祭りの神





高い高い青空
鳶の鳴き声が澄んだ空気に乗って山々へ響き渡る。春先のまだ冷気を仄かに含んだ風は手合わせで熱った体にとても気持ちの良いものだった。隊服についた砂埃を手で払っていると、地面に倒れていた伊之助がムクっと起き上がってバタバタと暴れ出す。


「だーっ!!なんで一本も取れねぇんだ!!」

『反応は速いけど一つ一つの動きに力が入り過ぎているから次の行動が読み易くなってる。動作が単調になっていると例え人は騙せたとしても鬼は騙せないよ』

「くっそー!!もう一回だ!!」

「師範ー!お客さんが来ましたよー!」


ひょこっと庭先に頭を出した鈴菜の横には、片手を上げてヒラヒラと手を振る宇髄さんと、会釈をしながらニコニコとしている炭治郎と善逸の姿があった。その手には風呂敷に包まれた箱を抱えている。朝早くから手合わせをしていたけど、気が付いたらお昼近くになろうとしていた。


『伊之助、休憩にしよう』

「まだ疲れてねぇ!!勝負しろ、リュウ!!」

『朝からぶっ通しだったから何かお腹に入れないと力が出ないよ』

「いらねぇ!まだやる!!」

「伊之助ぇ!リュウさんを困らせる事を言うなっつーの!!」

「離せ紋逸!!俺はまだ動ける!!」

「善逸だ!!!」

「リュウさん、宇髄さんからお饅頭を頂いたんです。奥さん達の手作りだそうです!!」

『ありがとう。みんなで食べようね』

「私、お茶入れてきますね!」


嬉しそうにパタパタと室内に走っていく鈴菜。そして炭治郎と善逸に押さえ付けられて引っ張られていく伊之助の様子を見ながら笑っている宇髄さんの元へ駆け寄った。着流しに藍色の羽織が銀色の髪によく似合っている。特徴的で派手な眼帯が陽光に当たってキラキラと反射した。


『いつもありがとうございます。雛鶴さん達お手製のお饅頭、本当に美味しくて大好きです。お店を出して欲しいくらいです』

「それは良かった。アイツらもド派手に喜ぶぜ」

『今度お礼に行かせて下さい』

「礼なんて堅苦しいのは抜きにしていつでも遊びに来いよ」

「リュウ!饅頭食っちまうぞー!!」

「こぉらああ!!何独り占めしようとしてんの!!はーなーれーろー!」

「離すんだ、伊之助!」

「お茶持ってきまし…って何してるのよ!これはみんなで食べるの!」


開け放たれた室内でのやり取りが庭先にまで聞こえてくる。ガタガタと家具が揺れる音や叫んだり笑ったり騒ぐ声に、木に止まっていた雀達が一斉に飛び立っていった。


「随分と賑やかになったモンだなぁ」

『そうですね、見てて飽きないですよ。それに飲み込みも早くて驚かされる毎日です』

「鈴菜は分かるが、あの伊之助まで素直に従ってんのはお前の鍛え方がイイんだろうよ。立派にやってんじゃねぇか」


宇髄さんの大きな手がぐしゃぐしゃと頭をかき混ぜてくる。やる側はあっても、やられる側は慣れてないから照れてしまうのを隠すように乱れた頭を整えた。

庭の桜の木に小さな蕾が膨らみ始めてる。もうすぐ花が咲きそうだ。満開になると縁側に座って花弁が舞うのを眺めて過ごした。先代の方が残してくれたこの大きな桜の木は一体どれくらい生きて、今までどんな景色を見てきたのだろう。見惚れるように見上げられながら言葉を紡ぐ人々の声を、どんな思いで見守ってきてくれていたのだろう。


杏さんのいない春が、くる。

隣で「うまいうまい」と食べる姿はもう見れない。

この景色の中に貴方もいて欲しかった。きっと誰よりもこの穏やかな日常を望んでいたと思う。宇髄さんも似たような事を考えていたのか、困ったような寂しそうな顔をして騒ぐみんなを見ていた。

