俺には姉と兄がいる。
二人と血の繋がりは無いが大切な家族だ。そして二人にも半分しか血の繋がりが無いらしい。
父にこの家に連れてこられてからは七つ年上の兄である巴が俺の面倒を見てくれていた。
母が消えた数ヶ月間も不安だっただろうに、それをおくびにも出さず俺達の世話を焼いていた。早朝に新聞配達をしていたのも決して俺達に言わなかった。
津美紀と同じようにこの兄も善人だった。
自分よりも他人を慮ることのできる人だった。
中学で俺は褒められたような生活はしていなかったが、兄は俺が喧嘩をして帰るといつも「勝った?」と尋ねてくるだけで窘められたことは無かった。
深入りせずしかし無関心でもない、そんな距離感で接してくれるのが嬉しかった。
兄に関して不満を感じたことは一度たりともない。
津美紀の呪いに苛まれたときも二人で何とか支え合ってきた。俺にとって掛け替えのない大切な存在だ。
現在23歳になる兄は、大学卒業後高専の事務員兼教師になった。大学に行かなくても良いと話す兄を説き伏せたのは意外にも五条先生だった。その甲斐あって高専関係者にしては珍しく正規の方法で教員免許を取得し、現在俺達に一般教養を教えている。
兄の仕事は事務員兼教師だと話したが、事務員というのが問題だった。事務員といっても実質五条先生の秘書みたいな存在だからだ。
仕事の管理はもちろんのこと、私生活の管理までしてるというのだから五条先生への文句は尽きない。
寮に入り兄の手料理など久しく食べていない俺に対し、「今日はあれを作ってもらった」やら「昨日の夜ご飯は美味しかった」やらと自慢するのだ。
だから五条先生は尊敬できないのだ。
✼✼✼✼✼
「…きて……。…さん、起きて下さい」
ゆさゆさと身体を揺らされながら聞こえる巴の声に徐々に脳みそが覚醒していく。
パチリと目を開くと、優しい顔で笑う巴がそこにいた。
「おはようございます、悟さん」
「…はよ」
眠い目を擦りながら、洗面所に向かう。
巴はキッチンへと消えていった。
「今日のお味噌汁はさつまいもにしてみました」
いそいそと配膳の準備をしながら巴が話す。巴のご飯はとても美味しく、そして一汁三菜をきちんと用意してくれる。朝から大変だろうと思い、無理はしないように伝えたが「悟さんの方がもっと大変ですし、お身体を大切にして欲しいので」と何ともいじらしい答えが返ってきた。
そういうところがたまらなく愛おしく思う。
元々巴を高専や呪術に類するものに関わらせる気は無かった。呪霊も視えない非術師だし、ただ恵の兄という印象だった。
僕が巴に対して親愛をも超えた気持ちを抱くようになったのは恵が小学4年生になったときのことだ。
たまたま遊びに行った時に、巴が妹弟たちの耳掻きをしていた。膝の上に頭を乗せて行う姿にどこか羨ましさを感じて僕にもやってと頼んでみた。
断られることもなく、柔い巴の太ももに頭を乗せる。巴からは洗剤やらで優しい匂いがした。
「終わりましたよ」と頭を撫でられながら、声を掛けられたがどうにも離れがたくなった。お腹に顔を埋め抱きしめると巴はクスクスと笑いながら更に頭を撫でてくれた。すると何故だか胸が苦しくなって、その日は足早に三人の家を後にした。
思えば誰かから頭を撫でられたのは巴が初めてで、温かい手の感触だったり、髪を梳く指が優しかったり、僕の知らない幸せを与えてくれた。
それから暫く巴の顔を見ると胸がギュッと締めつけられるような感覚になって、中々素直に接することが出来なかった。
けれど巴が眉を八の字にして「俺、なんかしました?」と聞くものだから余計に胸が苦しくなった。
僕が人を困らせることなんて珍しくないのに、巴の困った顔は見たくないなんて。
今でこそ巴に対して普通の態度をとれるけど、当時の僕は酷かった。手汗が止まらないし、顔は赤くなるし、傍にいてほしいけどいてほしくない。構って欲しいのに、構われると気恥ずかしい。言語化するのは難しいグツグツした気持ちが胸の中でずっと燻っていた。呪いかと思ったけれど、僕に限ってそれはない。硝子に相談したら半笑いで「不治の病だね、それ」と言われた。だから僕は病気なのだと当時本気で信じていた。
僕病気なんかで死ぬんだって悲しくなって、津美紀に話したら「それ恋じゃない?」って。
ガツンと衝撃が走った。だってこのGLGの僕が同性に恋って。けれどしっくりきたのも事実だ。まあ硝子には後で文句を言うとして。
「僕が巴に恋…。恋か。うん恋だね」
「えっ!相手お兄ちゃん何ですか!」
津美紀の驚く声が響いた。
