ある世界、ある時代、ある場所、ある日、ある時間に一つの殺人事件が起きたと仮定しよう。
因みに、殺人事件などありふれているある世界では、警察なんて只の御飾り当然で、捜査なんて素人同然の御粗末さ。否、素人の方が注意するだけ幾分かましだ。ミステリーマニアなら尚更。証拠を足で踏み潰したり、殺人現場を平気で動かしたりはしない。
権力や金が絡んでいないかぎり、熱心に捜査したり、必死に犯人を探しだす事もしない。
腐っても鯛、と言った言葉があるがそれはまだ輪郭がハッキリとしている場合であって、腐敗しきった物体では元が何だか分からないだろう。どろどろでぐちゃぐちゃで、気持ち悪い腐敗臭を放っていて、思わず目を背けてしまいたくならないか?
その状態が、かつては『警察』と呼ばれていた組織の成れの果てだ。
一般の事件など、大した興味や関心等向けられる事もなく、闇から闇へと葬り去られてしまうのがオチ。
だとすれば、犯罪が起こった時にどう対処すればいいのか?
案外人々の団結力は強いもので、政府に頼らない組織――Non-Governmental Organizetion――の元、新たな組織を産み出した。
その名は、Catch a criminal<犯罪者を捕まえろ>。
通称CAC。
これは、その組織にスポットライトを当てた物語である。
Catch a criminal!
【犯罪者を捕まえろ!】
「はっはっはっ、今日も暇だな」
平静は背筋がぴんと伸びた行儀の良い姿で居ることが多いが、生憎と今日は行儀悪く頬杖をつき、チラリと窓の外を眺めると、つまらなさそうに溜め息をついた。
外は雨。暗い灰色に、世界は包まれている。
犯罪が無い事は、すなわち今は平和だと言う事。素直に喜ぶべきなのだが、あまり平和過ぎるとつまらないものだなぁ、と三日月は言った。
だがそれは、自分が渦中に巻き込まれていない人間だからこそ言える事だ。
だからこそ三日月は言うのだ。
「つまらない。」と。
そんな三日月の隣に、珈琲の入ったマグカップが置かれてある。
淹れたてなのだろう、その黒い液体はふわりと湯気をたてていた。向こうの方に、呆れ返ったような顔をする同僚の姿が見えたのだが、三日月はそれに目をくれず、また外に視線を戻した。
そんな彼の様子を見ていた同僚達は、また重い重い溜め息を吐いた。
ああまたか、と。
彼の名は三日月。
名字は不明。
もしかしたら名前も偽名かもしれないが、れっきとしたCACの優秀なエージェントだ。
だがしかし、優秀ではあるのだが取り扱いに困る部分がある。
第一に、あまり周りに関心を持たない事。
人当たりの良い朗らかな笑顔を浮かべ、ニコニコとしている様は全く以て関係の無い他人からは好感を得やすいが、実質彼と相対している身内からすれば、それはただ単に人に興味が無くただ笑顔を浮かべてさえいれば勝手に人は自分の事を良いように誤解すると思っての事。
彼に取っては同僚などただの空気で、食指を動かす欠片にもならない。つまりは他人に合わせたグループ行動等があまり得意ではないのだ。
第二に、あまりにもマイペースな事。事件の時には驚くほど精力的な態度を見せるくせに、いざ事件が解決するとふらりと何処かへ消えてしまい何もしなくなる。
それを差し引くと、三日月は優秀なエージェントと言うよりも、変な奴だと思われている割合の方が高い。
と言うか寧ろ不気味がられている。
独り言も多く、それでいて時折変な事を言う。
ついこの間、凶器に使用された刀に対して「はっはっはっ、久しぶりだな。何時ぞやの展示会振りか。まさかここで懐かしい顔を見るとは思っていなかったぞ。久しぶりの血の味はどうだった?」と、少しばかり、否大分可笑しい事を言うのだ。
ニコニコと血塗れの刀に向かって話しているので、周りには戦慄が走っていた。
現場に居る叩き上げのエージェント達からは「何考えてるのか、さっぱりわからん。可笑しな事しか話さんし」と言われ、組織の上を占めるエリート組からは「遙か高みから自分の事を見下ろしてくるのが許せない」との事。
相容れられないナニカが彼とその他を区別する。
その隔たりを造り上げたのは果たして彼か。
はたまた周りなのか。
いやはや、複雑怪奇な謎である。
