しんしんと降り積もる雪
眩しいほどの銀世界

張り詰めた空気が鼓膜を刺す中、幼い弟の手を取って山を駆け降りた。辺りは昼間なのに暗く、容赦ない寒さが二人の小さな体へ染み込んでいく。

走って走って走って

肺が凍りそうだった。
繋がれた手の熱だけが生きてる証に感じられて、泣いてしまわないように唇を噛み締める。足は霜焼けで今にも壊れてしまいそうだ。体が必死に生命維持のために熱を作り出そうとするけど、この雪山では冷めていくばかりで追いつけない。不安気な弟の手がギュッと強く握ってくる。

守らなきゃ、私が。
姉として先に生まれたのだから。
どんな手を使ってでも弟だけは守る。







そう誓ったのに。

私は自分の命より大切な弟の首をーーー















リリリリリ.....
スマホのアラーム音で目が覚める。
梅雨の雨が窓を叩いて、カーテンで締め切られた部屋の中は朝にもかかわらず薄暗かった。まるで今見てた夢のような世界に冷や汗が頬を伝う。

中学生になった頃から同じ夢をよく見るようになった。雪の中を弟と二人でただひたすら走ってる。目的地があるワケでもなく、まるで何かから逃げるように走って走って走って。吸い込んだ冷たい空気で肺が痛くて、目が覚めた後も息がしにくかった。

雪山で育ったワケでもないのに、どこかその光景が懐かしく、同時に痛いほどの後悔が込み上げてくるのはどうしてだろう。


考えたって答えはいつも出てこない。
それに今日はそんな時間はない。
高校三年生の六月、親の転勤により私は新しい学校へ転校する事になった。今日がその初日。雨なのが惜しい。せめて今日だけは晴れててほしかったなぁ。

新しい学校は中高一貫校なので、中三の弟とニ人並んで学校までの新しい道を歩く。このぐらいの年になると一緒にいるのを嫌がるけど、今日は琥珀も大人しくしていて、口には出さないけど緊張しているみたいだった。

新しい所は誰しも警戒する。
今日みたいな雨模様な学校生活にならないようにと願うばかりだった。




琥珀とは正門で分かれて、私は高校の職員室へと向かう。深く深呼吸をしてドアに手を掛けようとした時、背後に人の気配を感じて振り向いた。


「転校生か?」

『あ、はい。風雪リュウです。今日から宜しくお願いします』

「おー、よろしくな」


声をかけてきた人物はドアの高さを余裕で超える高長身で、銀色の長い髪をヘアバンドで上げ、目元に赤いペイントを入れている派手な印象の男の人だった。ここが学校だと一瞬忘れてしまうような風貌に校則は緩いのかな、と頭の隅で思う。

そんな彼が黙ってジーっと上から顔を見てくる。なんだろう。見上げる形になって少し首が痛い。私が邪魔で中に入れないのかと思って横にズレて道を開けたけど、それでもまだ何か言いたげにこちらを見ていた。


『あの、』

「………」

『えーと、』

「やっとだな」


切長の目が細められ、僅かに上がった口角に聞き返す間もなく、銀髪の人は職員室のドアをガラッと開けて中へ声をかけた。


「安達せんせー、転校生がきたぞー!」


一斉に先生達の目が刺さる。朝礼前だからか、そこには結構な人数が集まっていて、思わず圧倒される。

この雰囲気には慣れない。
なるべくキョロキョロしないようにしていると、呼ばれた女の人が私のところへきた。どうやらこの人が担任らしく、そのまま教室まで一緒に行く事になった。


沢山の視線を受けながら一礼をし、職員室を出る時、季節外れの桜の匂いがした。





『風雪リュウです。宜しくお願いします』


教団に立ち、挨拶をすれば好奇な目で見るクラスメイト達に拍手される。それがむず痒く、気恥ずかしかったから案内された席へそそくさと座った。

窓側一番奥の席。
これ以上ない一番落ち着く特等席で少しホッとする。隣を向くと大きな目をクリクリと人懐っこそうに瞬きする女の子と目が合った。


「私は胡蝶しのぶ。よろしくね」


顔だけじゃなく、声まで綺麗で見惚れてしまう。私がよろしくね、と返すとまた小さく笑ってくれた。鈴が転がるような音とはまさにこの事を言うんだろう。蛍光灯の下でも分かるくらい白い肌が眩しかった。





バタバタしている間に一限、ニ限と過ぎていき、あっという間にお昼の時間になった。しのぶちゃんを含む数名の女の子達と机を囲んで今までの学校はどんなだったとか、部活は入っていたのか、好きな曲やテレビとかみんな人懐っこく聞いてくれて。初日だと言うのに居心地が良く、教室の雰囲気も温かくて安心した。


学校のこと、先生のことは放課後にしのぶちゃんが案内してくれることになり、早く知りたくて胸が高鳴る。


………しかし、お昼後の数学の授業でうつらうつらしていた男子の頭にチョークが当たって四方八方に砕け散るのを見て一気に不安になった。

早過ぎてちゃんと見えなかったけど、先生が投げたのが当たったんだよね?


