邂逅
夢を見た。
大きな桜の木の下で、沢山の料理に囲まれ、楽しげに話している温かい夢。
薄い雲が緩やかな風に吹かれて流れ、近くで小鳥が鳴いていた。花びらがまるで雪みたいに舞っている。酷く心地よい。ずっとこの場に居たいような感覚。
「む!どうした、食べないと大きくなれないぞ!」
「リュウさん、こちらも食べて下さい!」
「お前たち、無理に食べればいいってもんではないぞ」
「遠慮はいりませんよ、リュウ。まだまだ沢山ありますからね」
首から上はボヤけて見えない。
でも本能で自分の家族ではない、という事はわかる。だけど同じくらい大切な存在だという事も。
右から左へ笑い声が駆け回り、つられて胸が弾んだ。当たり前に過ぎていく日々の終わらない幸せを願っていたかったのに、それはいつも色を変えて降ってくるの。もう、わかってるはずでしょ。大切なものほど簡単に崩れるものだって。嫌ってほど知ってるでしょ。
リリリリリ....
スマホのアラームで現実へと意識が浮上する。
どうして季節外れのお花見の夢なんか見たんだろう。
もしかしたら昨日、職員室で桜の匂いがしたからかもしれない。今は六月だからそんな事はないはずなのに不思議だった。先生の誰かが香水を付けていただけかもしれないけど。
体を起こし、うーんと伸びをする。
今日も変わらず雨だけど、気持ちは晴れやかだった。
「みんな、おはよう!!天気は今日も生憎の雨だが、負けずに元気にやろうな!」
朝一番から初夏の太陽みたいに爽やかなこの先生は昨日しのぶが言っていた、煉獄先生。
室内でも話すたびに金色の髪がキラキラとしてて、赫々とした金環の大きな両目が離れた席からでも爛々と輝いているのが分かった。キュッと締められたネクタイに、緩く捲られたYシャツから伸びる筋肉質な腕、眠気も吹っ飛ぶほどの通る声。一挙一動が舞台を立ち回っているようで。
「先生は朝から何で元気でいられるんですか?!」
「うむ!それは勿体無いと思うからだ!」
「もったいない?」
「ああ、そうだ!今は戦争をしている訳ではない、命を脅かすような存在も居ない。そんな時代でやりたい事をやり、自由に生きなければ勿体無い!」
みんなの視線が先生へと集まる。
発する言葉一つ一つにエネルギーがあり、自然と耳が目が引き寄せられていく感覚。
「大袈裟に聞こえるかもしれないが、俺達は先祖が守ってくれた未来を生きている。戦い、守り抜いた今を眠いから等と持て余していては宝の持ち腐れだと俺は思う」
先生の声は噛み砕かなくてもストンと胸の一番真ん中に落ちてくる。他の人が同じ事を言ってもここまで惹かれる事はないと思った。わくわくするような、じんわりと浸透していくような、そんな声色。
教壇に両手をついて先生が太陽みたいに笑った。
「やりたい事をやり、好きな事を好きと言い、自由に生きろ、少年少女たち!」
眩しいほどの笑顔に一陣の風が体を駆け抜けたような気がした。ただ真っ直ぐに飾る事なく思いを言える人は少ない。みんな知らず知らず壁を作って守ってしまう。それは周りに否定される事を恐れるからだ。誰しも拒絶されるのは怖い。だけど、煉獄先生は一対一でちゃんと向き合って隠さず話してくれる。何を言っても受け止めてくれるような温かさと強さがあった。
「その為にはまず、ちゃんと美味しい物を沢山食べて体力をつけなければな!」
「やっぱり食に繋がるー!」
「先生は食べること大好きだもんね!」
生徒達の言葉にまたあははと楽しげに笑う姿につられて笑みが溢れた。
「ここの先生はとても良い人だから、授業を見た方がすぐわかると思う」
ああ、私もこの先生が好きだなぁ。
ずっと授業を受けていたい。
ずっと先生の声を聞いていたい。
そんな風に思ったのは初めてだった。
「ここまでで何か質問はあるか?無ければノートをとる時間にしよう!」
先生は教壇から降りるとドア付近に移動し、手元の教科書へ目を落とす。
時折、雑談を交えて話してくれるから、ノートを取るよりも話しに聞き入ってしまうくらい面白くて。元から歴史は好きだったけど、もっと好きになった。過去の全ての人々が繋いだ意思の上に私達は生きている。何百年、何千年も前から。
人は強さと弱さの紙一重だ。
だからこそ美しく、惹かれるのだろう。
幸せな今日があって、嫌いな明日が来ても向き合わなきゃいけない日がくるから。必ず強さよりも弱さが必要な時がくるから。縛られることなく、自由に。精一杯生きなきゃいけないんだ。
黒板に書かれているものを全て書き終えて、ふと先生の方へ顔を向けたら大きな赫色の瞳と真正面から音をたてて目が合った。ドクンと心臓が一回転したあと、鼓動がドクドクと全身を叩く。
逸らせない。
その強い目から。
周りの音が何一つ聞こえなくなって、キュッと喉の奥が締まる感覚。瞬きすら惜しいと思うほどに、その色に沈んでいく。
ずっと見ていたかったけど、静かにこちらを見抜いていた目は、やがて柔らかく瞬きをすると手元の教科書へ視線を落としてしまった。きっと目が合っていた時間はほんの数秒だったかもしれないけど、何分にも感じられて。
いまだに飛び出しそうなくらいに煩い鼓動。
赤くなる顔を隠すように私も下を向いた。
なんだろう、なんでこんなにドキドキしてるんだろう。ただ目が合っただけなのに…。名残惜しいと沸き上がる感情。でも、もう一度あの目を見てしまったらきっとパンクしてしまう。
ーーーまるで恋みたいだ、なんて。
授業中に何を考えているんだと頭を振って煩悩を振り払おうとした。今日初めて会ったばかりで、ましてや先生と生徒の関係なのに、浅はかな感情を抱いていい訳ない。
…前にも同じような事を思った気がする。
どこでだっけ?
