「三日月………。本当にいいのか?」
「ああ、主よ。今まで世話になったな」
「俺は、お前を含めて大事な仲間達をそんな危険に晒したくないんだ」
「気遣い痛み入る。だが、俺は決めたのだ。俺は、【三日月宗近】の名前を捨てるぞ」

******

からりと晴れた鮮やかな青空に積乱雲が聳え、蝉の鳴き声が響き渡る午後二時。
歴史ある寺社内で開かれた骨董市に、堀川切国は居た。古めかしい皿や手作りの鞄、はたまたアクセサリーや洋服など様々な物が展示されている。
飲食コーナーで売っていた白桃ジュースを片手にぶらぶらと色々なブースを見て回っていたが、不意に一つのブースで立ち止まった。
そのブースに飾られていたのは、一振りの刀。と言っても、一般人が思い浮かべているような、武士が帯刀していたようなものではない。
小さなものだ。小さいといっても、大人の腕くらいの長さがある。
切国は、白いフードの下からずっとその刀を眺めていた。それは、まるで永遠にも近いような刹那であった。
熱心に見つめる切国に対して思うところがあったのだろう、このブースのオーナーの男が笑いながら口を開いた。

「それはね、昔昔、大和や京に都があった頃からの流れをくむ鍛冶屋の刀派が、先人の刀を写して作ったペーパーナイフなんだよ」

切国は聞き慣れない言葉に戸惑いを覚えた。一体何なのだ、ペーパーナイフというものは。目の前の男に尋ねると、男は刀に興味を持ってくれた事が嬉しかったのか、分かり易く優しく説明してくれた。

「そうだなぁ…。今では全部メールになってしまったけど、昔は手紙と呼ばれる、紙に文字を書いて人々はやり取りをしていたんだよ。その時に内容を見られては困るから、封をしていたんだけど、その封を開けるのにペーパーナイフというものが使われていたんだ。
まあ、今じゃあ君が知らなかったように手紙を書く酔狂な人間もいなくなったからなあ」

男はペーパーナイフを手に取ると、その刀をゆっくりと抜いた。曇りひとつない刃が陽の光で輝き、その光景を見た切国は、思わずペーパーナイフに目を奪われた。

「実はね、刀にも名前があるんだよ。このペーパーナイフにもね。名を【三条宗近】というんだ。こんな小さいなりでも、本物の刀とおなじ作られているし、打たれてから二百年は経っているんだよ」

さんじょうむねちか、と切国は呟いた。
その名前は本当に正しいのだろうかと、何故かふとそう思った。
だがその考えも、男が笑いながら言った台詞によってすぐに霧散する。

「まあ、これも縁だね。お守りだと思ってお兄さん買っていきなよ。すこし色つけとくしさ!」

蝉の鳴き声が響き渡る午後三時。
切国のバッグの中には、桐箱に納められた三条宗近が一振り入っていた。

「守り刀になればいいんだがな」

重くなった鞄を抱え直し、そう堀川切国は呟いた。




『君は僕の希望』




堀川切国は、人とは少し違っていた。
日本人だが先祖返りの美しい絹糸のような金髪や新緑の青竹のような色をした目をしていることや、その美しい顔を他人からジロジロ見られたくなくて白いパーカーのフードをいつも被っていることなど、容姿を指しているのではない。
彼は、信じて貰えないかもしれないがこの世の者であらざる者−−即ち幽霊や妖−−を見てしまうことが出来るのだ。

