「また司馬懿めか」
司馬懿さんのお使いで、竹簡を曹操さんの元に届けた帰り道。同じような景色が続く城内で、司馬懿さんの部屋に帰れなくなってどれくらい経っただろう。どこで何回どっちに曲がって、どこの階段を上がったのか、または降りたのかさっぱりわからない。人とすれ違っているうちにさっさと道を聞けばよかったのだけど、迷子ですと自分から申告するのが恥ずかしくて、気づけば人気のない場所に迷い込んでいた。
そろそろべそをかきたい気分になっていたところに、先の声である。階段の上から聞こえた声に、わたしは足を止めた。広い城内を迷子の身、できれば道を教えてもらいたいところではある。ではあるけど、なんだそのものっそい忌々しそうな話しぶりは。
「あやつは信用ならん」
「ああ、いつかこの国を我が物にしようと企んでいるのは目に見えているからな」
それを聞いて、わたしはうーん、とあごに手を当てて首を傾ける。司馬懿さんの悪口を言っている人に「司馬懿さんの執務室はどう行けばいいんですか?」なんてほいほい聞けるわけがない。
「それなのに司馬懿の策ばかり重用されるとは、何か裏があるに違いないとは思わぬか」
「殿か曹丕様の弱みでも握っておるのではないか?わし達の策が劣っているわけがあるまい」
……おいおいそれはちょっとひどくないか。と、心でつぶやく。わたしは策の良し悪しはわからないし、司馬懿さんがなんだか悪者っぽいのもわからなくもない。だけど彼の策が選ばれたってことは、素直に良策だったからに他ならないのでは。もし万が一弱みを握られていたとしても、わざわざよくない策を採用して負けたらそれこそなわけで。ていうか、曹操さんも曹丕さんも、万が一弱みがあったとしても堂々としていそうな気がする。この人たち、司馬懿さんだけじゃなくて曹操さんと曹丕さんにも失礼なこと言ってるってわかってる?
その通りだふぁっふぁっふぁっ、と、なにが面白いのかわからない会話を続けながら足音が近づいてくる。
このままだとかち合ってしまうのはわかっているけど、わざわざ隠れる必要もない。わたしは堂々と階段の下に立った。
「な?! お、お前は!」
踊り場まで来た2人の男は、わたしを見てぎょっと立ち止まった。
「こんにちは」
わたしはにこりと笑って挨拶をする。一瞬たじろいだ男たちだったけど、次の瞬間には眉をひそめてつかつかと階段を降りてきた。
「お前は異世界から来たとかいう、胡散臭い女ではないか」
「こんな人気のないところで何を企んでおる」
男たちは目の前まで来ると、わたしを卑しいものでも見るようにじろじろと眺めた。
うさんくさい、とか企んでいる、とかよくもまあ本人に向かって言えるなあと、その図々しさにむしろ感心すらしてしまう。確実に自分たちが上だと思っているから言えるんだろう。
それにしても、やっぱりこんなところ、と言われてしまうようなところに迷い込んでしまっていたのか。誰とも会わないからそうなんだろうと思ってはいたけど…現在地が全くわからん……。この人たちに道を聞くのも嫌だしなあ、と頭を抱えていると、男の1人がその嫌味ったらしい口を開く。
「…もしや、司馬懿めに何か指示されておるのか」
その言葉に、わたしは目を瞬かせる。司馬懿さんがわたしに悪いことをさせようとした事なんか1度もない。まあ、ちょっとばかにされているような気がすることは、数え切れないくらいあるっちゃあるけど。
「司馬懿さんはそんなことしませんけど」
「不審な者たちが馴れあっておるわ」
は、と鼻で笑われて、かちんときた。
「わたしのことは、確かに怪しいと思われてもしかたないと思います。だけど司馬懿さんは関係ないでしょ」
「お前に司馬懿の何がわかると言うのだ」
「……わかりませんけど」
不貞腐れるわたしに、ほら見たことかと勝ち誇る男2人。でも、とわたしは続ける。
「わかりませんけど、でも司馬懿さんは、陰口ばかり言ってなにもできないような人じゃありませんけどね」