「テメェ、俺の授業で寝るとはいい度胸だなァ」

「すみません!不死川先生!!」

「オラ、ここ解いてみろォ」

「えっと!えっと!2xyですか?!」

「ちげぇ!寝てっから分かんねぇんだろうがァ!」

「すみません!!どの公式を使えば…っ。数学は好きなのに、いつも同じ所で間違ってしまうんです!!」

「チッ、その心意気だけは買ってやらァ。必要ねぇなんて言いやがったらぶっ飛ばしてたけどなァ」


張り詰めた空気にお昼後の眠気は一気に消し飛んだ。


数学の不死川先生。
全開の胸元から覗く肌にはいくつかの傷跡が残ってて、見た目も口調も過去にヤンチャしてました感が凄い。でも数学愛が深く、素直に質問してくる生徒には優しい所を見ると、悪い人ではない、と思う。

なんて分析をしているとチラッと目が合ってドキッとする。問題を当てられるかと身構えたけど、すぐに逸らされて先生はまた黒板へと向き直った。

コツコツとチョークが黒板を走る音を聞きながら、数学の授業で眠るのは命取りという事を肝に銘じた。







全授業終了のチャイムが鳴り、一斉にガヤガヤと騒ぎ出す校内。

しのぶちゃんの後について教室を出て、まず最初に向かったのは渡り廊下を渡った先にある別棟だった。本棟と同じ3階建てで、準備室や実験室はこっちの別棟に集まっているらしい。その方が分かりやすくて助かる。




(化学室)


「何の用だ、胡蝶」

「伊黒先生、転校生の案内をしているんです」

『風雪リュウです』


軽くお辞儀をしながら挨拶をすれば、伊黒先生はジッと黙ったままこちらを見ていた。口元を隠しているから余計に目力が際立つ。左右で違う目の色が綺麗だな、と思っていると先生の首元から一匹の真っ白な蛇が顔を出してきて驚いた。学校という場所には違和感がある光景に目を奪われる。


『先生の家族ですか?』

「…ああ、鏑丸という」

『凄く綺麗な子ですね』

「驚かないのか?」

『驚きましたけど、真っ白な蛇を直接見たのは初めてだったので感動の方が大きいです』

「そうか、」


先生が鏑丸へ目を向けると応えるように首を揺らして、長い舌をチロリと覗かせる。白い体に赤い舌がとてもよく映えて、やっぱり綺麗だった。


「いいか、風雪。授業はサボるな、課題はちゃんと提出しろ。お前でも容赦しない」

「伊黒先生、転校初日からプレッシャーかけないで下さい」

「贔屓はしない」

『頑張ります』


言い方は厳しいけど、声音は優しい。動物に愛情をもって接している人に悪い人はいないと思う。だから先生もきっとそうだ。今度もっと話せるようになったら鏑丸の事をいっぱい教えてもらおう。

伊黒先生に別れを告げ、再び廊下を歩き出す。突き当たりの部屋は数学準備室だったけど、今日の授業でバイオレンスな先生だという事は身を持って知ったので、ここは通過する事にした。



(美術室)


「ここの先生、危ないから気をつけてね」

『え?』


ガラッとドアを開ければ、大きなキャンバスの前で筆を口で咥えながらうーんと頭を悩ませている人物がいた。銀色の髪にキラキラ輝く宝石が付いたバンダナ、見上げるほどの背丈と、緩く着崩された服。

朝、職員室前で声を掛けてくれた人だった。
美術の先生だったんだ。
らしいといえば、らしいかも。


「ん?どうした、校内探索か?」

「そうです。1階から順番にまわってるんですよ。リュウさん、この人が美術の宇髄先生です」

『朝はありがとうございました、宇髄先生』

「なんだかむず痒いな、その呼ばれ方」

『むず痒い?』

「いや、こっちの話。あ、お前。選択授業は美術とれよ。胡蝶もそうだから」

『じゃあ、そうします』


よしよし、と頷きながらニカッと宇髄先生は笑った。強面の顔も笑うと少し幼くなる。反動で揺れた髪飾りがシャララと鳴った。



(体育準備室)


「ここは体育教師兼風紀委員の顧問も務めている冨岡先生がいるところよ」

『風紀委員もやってるって事は厳しくて怖い人?』

「怖くはないけど、校則には凄く煩いから気をつけた方がいいかしら。指導が行き過ぎてPTAからは嫌われているけど」

「俺は嫌われてない」


突如背後から声がしてバッと振り返る。そこには青いジャージを着て竹刀を持った若い男の人が立っていた。表情は一切崩さず、ただ黙ってジッとこちらを見てくるのが伊黒先生や宇随先生もそうだったけど気になる。確かにこんな時期に転校生は珍しいから仕方ない。自分でも不思議に思う。


