それでも耳を澄ましていた



 ゾンビマンは多くを語らない男だった。

 俺の周囲にはジェノスを筆頭によく喋る奴が多いしどいつもこいつも騒がしい。だから不死身という特異な点を除いても、ゾンビマンという男の存在は珍しかった。近くにいても黙っていることが多いゾンビマンだけど俺と会話するのがいやだとかそういうわけじゃないんだろう。だって、ゾンビマンの側にはこれまでの人生で幾度となく味わってきた居心地の悪さがまるでない。
 何時だったか、何かの帰りかそれとも行きか、どっちだったかも定かじゃないが、ぼろ切れのような服を辛うじて身に纏った、怪人退治後のゾンビマンに「火、持ってないか?」と訊かれたことがあった。奴の傍らには怪人の死骸が転がっていて、ひしゃげてもげた丸太のように太い腕に腰かけた男の姿は、ヒーローと呼ぶにはちょっとばかり物騒だった。俺の神経が図太くなければきっと叫ぶか逃げるかしただろう。当の本人は公園のベンチに座るのと同じ感覚でそうしているのか、なんでもないようなまっさらな表情をして火を待っていた。蒼白い頬に飛び散った血が彩るその顔をどっかで見たことあると思いながら、しかしそれがどこだったかも、こいつが誰だったかも大して思い出す気はなくて、ただ、返り血を浴びた短髪の男の出で立ちと、吐き出された言葉のアンバランスさに、驚くまではいかないものの、俺はやや面食らっていたような気がする。
 ともかくその時のゾンビマンはタバコを口にくわえ吸う準備は整っているという状態にして、肝心の火を持ってなかった。聞けば、怪人と闘っている最中にライターを無くしたらしい。仕事を終えた同業者、しかもひどく汚れているその姿に同情のような感情を抱くものの、あいにくタバコを吸わない俺はライターもマッチも持ってなくて、仕方なく近くに転がっていた乾いた枝を発火させて「はいよ」と差し出せば「どうやったんだ?」と目を丸くされた。

「どうって、てきとーに摩擦起こせば火くらい出るだろ」

 ゾンビマンはくわえたタバコの先端を「ン」と差し出し、俺はその意図を汲み取り火を点けてやる。すうっとフィルター越しに空気を吸いぷかりとわっかの煙を吐き出した後「摩擦って、そりゃすごいな」と笑うように言ったゾンビマンは、恐らく機嫌がよかったのだと思う。
 それは昔と呼ぶほど前の記憶ではないけれど、記憶力というものが人より幾らか劣っているらしい俺がしっかりと覚えているのは、吐き出された煙が輪の形をしていたことだけだった。


 それから町で偶然出会ったときやジェノスの後をついてなんとなくヒーロー協会に出向いたときなんかに顔を合わせると「お」という顔をして手を上げたり、距離が近ければ「よ」と短い挨拶を掛けられることもあった。極稀に「暇?」と聞かれて呑みに行くことも。
 そういう経緯を経て今日も、暇を持て余して始めた見回りの、それも終わりにして帰ろうかという頃、偶然出会ったゾンビマンに「暇?」と呑みの誘いへと繋がる問いを掛けられ、なかなか間のいい言葉に「うん」とうなずきを一つ返す。けど、なにぶん財布がさびしい。なので正直に「ひまはあるけど金がない」と言うと、ゾンビマンは口の端をつり上げて「奢ってやるよ」と得意気に言った。その余裕そうな表情ったら、やはりS級ヒーローは給料もいいようだ。
 未だ崩れない得意顔に向かって「奢ってもらうなら安いとこがいい」と言うと今度はいまにも首を傾げそうな顔で「なんで?」と打ち返される。「なんで?」の「で?」のところに重みがある分不満そうに聞こえるのは、きっと自分の財力に自信があるからこそだ。
 こいつ意外と、奢るのが好きないい顔しいなタイプなのか。だったら極稀に、じゃなくてもっと誘ってくれたっていいのに。そうしたら食費が浮いて助かる。