黙っていようと思っていたのに、あまりに腹が立って反論してしまった。あーあ、どうしよう…。
「こんの女っ!こちらが黙っていれば!」
黙ってなかったじゃん、と思うのとほぼ同時に、1人の男が持っていた竹簡を振り上げた。振り上げられた竹簡に、それかよ!と思い、反射的に腕で頭を守ってしゃがみこむ。
――――――、
…………あれ、痛くない…。
恐る恐る見上げると、いつ現れたのか、振り上げられた竹簡を司馬懿さんが後ろから掴んでいる。その冷え切った瞳が、男を突き刺すように見下していた。その後ろにはなんと曹丕さんの姿まである。こちらはいつも通りの冷めた顔だ。
「人の小間使いに何をしている」
司馬懿さんの、普段の何倍も機嫌の悪い声に、こっちの方がやばい、と縮み上がる。小間使いではないとか反論する気も起きないくらいに怒気に満ちた司馬懿さんは、チッと舌打ちをした。
やっっっ、ばい……。
「おおお、お前こそこんなところに何の用があるのだ」
腕を戻そうにもどうやらびくともしないらしい男が、青ざめながらも虚勢を張った。
「馬鹿が戻ってこないので様子を見に来たまでのこと」
「……す、すみません……」
じろりとよこされた絶対零度の視線に謝罪しながら立ち上がり、この地獄のような状況をどうしようかと、ない頭をひねる。
司馬懿さんが竹簡を取り上げ床へ投げ捨てると、大きな音が響いて、わたしと男はそろって首をすくめた。
「さっさと行け!お仲間はとうに逃げたわ!」
激昂に弾かれるように、男はひいと悲鳴をあげて駆け出す。ああ、わたしも逃げたい。
次の瞬間、わたしへ向き直った司馬懿さんから罵声が飛んできた。
「どうしたらあのような状況になるのだ 凡愚共に張り合うなといつも言っているだろう お前の貧相な頭はそんな簡単なことも覚えられんのか馬鹿めが!!」
肺活量すごいなと思うほどの言葉を一息で言い切った司馬懿さんは、あからさまに大きく短いため息をつく。
「ふん、まったく無駄に時間を使わせおって」
「ううう、すみません、でも、」
「でもではない!私が来なければどうなっていたかわかっているのか、さっさと戻れ!! 道もわからんのだろう馬鹿めが」
そう捨て台詞を吐きながら身を翻した彼の背中を見て、うえぇ、これは長くなりそう…、と肩を落とす。情けない顔をしているわたしの横で、クックックッと笑う声が聞こえた。
「どうやら相当仲達に気に入られているようだな」
「えええ、いや今わたしとてつもなく怒られましたよね?!」
心底可笑しいという顔をする曹丕さんに、わたしはただただ困惑する。
「なにをしている、早く来い!!!」
声を上げる司馬懿さんの鬼の形相に、わたしは「すみませんー!」と叫んで彼の後を追った。
絶対気に入られてないって!
後記
以前アンケートで司馬懿がお好きだという方がいらっしゃったので、書いてみようと思ったはいいものの、こんなに時間が経ってしまいました。お相手のいるキャラクターは(家族愛的なもの以外は)なかなかに書きにくく、今回は5以前?の魏時代フリーの司馬懿となっています。曹丕が言うように、司馬懿は彼女のことを気に入っていて、彼女が傷つけられそうになっていたことに激ギレしたんですが、うん、わかるわけないなと思います。自分のために彼女が男たちに向かっていったのを聞いていて、嬉しいくせにツンで怒る。ならもっと早く助けてあげればいいのに。少しフォローするなら、自分が来なかったらうんぬんというところに心配しているのが見え隠れしているというか。彼女も無意識下で心配されていることを感じてはいるというか。
司馬懿登場まで長いし、名前変換ないし、夢とは?と言いたくなる内容なのですが、書いていて楽しかったです。
ただ、5までの司馬懿の記憶が遠すぎる上に調べもせずに書いたので、ほぼイメージだけで違う人になっている可能性が大いにあるのが不安です。