六月の終わり、丁度梅雨がもうそろそろ終わるかという頃。
今日もしとしとと雨が降り続いている。
洗濯当番は乾かない洗濯物にやきもきし、食事当番は冷蔵庫の中の奥にあった煮物にカビが生えていて絶叫している最中、俺は一大決心をしていた。
三日月宗近を逢い引きに誘う、そして告白をする、と。
身の程知らずと思われるかもしれないが、俺はあの名刀に恋をしている。
きっと、一目惚れだったのだと思う。
圧樫山に住まう孤高の月。
三日月宗近。
平安時代の名工、三条宗近の手によって鍛えられた刀はその美しさ故に天下五剣に数えられるほど。
歴史を改編せんと強くなる時間遡行軍。
審神者陣営・時間遡行軍陣営関係なく排除しようとする新たな敵陣営の検非違使。
敵はドンドンと強くなる。俺達も確かに強くなっているが、いつ何時逆転されるかわからない。その前に戦力向上を図る事が大切だと主は説いた。そして俺達は、三日月宗近の保護を命じられた。
そのせいで圧樫山の地図を未だに空で思い描けるぐらい出陣をしたので、俺を含めたあの時の第一部隊の面子は時々魘されている。
あの日は丁度激しい雨の日だった。
足元はぬかるみ、雨によって視界も不鮮明で今日はもう出陣を取りやめようと、号令をかけようとしたその時だった。
青く光る雷が落ちる。
ーーーーー検非違使の出現だ。
部隊全員に緊張が走る。ビリビリと痺れるような殺意を向けられるが、それに戦くような柔な者など、この部隊にはいない。
鍛えに鍛えられた強者共。
あの少し気弱な節もある五虎退ですら、高揚した戦意のまま笑顔を浮かべている。
部隊長として、隊員の鼓舞をすることも仕事であるがそれは必要ないようだ。
俺も、知らず知らずの内に口角を上げていた。
「……………参る!」
戦闘と同時に敵兵からの矢や投石が襲いかかる。視界が不鮮明な中飛んでくるそれらを避けるのは至難の技だったが、ぼろ布を翻し目眩ましにしつつ掻い潜り、先陣を切って躍り出た。
投石兵を展開する。
大太刀一、太刀一、槍二、打刀一、短刀一の部隊だ。狙うは敵将の槍兵のみ。
石の礫が雨に紛れて槍兵に襲いかかる。まともに攻撃を受けたせいで、少し体勢が崩れ、敵陣が乱れる。その隙を狙っていた。
「その目、気に入らないな」
一閃のもとに切り伏せる。………いや、まだだ!ギリギリ仕留め切れなかった!
重症を負った検非違使が、それでも尚明確な敵意を持って俺に立ち向かってくる。
防御が間に合わない。
槍の切っ先が脇腹に突き刺さり、同時に鋭い痛みが体中を駆け巡る。流れる血が燃えるように熱い。それでも俺は、自分の傷に構わず自身を強く握りしめた。
「それで殺そうと?」
俺はまだやれる。
これで仕留めた気になるな。
「笑いなよ………にっかりとね!」
助太刀に入ってきたにっかり青江の剣戟を受け、検非違使の目から光が失せ、その巨体は鈍い音を立てて大地に崩れ落ちていった。
「すまない、礼を言う」
「全く、隊長さんは早いんだから。………足の事だよ?」
「薙ぎ払う!」
「痛かったら、言ってください!」
「格好良く決めたいよね!」
「命が惜しいなら引け!」
皆が交戦するなか、もう一体の槍が不穏な動きをしているのが目に映る。そう確認した時には、もう俺は走り出していた。
そいつはじりじりと攻撃範囲から逸れ、五虎退の後ろを回ろうとしている。目の前の敵に気を取られていて、他の仲間達も助太刀するには遠い場所に離されている。
前と後ろに挟まれ、攻撃を喰らえば一溜まりもない。
敵の目が怪しく光る。
「五虎退!下がれ!」
「隊長さん!?」
すんでのところで間に合った。五虎退と槍兵の間に滑り込み、攻撃を防いだ。
刃同士がギチギチと嫌な音を立てる。クソッ、力が強い。均衡状態が決壊していく。
このまま均衡が崩れるならいっそ!