切国は思い出したくもない過去をひっくり返してみたが、昔はそうではなかった。
初めて見たのはたしか高校1年の夏頃だった。
一日の終わりの夜の時間帯に部屋の中で漫画を読んでいると、人の気配に聡い切国は誰もいない筈の部屋なのに何故か人の視線を感じた。恐る恐る漫画から部屋へと視線を上げると、部屋の片隅に何か黒いものがいた。
驚いてぎくりと肩を震わせたその瞬間、その黒いものの顔らしきものがこちらを向いた。ヒッと悲鳴を上げた切国が、パニックに陥るには容易かった。
段々とこちらへジリジリと近付いてくる黒いものに、焦った切国は対抗するべくとりあえず手元にあった漫画やグローブや目覚まし時計などを手当たり次第に投げつけた。
すると一瞬怯えたような態度を取ったので、切国はその隙に部屋から飛び出し一目散にコンビニに向かった。誰もいない家の中に一人で居るのは怖かったこと、少なくとも誰かがここに居るという安心感と照明の明るさから選んだ結果である。
そして朝までコンビニで立ち読みなどをして時間を潰して、日が昇ってから家へと戻った。そして部屋の中を恐る恐る伺うと、そこには何もいなかった。切国は張りつめていた気を緩めると、ホッと息をついた。
だが、黒いものに投げたはずのものたちは、部屋の中を隅々まで探したがついに見つからなかった。まだ半分しか読んでない24巻を返せ、と切国は思った。きっと考えるべきところはそこではないだろう。

その日から切国の生活は180度変わった。
犬も歩けば棒に当たるという諺があるが、これを自分に例えると街を歩けば幽霊に当たる、だ。
街には昼夜関係なく、意外と幽霊が溢れている。
大勢の乗客を乗せた電車の中で、ふと辺りを見渡すとぽっかりと一つ席が空いている事が無いだろうか。いつもならば空いていたら誰かが座るだろうそこに、立っている人がいても座ろうとしない。そしてそんな光景を見かけたときに、一つ自分の心に聞いてみて欲しい。
『その席に座りたいか?』と。
もし嫌な感じがしたら、きっとその感覚は正確だ。
幽霊が見えるようになった俺の目を通すと、そこには座っている。勿論、この世でないものが、だ。
この前電車で見かけた幽霊は、ちょっと後頭部が寂しい草臥れた中年サラリーマンの幽霊が座っていた。
きっと生前と同じ生活を続けているのだろう。膝の上にノートパソコンを広げ、スマートフォンを片手に取引先と電話をしている。
ぺこぺこと何度も頭を下げるその姿に、悲愴感が漂っている。死ぬまでずっとしていたことを、死んでからもずっとしているのだ。
そんな幽霊の姿は見えていても、切国は見えるだけでどうすることもできない。
切国が出来ることは、ただただ幽霊を見えないふりをして目を逸らすことだけだった。
勿論それではどうにも出来ないことも多々有り、追いかけ回されたり悪意を持たれたりしていて、切国は自分の人生の理不尽さに対して大きな諦めと、少しの憤りを感じながら日々を過ごしていた。
そんな彼にも、心が許せる友人がいた。


「…………おい」
「伽羅か」
「昼飯買いにいくぞ」
「わかった」

電子機器を適当にリュックサックに詰め込み、財布を片手に肩を並べてコンビニへ向かう。
俺はコロッケパンに焼きそばパン、ハムサンドにアップルパイ、伽羅はカレーパンにタマゴサンド、ホットドッグにフレンチトーストとお互いに大漁に仕入れてホクホク気分でコンビニから立ち去った。

「今日はどこで食べる?」
「……………」

どことなく勝ち誇った顔をした伽羅はポケットから一つ鍵を取り出した。そのキーホルダーに書かれていたのは、『屋上』だった。

初めて入る夏の屋上は、直射日光と熱されたアスファルトのせいで言い尽くせない程暑かった。二人でなんとか涼しいところはないかと探し回り、やっと見つかったところは給水塔の影だった。狭い影の中で目の前の青い空と入道雲を眺めながら、二人で先程買った戦利品を広げていそいそと食べ始めた。
柔らかいコッペパン。
じゃがいもがごろごろ入ったコロッケ。
下に敷かれたキャベツ。
たっぷりと染み込ませたソース。
租借をすると旨味が口の中に広がっていく。ここのコロッケパンはいつも美味いので、リピートし続けている。
切国がコロッケパンに夢中になっていたときに、唐突に伽羅は口を開いた。