「遠慮か? 金ならある」
「違うけどさ、俺、質より量派だし、安いとこいっぱい連れてってくれよ」
「いっぱいって……もしかしてそれ、お前なりのお誘い?」
「そうだよ。そんで、毎回奢ってもらう予定。いいだろ?」

 そう言うと、ゾンビマンは口の端をにぃと吊り上げ、指に挟んでいたタバコを一度とんと揺らし灰を落としてから口にくわえる。肺の隅々にまで煙が染み込むんじゃないかというほど深く吸ったあと、ぷかぷかとわっかの煙を吐き出した。

「了解」

 とだけ寄越された言葉には、気のせいでなければ喜色が滲んでた。
 そうして今日の見回りはゾンビマンと出会ったその場所で切り上げとなり、その足で17時を回り賑わう寸前の呑み屋街を連れ立って歩く。少し歩くけど、という言葉に導かれて15分ほど歩みを進めれば、安いが飯がうまいし個室がある、というゾンビマン行きつけの居酒屋に辿り着いた。縦に長いビルの一階と二階が居酒屋のスペースのようで、通されたのは二階だった。ビルのボロさに反して中は綺麗だ。二階で注文を受けながら客と談笑している、羨ましいほどハキハキと喋る従業員の女の子は、ゾンビマンを見ると笑みを深めてえくぼを作った。
 あぁ、行きつけ、って言ってたもんな。
 隣のゾンビマンをチラ見すると、女の子は視界に入っているだろうに、そこにはびっくりするほどの無表情があるだけで、ちょっとは笑ってやればいいのに、と思ったがそれは言わずに目を逸らす。女の子の横を通りすぎるときに、もう一度隣をチラ見してみたけど、ゾンビマンは結局一瞥も向けないままで、その滅多に見ない固そうな表情こそがゾンビマンの通常なのかもしれない、と何にもならない見当をひとつ付けて飲み込んだ。
 案内役の10代くらいの子が用意してくれた個室にはあまり広さはなく、というか狭く、壁に囲われているにも関わらずガヤガヤとした店内の騒音と、食器が触れ合う音がひっきりなしに聞こえる。畳にはタバコの灰が落ちたのであろう焦げ跡もあり、ゾンビマンの「安いとこだから」という言葉が真実であることがわかった。
「なにが食いたい?」という言葉に「あったかいやつと辛いやつと、あとは適当に」と漠然すぎる注文をすると、ゾンビマンはメニューも開かないままチャイムを鳴らして店員を呼び、つらつらと注文を通していく。「タコわさ」と口にしたとき密かに喜ぶと、ついと視線を向けられ、蒼白いほどの白が際立つ目の、その下にある唇が、俺を見たままゆるく弧を描いた。


 ゾンビマンのお任せでビールともつ鍋とツマミを幾つか頼んで、運ばれた鍋が煮えるのを待つ間、ちょこちょこと箸を動かしながら、ファストフード店の期間限定のハンバーガーがうまかったこととか、近所に住んでる野良猫が最近なついてきたこととか、とりとめもないことをぽつぽつと話していた。ゾンビマンはあまり喋らないし、俺も会話を楽しむ方じゃないから、交わされる言葉には盛り上がりがない。けどそのゆるゆるとした空気は好きだった。個室の中はタバコ臭いのに、息が楽になる気さえする。
 ゾンビマンが返す短い相槌にあわせて、吐き出されたタバコの煙がぐにゃぐにゃと歪み、個室の壁に薄いヤニの膜を重ねていく。
 ふつりふつりと煮え始めた鍋に浮かんだ灰汁を取っていると「マメだな」と言われた。「取るだろ」と返すと「じゃあ鍋食いたいときはお前を呼ぶか」と返ってくる。
 他の誰かと一緒のとき、その誰かは灰汁を取らないのだろうか。それともゾンビマン一人ならばそんなこと気にしないということなのだろうか。そもそもこの居酒屋には、一人で来るのだろうか。まがりなりにもS級ヒーローなわけだし、一人で来ても個室くらい誂えられるだろう。しかし、他の誰かと一緒に来たのなら、その誰かともこうして、狭い個室で、他愛もない時間を過ごしたのか。……いや、気になるわけじゃあないけどさ。
 吐き出す言葉はいつだって必要最低限か少し足りないくらいのゾンビマン相手だといやに考えることが多くなる。けど別に嫌じゃない。良くもないけど、たまにはいいか、くらいの気持ちでいつもそれを受け入れてた。
 鍋がグツグツと音を立てる。