俺はあえて腕の力を抜いた。勝利を確信したのだろう。突き刺しにかかる。
俺は避けなかった。左肩に槍の切っ先が突き刺さる。痛みが襲いかかるが、敵から目を離さなかった。
「…………俺を写しと侮ったことを後悔させてやる、死をもってな!!」
左肩に槍が突き刺さったまま、渾身の力を振り絞り敵の胴を横一文字に切り伏せる。
ーーーーー確かに死んだと、確信した。
だが、敵は尚も立ち上がった。俺の足を足払いして無様に仰向けに転げさせ、踏みつけ、突き刺したままの槍を更に食い込ませた。傷口を掻き回され痛みで呻く俺を見て、奴はにやりと笑ったような気がした。血がどんどん流れていき、指先にも力が入らない。命がこぼれ落ちる気配が、人間で言う冷たい死の香りがそろりそろりと忍び寄ってくる。
ああ、俺はここで折れるのか。
今更気がついても、時既に遅し。
敵は俺の心臓に狙いを定め、俺の体を串刺しにしようとした、その時。
「その状態で戦おうとするか。はっはっはっ、その心意気はよし。………………だが、許せんなあ」
一閃の光が胴を一文字に走ったと思えば、敵の体はぐらりと揺れ、そのまま黒い塵となって消えていった。満身創痍で立ち上がることもできず、傷口から流れ出る血を力の出ない手でゆるく押さえながら、結果的に俺を助けた人物を目だけで追う。
激しく降る雨の向こう側。
そこには、美しい神が降り立っていた。
『祭り囃子が聞こえる頃』
「はーー、まさか無敵の総隊長殿が恋をするとはなあ」
「…………うるさい」
縁側にあぐらをかいて座り、薬研藤四郎は自分の茶を煽った。隣には、総隊長である山姥切国広が神妙な面持ちで座っている。
その視線の先には、粟田口の短刀に囲まれ鬼ごっこに投じている三日月宗近の姿があった。柔らかな笑みを浮かべ、笑い声を上げながら短刀達に手を引かれ逃げ回るその姿は、その美しさ故に天下五剣に数えられた者の姿には見えない。
そんな三日月の姿をみて、すこし山姥切は顔を緩ませた。白布から僅かに覗くその横顔は美しく、思わず薬研は息を飲んだ。
穏やかなところ。案外茶目っ気があるところ。普段は自らを爺と称しているにも関わらず戦闘になると普段とは打って変わって好戦的になるところ。相談するといつも親身になってくれるところ。写しだからといつも自分の世界に閉じ籠もっている俺に、優しく手を差し伸べてくれるところ。
自分が不甲斐ないと落ち込んでいる時に、ただただ黙って傍に居てくれること。
好きなところを上げると、数え切れないぐらいだ。
一目惚れをしてしまったとはいえ、名刀中の名刀に写しがかなうはずも無い。
初期刀としての新人育成の任が命令されたとき、本気で主に拒否したぐらいだ。
だが、
「なんと、其方が堀川一門の祖、堀川国広の最高傑作か。なるほどなあ。其方の戦いぶりが、まるで戦神のように勇猛果敢で、味方を鼓舞し敵を倒していくその姿はまるで神に捧げる剣舞のようで実に清々しかった。そんな其方の姿を見て、俺はこの本丸に行こうと決めたのだ。……………主の時代の言葉を借りると、ふぁんになった、というものだな。はっはっはっ」
「おや、山姥切の。いつも仕事が忙しそうだなあ。爺でも手伝えることはあるか?なぁに、これでも千年生きた爺だ。少しは役にたつぞ」
「切国、今日は良い茶菓子を手に入れたのだ。一緒に茶でも飲まんか?なに、いつも頑張っておるのだ。少しぐらい休憩しても構わんよ。長谷部殿に注意されたら、この爺に無理矢理付き合わされたとでも言えばいい」
その優しい心に、段々と惹かれていった。
三日月への思いは、水を得た若葉のように段々と大きく生い茂り、確かに俺の心を浸蝕していった。
最初はただの友人だと思っていた。だが、不自然に動悸が激しい。傍に座ると緊張で手に汗が止まらない。心配されて顔を近づけられると、急な体温上昇・発熱・顔の火照り。
何の病だと本丸の医務室の主、薬研藤四郎に相談すると難しい顔をして何故か乱藤四郎を呼んだきた。
不思議に思いつつも乱を交えてもう一度説明すると、難しい顔した薬研とは対照的に、どこかキラキラとした顔をした乱が笑いながら言った。
「切国さん、それは恋だよ!」
こい、来い、鯉、恋。
乱が言ったことを正確に理解した瞬間、体温が急上昇した。顔が燃えるように熱い。直ぐさま否定しようとしたが、舌がもつれて喋れないので代わりに必死に首を横に振る。
そんな俺の慌てふためく姿を見た二人は、顔を見合わせてニヤッと笑った後、俺の周りでくるくる踊り出した。
「いやーこれは恋だなー」
「甘酸っぱいねー」
「ひゅーひゅー!切国の旦那、今日の夕飯は赤飯にしてもらうか?」
「命短し恋せよ乙女ってね!」
「からかうのは辞めろ!!!!」
例えこの恋が実らないとしても、ただ友人として傍に居られたならそれでいいと、そう思っていた。
だが、そう思うも今日までだ。
俺は、俺は絶対に逢い引きに誘い、告白をする。
だから、大人しく首を洗って待っていろ三日月宗近ぁ!!!