「…で、どうしたそれは」
「何の話だ?」
「お前の鞄の中に入っているものだ」
「…………凄いな、伽羅は」

切国は友人の顔を思わず3秒見つめた。
新緑の瞳が驚きで目が丸くなっており、そんな切国の様子をみた伽羅は一つ大きな溜息を吐いた。

戦国時代から続く由緒正しき寺院生まれの伽羅は幼いころから第六感が働き、物を無くした時など相談したらピタリと言い当てることが多かったそうだ。
だがその力を、自ら進んで見せびらかすことはない。
そんな彼がわざわざ自分から言ったのだ。
驚きを隠せないのも、無理はないと思う。

「実は、昨日××寺の骨董市に出掛けたんだ。それでこれに出会った」

切国は傍に置いていたリュックサックを引き寄せ、中から桐箱を取り出した。箱の蓋を開けると、そこには一振りのペーパーナイフ【三条宗近】が出てきた。
大*利伽羅はそれを視界に入れた瞬間小さく息を呑んだが、切国はそれには気付かなかったのだろう。そのまま言葉を続けている。

「おかしいだろう?でも、一目見た瞬間に目を奪われて、その場から動けなくなったんだ」
「………そうか。お前が、人混みがある場所にわざわざ行くなんて珍しいな」
「言われてみればそうだな」
「切国、俺があげた念珠を持っているか?」
「ああ、いつもつけている」

切国が制服を腕まくりすると、白い腕に通った念珠がでてくる。黒い数珠玉が連なったものだ。一つの珠にだけ、金の龍が描かれている。伽羅が俺の体質を知り、プレゼントをしてくれた物だ。
いつも肌身離さずつけている。
この念珠のおかげで何度助かったことか。



「絶対に外すなよ」



伽羅の真剣な眼差しに、思わずたじろいた切国はただ頷くことしかできなかった。



*******


今日の帰り道は、運が悪いことに一人になった。同じ帰宅部である伽羅が突如委員会に呼ばれていってしまったのだ。
照り返しのキツいアスファルト舗装の道をてくてくと歩いていると、痛いぐらいに感じる直射日光とむわっとした熱気に晒されてもうそれだけで倒れそうなほど暑い。額から流れた汗が顔を伝って首筋へ流れていく。
気持ち悪くて思わず切国は手で拭った。
蝉の鳴き声をBGMにしながら歩いていると、いきなりゾッとするほどの寒気が身体全体に広がり、鳥肌が一気に立った。
切国は出来るだけポーカーフェイスを装って、脚を止めずに目だけで周囲を見渡した。
脳内の警報が鳴り止まない。この感覚はヤバい。幽霊が近くに居る。
しかも、悪意を持った危険なものが。
一目周りをみる限り、何処に潜んで居るのかが分からなかったため早くこの場を離れようと決めた切国は、少し歩くスピードを速めた。パーカーのフードをグイッと引っ張ってより一層視界を遮断し、ひたすら歩くことに集中しようとしたその時である。

「みいつけた」

肩に置かれた手は鋭い爪が食い込むほど強く握られ、ネットリとした粘着質な女の声が耳元で囁かれた。その瞬間、切国は躊躇なく多分大体顔があるであろう位置に情け容赦なく全力で裏拳を叩き込んだ。先手必勝。人間であろうが幽霊であろうが、相手にとって危害を加えようとしたとみられる行為をした時点でアウトだ。女であろうが容赦はしない。あくまで平等に。
切国の推測通り、殴った感触はあった。そしてそれは、人の体温ではあり得ないぐらいの冷たさをしていた。
よし、幽霊だな。切国は全力でやれると安心して、そのままの勢いで肘を鳩尾に一発決めると、幽霊の手をふりほどいて走り出した。

