▼19/12/6: 長編+1 更新
BTBRB +1明治6年 番外編:Years Memory(2)
拍手頂きました皆様、ありがとうございます。
以下少々ネタばれ解説です。
前回の続きで、山下翁に続いて鹿児島医学校兼病院のウィリアム・ウィリス先生(英国)です。
医学校便利やわ…(言い方)鹿児島医学校兼病院という正式名称が使い辛いので適宜略してます。
明治7年の段階で滞日12年目のウィリス先生は桐野と同世代の190cm。
生麦事件、東禅寺事件、薩英戦争、戊辰戦争、神戸事件etc…幕末から明治にかけての大事件に医師としてかなりかかわっている人物です。生麦事件の犠牲者の治療と検死に当たった。
維新後、明治政府が医学教育にドイツ医学を採用したため、ウィリスの処遇が宙に浮きました。
それを救ったのが西郷隆盛で、ウィリスは薩摩に招聘され、鹿児島医学校兼病院の創始者となっています。
史実では西南戦争勃発で一旦イギリスに帰国していて、戦後落ち着いてからもう一度来日しています。
ただ西郷さんと仲が良かったのが祟ったのか、仕事が見つからずに離日している。
奥さんは薩摩人女性です。
生理の話。
当時の男性は生理痛に対する理解はなかったでしょう。
民俗学では「血の穢れ」とか言われお前ら誰から生まれとんねんとグーパンしたくなる辛い話のオンパレードですが当時の女性はあまり生理痛は重くなかったようです。
生理期間中、地域や身分によっては小屋に隔離されることもあったので(月経小屋)、生理痛で苦しむ女の姿を男男性が見るという事もあまりなかったのではないかと想像。
というか、痛みに対してあまり理解を得られなかったのじゃないかなあと。
まあ繰り返しますけれども、フィクションですからね。
吉田から城下にあった医学校兼病院まで。
開墾地のある吉田から桐野の実家のある吉野まで、タクシーで20〜25分程。
吉野から市街地まで、バスなら30分ですがタクシーなら20分くらいかな。
馬を飛ばせば小一時間程度で着くんじゃないかと適当に想像しています。