリオの関係がこじれへんか?」
「まあ、せやろなあ。わたしも友だちを好きな男に手出す主義やないから、これはないと思ってた。ほんで、今日はどこに呼ばれた?」
「昼休みに校舎裏……」
「ヤンキーの果たし状か?」
 校舎裏で行われるのは果たし合いやカツアゲだけじゃない。甘酸っぱい告白スポットでもあるのだ。このラブレターを書いた女の子は悪くない。校舎裏に偏見を持っている安喜が悪いのだ。
「行かんのも印象悪いし、昼休みに行って、ささっと行ってくるわ」
「気ぃつけや。もしかしたら、カツアゲされるかもしれへんで」
「やすきちは校舎裏をなんやと思ってるん?」
 安喜の校舎裏への偏見は一体どこから出てきたのだろうか。まあ、割とどうでもいいが。
「ていうか、誰?」
「知らん。こういうのいっつも名前書いてへんねんな〜」
「律儀やなあ、気づかんふりして机ん中に教科書で押し込んでまえばええのに。あっちかて名乗ってへんし、ほっといたらええやん。正直、付き合って欲しくて告白するんなら、名前くらい書けやって思わん? 匿名で呼び出されて行ってみて、ブサイクなおっさんがおったら、わたしはちょっとがっかりするで。オッキーにも選ぶ権利はあるねんからさ」
「うーわー、ボロカスやなー」
 彼女の言う通りにできればどれだけ楽だろうか。隠岐は端正な顔と温和な性格で敵をあまり作らないタイプだが、安喜も温和といえば温和だが、歯に衣着せぬ言動から敵を作りやすいタイプだった。このクラスでも一部の女子からすごく嫌われている。しかし、他の女子や男子は普通に仲良くしていた。
 視線だけでクラスを見回すと女子のグループが隠岐の方を見ていた。件の安喜を嫌う一派だ。一人が分かりやすく頬を赤らめていて、他のメンツが彼女を励ましている。ああ、絶対彼女だ。ブサイクではないが、普通の子だった。何回か話したこともある。
 しかし、好きにはならない。
「こういうの、終わったらどないすんの?」
「……一応置いてる。なんか申し訳ないし」
「え〜、全部ほったらええやん。知らん女の手紙とかずっと持ってたら呪われそう。紙飛行機にして飛ばす? いっそ、今度塩撒いてから焼こうや」
「いやいや、そんなん可哀想やろ。安喜さん、人の心ある?」
 手紙を入れた女子がこちらを見ているのを知ってかしらずか、安喜は楽しそうに笑いながら、そう言った。案の定、女子たちは機嫌が悪そうな視線を安喜に向けている。
 一度、彼女たちには「安喜さんが知らない男の人とラブホに入ってくの、見たことあるんだ。あんまり関わらないほうがいいよ」「ボーダーの男の人とも絶対寝てるよね」「隠岐くんも気をつけてね」と言われたことがある。正直、彼女たちよりも隠岐の方が安喜との付き合いは長いし、安喜のそういう癖はすでに承知の上だった。それに安喜はボーダー隊員とは関係を持たないようにしているからそこだけは濡れ衣だ。「忠告してもうて悪いけど、あいつとは付き合い長いから、別に大丈夫やで。多分君らよりもあいつのこと知ってるし」と返すと、彼女たちは顔を真っ赤にして逃げていってしまった。
「とがっとんなー。そんなん言うたら友だち減るでー」
「別に。マリオとオッキーもおるし、ボーダーに友だちいっぱいおるから減ってもえーし」
「は〜、さようか〜」
 安喜がクラスで浮こうが、学校で浮こうがボーダーにいれば、自然と埋もれる。そもそも、自分たちはボーダーに入るために三門市へやってきたのだから、ボーダー以外の関わりなどいらないのかもしれない。
 安喜は何を言われても気にしないが、友だちの悪口を聞かされる身にもなってほしい。正直、気持ちいいものではない。「あんまりささくれたあかんで」と言って、ぽんぽん頭を叩く。果たして、隠岐の気持ちは彼女に伝わっただろうか。

 210523