「おのれ………おのれぇぇぇええぇぇぇぇ!!!!」

コケにされた女の激しい怒りの声や、追いかけられている気配をビシバシと感じながらも切国は振り向きもせず走り続ける。
ここで止まる馬鹿がいるか?いやいない。
兎に角、この幽霊を振り切って逃げることに集中しなくては。
切国は右へ左へ道を曲がりながら幽霊を撒こうとしていたが、いつしか袋小路に追い込まれていた。ここら辺の地理は頭に入れていたが、こんな袋小路はなかったはずだ。最初から誘い込まれていたことに今更気付き、自分の不注意さに舌打ちを打った。
兎に角、戦うしかない。出口は一つだけだ。
切国は覚悟を決めて、後ろから来る幽霊に向き合った。
手入れのされていないぼさぼさの長い髪を振り乱し、女は立っていた。血走った目は切国からずっと目を離さず、口元はいやらしいほどの満面の笑みを浮かべている。狂気の形相、という言葉がピッタリだ。
元は白いワンピースだったのだろうが、泥やなにか黒い液体で汚れていてもう既に原形をとどめていない。赤い瘴気のようなものを撒き散らしながら、その場に佇んでいる。
切国は無意識のうちに、伽羅から貰っていた念珠を触っていた。

切国は幽霊の姿を見ることができる。
だがそれだけだ。
そんな彼はよく幽霊に襲われる事が多い。
自分の身を守る術を持たない切国を案じて、友人の伽羅は念珠を贈ってくれた。
この念珠は僅かではあるが穢れを祓い、持ち主を守る術がかけられている。
だからこそ、先程切国は幽霊に拳を叩き込めたのだ。 きっと贈り主が思っていた使い方とは違っているだろう。
伽羅もビックリだ。
だが、いまこの場では頼れるものはこの念珠と自らの拳だけだ。
恐ろしくて震えそうな自分を抑えつけて幽霊を睨み付け、宣戦布告をする。

「そら来いよ!俺はここだ!かかってこい!」

女は更に笑みを濃くして、襲いかかってきた。俊敏な動きで先程まであった距離が一気に縮められる。女は鋭い爪を武器に、先程の恨みと言わんばかりに切国の顔を切り裂こうとしたが、間一髪のところでしゃがみ込んだことで回避できた。女が少し体勢を崩したところで、切国はグッと拳を握り締めて足のバネを利用して女の顎にアッパーカットを決める。ジャストミートだ。

「……………それでぇ?」

切国の全力の拳を受けたにも関わらず女は小首はかしげて何でもないように笑い、反撃とばかりに切国の胸元を掴むと想像も出来ない力で壁に叩き付けた。衝撃と痛みで声も出せないが、切国は必死に抗い女の腕を掴んで離そうとしている。
しかし、恐ろしい強さで掴まれているために全然離すことができない。女にとっては子犬がじゃれているようにしか思えないのだろう、余裕の態度を崩さない。切国の腕から覗く念珠を見つけると、女はより一層笑みを浮かべた。

「お前のつけている、それ。邪魔ねぇ」
「やめろ……!触るな!!」
「ばいばい」

切国の制止など何も役にたたず、女は念珠を引き千切った。
糸が切れた念珠の数珠玉たちが四方八方に飛んでいく。友人がくれたものが、今まで助けてくれていたものが、いとも簡単に壊された。女は手の中に残っていた数珠玉を握り潰すと、次はお前だと言わんばかりに切国の頬を撫でた。ゾッとするほどの冷たい手が肌を撫でていく。不快感を隠そうともせず、切国はその美しい顔を歪ませた。それを見た女は嬉しそうにケラケラと笑った。

