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 ゾンビマンは、愛と云うものの側面を撫で、きれいだと言っているんだと思う。
 俺よりずっと長い年月を生きてきた不死身の男は、生きた年数のわりに妙な世間擦れを起こすこともなく、それどころか、そいつを言いあらわすときには、無垢、という言葉を当ててやるのが一ばんいいのだ。どこもかしこも新品のようにきれいというわけではないけど、呉れる眼差しはいつも、胸を貫くほどまっすぐだった。
 いつか、うっすらと青い頬をやわらかくしたゾンビマンが「こんな気持ちははじめてなんだ」とうぶみたいにこぼした言葉は、純粋さから生まれた真実で、その生まれたばかりの気持ちには、汚れる隙なんて、きっとなかった。
 それなら俺だって、こんな気持ち、はじめてだ。
 誰かに対して、特別な気持ちを抱くのはもちろんのこと、他人から一等特別な気持ちをもらうのだって、俺はこれがはじめて。ゾンビマンが「こんな気持ち」と差し出した好意には、すんなりと安心することができたし、浸っているのは心地よかった。うすれた感情を補うように、すかすかの胸は花が舞うような充実感で満たされて、もうこれ以上は入らないところまで、すみずみと満ちた。
 ゾンビマンのそばで、特別なことはなにひとつない一日を過ごし、夜になれば同じベッドに入って眠る。それがふたりにとってあたりまえになったころ、空洞ばかりが目立った胸は、ぴったりと隙間をなくして、痛いくらいに満ちあふれた。
 今夜もそうして潜り込んだベッドのなかには、冬でも薄着のゾンビマンが、夏と変わらないうすっぺらな部屋着で、背中を向けてまるくなっている。黒いTシャツから伸びる病的に白い腕は、不健康な肌の色とは不釣り合いにたくましい。
 寝入るときにもひやりとつめたいその腕に触れ、抱き込むように身体を寄せると「あんまり近寄ると冷えるぞ」とたしなめられる。でも俺は、このつめたいほうの温度が好きだった。

「こうしてたい気分なんだ」

 顔を見なくても、ゾンビマンがよろこんだのがわかった。
 つめたい腕にしがみつき、ずるずると身を寄せると、ゾンビマンももぞりと体勢を変える。向かい合うかたちに寝転んでから、ひえた身体を抱きしめると、目のまえの男は唇をゆるませて「めずらしいな」と笑った。
 暗がりのなかでもわかるほど、ごく近くで浮かべられた笑みは、俺だけが見ることのできる特別製のものだった。その甘やかされているような表情を見ていると、なんだかじりじりと、頬が熱くなるような恥ずかしさが湧いてくるのだ。
 いつまでも慣れない気恥ずかしさから視線をそらしてほどなく、抱きしめる腕に応えるように、背中にまわった手のひらは、心臓の真裏で動きを止めて、その無骨な感触に、数秒、目を閉じた。

 あの笑みも、この手のひらも、いま、この世で、俺しか知らない。

 あんまり静かな部屋のなかでは、窓越しの、外を走る車の音さえいやに大きく聞こえるけど、俺はすべてを無いものにして、ゾンビマンだけに意識を向けた。
 冬用の毛布に包まれても、なかなかあたたまらない身体。暗がりで見つめる赤い目。そのそばにある、ゆるんだ眦も、近くで聞こえる細い呼吸も、並んでただよう眠りの浅瀬だって、俺しか知らない、俺のもの、俺だけの特別、だけど、きっと、これは、いまだけ。ずっとじゃない。
 胸のうちがわが、どろりと熱い。
 そうだ、これは、ずっとじゃない。
 開いた瞼のさきにある、白い肌をジっと見つめた。
 いつかゾンビマンは、俺みたいな奴か、それか、もっといい人を見つけて、俺にしたより上手に、笑ったり、怒ったり、もしかしたら、泣いたりだってするかもしれない。
 なにせ、俺から遠くかけはなれた長い年月を、こいつはずっと生きていくんだから。

――こんな気持ちははじめてなんだ。

 いつかのゾンビマンの言葉を、俺はもう何度も思い出している。
 言葉を紡いだゾンビマンは、満ち足りていて、穏やかでいて、はじめて見る、とてもうれしそうな顔をしていた。
 俺だって、こんな気持ちははじめてなんだ。
 なぁ、ほんとう、こんな気持ちは、はじめてなんだ。
 まわした腕にすこし力を込める。「さすがに苦しいんだが」と訴える男の声はまだのんびりとしていて、死の恐怖からは遠いところにいるその余裕を、意図せず見つけてしまった。
 軽く告げられた「苦しい」という訴えを無視して首筋に顔を寄せると、ゾンビマンが幽かに空気をゆらして笑うのがわかった。

「サイタマ、今日はほんとうにめずらしいな。お前が甘えてくるなんて」

 ゾンビマンの手があやすように背中を撫でる。二度、三度、と触れる手のひら。それはときに、怪人を倒すため、固く固く奮われるのに、俺に触れるゾンビマンからは、まったく、そんなことをしているという気配すらも感じられなかった。怪人より、よっぽど丈夫にできているのに、ゾンビマンはいつだって丁寧だ。眼差しのひとつ、肌を撫でる指の先からだって、大切にされていると伝わってくる。だけど、それだけで慰められる心なら、そもそも痛みはしない。
 耳を澄ましたら、血の流れる音さえ聞こえそうな距離にいても、ゾンビマンを遠くに感じてしまうのは、それが真実だからだろう。俺たちは遠い。この距離は開いていくばかりだ。
 子供にするように俺を撫でるゾンビマンに「足りない」と言うと、可笑しそうな音を含んで「欲張りだな」と返ってくる。
 そうだよ。俺は欲深い。お前が思ってるよりずっと 。
 愛を注がれた胸は痛い。満たされたつぎはひび割れて、そこから流れでた液体はきっと、燃えるように赤いんだろう。
 白い肌を見つめ、瞼をおろすと、果てなく見る希望が絶え間なく映った。それを眺め、俺はまた、まわした腕をきつくする。
 ゾンビマン、このままこの腕にもっとたくさん力を込めたら、果たしてお前は死ぬんだろうか。
 それか、左胸に手を突き入れて真っ赤に染めたら、もしくは、無防備な首に噛みついて歯を立てたら、或いは、穏やかな声を出す喉を締めたら、お前は、おまえは。

 ゾンビマン。

 声に出せない呼びかけは、じっくりと胸に響いてまたあたらしい痛みを生む。その痛みのなか、何べんも何べんも吐いた問いを、また重ねた。

 どうやったらおまえを殺せる?

 うす昏い下心を宿して重く呟いた「すきなんだ」という言葉は、もうすっかり汚れてしまったようだ。けど、どれだけ汚れていったって、そこにはひとつの嘘もない。
 俺はただ、死なないお前が憎いんだ。いつかお前が、俺の知らない誰かと、こんなふうに夜を過ごすんだと思うと、俺を忘れてしまうんだと思うと、そうしてまた「はじめて」なんて言うんだと思うと、いっそ、いま、殺してしまいたい。
 まわした腕の重みも知らないで、ためらいなく「俺もだ」と返すこの男を、俺は誰にも渡したくなかった。
 吐き出す息が震える。
 ほんとうに殺められるべきは、ゾンビマンじゃない。だけど、この濁った心のまえでは、真実が正しいわけじゃない。

 こんな気持ちは、はじめてなんだ。

 愛ってやつがきれいだと信じて疑わない不死身の男は、俺が一ばん好きな音で、しあわせそうにひそひそと笑った。





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