結果から先に話そう。
逢い引きに誘ったが、断られた。
まさか断られると思わなかった。
フラフラとした足取りで自室まで戻り、部屋の片隅で体育座りをし、白のぼろ布を更に引っ張って、自分の殻に引き籠もった。
辛い。もう駄目だ。白金台単騎出陣して折れて消え去りたい。
「何故だ…何故上手くいかない…」
「ちょっと切国さー、部屋の中でジメジメするの辞めてくんない?なんか心なしか爪紅乾くの遅く感じるんだけど」
「俺が写しだからか…」
「いや関係ないけど。ほらほら切国どうしたの?まあ、きっと三日月爺さん関係だと思うけど」
「なんでわかるんだ加州!」
驚いて自分の殻から抜け出すと、目の前には呆れた顔した加州と目が合った。
赤い目がじっと俺の顔を見つめてくるので、ジロジロ見られるのが苦手な俺はまたぼろ布を被り直した。が、すぐに加州に剥ぎ取られた。辞めてくれ。
「切国は全部顔に出てるから。あと、俺たちずっと一緒だしわかるよ」
「加州…………」
「なんかあったんでしょ?話ならきくよ?」
そして俺は重い口を開いた。
*****
話は遡り、山姥切国広が三日月宗近を誘うところである。
見た目はとても冷静に見えるが、心臓がバクバクドキドキしており、気を抜いたら吐きそうなぐらい緊張している。
それぐらい決死の覚悟で臨んでいた。
この時の為に、いつもより綺麗な白布を纏った。俺の大事な戦衣装だ。
なるべく凜とした面持ちで、戦衣装に身を包んだ三日月に声を掛ける。
「三日月、話がある」
「おや、切国。いかがした」
「来週の日曜は空いているか?城下町で神々が催す祭りがあるそうだ。よければ一緒に行かないか?」
「来週の日曜か………。すまんが先約がある。三条の酒宴に参加せねばならぬのだ」
三日月の困ったような顔を見て、目の前が真っ白になる。
なけなしの勇気を振り絞って誘ったが、予定が被ってしまっていた。運が悪すぎる。
これも俺が写しだからか。
「すまんな、また誘ってくれ」
「おい三日月のじーさん!もうそろそろ出発の時刻だぞ!!早くしてくれ」
「すぐに向かう。 ………ではな、切国」
そう言って、三日月は去って行った。
「…………と言う訳だ」
「あちゃーーー。そっか、先約があったのか…」
「どうせ写しには、すぐに興味がなくなるんだろ。わかってる…」
「まー、切国も頑張って誘ったじゃん!凄い進歩じゃん!また次があるって!」
いつの間にか隣に座った加州が俺の背中を労るように叩きながら、明るく告げる。
そんな頑張った切国には俺が褒めてあげると、俺の髪を優しく撫でてくれた。
加州は、いつも優しい。
本丸黎明期、右も左もわからない手探り状態の時に共に支えあったのが初鍛刀の加州だった。
お互いのコンプレックスを刺激し合って、最初は口も手も足も刀もでる大乱闘を起こしたのだが、喧嘩から友情が生まれ、互いを理解し支え合う仲となった。
俺たちは相談事を抱えると、互いに相談し合った。ちなみに三日月に恋心を抱いたと自覚をした後も、真っ先に相談しに行った。
「そうだ!じゃあ切国、その日一緒にお祭り行こうよ!俺が可愛くデコってあげる!」
「遠慮しておく」
「遠慮するなって!切国綺麗だから、気合い入れておめかしした格好でもう一度誘ったら、もしかしたら三日月じーさんも気が変わるかもよ??」
「綺麗とか言うな!」
「で、どうする?」
加州は悪い顔をしてニヤッと笑う。赤い目が怪しく光っている。
きっと加州は俺の答えを端から知っているし、わかっているのだ。
「………………」
「無言は肯定だと思っとくからね!」
「………なんで、こうなるんだ……」
*****
からりと晴れた夏の青空に入道雲。縁側に吊された風鈴が風に揺られて、ちりんちりんと心地よい音を鳴らしている。
ついに祭り当日。
