注意報








事件です。

今日は一年生のクラスで授業参観があり、携わる先生はピシッとスーツを着て正装をしているらしく、朝から女子達が騒いでいた。

美術や化学は汚れる可能性があるから普段通りだけど他の先生達…実弥さんや悲鳴嶼さんや義勇さんも座学だからスーツ姿らしい。そして杏さんもいつもは動きにくいからと言って脱いでいるジャケットを羽織っているのだとか。ただでさえ姿勢が良く端正な顔立ちなのに更に際立っているに違いない。一目見たい。遠くからでもいい。


…なのにこういう日に限って歴史の授業はなく、せめて合間を縫って見に行こうと思ったけど休み時間は体育の着替えや、化学の実験が長引いて悉く潰れてしまった。お昼も購買に行くフリをして職員室近くを通ったけど杏さんの姿を見る事は出来なくて。バタバタと忙しく、ご飯も食べれていないのではないかと心配になるほど、声も後ろ姿さえ一度も見かける事はなかった。


モダモダと考えているうちにあっという間に放課後になってしまう。いつもは最低でも一日一度は何かしらの形で杏さんに逢えていたのに、今日は全ての授業が終わった今に至るまで一度も逢えなくて寂しくなった。本人はそれどころじゃないほど忙しくしているというのに。

はぁと深い溜息をつき、購買に置いてある自販機のコーヒーのボタンを押した。ガタンっと無機質な音をたてて落ちてきたコーヒーを取り出し、制服のポケットにしまう。逢えなくても、せめてもの労いとして準備室に置いてこようと思って買ったものだった。布越しに温かな温度を感じながら窓に目を向ければ、夕日がほとんど沈みかけていて余計に寂しさが募る。

…スーツ姿、見たかったなぁ。

本日何度目か分からない溜息をついた時、背中越しに声をかけられて振り返った。


「溜息ばっかついてると幸せが逃げるぞ〜」

『宇髄先生っ!』

「煉獄を探してんだろ?」

『…どうして分かったんですか?』

「アイツの事になるとお前は分かりやすいからな。煉獄は今、保護者と面談してっからまだ手が空きそうにないぞ」

『そう、ですか…』


分かってはいたけど、やっぱり残念だと思ってしまう。杏さんは仕事を一生懸命全うしているのだから応援はしても、邪魔だけはしちゃいけないのに。逢えなくて落ち込むなんてやっぱり子供だ。自分の小ささにまた溜息をついてしまいそうだった。


「朝から引っ張りだこで大変だわな。まぁ、アイツがモテんのは学生の頃からだけど」

『いいなぁ。煉獄先生と同じ学生生活を送れて羨ましいです』

「写真見たいか?」

『えっ!あるんですかっ?!』


ん、と言って宇髄さんが差し出してくれたスマホの大きな画面に今より髪が短い杏さんが映っていた。口元に血が滲んでいて、それを腕で拭き取るような姿。短ランの中に赤Tシャツという時代を感じるヤンキースタイルに叫び出しそうになるのを手で押さえた。

ただでさえ整った顔立ちだけど、眼孔の鋭さがより際立っている。まるでドラマのワンシーンだ。ポスターになっていてもおかしくない。この目で見られたら腰が抜けてしまいそうだ。これはモテる。絶対に他校まで名前が知れ渡ってる。


『か…っ、格好よすぎませんか!?女子がバタバタ倒れる姿が想像出来ます…っ』

「こっちもあんぞ」

『ん!?!』


横にスライドしてくれて出てきた画像は真ん中で宇髄さんと義勇さんに腕を回し肩を組んで笑っている杏さんの写真だった。太陽を具現化したらきっとこの姿になるんだろう。画面越しでもとても眩しく、直視し続けたら視力が奪われてしまうと思った。


「欲しいならやろっか?」

『本当ですか!?欲しいです!お願いします!』

「そういや、お前の連絡先知らなかったわ。LINEでいいか?」


ピコンっと軽い電子音が鳴ってLINEリスト欄に宇髄さんの名前が表示される。そしてトーク画面に先程の写真が送られてきて、手を震えさせながら全て保存した。

何度見返しても破壊力が凄まじい。待ち受けにしたいなぁ。でも何かの拍子に見られてしまったら大変だ…。それにこの写真を見たら今よりもっともっとモテてしまう事は間違いなかった。格好よさを見てほしいけど、これ以上届かない遠い存在になってしまうのは寂しい。