話を戻そう。
そんな三日月は暫くぼんやりと窓硝子の向こう側にいる雨を眺めていた。
その憂いを秘めた美貌も相まって、まるで一枚の絵画のよう。
「つまらないのは味気ないな。だったら逆に俺が事件を起こすというのはどうだろうか、なあ?国広」
「俺の手間を増やすことだけは辞めてくれ」
三日月が振り返ると、そこには不機嫌を隠しもしない青年が立っていた。
猫のように丸く透き通った翡翠の瞳は今は鋭く、眉間にしわを寄せて必死に睨み付けているその姿を視界に入れた瞬間、愛おしさが溢れた三日月は、ころころと笑った。
「どうした国広。大分ご機嫌が斜めではないか。お腹が減っているのか?そうかそうか、爺のとっておきのお菓子でもやろう。そら、受け取れ」
「お腹が減ってる訳でもないし、お菓子もいらない!とりあえず黙って席に座っていろ!!」
「はっはっはっ、遠慮はするな」
「遠慮なんかしてない!………やめろ!無理矢理ポケットに突っ込むな!」
「うむ、元気なことは良いことだ」
きゃっきゃと若い者を弄び、遊んでいる三日月の姿は実に楽しそうではある。が、体の良い玩具扱いを受けている国広青年の事を思うと、皆一様に心の中で合掌していた。
その様子を遠いところから見守っていた同僚が2人。鯰尾と骨喰である。
「いやーでも、俺国広さんって凄いなあって思うよ」
「…………どうしてだ?」
「三日月さんって端から見てる分には綺麗だし面白いけど、一緒に行動してみたら規格外過ぎて手に負えないもん。前一緒の任務同行したときそう思ったね」
「三日月も、お前には言われたくはないと思うが」
「えーなにそれ骨喰ヒドくない?」
「そんなことはない」
「まーでも、そんな三日月さんを手懐けてる国広さんは凄いって!」
2人は頭を寄せながら、小さな声でこそこそと話しているのだが話に熱中していたせいで、後ろに近付いてきている存在にどちらとも気が付いていなかった。
「うむ、楽しそうな話をしておるな」
「うわーーっ!」
「…………っ!?」
後ろから迫ってきた三日月に驚かされた瞬間、思わず2人は思い思いの叫び声を上げた。
「はっはっはっ、良い反応だな」
「三日月さん驚かさないで下さいよー」
「全くだ」
「ん?国広の噂をしておったからな、ついつい引き寄せられてしまった」
「そう言えば、国広さんはどこにいったんです?さっきまで一緒だったじゃないですか」
「今俺用の茶を入れに行っているところだ」
「さっき俺がコーヒーを入れただろう」
「すまんな骨喰、今はお茶の気分なのだ」
はっはっはっ。
と詫びれもなく笑う三日月に思わず2人は苦笑した。これだから三日月は。
場に広がる微妙な空気を読んだ鯰尾は、この空気を変えれるのは俺しかいない!と意気込み、話を変えようと話題を振った。
「三日月さん。そう言えばこの間担当してた事件は解決したんですか?」
「ん?どの事件だ?」
「凶器が刀による連続殺人事件の事だ」
骨喰が補足をいれると、三日月はそれまで浮かべていた薄っぺらい笑みを消し、張りつめた糸のような緊張感を醸し出した。
「年齢、性別、地域など特定せずに無差別に行われている連続殺人。その犯人が同一人物であると断言できるのは、その現場に残されている凶器が刀――更に限定するのであれば刀派『粟田口』の短刀――と言うことだったからだ。凶器が刀と言うこと以外にはマスコミにも漏らしていないから、どの事件でも同一刀派の短刀を使用していると知っているのは同一人物である犯人のみだ」
「そしてこの犯人は………………」
「事件の守秘義務を、どこに忘れてきたんだ三日月」
それは、地面を這いずるように低い声だった。恐る恐るその声の方へ振り返った、鯰尾はヒィと情けない声をあげた。思わず助けを求めようと骨喰の顔を見たが、同じように顔を青くしていた。
とても怒っている。
ギロリと目を血走らせた国広は、なるべく落ち着いて話を切り出した。
「俺達CACは殺人事件を扱う事が多い。どこで誰が聞いて見ているのか分からない状態なので、同じCAC内でも事件の情報は厳重に行わなければならない。『事件の守秘義務』は前提中の前提だと、学んだ筈だがどうやらすっかりと忘れていたようだな」
ダンッ!