朝一番に加州と乱が自室に飛び込んできて、寝ぼけた俺はあれよあれよという間に風呂に突き落とされた。やっと目が覚めて必死に抵抗しようとしたのだが、二人がかりに取り押さえられ、やれ花の香りのシャンプーやら石鹸やらパックやら泡立て塗られ、まるで風呂嫌いな五虎退の虎や鳴狐のお供のように隅々まで洗われた。
もう朝一の時点で疲労困憊だ。
だがこの苦行はまだ始まったばかりだった。
「格好良く髪を決めたいよね!」と颯爽と現れた燭台切による期間限定美容室の開店や。
「可愛くデコっちゃうよ!」と強制的に座らせられ加州にネイルをされ。
「き・せ・か・え*」と乱が俺を大きな姿見の前に連れてきて浴衣の色や帯の色など、どう合わせるかコーディネートをしている。
好意はありがたいが、皆面白がっている節がある。微妙に俺を見つめる目が生暖かい。
鏡越しに乱と目が合うと、にっこり笑って、口パクでが・ん・ば・っ・て*と言われた。
やめろ、やめてくれ。
「ほらほら、なにブスッとしてんのさ。着せてあげるから早く早く!! 」
「やっぱり止めておく」
「何言ってんのさ。覚悟決めろって!」
「加州さん、帯はこれでいい?」
「ん、バッチシ!流石乱のコーディネート!」
紺地に細縞の浴衣を纏い、白の角帯を腰骨辺りで締める。少し恰幅が欲しいので、下にタオルをまいておいた。ずり上がりがちな帯をグッとさげて完成だ。意外とすっきりとした装いになったので安心した。
俺は箪笥の引き出しの中から、一つの箱を取り出してふたを開けた。
兄弟から貰った石や花の栞や手紙など様々な物が入っているこの箱は俺の宝箱みたいなものだ。最初は空っぽだったそれも、段々と賑わいを見せている。
そんな箱の中から、根付けを取り出した。
金魚に三日月の彫金細工の根付けは繊細で美しく、とてもではないが俺には似合わない。
だが、これは俺にとって大切な宝物だ。
「切国や、手を出してくれ」
「なんだ?」
「そら。この前遠征帰りに城下町で小物屋に寄ったのだ。そこでこれが目に入ってきてな。切国にやろう」
「こんないいもの貰えるわけないだろ!」
「おや、いいものだと言ってくれるか。嬉しいなあ」
初めて三日月から貰った、大事なものだ。
いつもは大事に箱の中へ仕舞っているのだが、今日位はいいだろう。
思わず顔が緩んでいたのか、加州たちににやにやとした笑い方で見つめられていた。
思わず顔から火が出るくらい恥ずかしくなり、その視線から逃れる為に、兄弟達からこの前の誕生日?(うちの本丸ではなぜか重要文化財・国宝指定日などを誕生日としている)に貰った、正絹の白の紗羽織を頭から被った。
伽羅の香を焚きしめておいた為ふわりと香る紗羽織が、大変居心地が悪い。
こんなに素晴らしいものは貰えないと二人に一度は断ったのだが、二人に有無を言わさず持たされた。
元々は自分の顔を隠すためのものであったのに、こんなに透けてしまっては隠せやしない。思わずぐいと引っ張って顔が隠れるようにしたが、やはり景色が透けて見えている。
やはりこれではなくいつもの布にしようとしたが、皆からは大反対でこのままの方がいいと押し切られてしまった。
それから。
加州と乱に背中を押され、三日月の部屋の前まで来たのだが、途端に尻込みをしてしまい敵前逃亡をはかりたくなった。
普段ならば戦闘にも気後れせず真っ先に飛び込んでいく俺がこの有様。紗羽織をグッと握り更に深く被ったが、透けるためにあまり意味をなさなかった。
少し落ち込んでいたその時、扉が開かれた。
驚いた俺は思わず目の前を見上げると、驚いたのか目をきょとりとしている三日月が立っていた。
完全な休日だったせいか何時もの戦衣装や内番着ではなく、縹色の夏着物に薄浅葱の陣羽織を身に纏っていた。
すらりと立っている三日月は馬子にも衣装な自分とは違って正に粋で洗練されていて、思わず見とれてしまったが、我に返ると同時に重大な事に気が付いてしまった。
