
01
グランドラインのとある諸島。人口はそう多くなく、むしろ羊や牛などの家畜の数の方が多い。無論そのような島々に財宝も軍隊もあるわけがなく、ただただ広がるのは草原と畑。そんないかにも牧歌的な農村に降り立った軍服をきっちり着こなし、背中に正義を背負った堅苦しい風貌の男─マイル准将は途方に暮れていた。
行けば分かる。それだけを言われて来たものの、目的地までの地図のひとつすらないとは何事だとサボり癖の酷い上官に憤っていたが、確かに。
……何も無い。目印になる建物もなければ道もない。これでは、地図なんてあってもなくても同じようなものだ。
それでもただここに立ち尽くしているだけでは任務を果たせない。ひとまず目に付いた羊を放牧中の老人に声をかける。しかし訛りが酷い。聞き馴染みのない方言と発音に四苦八苦しつつ、どうにか目的地を聞き出せた。ここからさらに東へ進んだ先の村。指さされた方向には家の屋根すら見えやしない。せめてあの小高い丘を下りた先にあってくれ。見える範囲には整備などされていない、ただ踏み鳴らされて草の生えていないだけの一本道だけがあった。
この島─正確にはその奥地─にいるある男を本部まで送迎することが先日昇進したばかりのマイルに下された指令だ。自身の地位、実力、そして護送対象の男の事情を鑑みるに、余程この地は治安が悪いのだろうと気を引き締めていたのにとんだ肩透かしだった。どう考えても、こんな平和な島に対象──『政府公認の拷問吏』が暮らしているとは信じられなかった。
しばらく歩き続け、やっと目的の村に着く頃には日焼けで肌が痛かった。さすがに村には人がおり、久しぶりに文明を見たような気がした。それでも少し見渡せば草原と牧草地、羊の群れが目に入るのだが。
村人はとても親切で、自分を見るや否や「神父さんのご客人かい?」と声をかけてきた。神父だって?と疑問符を浮かべつつも頷く。マイルのような海兵がこの村を訪れることなんて、彼以外ではありえないだろう。案内し慣れていることからもこの護送は村人の間では恒例行事だと分かる。珍しいはずの海兵を見つめる視線はどれも子供ばかり。ある程度成長していればもう珍しげな視線は向けてこなかった。
男の暮らす高台の教会へ向かうため村を通り抜ける間、「ついでに神父さんに渡してくれ」と食料や衣服の詰まった袋や箱を渡される。軍人であるマイルに遠慮がなく、加えてマイルにもおにぎりや水、タオルなどを渡してくる。港からずっと歩いてきたからだろう。身に染みる。本当に気のいい村民ばかりで、自身の血なまぐさい想定とのギャップに戸惑った。
そして村を出て高台を登った先に目的の男はいた。黒のカソックを身にまとい、日光を浴びて幼子を抱えている。首の十字架で遊ぶ子供に微笑む姿は、血や暴力に塗れた俗世とはかけ離れており、まるで──
「とりゃー!!」
まるで、天使だ。と見惚れていると、少年の声と共に腰にダイレクトアタック。鍛えているとはいえ気の抜けた身体、当たり所が悪く思わずうずくまる。
「こら、アンソニー。お客様に失礼でしょう。お止めなさい」
顔をあげれば、そいつは冷たい表情でこちらを見下ろしていた。先程の微笑を思えば春から真冬への急転直下。温度差で風邪をひきそうだった。
「我が家の養い子がご無礼を。初めまして、ラピスと申します」
「あ、ああ。海軍本部所属准将のマイルだ。今回貴殿には──」
挨拶とともに任務内容、引いては彼に任せる案件の確認を行おうとした。しかし、その言葉は伸びてきた指によって押しとどめられる。
「長旅でお疲れでは?中で一息ついてから、今回の『布教活動』についてお話しましょう」
スラリと細く白い人差し指がマイルの唇に触れ、口を塞ぐ。ニコリと笑って指を離すとラピスは少年──アンソニーを手招きし「ヨハンをお願いします。私は彼をお連れしますので、先に行ってお茶の用意を」と幼子を預けた。合点承知と勢いよく駆け出したアンソニーを見送り、再びラピスは振り返った。その間マイルはと言うと。
「…………すぐさまその口を噤んだのは上出来ですね。反応がいい。さすがは海兵様です」
動けなかった。再び天使のごとき微笑に面食らったのではない。己が『仕事』の話をしかけた途端向けられた射殺さんばかりの眼。何が天使だ。今だって、穏やかな佇まいに反して眼だけは違う。これは文字通り死ぬほど覚えがある。裏の世界を知る者のソレだ。
「それでは、仕事の話をしましょうか。ああ、別に形だけで結構です。既に知っていますから」
「な、中でするんじゃなかったのか!?それも形だけとは……」
「あんなものは方弁に決まっているでしょう。部屋でなんて。子供たちがどこで聞いてるか分からないのに」
ああ。私が出かけるのは遠方の島に主の教えを広めるため、ということになっていますので、話を合わせてくださいね。
そう言ってゆっくりと歩き出したラピスに数歩遅れて着いていく。鼻歌を歌うような気軽さで今回の拷問対象の情報をそらんじるラピスに鳥肌が立つ。性別や年齢・名前は先に手紙が届けられて知っていただろうが、その先は機密情報。安易に手紙で伝える訳にもいかないからこそこうして自分が伝達するはずだったのに……。犯罪歴や出身地、捕まった経緯まで全て正確だ。むしろ己より詳しい。
ということは、自力で。独自の情報網を持って知ったということだ。
「そ、それほどの実力がありながらどうしてこんな辺境に……」
「当たり前でしょう」
マイルの口から零れた素朴な疑問。ラピスはカソックの裾を翻し、クルリと振り向く。何を馬鹿なことを、と言った調子で答えた。
「海軍本部の近くもシャボンディ諸島も、ましてや拷問吏なんて職も。全て子供たちに悪影響ではありませんか」