失ったものが大きいな。
癒える事はない。
でも立ち止まっている時間はない。
少しでも早く安泰な日々が来るように、強くならなきゃいけないんだ。
大きな声の叱咤叱責が蘇る。
泣くのはまだあと。
全部が終わった先に、貴方に逢えたら。


宇髄さんの裾を引っ張り、みんなの元へ歩き出した時、夏のような季節外れの温かい風に体を包み込まれた気がした。









地獄の期末テストが終わり、各教科のテスト返却が始まった。歴史だけはクラスで一番を取れて、点数のところに「おめでとう!」と煉獄先生からのコメントが書いてあって気持ちが躍る。家に帰ったら額に飾ろうかと思った。数学だけは危なかったけど何とか全教科赤点は無く、補習は受けずに済みそうだった。返却の時の不死川先生、怖かったな…。二学期は挽回出来る様に頑張ろう。


明日から夏休み。
今までは嬉しかったけど今年は違う。何日かは九月にある文化祭の準備で学校に来るけど、煉獄先生と逢える可能性は限りなく低い。しのぶが「先生達も当番で出勤する日があるから大丈夫よ」と言っていたけど、ドンピシャで同じ日に登校する事は難しいと思う。逢えないで一ヶ月半も過ごすんだ…先生不足になりそう。今から夏休みが憂鬱で仕方なかった。


一学期最後のHRが終わり、解放されたかのようにみんな意気揚々と教室から出ていく。帰りにかまどベーカリーに寄って帰ろうと約束をしていたしのぶが、部活メンバーに挨拶してくると言っていたので帰ってくるまで教室で待っていようとしたら、宇髄先生に呼び出されて美術室へと連行された。

突然連れて来られた美術室は私と先生以外に誰も居なく、六月の爆破によって空いた壁の穴からカラッと乾いた夏風がカーテンを揺らしている。真ん中に置かれたキャンバスには描きかけの絵がまだ乾ききっていないのか、太陽の光に反射してまるで雨粒みたいに綺麗だった。その絵の前にある椅子にドカッと腰を下ろした先生は足を組むと「さて!」と手を叩く。


「単刀直入に言う。お前、煉獄のこと好きだろ」

『…え、え?』

「俺ほどになれば一発でわかんのよ」

『違います。宇髄先生の勘違いでは?』

「アイツにお見合いの話がわんさか来てんの知ってっか?」

『そうなんですか!?』


思わず我を忘れて食い気味に聞き返してしまい、それを狙っていたかのように宇髄先生は悪戯っぽく笑みを浮かべた。まんまと乗せられてしまったようだ。


「煉獄家はその界隈では有名だからなぁ。縁談が後を絶たないんだよ」

『知らなかったです…』

「で、お前はどーする?」

『どうすると言われても…、ただの生徒に出来る事はたかが知れてます』

「地味に自分を卑下する必要ねーよ。祭りの神の俺が人肌脱いでやる!」

『恋の神じゃなくて?』

「祭りの神だって言ってんだろ」


そんな得意げに言われても突っ込みどころしかないのですが…。祭りの神って何だ。御神輿でも引くのか。恋と何の関係があるのでしょうか。宇髄先生の事だから何かとんでもない事になりそうだなぁ。ポッカリと空いてしまっている壁が目に入って小さくため息をつく。


『そういう先生は好きな人いるんですか?』

「話し逸らしやがったな。まぁいい、恋人が三人いる」

『三人?!それは揉め事とかは大丈夫なんですか?』

「昔からだからな。アイツらにも言ってるし、別になんとも」

『凄い寛大な人達ですね…』

「お前こそモテて選びたい放題なのに何で煉獄なの?」

『モテてるのは宇髄先生の方だと思いますが』


…きっとどんなに否定しても話しを聞いてくれないと思い、もうこっちが折れる事にした。椅子にだらしなく座り、楽しげに笑っている先生は最初の印象より砕けて見えてとっつきにくかったのが嘘みたい。まさか恋バナするまでになるとは思ってもみなかったけど。


