興勢山での戦いが終わって数日。いまだに、勝手に動く曹爽さんにあたふたしながら戦ったときのことを思い出すとため息が出る。でもまあ、今は穏やかな日常が送れていることに感謝。
お風呂から上がって自分の部屋へ戻りながら、今日ごちそうになった春華さんの特製肉まんを思い出す。どうしたらあんなにふわふわでジューシーにできるんだろう。あーもーしあわせすぎる。司馬家にお世話になってて本当によかった。と、廊下を曲がったところで、ちょうど賈充さんに出くわした。
「これから何か予定はあるか?」
出会い頭の言葉の意味がよくわからず、ぱちぱちと瞬きをすると、彼は静かに繰り返した。
「あるのか?」
「え、えーと、特には…」
ない、と答えることが正しいのか不安に思いながら答えると、ならば、と賈充さんが続ける。
「この後俺の部屋へ来い」
有無を言わせない彼の背中を見送って、なにかまずいことでもしただろうかと記憶を引っ掻き回す。
結局なにも思い当たらないまま、内心どきどきしながら賈充さんの部屋を訪れた。
勧められた榻に腰掛けたところで、「確認するが」と声がかかる。電気が走ったように、ぴり、と背筋が伸びた。
「曹爽と接触したか?」
「え?」
なんの話かすぐにはわからず瞬きをするわたしに、賈充さんが続ける。
「興勢山で奴と直接何か話したか?」
できれば思い出したくない上に、いっぱいいっぱいだったせいで実の所あまり詳しく覚えていない。とはいえ、真剣な表情の彼にそんなこと言えるはずもなく、記憶を探る。
「ちゃんと話した記憶は、ないです。あの状況だったし…」
「だろうな」
あの場に一緒にいたからか、賈充さんはすんなり頷く。
「では、なんらかの接触はあったか?些細なことでもかまわん」
接触もなにも、あのときはわーわー騒ぐ曹爽さんを追っかけて敵から助けての繰り返しだったから、何度かごく近くにいたこともあったと思う。もしかしたら大丈夫ですか、とか早く逃げてください、くらいの言葉は発したかも。
そう言うと彼は眉間のしわを深くして、ため息をついた。
「あの、なにかあったんですか?」
「曹爽がお前を寄こせと言ってきた」
言葉の意味が理解できず首をかしげる。え?わたしを寄こせ?
「えっと、それって部下としてですか…?わたしこっちのことよく知りませんし、そこまで強いわけでもないですけど…」
「俺に聞くな。別世界からきた珍しい生き物を飼いたいといったところではないのか」
もしくは、と賈充さんが続ける。
「先の戦いで見初められたか?」
「えええええ?」
どこをどうしたらわたしなんかを、と下を向く。
……え、ちょっと待てよ。
「まさかそれを言うために呼んだんですか?! 最悪の人事異動の命令を?! 」
半泣きで立ち上がって賈充さんに詰め寄ると、彼はわたしに視線を合わせた。
「お前には2つの道しかない」
選ぶ選択肢があることを悟り、少しだけ安堵すると同時に緊張する。
「曹爽の元へ行くか」
それはいやだから後者を選びたいけど、一体どんな選択肢だろうと身構えたわたしに届いたのは、なんとも理解し難い言葉だった。
「俺の妻となるかだ」
ぱちぱちと瞬きをして、360°視線を廻らす。
「えっと…え?」
「選べ」
まだ理解できていないわたしに、賈充さんが選択を迫る。
「そりゃあ、曹爽さんのところには行きたくないです、け、ど」
けど、もう1つは賈充さんと結婚するってことでは?結婚ってこんな感じでするものだったっけ?そもそも賈充さんはそれありなのか?相手がわたしで?
「ふん、断るにもそれなりの理由がいるのだからな。これだから阿呆が無駄に力を持つと面倒なのだ」
突然人生の重大事項が迫って、プチパニックに陥るわたしをよそに、賈充さんは愚痴をこぼす。やはりさっさと弑しておけば、とかなんとか恐ろしい言葉が聞こえたのは気のせいだと思いたい。
「では司馬懿殿には伝えておく」
「ちょ、ちょっと待ってください!賈充さんは相手がわたしなんかでいいんですか?」
話を切り上げてしまいそうな彼にそう尋ねると、賈充さんはまったく表情を変えず「特に問題はないが」と答えた。
その冷静すぎる態度に、この世界ではそんなに重大なことでもないのかと、焦った自分がばからしくすら思えてくる。
確かに断る口実としては適切なのかもしれない。次期当主になるだろう司馬師さんや、元姫ちゃんのいる司馬昭さんと結婚なんてむりな話だし。
そもそも結婚っていっても、大将軍とかなんとかとりあえず偉い曹爽さんの無理難題を断るためであって、そこまでの意味はないんだろう。わたしのためにそこまでしてくれる司馬家の人たちには感謝しかない。いや、でもそう考えると賈充さんだけが貧乏くじ引いたみたいで申し訳ないな。
それにしても結婚って…。
「…それじゃあわたし、部屋に戻りますね」
なんだか現実味のない話に、キツネにつままれたような気持ちってこういうことなのかと思う。
自室へ向かおうと彼の部屋の扉を開けかけたところで、背後から追ってきた賈充さんの手がわたしの手に重なった。
「覚悟しておくのだな」
鼓膜を震わせた低い音と、絡められる指に、頭が真っ白になった。
覚悟って、…なんのですか