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「おお、なまえ。風呂なら今空いたぜ。」
「あ、シラズくん。ありがとー。また明日がんばろうねー」
「おう、おやすみ。」
ハイセさんから逃げるようにミーティングルームを出た後、私は自室へと戻り少しの間、気持ちを落ち着かせていた。
彼に対するこの気持ちは、私の中でどう理由をつけて良いのか分からないほど、大きくなってしまっていた。
これは所謂、恋というものなのか。それとも上司に対する尊敬であったり、メンバーに対する友愛だったり、そういうものだったりするのだろうか…どちらにせよ、自分の中で消化しきれない気持ちを今どう考えたって無意味だと、若干諦め気味に私はシャワーでも浴びようと浴室に向かっていた。
(…ハイセさんは私のこと…どう思ってるんだろうな。やっぱり大切な部下、くらいにしか思われてないのかなぁ…)
「………天然なとこあるしなぁ…」
思わず口から出た言葉に、ため息を付け加えると私は脱衣所のドアへと手をかけた。
―――ガチャッ
「…えっ!?」
「エッ!?…はっ、わっ!?」
…この時の自分にもし戻って会うことができれば…伝えてあげたい。
考え事をしながらの行動は控えるべきだ、と…
「なまえちゃん…!?」
「むっ!?むむっ、六月くんッ!?」
誰もいないと思っていた脱衣所には、上半身裸の六月くんが立っていた。完全に油断しきっていた私達は、この場をどう処理したら良いのか分からずその場で固まってしまっていた。
…そしてそれよりも驚いたことがもうひとつ。固まってしまった私の目にジリジリと焼きついていたのは、男性の六月くんにあるはずのない…少し膨らんだ胸だった。
「ごっ!ごめんなさい!私、誰もいないと思ってて…って電気付いてたんだね…!ほ、本当にごめんっッ…!」
「エッ、あっ!だ、大丈夫…!!…じゃ…ない、…か…」
「あ、あの…その、…む、六月くんの、双子のお姉さんだったりー…なんてことは…」
「………」
「あるわけないよね…」
「……ごめん、今までずっと黙ってて」
手で隠していた上半身に、六月くんがそっとタオルを巻く。その六月くんの横顔は、とても悪いことをしているような、ショックというよりも何か後ろめたさを感じさせるような、そんな悲しい表情をしていた。
「私…誰にも言ったりしないから。」
「で、でも…気持ち悪いよね、こんなの…」
「なんでッ!私そんなこと全然思ってないよ…!六月くんは六月くんだし、私にとってはこれからも六月くんだよ…」
「なまえちゃん…」
「…何か理由があるんだろうけど、無理に聞きたいとか思わないし…その…これからも今まで通り、仲良くしてほしいって…そう思ってるから!」
「……ありがとう…」
「その、なんだ…あっ、洗濯物とか!困ったことがあったらいつでも言って!出来ることなら何でも協力するから!」
「うん…!はあああ、良かった…さすがにこれは引かれちゃったんじゃないかって思ったよ…」
「ないないっ!そりゃちょっとびっくりはしたけど…私こそノックもしないで急に入ってきちゃってごめんね」
「ううん、大丈夫!俺も鍵かけ忘れてたのが悪いし…でも入ってきたのがなまえちゃんで良かったよ…」
「ははっ、それなら良かった。…んじゃ、急にごめんね!お風呂、ごゆっくり!」
「うん、おやすみっ!…本当にありがとう…!」
「うん!また明日ねっ!」
―――…パタン
平然を装っていたものの、まだ心臓がドキドキしている。まさかあの六月くんが女性だったとは…時々見せる可愛らしい表情や繊細な行動も、そう考えてみると全て納得がいく。だとすると…
「囮作戦…六月くんは大丈夫なのかな…」
彼の気持ちを考えてみると、何だか少し複雑だった。しかし私が皆にどうこう言って、かえって怪しまれてしまうようでは、元も子もないということも分かっていた。
(…何か出来ることはしてあげたいな)