心の準備が出来ていない。
ここまできてしまったんだ、覚悟を決めろ。
そして、俺は口を開いた。
「三日月、少しの時間でいいから一緒に祭りへ行かないか?」
しどろもどろになりながらも、なんとか伝えられた。羞恥で三日月の顔や目など見ることができず、俯いて三日月の返事を待つ。
緊張から手が少し震えているのがみっともなくて、少しでも見えないようにと紗羽織の中に手を隠した。
三日月の返事が来るまでの僅かな時間が、まるで5分や10分くらいにとても長く感じた。
「すまんな切国、三条の酒宴は抜けられぬのだ」
「…………そうか。こちらこそすまないな、何度も呼び止めて」
「俺に構わず、楽しんでくるといい」
「…………わかった」
やはりか。俺は肩を落とした。
このままでは三日月に気を遣わせてしまうので、なんとか精一杯不器用ながらも一言伝えた。震える声に気が付かないでくれ。三日月の顔を見れず、ずっと下を向いたままの俺は三日月の表情が何かに耐えるように唇を噛んでいたことに、最後まで気が付かなかった。
******
「おーーすごい賑やか!」
「いつもと全然違う光景だね」
「おい国広、射的があるぞ!行くぞ!」
「ちょっと待ってよ兼さん!ほらいくよ兄弟!」
「ちょっと待ってくれ…!!!」
俺は堀川の兄弟と兼さん、加州に大和守など新撰組の面子に連れられて祭りに来ていた。
赤と白の提灯に祭り囃子、射的や金魚掬いなどの出店から、御神酒やかき氷などの出店が城下町の道の両側にずらりと並んでおり、出店の人間が前を通る人々に対して自分の商品を猛烈に主張をしている。
向こうに見える神社の境内にある能舞台では、鈴を持った巫女達が神楽を踊っており、其処もまた別世界だ。
いつもとは違う城下町に、皆や周りにいる者達も心躍るようでとても楽しげな雰囲気があたり一面を覆い尽くしている。
俺を気遣って皆はいつもより明るく、射的や金魚掬い、焼きそばやたこ焼きやりんご飴など色んな場所へ連れ回してくれたが、申し訳ないことに人混みに疲れてしまった。加州たちに一声かけて祭りの喧騒から抜け出した。
先程掬った金魚の袋だけを持って、町外れの誰もいない長椅子に腰掛ける。
ほうっと一息をついて、やっと落ち着いて呼吸が出来るようになった。
祭りの華やかさから離れると静寂が辺りに包み込んでいて、その柔らかな孤独がひび割れたこころを慰めてくれているような気がした。夜空を見上げると、美しい三日月が顔を覗かせていた。
愛おしい人と同じ名前を持った月。
俺は持っていた金魚の入った袋を三日月に向かって透かすと、ヴェールのような尾ひれをゆらめせて金魚は泳いだ。
それはどこか、月に向かって恋いうるような動きをしているようにも見えた。
「お前は月が好きなのか?……………俺もだ」
金魚が言葉を通じるとは思ってはいないが、ある意味親近感を持った俺は独り言のように語りかけた。
狭い袋の中で泳いでいる金魚は、まるで俺の言葉に同意するように優雅に尾ひれを揺らめかせた。その様子に、思わず笑みを浮かべた。
「おや、こんなところでなにをしておる?」
声をかけられ、思わず顔を上げるとそこには戦衣装を身に纏った三日月宗近が目の前に立っていた。
もちろん、和やかに笑う三日月宗近はうちの本丸のものではない。彼は今頃、三条の面々と盃を酌み交わしているのだから。
事実だというのに、そう考えただけでツキリと胸に痛みが走り、思わず胸元を握り締めたせいでせっかく加州達が綺麗に着付けてくれた浴衣がぐしゃりと歪んだ。
三日月宗近は俺の様子など構わずどんどんと近付いてきて、紗羽織越しではあるがゆったりと頭を撫でてきた。
「物思いに耽っているな」
「あんたには関係ないだろう」
「はっはっはっ、そうかもしれんな。だが、話を聞くぐらいなら出来るぞ」