…小さいな、私。


「良い男だろ?毎日声かけられて大変だったわぁ」

『眩しすぎて杏さんを直視出来ません…っ』

「ド派手にガン見してるけどな。なぁ、俺は?」

『髪短いのも似合うなぁ。初めて逢った時もここまで短くなかったから新鮮ですっ』

「おい、俺は?」

『こんなに格好良かったら声かけられまくりですね。剣道もやってるから腕の筋肉も本当凄くて…』

「………」

『いたっ!!』


突如バシッと頭を叩かれ、目の前で星が散る。叩かれた所を押さえながら抗議をすれば、宇髄さんが口を尖らせてジトっとした表情を浮かべていた。


「俺を無視するたぁイイ度胸だな」

『無視してないですよっ。ちゃんと聞いてました!宇髄先生も格好いいです!』

「煉獄より?」

『ぐっ…意地悪ですね』

「冗談だよ。お前はアイツの事になると周りが見えなくなるよな」

『そんな事はない…はずです』

「ちゃんと前見てねぇと危ない奴に引っかかっちまうから気をつけろよ」

『宇髄先生の事ですか?』

「せいかーい!」


冗談で言ったのに、言われた本人はズイッと顔を覗き込んできたから一歩後退る。そのまま間合いもすぐに詰め寄られ、ケータイを持っている方の手を掴まれたかと思ったらそのまま引っ張られた。勢いで胸元へ顔面からダイブする形となり、鼻をぶつけて痛い。相変わらず筋肉の塊だから一瞬本当に鼻が折れたかと思った。

嫌味の一つや二つ言ってやろうと顔を上げれば菖蒲色の瞳を細める宇髄さんがいて、よからぬ事を企んでいるな、と嫌な汗が流れる。


『突然何するんですかっ』

「校内でのケータイ使用は没収します〜」

『今更!?先生も使ってるのにーっ』

「俺は良いんです〜」

『職権濫用だと思いますーっ!というより手を離して下さいっ』


引っこ抜こうと押したり引いたり叩いたりしてみたけどまったくビクともしない。この人に腕力で勝つのは昔も今も無理な話だ。どんなに忌々しげに見上げても宇髄さんは楽しそうに笑っているだけだし、本当誰かどうにかしてほしい。昔もよく同じようなやり取りをして周りからは兄弟喧嘩のようだと言われたなぁと、現実逃避していた私の耳に慌しい足音と共に焦りを含んだ声が反響した。


「宇髄っ!!」

「お、やっと来たな」


パッと離された手を摩りながら振り向けば、そこには肩で息をしながら険しい表情をする杏さんの姿。予想外の想い人の登場に体がカッと熱くなり、また煩く鳴り響く鼓動。

本当にジャケット姿だ!
しかも中にベストまで着てるなんて聞いてない!

視界いっぱいに広がる眩しすぎる光に目が眩む。学生服とスーツ姿のダブルパンチに脳内処理が追いつかない。ぐわっと飛び出しそうになる心臓を手で押さえて、思わず後退ってしまうほど効果バツグンだ。叫び出さなかった自分を褒めたい。


「ちょうど良かった、煉獄。風雪がお前の事を探してたぜ」

『えっ!?ちょっ!』

「どうした?何か困った事や授業で分からない事でもあっただろうか」

『な…なんでもなかったです!忙しい時に声をかけてしまってすみませんっ』


話したかった事なんて全部消し飛んでしまっていた。この至近距離で見て良い存在ではない。逃げるように走り出した私の手を今度は杏さんに掴まれる。寿命が削られてもう駄目だと思った。


「廊下を走ると冨岡に怒られてしまうぞ」

『は、はい…』


熱い。火傷する。近い。良い匂いがする。艶やかな色香にあてられて眩暈がする。本当に格好いい。高級スーツブランドのモデルのようだ。街を歩いたら十秒と経たずにスカウトされる事は目に見えている。誰が見ても声をかけたくなるスタイルだ。タダで見ていいものじゃないと思う。


「大丈夫か?先程から落ち着きがないようだが…」

『…いいです、』

「ん、どうした?」

『か、格好いいです!スーツ姿、似合ってます!』


…言った!言ってしまった!