「あまりジロジロ見るとリュウさんが怖がりますよ」

「………」

『あの…、』

「風雪、スカートが短い」

「そういうところですよ、冨岡先生」


切長の目からは今先生がどんな感情なのかまったく見えず、無言の圧力がヒシヒシと痛い。怒鳴るタイプではなく、圧で押すタイプの先生みたいだ。あまり目をつけられないよう気をつけよう。






(生物準備室)


「あらあら〜リュウちゃん、いらっしゃい」

『失礼します』

「生物を教えてる胡蝶カナエです」

『胡蝶…?』


しのぶちゃんの方を見ると「実の姉です」と言われた。しのぶちゃんも綺麗だけど、お姉さんも凄い美人。二人が街中を歩いてたら十人中十人振り返るだろう。口元に手を当てて笑うたび、優しい花の匂いがする。…でも、桜じゃない。


「何か困った事があったらいつでも言ってね。恋の話から怖い話まで何でもいいのよ」

『怖い話ですか?』

「この学校はね、ちょっと悪戯好きな子が出るのよ〜」

『お化けって事ですかっ?』

「姉さんっ。その話は、」

「ごめんなさい、リュウちゃんはこういう話は苦手だったかしら?」

『グロくなければ大丈夫です』

「フフ、さすがお姉さんね」

『得意ではないですけど、弟は怖がりなので私が何とかしなきゃとは思います』

「仲良しな兄弟で私も嬉しいわ」


優しく微笑むカナエ先生につられて笑みが溢れる。空気が柔らかくて、フワフワと雲みたいに流れていく。だけど、隣に居たしのぶちゃんの顔が一瞬泣きそうに歪んだように見えて声をかけようとしたら、視線に気付いていつもの笑みに戻った。
見間違いだったのかな。


首を傾げる私の手をカナエ先生はふわりと握ると、そこへ飴を一つ包ませる。袋越しでも苺の甘い香りがした。


「大丈夫よ、間違っていた事なんて一つもないの」

『先生…?』

「リュウちゃんはとっても可愛いもの。この先だってもっともっと幸せで楽しい毎日が続くわ」


包まれた手が温かい。
春の日差しのような先生の眼差しと声。
なんだろう、泣きそうになったんだ。
全てを認めてくれて、大丈夫と味方でいてくれる言葉に。

氷が溶けていくようにジワジワと冷たくなった肺に温かな酸素が入っていく。こんな風に誰かを守れる優しい人になりたかった。大丈夫だよ、と包み込める人になりたかった。

今も昔も、これから先も。







(社会準備室)


三階の一番端の部屋の前にきた。
しのぶちゃんがドアをノックしようとして、その手をゆっくりと下ろす。どうしたのだろう、と後ろから見ていた私の方へ振り返ると人懐っこい笑みを浮かべた。


「ここの先生はとても良い人だから授業を見た方が良く分かると思う。明日一限目から授業があるから、それまでのお楽しみね」

『しのぶちゃんがそこまで言うのは凄いね。名前は何て言うの?』

「ーーー煉獄先生、」


名前を聞いた時、心臓がドクンと鳴いた。その事に自分自身でも驚き、思わず言葉に詰まる。何だろう。変な謹慎感がある。どこかで聞き覚えがある?でも小学校も中学校も「れんごく」という苗字の人はいなかった。テレビや病院の待合室とかで聞いた事があったのかな。


「リュウさん、大丈夫?」

『あ、うん、大丈夫!明日の授業が楽しみだなぁ』


笑ってみせたけど、手が少し震えてた。
声はうわずってなかったかな。



その後も体育館、剣道場と順番にまわって学校を一周した。前の学校と造りに大きな差はないけど、先生達が個性的だと思う。そこだけが大きな違いかな。


探索を終えて外へ出ると朝から降り続いていた雨は上がっていて、雲の隙間から見える夕日が赤く燃えていた。ふと視線を感じて校舎を振り返ったけど、そこには誰もいなくて。どこかの教室かな、と目を凝らしていると隣でしのぶちゃんの足が止まる。


「ここの学校はどう?」

『一日目だから全部分かった訳じゃないけど、楽しい場所だなって思ったよ』

「それなら良かったわ」

『ありがとう、しのぶちゃん』

「お礼を言うのは私の方。この学校に来てくれてありがとう、リュウさん」

『リュウ、でいいよ』

「私もしのぶ、でいいよ」


そう言ってあどけなく笑うから、嬉しくて一緒に笑った。心がジワジワと温かくなる。

今日から始まる新しい日々。
明日が来るのが待ち遠しいな。


胸いっぱいに空気を吸い込んだら、雨上がりの匂いがした。






はじまりの合図


静かに一つのピースが嵌まった

ピッタリなはずなのに、隙間が空いているようにズレて、落ちて


埋まっていけばいくほど、

空っぽになっていった


























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