真っ赤な瞳が好きだ。
つめたい白の真ん中にある、しんしん輝くその赤色が、俺にはいつも、この世でいちばん、きれいな赤に見えていたのだ。
「サイタマ」
町で偶然出会い、連れ立って歩いてしばらく、ゾンビマンの乗るというバスが来る停留所には褪せた水色のベンチがひとつ置いてあった。「バス来るまで俺も待ってるよ、暇だし」と言うと、ゾンビマンは「ありがとう」と丁寧に言葉を返して笑った。
ベンチに座ってズボンのポケットに手を突っ込む。秋風に吹かれながらささやかな暖をとったときに、ゾンビマンは静かな声で俺の名前を呼んだのだ。
「なに?」と問うと一拍。横目にうかがった顔はじっとこっちを向いていた。
「お前のことが好きだ」
それは飾りけがなく、こだわりもない言葉だった。
俺もお前のこと好きだよ。
なんの前触れもない言葉に、そう気安く返そうとして重なった視線は、真っ赤な色によく似合う熱をもっていて、なんでだか、口にいれたらきっと、蜜のようにあまいんだろうなんてことを考えた。その途端、俺は向けられた眼差しと告げられた言葉が、どういった類いのものなのか、はっと気がつき、そうして、返すはずだった言葉はどこにも行き場をなくしてしまった。
「へえ、知らなかった」
用意していたのとは違う言葉が喉につっかえて溢れる。
向けられた熱に対して、俺の言葉はひどくぬるい。「へえ」と気の抜ける声を出して、それから「知らなかった」と伝えただけ。たったそれだけの言葉。けどゾンビマンは、不満そうにするでもなく、ただいつもと変わりなく、見慣れたゆるい笑みを浮かべているだけ。
「だろうな。そうだと思ってた」
おもむろに青白い手が伸ばされる。
それは不自然なく俺の頬に触れて、じんと伝わってきた死人のように冷たい手のひらの温度と、男にしてはやわらかいその感触を、俺はいまようやく意識した。
そういえば、ゾンビマンはこうして時おり俺に触れていた。
じゃあ、といくつか思い返して、血で汚れた顔を拭われたのも、肩が触れる距離に座るのも、ぜんぶ俺を好きだったからなのか、と見当をつける。
それなら俺が、ふたりの間にあると思った居心地のいい友情は一方的なものでしかなかったのかな、などと考えてみるが、だからってべつに傷ついたり、いやだったりはしないから、過っただけのこんな気持ちも、明日にはきっと忘れてしまう。
けど、ゾンビマンはどうなんだろう。いつかこの日を、気持ちを、忘れられるんだろうか。
頬に添えられたゾンビマンの手、その親指が、すりと目尻を撫でる。
「俺が触れてもサイタマは嫌がらないから、俺は暫く、お前に好かれていると思っていたんだ」
男には興味がない。
だけどどうしてだか、この冷たい手を払い除ける気にはとてもなれなかった。
ゾンビマンの青白い頬が、確かに俺の前ではとてもやわらかかったことばかりを思い出してしまう。
「でもいつからか、サイタマはなんにもわかってないだけなんだって気づいた」
さっきの俺のぬるい言葉は、ゾンビマンの推測を現実のものにした。
頬に触れていた手は、おどろくほどやさしく離れていく。今後、こんなにやさしく触れられることも、離れられることも、もうないんじゃないかと思った。
己の鈍さを振り返って、謝ったほうがいいのかと考えたけれど、そんなことしたって、俺の言葉はどうしたところで薄っぺらだし、ゾンビマンだって別に、謝ってほしくなんてないだろう。だってこんなときまで、向けられた表情は曇ることなく凪いで穏やかなのだ。
いっそゾンビマンが怒ったり、かなしんだりしたならよかった。そしたら俺は謝って、それでふたりの関係に決着がつく。これはただの友情で、それはこれからも変わらないものだとうまく割りきって、すぐに笑いあえるかもしれないのに。
ゾンビマンがふいと視線を落として、重なっていた眼差しも、ようやく外れる。
しかし、考えてばかりの思考に訪れた静けさも束の間だった。
ゾンビマンの薄い唇から、とても細い息が漏れた。
「……悪かったな、サイタマ」
「どうしてお前が謝るんだよ」
