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「虹色に光る観覧車が見えるあの町に行って、赤い煉瓦のそばを通るんだ。しばらく歩くと見える公園の芝生に寝そべったら、気持ちがいいだろうな、サイタマ」

 ソファに凭れたサイタマはうつらうつらとしながら、俺の言葉を聞いているんだかいないんだか「んん」と短く唸った。「眠いのか?」と訊いたらまた「んん」と返ってくる。なんとも中身のない返事。どうやらサイタマの眠気は極限にまで達しているらしい。
「俺このチャンネルが見たい」と、興味なんてないくせに、気まぐれだけで指名された色んな国の名所を巡るだけの番組は、異国の海辺を次々と映し出している。
 サイタマは缶ビール三本で船をこぎはじめて、画面はおろか隣の俺すらまともに認識できていない。眠りに落ちはじめた横顔は、夏を過ぎてうっすらと日焼けをしたように見えた。
 サイタマが飲みかけで終わらせた缶ビールを一口、ぐびりと飲み込む。
 口いっぱいに広がる苦味。
 ぬるい温度。
 惰性で眺めるテレビ画面。
 それらを一緒くたにすれば、ある夜の記憶が彷彿と蘇ってくる。
 その日、サイタマと俺はこんなふうにだらだらとビールを呑みながらテレビを見ていた。ソファに深く腰かけたサイタマが、何度もあくびをする。それを横目に見て幾度目か、フと、目が合ったときだ。サイタマは気の抜けるような顔を俺に向けると、ふいに笑い「なんかお前といると眠くなる」と言った。
「なら泊まっていけよ」と返した言葉は、軽率だっただろうか。
 あの夜からサイタマは、この部屋にくるたび、俺のそばで一晩を明かすようになった。
 テレビが波の音を立てる。白い砂浜に咲いたカラフルなパラソルが眩しい。

「なぁサイタマ、こういう島に行くのもいいな。緑の海に潜ってみたい。芝生じゃなくて、砂浜の上で寝るのもよさそうだ」

 サイタマはもう返事をしなかった。眠りの浅瀬からより深いところへ沈もうとしているのだろう。間抜けに口を半開きにして、もしかしたらもう寝ているのかもしれない。
「サイタマ」と小さく呼び掛ける。返事はない。
 サイタマ。
 今度は心のなかだけで呼び掛けた。
 サイタマ、お前どうしてあの日、あんなことを言ったんだ。なんだか信頼されているようで、お前のゆるんだ笑顔を、俺はうれしく思ってしまった。
 それから、どうしてずっと、目を閉じていたんだ。布団のなかで抱き締めたとき、お前ほんとうは、起きていただろ。
 胸のなかに渦巻く想いはあまりにも核心に近く言葉にしてはいけない。
「でも」と口をついてこぼれた言葉はなにかを取り繕うようだ。

「……やっぱり、観覧車があるあの町がいいかな。あそこからも海は見える。サイタマ、いつか俺たち、あの町に住もう」

 返事はない。そう思っていた。けれど「うん」と小さな声がした。
 それは、もうほとんど寝ているサイタマが発した声。いや、声と呼ぶには随分とくぐもった、きっと、わずかに残った意識で反射的に返した無意味な音。
 そうとわかっているのに、俺は返事があったことにすこし驚いて、それからサイタマが無防備に笑った、あの夜みたいな気持ちになってしまった。
 じゃあ、庭のある家に住もう。そしたら犬が飼える。休みの日は二人で散歩をして、そうして、ずっと一緒に、普通に暮らすんだ。
 自分はこんなに想像力が豊かだったのかと、いっそ驚いてしまうほど、様々な情景が浮かんでくる。
 俺と、サイタマと、観覧車の町。綺麗じゃない海。赤色の煉瓦。緑の芝生。尻尾を振っている一匹の犬。俺たちの家。
 ふっと唇がゆるむ。
 けれどすぐ、それの空虚さに気づいて、たった一人、笑ってしまった。

「なんてな、ぜんぶ冗談だよ」

 愛してる、と言葉にするには、俺たちの関係は不毛だ。確かな言葉は一切なく、気まぐれに夜を明かすだけ。それ以前にまず、俺たちは生きてる時間が違う。今はたまたま足並み揃っているだけで、いずれ別々に歩きだすだろう。
 サイタマの穏やかな呼吸と、テレビから聞こえる波の音が部屋のなかをいっぱいにして、俺は息がつまりそうになった。胸が苦しいのはきっと、俺が出来損ないだから。
 半開きの唇を間抜けだと思い、それからうんと、かわいらしく思った。かくんと後ろに垂れた頭に手を添え、そっと肩に乗せてやる。凭れかかってくるあたたかな身体。耳元で聞こえる寝息が、なんて心地いい。
「いつか一緒にあの町に住もう」なんて。幾ら口にしたって、それが無理な話だということはわかっていた。
 どれだけ色づこうとも、夢は夢のまま。わかっていながら夢想したのは、それだけが、俺にも許されていることだったからだ。


「あの町」というのはペリー来航の地のことです。
いつか僕たちそこに住もう
言うだけならタダだろ?
というような歌があるのでそういう要素を入れました。




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