懐かしいような、温かいような、寂しいような…
「沢山食べて体力をつけなければな!」
「食べないと大きくなれないぞ!」
夢の声と重なる。
話し方も声音も似ているな、と思う。
そんな事あるはずないのに。
そうだ、もっと幼かった。
幼い声だった。
優しく幸せなものが詰まった夢だった。
そう、ただの夢だったんだ。
お昼を知らせるチャイムが校内に響く。
今日は購買に限定のプリンが販売される日らしい。一週間のうち、水曜日だけのイベントらしく、毎回争奪戦だとか。しのぶや他の子達も行くと言っていたので、私も購買を見てみたかったから一緒に着いて行く事にした。
一階の購買へ向かう階段で、下から上がって来た女の子がタオルを落とした。拾って渡そうと顔を上げると、女の子は驚いたように目を丸く見開く。上履きの色からして一年生の子みたいだった。
『これ、』
「あ、ありがとうございます…っ」
『可愛いね。私もこのキャラクター好き』
「……っ」
次の瞬間、女の子の目からポロポロと涙が溢れ、床へと一粒、また一粒と吸い込まれていく。あまりに突然な出来事に驚きと、深い罪悪感が針のように胸へと突き刺さった。慌てて声をかけたが、「すいませんっ」と言ってタオルを受け取ると振り返らずに廊下を走って行ってしまう。
どんどん小さくなっていく後ろ姿が不安になり、追いかけたかったのに出来なかった。あの寂しそうな泣き顔が忘れられない。
視界がボヤける。
暗い暗い部屋の中に居た。
物はあっちこっちに散乱し、砂埃と鉄の匂いが充満していた。握った刀が鈍く光る。
「お兄ちゃんを…助けて下さり、ありがとうございました…っ」
恐怖で震える体を必死に押し殺して、私に頭を下げる姿が痛々しくて唇を噛み締めた。
助けた?
私はこの子の兄を目の前で斬ったのに。
ーーになった兄を、目の前で。
その首が、血が飛ぶのを見ただろう。
一緒に過ごしてきた家族を殺されて、怒り狂わないはずがない。
顔を上げた少女の目から涙が溢れる。
罵倒された方がマシだった。
殴られた方がマシだった。
いつも奪う事しか出来ないんだ、私は。
「…どうしたら、貴女みたいになれますか」
突拍子のない言葉に耳を疑う。
溢れる涙を拭いながらも、目は逸らさず真っ直ぐと私の言葉を待っていた。今、残酷な光景を目の当たりにしたばかりなのに先を見ようとしているのか。生きていく為に、受け止めて乗り越えようとしているのか。
『……名前は、』
「鈴菜、です」
『綺麗な名前だね。鈴菜、貴女はこっち側に来てはダメ。ここには私がーーを来させないから、その考えは捨てて』
「嫌です!私は貴女みたいになりたいんです!!守りたいんです!お願いします!」
こんな言葉が聞きたかったんじゃない。人殺しと怒ればいい、罵ればいい。ーーーになんて連れて行かない。行かせない。もう、これ以上傷ついてほしくない。泣いてほしくない。
朝に起きて、夜に眠って、新しい家族を作って、笑って過ごしてほしい。
刀なんて握るな。
ーーなんて斬るな。
怪我をして傷ついて、死んでくれるな。
高い耳鳴りに目眩がする。
ハッと周りを見渡したら廊下のど真ん中に立っていて、不思議そうに友達が私を見ていた。
何か、蜃気楼のようにユラユラとした幻覚を見ていた気がする。それが何だったのか、思い出せない。
「すいませんっ」
だけど、さっき会った子が忘れられない。
あの涙に弱い、と思った。
初めて会った子だったのに。
もう姿の見えなくなった廊下を見つめながら、拳をギュッと握り締める。爪が食い込む掌の痛みが現実だと物語っていた。
邂逅
見たくもないもので溢れた毎日
少しも愛せない未来のはなし
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