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19 秋








こんな時間にチャイムを鳴らすのはどうかと思ってノックをした。
果たして彼女は気づくだろうか。不貞腐れて寝ているなんてことがあったら笑えないな、と思って息を吐く。

まだ白くはならない呼気を見上げるように上を向くと、背後に抱えた花束とプレゼントの入った袋を、少し冷えた指先で握りなおした。

彼女に嘘をついたのはちょうど1ヶ月前。誕生日に帰国して会いに行くと言っていたのに、ショーが入ってしまい行けなくなったと嘘をついた。

普段はマメではない彼女も、あれだけ会わない期間があるとさすがに寂しいようで、電話越しに聞こえるしょぼくれた声に、あのいつものような情けない顔で項垂れる彼女を想像し、うっかりその場で嘘だと伝えたくなってしまったことを思い出す。
そんな衝動を抑えたのも、こうしてサプライズを仕掛けるためなのだ。

高校の頃は毎日のように揶揄っては彼女の様々な表情を楽しんでいたけれど、今となってはそんな子供のようなことはできないし、向こうも大人になったようで、オレといるときの彼女は常に笑っていた。
その顔だってかわいいと思う。しかし、やはりオレは彼女が言うようにサディストなのかもしれない。驚いたり困ったりしている彼女を見るのが、そうしてその末にオレを笑って許すのが、たまらなく好きだった。

返事がないのでもう一度ノックをする。まさか本当に寝てしまっているのだろうか。不安になったところで部屋の中から物音が聞こえた。どうやら気づいたらしい。

玄関まで人の来る気配がして1歩下がる、と同時にドアの向こうで素っ頓狂な声が漏れるのを聞いた。相変わらず独り言がうるさいのは治っていないらしい。
ガチャガチャと慌てた様子で鍵が開けられると、パジャマ姿で目を見開いた彼女が玄関に立ち尽くしていた。

「誕生日、おめでとう」

花束を差し出しながらそう声をかける。我ながらキザだな、と思う。フランスの国柄にでも影響されたのだろうか。たまにはこういうのも悪くない。
固まったまま言葉になっていない音を口から発している彼女が、やっとの事で「なんで」と泣きそうな声で聞く。

「しょ、ショーは…え、なん、え」
「あれは嘘。あんたに内緒で会いに来たくてさ」

オレの答えを聞いた彼女の目から涙が落ちた。それを見た瞬間、オレも我慢が出来なくなって花束とプレゼントを放り出して彼女を抱きしめる。
サプライズのためとはいえ、彼女に寂しい思いをさせていたのは事実なのだ。今さらながらに胸が痛んだ。

抱きしめたときに鼻をくすぐった匂いは、以前と変わりない。まるで形を確かめるかのようにぎゅうと腕に力を込めると、少し痩せた彼女の手が背中に回ってオレの服を掴む。
いつもの動作なのに、ひどく弱々しく感じて離れないようさらに腕に力を込めた。

「ひゅがく、日向くん…っ」

オレのことを繰り返し呼びながらしがみついてくる彼女にキスをしようとして思いとどまる。
いつまでも玄関にいるわけにはいかないし、もう10月も終わりの冷え込む時期だ。部屋着のままの彼女が風邪を引いてもいけない。
やんわり彼女を離し、濡れた目元を指で拭うとおでこにキスを落とした。


+×+×+


ソファ代わりのベッドに腰掛けて、彼女が淹れてくれた紅茶を飲む。少し会話をしているうちに彼女もだいぶ落ち着いたのか、今は花束の花を花瓶に生けている。その様子を見つめていたら目があって、むくれたような顔で睨まれた。

「普通に会いに来てよ、わたしこんな格好だったじゃん…」

それに笑って返すと、むくれた顔をさらに膨らませながらこちらに寄ってくる。腕を広げて受け入れると首元に擦り寄られた。まるで猫のようだな、と思いながらその頭を撫でる。
スンスンと鼻をすする音が聞こえて、また泣いているのかと苦笑いする。泣き虫なのも治っていない。

髪を撫でる手をそのまま動かすと、首筋から肩を撫で、泣いている彼女をあやすように抱きしめた。
相変わらず細くて折れそうな体を撫でながら、そういえば先ほどの続きがまだだったと思いだす。

「…りほ」

自分から出る声が、思っていたよりもずっと甘ったるくて思わず笑いそうになる。昔からオレは彼女にどうしようもなく甘い。自覚もある。気づいていないのは彼女くらいのものだろう。

こちらを見上げる彼女の頬に手を添えると、涙でしっとりとしていた。顔を覗き込み、察した彼女が目を閉じるのを見て、ゆっくり口付ける。久しぶりの柔らかさと、より近くで感じる彼女の匂いに、脳の奥が痺れたような感覚になる。
ゆっくりゆっくり口付けて唇を離すと、惚けた顔の彼女の潤んだ瞳と濡れた唇が視界に入って、体の真ん中に熱を感じた。

本当は誕生日を祝いながら、大人しくふたりの時間を過ごすつもりだった。話したいことはたくさんあるし、彼女と一緒にいるだけで満たされる気がしていたから。
しかし、いざ目の前にすると彼女に触れたくて仕方ない。結局自分も、彼女の前ではあの頃とあまり変わらないのだ。

プレゼントをちゃんと渡してないだとか、もう夜も遅いから早く寝ないと明日に響くだとか、いろいろ考えることはあったのだが全部頭の奥に押しやった。
熱に任せて、さっきよりも少しだけ乱暴に口付けると、彼女のくぐもった声が漏れて、さらにオレの欲を煽る。
逃げないように後頭部を抑え、舌をねじ込んで貪るようなキスをした。

彼女をその場に押し倒し、休みを多めに取っておいて良かったと過去の自分に感謝する。
しばらく日本にいるなら、その内のどれか1日がずっとベッドの中だったとしても彼女も怒りはしないだろう。

「りほ、誕生日おめでとう」

もう一度抱きしめて耳元で囁くと、くすぐったそうに彼女が笑う。
オレはその笑みに軽く口付けながら、起きてから彼女の誕生日を祝いに出かけるため、今からどれくらい自分をセーブしなければならないのかを思案していた。







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