「ほっといてくれ!!」
いやに突っ込んでくる余所の本丸の三日月宗近に苛々が募り、思わず撫でられていた手を振り払い、拒絶をした。
同じ顔で、同じ声で、同じ性格の筈なのに。
でもコイツは、俺の本丸の三日月じゃない。
本当に話したくて、触れたくて、心を通わしたいのは。
「――――――切国っ!」
この声は。
まさか。
「み、三日月!?」
紛れもない、俺の本丸の三日月宗近だ。
息を弾ませ、ずっと走り回っていたかのように額や首筋から珠のような汗を流している姿は、常のゆったりと構えた余裕のある優雅さとはほど遠い姿ではあったが、その余裕のない姿ですら格好良く見えた。
三日月は、俺と相対峙していた三日月宗近との間に入り、俺を背に庇うようにして立ちはだかった。
「おや」
「すまんな他本丸の俺よ、俺のツレが世話になった。…………待たせたな、行くぞ切国」
「え、ちょ、ちょっと待ってくれ!三日月!」
優雅に一礼した後、三日月は俺の手を掴むと、何時もの穏やかさとは打って変わった力強さで握り締め、そのまま引き摺られるような形でその場を去った。
三日月に手を握られているという事だけで、嬉しさと気恥ずかしさと困惑で感情がごちゃ混ぜになっており、一気に体温が上昇し、顔から火が吹いた。
心臓がこのままでは爆発するんじゃないかと心配になるぐらいドキドキし過ぎていて、手を繋いでいる三日月に聞こえていたらと思う、それだけのことで恥ずかしくなり、また顔が赤くなる。
そんな悪循環を繰り返す俺の姿を、余所の本丸の三日月宗近がほけほけと笑いながら眺めていた。
「はっはっはっ、青春というやつだな」
「やっと見つけたぞムネーチカ!」
「おお国広か、すまんな。また迷子になっていたのだ」
「今日は稼ぎ時だから出店を頑張ると言ったのはお前だぞ!俺が居なかったらどうするつもりだったんだ?」
「はっはっはっ、やっと気が付いたのか?俺はな、お主がいないと駄目なのだ。だからな、捕まえておいてくれ」
「…………心配しなくとも、ずっと捕まえておいてやるから覚悟しておけ」
「ふふっ、流石俺の国広は男前だな」
******
どうしたらいいんだ。
「三日月………なあ三日月…っ!」
先程から何度も呼びかけてはいるのだが、三日月は何も反応しない。
人気の無い町外れから、祭りで賑わいをみせる城下町まで帰ってきた。
沢山の人が居る中で、一介の写し風情が天下五剣の三日月宗近と手を繋いでいるとバレたら、後ろ指を指されるのではないか。
そんな不安で三日月の手から離れようと思ったのだが、逆にしっかりと繋ぎ直された。
指と指を絡ませた、俗に言う、こ、恋人繋ぎというやつだ。
もうこれ以上は赤くならないと思っていたのに、また体温が上がる。
きっと、他のものからみれば、俺は金魚のように赤くなっているのだろう。
三日月が前で手を引っ張っているお陰で、顔を見られないことだけが唯一の救いだ。
元はと言えば、三日月のせいなのだが。
三日月の後ろ姿を、思わず睨み付ける。
縹色の着流しを粋に着こなした三日月は、流石は名刀中の名刀。
後ろ姿ですら、隙の無い美しさだ。
だが、その後ろ姿は、どこか苛立っているように見えた。
「三日月………なあ三日月…っ!」
祭りに向かう人々の波を逆走しながらどんどんと歩いてはいるが、何処に向かっているのかも分からず、不安になってくる。
「すまんな、切国」
人通りも疎らになってきた頃、不意に立ち止まり、貝のように口を閉ざしていた三日月がやっと言葉を発した。
先程までしっかりと繋がれた手は、今は解放されている。それに寂しさを覚える。
だが、三日月は此方を振り向きもしない。
見ようともしない。
「ここからは、俺の独り言だ。出来れば黙ったまま聞いて欲しい」