「あ、恵聞いて!五条さんお兄ちゃんのことが好きなんだって!」
「は?」
恵は凡そ小学生が出すとは思えない低音で僕を威嚇してきた。
「兄ちゃんに何かしてみろ!絶対に許さないからな」
「もう恵ったら」
のほほんと笑う津美紀にぽかぽかと僕を殴る恵。
「僕のこと義兄さんって呼んでもいいんだよ」
そう言うと脛を狙って蹴ってきた。
でもこの時の恵はまだ今よりもツンツンしていなくて、可愛げがあったと思うんだよね。これでもさ。
✼✼✼✼✼
「巴先生ってさ、彼女いんの?」
何の気なしに虎杖が兄に問う。
「確かに顔良し、性格良し、身長はまあ許容範囲だし、普通に考えてモテそうよね」
「野薔薇ちゃん。褒めてくれてるのは分かるんだけどね、身長もほら平均だから!彼女はいないけどさ」
釘崎の目が虎杖と兄と俺の頭上を行ったり来たりする。
「虎杖アンタ身長いくつよ?」
「前測ったとき173くらい?」
兄の顔がやや引き攣っている。
虎杖と兄では5cm程差があるため、単純計算で兄の身長は168cmとなる。
「日本人男性の平均身長って172cmだって」
「ちょっと悠仁くんググんないで!」
嘘(という程でもないが)がバレて罰の悪そうな顔をしている兄だが、身長に対してコンプレックスがあるのは知っていた。
弟である俺に抜かされたというのも理由の一つだが、何より…。
「何なにー!何の話?」
この男、五条悟の責任が大きいと思う。
「巴先生に彼女がいるかって話」
「あと先生が小さくて可愛いって話」
どちらにせよ、兄のこの手の話は五条先生にはしていけないと二人に注意するのを忘れていた。
「巴に彼女?ないない。だって僕がいるのに彼女とかいらなくない?」
怒気を含ませた圧に口をつぐませる二人。
しかし次の瞬間その雰囲気は霧散する。
「巴が可愛いのは当たり前だけど、その可愛さは僕だけが知っていればいいの。ああでも話したい!巴の可愛いところで盛り上がりたい気持ちもあるんだよね。津美紀ぐらいしか共感してくれないしさー。例えば僕が寝てる時とかに掌の大きさ比較して落胆してるのとか本当に僕をどうしたいのって感じでさ。もう可愛さの天元突破。甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるのもいじらしくて可愛いんだけどね。ああそれから僕と出掛ける時少し大人びた服装するところも本当に可愛いよね。だって僕に合わせてくれてるんでしょ。はぁ、可愛さで人を殺せるならきっと僕はとっくの昔に死んでる気がするよ」
五条先生のマシンガントークにぽかんと口を開けて固まる二人。
兄は兄で羞恥に耳を染め、しゃがみこんでいる。
だからこの人に兄の話をさせてはいけないのだ。
それでいて兄に告白もしていないのだから、手に負えない。
「悟さんうるさいです」なんて蚊の鳴くような声で言う兄の声は五条先生の耳に入ることは無かった。
〈おまけ〉
僕の一日は可愛い可愛い巴の声によって始まる。
鈴の鳴るような声で「悟さん」なんて呼び掛けられて始まる一日ってなんて最高なのだろう。本当はすぐにでもその可愛い顔を拝みたくなるのだけど、少し意地悪して寝たふりを続けるとゆさゆさと控えめに身体を揺らしてくる。
申し訳なさと責任感の狭間で揺れる巴の性格がその動作に表れていて、それすらも可愛らしい。
そして朝から巴の手料理が食べられるのだ。これはもう実質結婚してるのでは?と思ってるんだけど、それを恵に話したら「二度と言うな」と凄まれた。恵も逞しくなったよね。
そうそう任務によってはお弁当まで作ってくれるんだよ。残念ながらあまり機会はないんだけどね。
布団はいつもふかふかだし、掃除洗濯だって完璧だ。巴から僕と同じ匂いがするのってどこか高揚感がある。それから偶に夕飯を一緒に作ることもあるんだけど、並んでキッチンに立ったり、「味見してもらっていいですか?」って僕にスプーンの先を向ける仕草とか完全に夫婦じゃん。巴はもう僕の奥さんじゃん。
靴の大きさの違いにショックを受けて若干僕の靴と自分の靴に距離を開けるところとか、稀に僕の服を着て遊んでるところとか、自分のプリンに名前を書く癖に僕と半分こしようとするところとか全てが好き。堪らなく愛おしい。
きっと頑張ってる僕に神様からのご褒美として遣わされた天使なんじゃないかな。巴ってさ。
「そう思うんだけど。ねえ聞いてる?伊地知!」
「ッはい!(帰りたい)」
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