「顔?性格?」

『どっちもです』

「ふーん、じゃあ押し倒しちまえばいいのに」

『せ、生徒になんてアドバイスしてるんですかっ!』

「お前のそういう顔、新鮮だな」


カァっと赤くなってる所を見られたくなくて咄嗟に両手で顔を覆う。先生がまたクツクツと笑い出すから尚更恥ずかしくて仕方ない。しのぶだけには話していたけど、まさか宇髄先生に当てられるとは思ってなかった。宇髄先生は煉獄先生と仲が良いからちょっと心配だ…。そっとしておいてほしいと言っても無理な気がする。


『あの、煉獄先生には』

「言わねぇよ、安心しろ」

『さすが祭りの神!ありがとうございますっ』

「ド派手に弱味を握った事に変わりねぇけどな」

『前言撤回します。なんで宇髄先生にバレたの!』

「神だから」

『それはもういいですっ』


女子が見たら九割の子が落ちそうなキメ顔を向けられても困る。さすが教室を爆破するだけの事はある。やっぱり変な人だ。本人に言ったら締め上げられそうだから黙っておくけど。


「お前は変わらず煉獄なんだな」

『変わらず?』

「いや、こっちの話。まぁ、頑張れよ」


立ち上がって近付いてきたと思ったら、頭をポンポンと撫でられる。大きな手が想像以上に優しかったから驚いたけど、こういうギャップに三人の彼女は好きになったんだろう。乱暴でガサツだけど人をよく見てて優しい。生徒達に好かれるのも分かる気がした。


風に乗って画材と宇髄先生の強めな香水の匂いがする。随分高い位置にある顔が一瞬、眼帯で覆われているように見えて、思わず声をかけそうになったが踏みとどまった。首を傾げる先生に何でもないです、と言って視線を逸らした先にあった大きなキャンバスに目が釘付けになる。

そういえば、私がここへ転校してきた時からずっとあった。教室の一番後ろの隅っこに白い布が掛かったままの私の背と同じぐらいの大きさのキャンバス。布に埃が被ってない所を見ると定期的に外してるのかな。あの絵には何が描かれているんだろう。未完成なのか、それとも完成しているものなのか。


「気になんのか?」


さっきまでの飄々としたものじゃない、宇髄先生の静かな声にゆっくりと視線を向ける。どうしてそんなに真剣な顔をするのか分からなかったけれど、黙って頷けば困ったように小さく笑った。


「まだ完成してねーんだよ。あと二、三ヶ月はかかるかもなぁ」

『先生が描いてるんですね。あんなに大きな絵を描けるのは凄いです。その分、余力は使いそうですが…』

「なかなか納得出来る色が出せなくてよ」

『思い入れがある絵なんですね』

「…俺が一番好きな景色だからな」

『先生が…それは見てみたいです』

「完成したら一番に見せてやる」

『本当ですかっ?楽しみにしてます!』


あの宇髄先生が一番好きな景色は一体どんな場所なんだろう。日本なのか、はたまた海外なのか。派手好きではあるけど、先生の描く絵はどれも繊細で優しい色合いなものが多いのはこの教室内を見ていれば分かる。時には寂しさも伝わってくるものもあるから、普段とのギャップに一瞬戸惑うけれど、そこも人間らしくていいと思った。

弱さがあるから人は相手を想いやる事が出来る。傷ついた事がある人は相手の傷つけ方を知っているから。


宇髄先生に別れを告げて美術室を出れば、意中の人物が前から歩いてきたもんだから思わず身構えてしまう。逢えて嬉しいけど、宇髄先生と話したばかりだから何だか落ち着かなくてハラハラする。ここに来たという事は何か先生同士で話す大事な事があるのかな…宇髄先生、本当頼みますよー!