「憎たらしいぐらい、綺麗な目。……………………だぁいっきらい」
「………綺麗とか、いうな」
「ああ楽しみだわぁ。お前の泣き叫ぶ顔や命乞いする顔を見るのが。きっとこの綺麗な顔がぐちゃぐちゃになるのね。」
「俺を侮ったこと、後悔させてやる!」

切国は、ポケットに隠し持っていた清めの塩−もう殆ど岩塩に近いおはじきくらいの大きさのもの−を大量に女の顔に投げつけた。散弾する塩など予想をしていなかった女は悲鳴を上げて、咄嗟に両の手で顔を覆い後ろへ後ずさった。
その隙に切国は、また走り出した。体力切れなんて今は考えている暇はない。今のうちに逃げないと本当に危ないのだ。先程のような奇策や切り札はもう持っていないのだから。

「調子に乗りやがってぇぇぇぇ!!!」

少しは走って離れていた筈なのに、女の怒声がすぐ近くまで近付いてきている。チラリと後ろを見ると、まさに般若の形相をした女が追い駆けてきていた。その気迫は恐ろしいもので、熊に追いかけられた小動物の気持ちになる。
女は長い髪を振り乱し、変色したワンピースがめくり上がるのをものともせず、鋭く尖らせた爪で切国を引き裂こうと必死になっている。焦った切国は砂利に足を取られ、スピードを落とすはめになった。好機とばかりに女の爪は切国に襲いかかったが、ギリギリのところで背負っていたリュックサックが代わりに切り裂かれた。あと一歩でも間に合わなかったら、と思うと背筋が凍る思いがしたが圧倒的絶望の状況には変わりは無い。
切り裂かれたリュックサックの中から、【三条宗近】の入った桐箱が滑り落ちた。
蓋が外れ、まるで『俺を使え』と言われてるような気がした。切国は直ぐに拾い上げると、女に向き合った。

「…………戦わなければ、負けるだけだ!」

そう言って、刀を鞘から抜くと眩い光が辺りを包み込んだ。その強い光を浴びた切国は咄嗟に瞼を閉じ、その光を遮断した。
永遠にも近い刹那の後、光が収まった感じがしておそるおそる目を開けると、そこには不思議な気配を纏った青い狩衣を着た美しい少年が立っていた。
その少年の手には切国が抜いた筈の【三条宗近】が収まっており、切国と目が合うと笑顔を浮かべた。

「俺の名は三条宗近。三条小鍛冶宗近によって打たれた刀だ。よろしく頼む」
「は?」
「このままゆっくりと話でもしたいところだがな、今は手が離せん。また後で説明しよう」

少年は切国を守るように女との間に立ち塞がると、刀を突きつけた。
女の狂気の形相などものともせず、悠然とした態度、否、むしろ高慢的な態度で相手に言い放つ。


「女、この者には指一本触れさせんぞ」
「ふふふふふふふふふ。おもしろぉい。でもお前、邪魔よ」

女とよくわからない少年は互いに間合いを取り、向き合ったまま動かない。お互いに相手の出方を伺っているのだ。だがその場の雰囲気は緊張状態となり、重く苦しいものにドンドンと変わっていく。
なにか切っ掛けがあれば、いつでも戦いの火蓋が切って落とされる。切国はそう感じた。

固唾を飲んで見守る中、そしてついにその瞬間は訪れた。
先に動いたのは女の方だった。
女は到底人間では出来るはずも無い跳躍をみせると、その落下速度を利用して少年の上から襲いかかってきた。
対する少年はゆったりと刀を構え、迎え撃つ。
女の鋭い爪と刀が、火花が起きるほどの鍔迫り合いが起きる。互いの実力は互角なのだろう。その激しさは増していくばかり。
少年は笑ったように、見えた。
少年の刀が青白い光を帯び、独特の構えをする。どことなく少年の体にも光の粒子を纏っているようにも見える。
切国はこういう感じを知っている。
RPGの必殺技だ!…!
思わず切国はキラキラとした目を少年に向けた。
少年が振るった刀の軌道に合わせて、三日月の形をした黄色の光の波動が女に襲いかかった。その攻撃女にまともに直撃し、切国は思わず「殺ったか!!!」と熱い戦いの興奮のせいで拳を力一杯握り締めていた。