「俺が身勝手だからだ。自分が悔いを残さないために、こんなことを言った。迷惑になるだけだってわかってたのに」
「だからごめん」そう言って、ゾンビマンはすこし困った顔をする。一瞬だけまた目が合って、それからそっと正面を向いた顔を、視界の隅で見ていた。
果たして、不死身の後悔の長さとは。
こいつの場合、死んで昇華されるなんてことはないのだ。俺に好きだと伝えられないままの人生だったら、ゾンビマンはそんなしょうもない後悔を、生涯引き連れてしまうところだったんだろうか。俺みたいに、それをしょうもないものだとも思えず。たったそれだけの後悔が、ゾンビマンには取り戻せない過去になり得るのか。
なんだかゾンビマンがとても不憫な人のように思えて、どうして俺を選んだんだ、と俺は誰にも言えない言葉を心でぼやく。
ゾンビマンのことは好きだ。だけど俺の気持ちは、ゾンビマンのものと比べたらまったく熱くなくて、ありきたりだった。
男に興味なんてないのに、ゾンビマンのことを気持ち悪いと思うこともなく、それどころか俺はこいつに優しくしてやりたいとすら考えている。
なのに、どうしてこれは愛じゃないんだろう。
目の前を過ぎていく車が5台を過ぎた頃「ゾンビマン」と呼び掛け、向けられた真っ赤な眼差しは、やっぱり俺には熱すぎた。
「誰かに好きって言われたの、これがはじめてなんだ」
俺の言葉はぬるいだろう。けど、それで伝わらないわけじゃない。
「いままで知る機会もなかったけど、結構うれしいもんだな」
お前の気持ちは迷惑じゃない。大して温度のない気持ちでも、そういうふうに、ゾンビマンの耳に届けばいいと思った。
「あと俺、あんまりこういうの言わないんだけどさ、お前とはずっと友達、って言うのかな……まぁ、そういうのでいたいって思うし」
この言葉は、自分の想いを後ろめたく思うゾンビマンにとって優しいのか、残酷なのか。俺には到底わからないけれど、例えば残酷だとして、それでもそのなかに、ほんのすこしの良い響きがあったらいい。
滅多に言わない言葉で飾った友愛は、こういうときにかけるべき言葉を知らない俺が尽くせるぜんぶだった。
「だからさ、ゾンビマン」
「ああ」
「いやじゃないから」
「……あぁ。ありがとう、サイタマ」
さっきの困り顔は消えたのか、それとも隠したのか、ゾンビマンはもう、いつも通りのゆるい笑みを浮かべている。
「俺には、充分すぎる言葉だ」
充分すぎる、と語る言葉は無欲だ。
ゾンビマンの浮かべた微笑がこの話に句点を打つ。
「もうすぐバスが来る」
俺の向こうを見て、ゾンビマンが言った。
微笑を作る赤い瞳を盗み見れば、それはきれいに濡れている。
真っ赤な瞳がしんしんと輝いてやまないのは、きっとそこに愛があるから。俺のことを一心に好いてくれるゾンビマンを、俺も特別な意味をもって好きになれたなら、なんて、こんなこと、考えたところでなんにもならないけど。それでもいつになくいろんなことを考えてしまうのは、ゾンビマンが多くを望まないからだ。
停留所の前でバスが止まり、プシューと空気の抜ける音をたてて扉が開く。バスステップに片足をのせたゾンビマンがちらりと振り返った。
「それじゃあ、時間を取らせて悪かった。じゃあな、サイタマ」
「あぁ、また今度な」
扉が閉まり、バスのなかを歩いて白いつり革に掴まったゾンビマンの背中を、窓越しに見ていた。やがて走り去っていくバスのテールランプを見つめて、目に焼き付いた明かりを瞬きで落としていく。
これからも俺はきっと、ゾンビマンと顔を合わせて言葉を交わすんだ。そうしてゾンビマンはたぶん、真っ赤な瞳をこれまでと変わりなくきれいなままにして俺を見る。それで俺は、そのきれいな瞳を、今度からはすこし、熱くも思うんだろう。
俺もお前のこと好きだよ。
そう返し損ねた言葉は、ずっと口のなか。
もう、どこにも行き場はないのだ。
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