「む、こんな所でどうした?」

『ちょっと宇髄先生と課題について話がありまして、』

「そうだったのか。勉強熱心で関心関心!」


本当は恋バナしてました、なんて口が裂けても言えない。ましてや貴方の事です、なんて一生無理だろう。この想いは墓場まで持っていかないと…。先生にふさわしい人はもっと可憐で技量が良く、芯のある強くて優しい人だ。私とは真逆。

自分で言ってて悲しくなり、落ち込んでいると先生がズイッと顔を覗き込んできたから驚いて飛び上がりそうになった。


「宇髄の匂いがついているな」

『え!?宇髄先生、香水強いからだ…』

「君から他の匂いがするのはあまり面白くないのだが…」

『煉獄先生…?』

「すまない、忘れてくれ。宇髄に何か言われたのか?」

『え?いや、なにも!』

「浮かない表情をしているぞ。彼はたまに度を越す事があるからな。君から言いにくいなら俺から話そう!」

『本当に何も言われてないですっ。ただ、夏休みに入ったら煉獄先生に逢えなくなっちゃうから寂しいなぁと』


誤魔化すためにポロリと出てしまった本音に気付いたのは、目の前の先生が驚いて瞬きをパチパチさせていたからだった。ちょっと待ってほしい。とんでもない事を口走ってしまった。逢えなくなっちゃうから寂しいって言ったの?今?煉獄先生に逢えなくなるって、本人に言っちゃったの?

自覚した途端に体温が急上昇する。
何か言わないと!
黙っている方が変に思われる!

そう意を決したのに、先生の綺麗な琥珀色の瞳を見たら言葉なんて全部溶けてしまった。いつもそうだ。この目に見つめられると考えていた事が全て飛んでいってしまう。


「ありがとう」

『お礼を言われるような事はっ』

「俺も君に逢えないのは寂しく思う」

『あのっ、気を使わなくても!』

「本心だ!」


腕を組み、うんうんと頷く先生に今度こそ心臓が爆破するかと思った。落ち着かないと、先生は優しい。だから合わせてくれてるだけだ、自惚れてはいけない。息を吸って、吐いて、吸って、吐いて。心拍数を落ち着かせてもう一度チラリと先生を見上げると、やっぱり優しい笑みを浮かべていたから何も言えなくなった。風に乗って先生の香水が全身を包み込むように流れてきて頭が痺れてしまいそう。


「風雪は文化祭の準備で何日か登校するのだろうか?」

『八月に入ってからお盆以外は週に二日ほど登校する事になってます』

「そうか!俺も当番で何日か出勤する事になっている。その時にタイミング良く逢えたらいいな!」


惚ける私の頭を先生はポンポンと軽く撫でると「気をつけて帰るように」と言って横を通り過ぎ、美術室へ入っていってしまった。

じわじわと今起きた出来事を脳内処理が追い付くと、体の力が抜けて壁にもたれ掛かった。そして撫でてもらった頭に震える手で触りながら先生の言葉を噛み締めた。あんなに無邪気な顔で言われたら舞い上がってしまう。どうしよう、本当に、好きだなぁ。

もう嘘になんて出来ない。思い違いだ、忘れないとなんて思えない。だってこんなにも先生の言葉や仕草が好きで好きで仕方ないんだ。後戻りはもう、出来ない。





「リュウ、待たせてごめんね。パン屋さんに行こ…どうしたの?顔が赤いよ?」

『…もう本当にダメかもしれない』

「あらあら、ほどほどにしてもらうよう煉獄先生に言わなきゃね」

『どうして先生だって分かったの!?』

「リュウがそういう顔をする時は先生絡みしかないもの」

『穴があったら入りたい…』

「本当にそっくりね」














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