だが、恐ろしい事に女は立ち上がった。
すこし傷付いただけのようで、また襲いかかってくる。衝撃を受けていたのは少年のようだった。藍色の瞳をまん丸にして、呆然と立っている。渾身の攻撃が相手に通じなかったのだ。気持ちはよく分かる。
思わず切国は少年を小脇に抱えて、猛ダッシュで逃げ出した。
コマンドは「逃げる」一択だ。
それ以外はない。必死に前を向いて逃げるしか方法はないのだ。


「おい!お前、俺を助けに来てくれたんだよな」
「そうだ」
「だったらこういった時、格好良く倒してくれるものじゃないのか!?」
「すまんな、刀が錆び付いているので往年の力が出せぬのだ」
「錆!?」
「ほら、まだ追ってきておるぞ。ぐずぐずするな。早く逃げんか」
「クソッ……これも俺がこんな体質だからか………!!」


諦めの悪い女である。
右へ左へと道を選びながら正体不明の少年を抱えての鬼ごっこは、もう辛すぎる。
しかも捕まったら多分命はない。散々怒らせたから。
デッドオアデッドだ。
そんな切国達に希望の光が差し込んだ。
神社の鳥居が見えてきたのだ。
切国が見る限り小さい神社ではあるが町の人達の信仰が深く、神主の手入れもされているおかげで、清い空気を放っている。
切国はラストスパートとばかりに走るスピードを早め、殆ど転ぶようにして切国達は鳥居を潜った。すると女は悔しそうな声をあげた。切国の目論見通り、ここには入れないのだ。しばらく女は神社の周りをぐるぐると回っていたが、入れないと分かったのだろう。
女は、諦めて姿を消した。
切国は左のポケットから携帯端末を取り出して画面を見ると、時刻は7時を指していた。
逢魔が時が終わる時間帯である。
約3時間近くもあれと格闘をしていたのかと思うと、切国はどっと疲れを感じた。小脇に抱えっぱなしだった少年を降ろし、行儀が悪いが境内の片隅に座り込み、空気の足りていない肺のために大きく深呼吸をした。
早鐘を打つ心臓が、段々とゆっくりとしたペースへと戻っていく。
汗だくになった体がベタベタとして気持ちが悪いが、変わりに心地よい風が切国を包み込む。神社の清い空気と相まって、自分の中に溜まっていた澱みみたいなものを清めてくれているように感じた。

「若い者がなにをしている。このような場でみっともない。しゃんとせんか」

まさしく上から目線。
前ほどの少年だろう。誰のせいでここまで体力切れになったと思うんだ。思わず憤りを感じ、その相手に文句の一つや二つ位は言ってやろうと思った切国は、勢いよく面を上げた。
肌は雪のように白く、人離れした美しい顔立ちに、歴史や古典の教科書で見たことがあるような青の狩衣。自分がこの前骨董市で買った【三条宗近】を腰に差してあるその姿はまさしく異彩を放っていた。
やっと少年をまじまじと見る機会に恵まれた切国は、改めて少年の得体の知れなさに警戒心を持った。