「そろそろ食えそう。器かして」
「入れてくれんの?」
「奢りの礼にな。一回しかよそわないけど」
「すくねぇな」

 はは、と吐き出された小さな笑い声は煙にまみれてうすら白い。
 もつともやしとニラとキャベツを適当な配分で盛り付けて「はいよ」と差し出せば「サンキュ」と受け取られる。なんだかこれは、この関係は、まるで、そう、友達みたいだ。普通の友達というものがどういうものなのかあまりわからないところはあるけど、この柔らかくて心地いいやり取りは、そう呼ぶのに相応しい気がする。ゾンビマンとは二人で遊びに行ったこともないし、連絡先も知らないし、他にも色々知らないことばかりだけど、サシで呑みに行く間柄には、仕事仲間と纏めてしまうより気心が知れたような、そういう心地よさ、居やすさがあった。
 自分の器にはちょっともつを贔屓してあとは適当に具を盛る。「いただきます」と箸を手に持ったとき、ゾンビマンが灰皿にタバコを押し付ける動きを見せて、ほとんどなんの意味もなく、ただなんとなく、もつに箸をつけるより前に「タバコってどんな味?」と聞いていた。
 返されたのは言葉ではなく、料理を頼んだときと同じ、ついと向けられる視線だけ。
 目が合って、ほんの数秒。前触れもなく、冷たい唇が俺の唇にぴとりと触れる。
 机に手を付き身を乗り出したゾンビマンの体の下ではもつ鍋がグツグツと煮えていて、意識の端に掠めるそれが、繰り広げられる現実の異常さを突きつけた。
 あ、キスだ。と理解したときに、この行為の不意打ちさを思い知るが、目の前の男はただ目を開けたまま俺の口内を身勝手にまさぐり、俺も目を開けたまま、いいようにされていた。唾液と一緒に煙のにおいが口の中にじわりと広がる。なるほど、タバコの味は煙味だ。俺のささやかな疑問が解決されたところで新しく生まれたこの問題も解決すればよかったのに、居酒屋の喧騒には似つかわしくない濡れた音がいやに耳に付くばかりだった。
 唾液を滲ませるように執拗に舌を撫でたあとクチュ、と耳慣れない音を残して出ていった不埒な舌はゾンビマンの口内に帰還し、その唇はさっき押し付けて消そうとしていたタバコをまた吸っている。
 俺の舌にはただただ初めて得る苦さだけが残ってた。

「噛み切られるかと思った」

 ゾンビマンの目元が笑ってる。唇も上機嫌を表すような三日月。笑い声をあげるようにぷかりとわっかの煙を吐き出すゾンビマンはしかしそれ以上なにも言わないのだ。キスをしておいてそれだけか、と思う内情はいら立ちからくるものと思うにはあまりにも……。
 どうしたものかと思う。もつに手をつけるタイミングも失ってしまったし、さっきは普通の友達みたいだと思った関係も、いまはもうなんて呼んでいいんだかわらない。けどその正体不明になったコレも、間違っている気がしなくて、だから一層困ってしまう。なにもかも知っていそうな、楽しげな笑みを浮かべたゾンビマンは、しかしこんなときにまで多くを語らないのだった。







それでも耳を澄ましていた

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