「お主の誘いを断った後、俺は言った通り三条の酒宴に参加したのだ。だがな、俺は先程の山姥切国広が目に焼き付いて離れなかったのだ。顔を赤くして、震えながらも一生懸命誘ってくれたお主の姿が。俺に断られて、傷付きながらも、涙を零さないよう必死に耐えている姿を。
俺は折角の酒宴なのに気も漫ろで魂が抜け出てしまっていてな、三条の面々に問い質されて、そして叱られたのだ。」
「こっちよりも優先すべきものがあっただろうが、と。本当に大事なら、今からでも走って行って、全力で謝って、許して貰って、一緒に回ればいいと。」
「そう皆に背中を押して貰ってな、俺は城下町まで走り出したんだ」
「初めてだったなあ、城下町まで行く道のりがあんなに長いと思ったのは」
「本丸と、城下町を繋ぐ踏切があるだろう?踏切のカンカン音と赤い光がチカチカしているのを見て、『早く上がれ』『早く上がれ』とずっと念じておった。一分一秒でも早く、お主に会いたかった」
「やっと着いたら、人が多くて驚いたな。お主を探している中で様々な本丸の山姥切国広の姿を見たぞ。だがな、全く別刀だったのだ。俺の知っている山姥切国広は、切国、お主だけだ」
「ようやく加州殿達に会えたと思ったら、切国はちょっと人ごみに酔ったから席を外してると言われてな、心配になった。早く切国の元へ行かなくては、そう思った。それでな、」
「………腸が煮えくり返るかと思った」
「切国が、同じ『三日月宗近』とはいえ他の者に触られていて、目の前が真っ赤になるぐらい、初めて怒りを感じたのだ」
「そこにいる山姥切国広に触るな、俺の本丸の…………否、『俺の』山姥切国広だと、そう叫びたくてたまらなかった」
ぽつりぽつりと、雑踏に紛れて消えてしまいそうな位の小さな言葉達が、まるで泡のように浮かんでは消えた。
俺は、その小さな声を片時も漏らさないよう、必死に拾い集めた。
普段は自分の本心を穏やかに隠したままの男が、実直に自分の気持ちを吐露している。
その言葉達は、あまりにも俺にとって都合の良い夢かと思うぐらい、嬉しい言葉だった。
この言葉を抱いたまま、この気持ちのまま死んだらどれだけ幸せなのだろう。
そんならしくもない言葉が脳裏を過ぎるくら、俺の心は歓喜に震えていた。
自分でも恥ずかしい事を言っていると気が付いたのか、三日月の形の良い耳が暗がりでも分かってしまうぐらい真っ赤になっている。
それを見た俺は。
「……っ!?き、切国?どうしたのだ」
思わず、その背中に抱きついた。
見た目よりもしなやかな筋肉がついた広い背中に思わず頬擦りをすると、香の良い香りがふわりと鼻腔をくすぐった。三日月らしい、柔らかくてどことなく甘い香りだ。
その香りが俺好みで、更に擦り寄る。
俺に抱き付かれて擦り寄られた三日月はと言うと、緊張でガチガチになり、困ったような声で俺を引き離すべきなのかどうするべきなのかと悩んで、しどろもどろになっている。
俺を意識してくれていると、そう自惚れてもいいのだろうか。
「後ろ、絶対に振り返るな」
「………あい分かった」
「――――――――三日月、俺は、お前の事が好きだ。」
「きっと、初めて三日月を見た、あの日からずっとお前の事が好きなんだ」
そう、あの酷い雨の日。
あの日から、俺の世界は変わった。
「手を離してくれないか?」
「…………嫌だ」
「切国、お主の顔が見たいのだ。……………駄目か?」
「俺はな、いつでも俺を気遣って。辛いときには黙って隣に居て。誰に対しても誠実で真面目で。天下五剣なんて名刀中の名刀の癖に、それを歯牙にもかけないおおらかで。
いつでも温厚な顔をしている三日月宗近の、その根底にある、刀としての闘争心。全部全部、好きになったんだ。三日月なら何をされてもいい」
「ならば、好きにさせて貰おうか」
二つの影が重なりあい、一つになる。
嗚呼、遠くで。
祭り囃子が聞こえる。