「あんたは何者なんだ?」
「ひとの話をきいておらんだか?俺の名は三条宗近。三条小鍛冶宗近によって打たれた刀だ。まあお主のような者にも分かり易く言うと、付喪神という奴だな」
「…………何を言っている。俺をからかうのはよせ!そんな筈ないだろう、刀が人の形になるなんて!」
「−−−−−−ふむ、先程の女のような幽霊は存在しても、付喪神は存在せぬというのか?お主は案外物分かりの悪い馬鹿だな」
「なっ!」
「良いか、よく聞け。お主の力は、悪しきもの達から見て、とても美味そうなのだ。そして俺は、お主を守るためにお主を呼んだのだ。なぜ人混みの苦手なお主が、骨董市などに行った?古いものになどお主は興味など無いだろう?むしろ普段であればお主は様々な人の手に触れ、様々な人の念が込められたものを避けていただろう」
「…………どういうことだ?」
「だから先程から言っておるだろう。『俺は、お主を守るためにお主を呼んだのだ』」

仁王立ちをした少年、三条宗近は、いっそ傲慢とでも言えるような笑顔を浮かべ切国を見下していた。
黄昏の狭間、夜の帳が降りる頃。
青い夜に呑み込まれる寸前の太陽の最後の輝きは、燃えさかる炎のような色をしており、それを背にした三条宗近はまるで先程の幽霊よりも恐ろしい化け物のようにも思えた。



「そんなことはあり得ない!!」



震えるような声で切国は反発した。
だが、切国には思い当たる節が多々あった。


なぜ俺は骨董市にいた?
なぜ人の多い場所にいた?
なぜ人と触れあった?
なぜこの刀が気になった??
なぜ、なぜ、なぜ。



「あり得ない、と思った時にこそあり得るのだ。−−−−−−見ておれよ。」



刀の付喪神と自称する三条宗近は佩刀していた【三条宗近】を脱刀すると、切国にその刀を手渡してきた。どうすればいいのかわからなかった切国が受け取らずにいると、業を煮やした三条宗近は無理矢理切国に刀を持たせた。
【三条宗近】のずっしりとした重さが妙な現実味を帯びていた。

「刀を抜いてみろ」

三条宗近の言われるがまま刀を抜いてみると、そこに出てきたのは赤く錆び付き、到底切れ味が良さそうとは言えない刀がでてきた。
切国は驚きで目を大きく見開いた。
切国が骨董市で見た、まるで鏡のように反射するぐらい鍛え上げられた刀の面影がない。
だが、そこで見た時には錆など一つも浮いていなかったはず。切国は思わず三条宗近が自分の事を騙しているのではないかと、口を開こうとしたが彼の全ての表情を削ぎ落としたような、冷たく凪いだ顔を見て、何も言えなくなり、結果的に口を噤んだ。

「−−−−−この錆のせいで、俺の本来の姿や力が失われてしまった」
「…………………」
「今のままでは俺はお主を守れん。だから、お主も俺の力を取り戻すために手伝え」
「さっきから思っていたが、なんでそんな上から目線なんだ!」
「俺の刀の錆を落としたい。なるべくお主と縁が深い研ぎ師、又は鍛冶屋に出してくれ」
「人の話をきけ!一介の高校生の知り合いの中に、研ぎ師や鍛冶屋がいるわけないだろう!?」

『え、研ぎ師の知り合い?いるよ?』
「本当なのか兄弟!?」

切国が今は遠く離れた地で暮らす兄弟に近況報告がてらに、誤魔化しきれないがそれとなく聞いてみると、思いも寄らない返答が返ってきた。
電話を切り終えると、

「ほら、俺の言った通りであっただろう?」

と、したり顔でそう言ってきたので切国は少し苛立ちを覚え、思わず口から嫌味が飛び出していった。

「あんた本当に錆を落とせたら強くなるのか?さっきは本当に期待外れだったが」
「なんと失礼な!!」
「本当のことを言ったまでだ」
「お主こそ、先程の女の幽霊に襲われて最後のほうは足の力が抜けて這々の体となっておった癖に」
「なんだと!?あんたが自分の攻撃を弾かれて、呆然としてた時に助けたのは誰だと思ってるんだ!」
「それとこれとは話が別だ!」
「なにが別だ!!」



そんな一人と一柱の騒がしい会話を、夜空に浮かぶ三日月だけが聞いていた。