拳で机を叩きつけた。その拍子にカップがぐらりと倒れ、黒い液体が机に海のように広がった。鯰尾と骨喰はその剣幕に恐れをなして、御免なさい!と素早く謝罪を繰り出すと脱兎の如く逃げ出した。
その様子を見た三日月は、機嫌がよく笑っていた。
「はっはっはっ。『鬼の総隊長』は未だに健在だな」
「茶化すな。大体、お前も何をぺらぺら喋っているんだ!お前の方が年長者なんだから注意に回ればよかっただろう!」
「俺は世話される方が好きでな」
「今は関係ないだろう!」
のらりくらりと笑顔で躱す三日月に対して苛苛を募らせた国広は、胸ポケットから煙草の箱を取り出した。
へしゃげた形の箱から出てくるのは、やはりいびつな形の煙草。口に咥えたそれに火をつけようと安物のライターを取り出したのだが、火を付ける前に横から伸びてきた手によって、口元の煙草は奪われていった。
思わず睨み付けてやろうと顔を向けると、そこには自分を苛立たせている人物が忌々しげに煙草を踏み潰していた。
「なんだ、三日月」
あくまでも平淡な声で、国広は告げる。
ゾッとするような美しい笑みを浮かべた三日月は、国広の腰を掴むと強引に自分に引き寄せた。
不可抗力であったが故に、ぐらりと体勢を崩しそうになったが軽々と国広を抱き留めた。
その体勢はさながら恋人同士の抱擁のようで、国広はその腕から逃げ出そうと渾身の力を振り絞ったのだが、三日月はその抵抗をねじ伏せるが如くそれ以上の力を持って国広を閉じ込めていた。
顔の良いゴリラだ。
「誰が、お前に煙草を教えたのだ?」
「お前には関係ないだろう」
「ほう、関係がない、か……………」
一触即発の空気に、異変が起こった。
プルルルルルル。
電話が鳴る。
電話に一番近かった鯰尾が急いで受話器を取った。
「はい、CACです。………はい、……そうですか、分かりました、直ぐそちらへ向かいます」
電話応対をしている鯰尾は、受話器のスピーカー部分を手で覆って叫んだ。
「Catch a criminal!【犯罪者を捕まえろ!!】」
その言葉を聞いて、三日月・国広の目の色が変わった。
アイコンタクトで、この話は後だ。分かった。と合図をした後直ぐ様自分の席へ翻し、自分のコートと身分証明書―――そして拳銃―――を引っ付かんで、鯰尾の居る受話器へすぐに戻った。
丁度受話器を戻し、鯰尾は真剣な顔をして、住所を書いたメモを渡した。
「どうやら今、この場所で立て籠り事件が起こっているようです。犯人は爆弾を所持している様子で、人質は数え切れません」
「立て篭もり事件は俺達CACの管轄外だが…。これは機動隊の仕事だろう」
「その機動隊から応援要請が出てるんですよ、国広さん」
そんな二人の様子を尻目に、三日月は先程渡されたメモをじっと眺めていた。
―――そうして彼は気が付いた。
「この場所は、国際空港だな」
「じゃあこれは、我が国だけでなく他の国まで巻き込んだ大規模な立て籠り事件になるな。鯰尾、放送を流してくれないか」
「了解です!」
川村は机の引き出しからマイクを取り出し、放送スイッチを押した。
「全CACエージェントに告ぐ。こちら犯罪捜査課第一班。只今、国際空港にて立て籠り事件が発生し、機動隊からの応援要請がきました。至急現場に向かい、人質の安全確保に尽力を注いで下さい。以上」
スイッチを切った。
鯰尾はふぅ、と一息をついて後ろを振り替える。
「こんな感じでどうですかね?」
「上等だ」
「国広、三日月が勝手に出て行ったぞ」
骨喰に言われて、改めて周りを見渡すと彼の姿は影も形も無かった。しかも、バイクのキーが掛かってあるところからは、一つ鍵が消えていた。
それを認識すると、国広は大きく叫んだ。
「………三日月ィィィ!!また勝手に先に行ったな!?」
「あはは…流石三日月さんというか…」
「俺達も現場に向かうぞ」
そう言って、三人は慌ただしく出ていった。
残されたのは藻抜けの殻となった部屋。窓から見た外の景色は、いつの間にか雨は上がり、青空が覗いていた。
「国広、ヘルメットだ。後ろに乗れ」
「そもそもあんた免許持ってないだろうが。さっさとハンドル変われ」
「はっはっはっ、一本取られたな」