女性であれ、男性であれ、六月くんは私にとってかけがえのない友人なのだ。そんな彼が今回の作戦に対して気負いしてしまわないように、私が出来ることを少しでも考えようと思った。
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「いや〜めんこいめんこいシラ子…ブフフフッ!」
「才子テメェ…!!ちゃんとやれよ!こんなでかくてケバい女いたら気持ち悪ぃだろ!!」
「し、シラズクン!?モデルみたいですっごい可愛いよ!?よっ!シラ子!美脚っ!長身ギャル!!にっぽんいち!!」
「なまえ…お前も褒め方があからさま過ぎんだよ…つーか瓜江はこう言う時に限って仮病使いやがって…」
「グダグダ言ってないで、早く準備する」
「ハイセさ……いや、ササコさん」
「あ、なまえちゃん。…どう?変じゃない?ちゃんと女の子に見えるかな?」
「すっごく可愛いですけど…それ全部自分でやったんですか!?」
「うん。事前に本とかで勉強してみました。」
「ムッハァーン!あ〜…可愛い女子に囲まれて…才子は感無量なり。なんならいつもこの格好でいてほしいくらい。もちろんシラ子以外な」
「才子おおおおおおッ!!!!」
「うぎゃあああああああああ!!!」
「ちょっ!シラズくん…!!スカートで走り回っちゃだめ!!」
やれやれ…と言った様子で私は3人の追いかけっこを見守りながら、自分の準備を始めようとしていた。
今日は先日ミーティングで決まった、囮捜査の決行日だ。時間のかかりそうな男性メンバーから支度をさせ、後残るは六月くんだけとなった。
「…むーつーきーくん!!」
「わわっ…!なまえちゃん…あれ、これから準備?」
「うん!今ね、髪型を思いっきりロングにするか、ショートにするか迷ってるんだけど…六月くんはどっちがいいと思う?」
「あ、ウィッグね!んんー…なまえちゃんは可愛いからどっちでも似合うと思うな…!」
「えっ!…へへ、そうかなあ…よし、六月くんがショートなら私は今日ロングにしてみようかな!」
「……俺、まだ服どれにするか決めれてないんだよね…こういうのすごい悩んじゃって…」
「へ、そうなの?六月くん華奢だし、何でもサラッと着れちゃいそうだけどなぁー…あ、これなんかどう!?六月くんすごい似合うと思うんだけど…!」
「こ、これ…!?ちょっとこれは可愛過ぎないかな…!?」
「えー!じゃあこっちは?シンプルだし、綺麗めな感じで…」
「うーんー…じゃあ今日はなまえちゃんにおまかせしちゃってもいいかな…?」
「!!…もちろんっ!」
今日の六月くんの様子から、私が先日まで彼に抱えていた心配は、どうやらただの杞憂に終わったようだ。性別を隠していることから、私は勝手に六月くんがこの囮捜査のことを負担に感じているのではないか…なんて思っていたが、むしろ彼は私が思っている以上に前向きに捉えているのかもしれない。
「…なんかちょっと楽しいかも。」
「先生が張り切っちゃう理由がちょっとだけ分かるね。」
「ははっ!だね!何かここまで来たらうんと別人になって皆をびっくりさせたいな…!」
「あっ、じゃあなまえちゃんは思い切ってこっちのウィッグなんてどうかな?」
「お、おお…これなら皆、驚きそう…!」
互いを見て笑い合う私達の姿は、まるで普通の女の子のように見えるのだろう。いつどこで、命を落とすかも分からないところにいる…なんて、誰も思ったりはしないんだろう。
そんなことを考えると私の胸は、少しだけ痛み始めた。
…でもそれよりも今は、六月くんが女性である事を知れて嬉しい気持ちの方が大きかった。
心強い味方が増えたからか、今まで六月くんが一人で抱えていたものを、何だか分け合えたように感じていたからなのか…
どちらにしても私は自分の中で、ひとつ、ふたつ、と何か大切なものが増えて行くのをこの時、改めて感じ始めていた。
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千年続く、幸福を。