自然な感じに聞こえたかな。
声は少し震えちゃったけど、バレてないかな。

恐る恐る顔色を窺えば、杏さんは掴んでいた手を離すと、そのまま自分の口元を覆った。その顔が赤くなっているように見えるのは夕日のせいか、それとも……。


「すまないっ、突然すぎて驚いてしまった!」

『変な事を言ってすみませんっ!忘れて下さい!!』

「忘れない!噛み締めて大事にする!出来ればもう一度言ってくれないだろうか!!」

『え!?それは無理です!ごめんなさい!』

「何故だ!?どうしてもか!」

『どうしてもです!』


まるで小さな子が拗ねた時みたいな表情をする杏さんに今度はこっちが赤くなる番だ。格好いいと思ったら急に可愛くもなるし、本当とんでもない人だと思う。その振り幅に風邪をひいてしまいそうだと思った。


「ならば君がもう一度言ってくれるまでこの格好でいよう!」

『それは心臓に悪いので控えて下さいっ!あと、お顔が近い気がするのですがっ』

「気のせいだろう!それよりも君がこういった格好を好むとは知らなかったな!」

『スーツ姿もですが、いつもの格好も好きですよ!袴姿も似合っていますし、先生が着るものは何でも好きです!』

「ん!?そ、そうなのか!好きか!それは良かった!?ありがとう!俺も君が着るものは何でも好きだ!欲を言えば浴衣姿をもう一度見たい!」

『すっ?!あ、ありがとうございますっ!いくらでも着ます!?』

「本当か!!楽しみにしている!」


噛み合っているのか、いないのか不明だけど取り敢えずバレないよう繕わなければ。これだけ心拍数が上がったり下がったりしたら心臓が壊れる。無心でいたいのに、もっと大人っぽく振る舞いたいのに杏さんの前では情緒不安定になった。宇髄さんは後ろでお腹を抱えながら笑ってるし、どこを見て何を話したらいいのか分からなくて目が回りそうだ。

何か打開するものはないかと制服のポケットに触れた時、先程自販機で買ったコーヒーに手がぶつかった。


『あの!先生、もし良かったら飲んで下さいっ。少し冷めてしまっているかもしれないのですが…』

「ありがとう!ちょうどこれから休憩しようと思っていたので助かる!気をつかわせてしまってしまってすまない」

『そんな事ないです。…でもあまり無理はしないで下さいね。先生は缶詰めるタイプなので心配です』

「…君は優しいな。今日は遅くならないうちにちゃんと帰る事にしよう」

『約束です』

「ああ、約束だ」


いつもより疲れている目元が柔らかく瞬きをして、ふわりと口元が弧を描く。杏さんが笑ってくれるなら、元気になれるなら何でもしたいと思う。小さな事しか出来ないかもしれないけれど、私に出来る事ならどんな事も。杏さんが私に対していつもそうであるように。


『先生、また明日ですっ』

「うむ!!気をつけて帰るように!」


杏さんと奥にいる宇髄さんに手を振って廊下を駆け出した。階段を降りながら先程宇髄さんから貰った写真を見返して喜びを噛み締める。また一つ杏さんの事を知れた。今日のスーツ姿もちゃんと目に焼き付けた。


次にあの正装を見れるのは卒業式かもしれない。見たいけど、卒業してしまったらもう逢えなくなってしまうから嫌だなぁ。

…式の後に想いを告げたら困らせてしまうだろうか。でも何も言わないままで「さよなら」をしたらそれこそ後悔すると思う。

叶わなくていい。
気持ちを知ってもらいたい。


卒業式、杏さんに告白しよう。


いざ、ちゃんと形にしてみるとぎゅうっと寿命が縮まりそうになった。だけど、自分の想いから目を逸らしては駄目だ。宇髄さんにも宣言したんだから、今世では向き合うんだ。


肺いっぱいに空気を吸い込んで背伸びをし、スマホをポケットに仕舞えば、一つの足音が近付いてくるのが聞こえた。止まって誰だろう、と耳をすましていると、階段を上がってきたのは炭治郎だった。私に気付くとトタトタと無邪気な笑顔を浮かべながら駆け寄ってくる。


「こんにちは、リュウ先輩!これから帰りですか?」

『うん、そろそろ帰ろうかなって思ったけど炭治郎はもう少し残るの?』

「伊之助が数学の補習になってしまったので迎えに行ってから帰ります!」

『不死川先生の…それは大変だったね』

「何故か善逸まで捕まっていて断末魔が凄かったですね…」


困ったように笑いながら頬をかく炭治郎を見て、自分も数学が苦手だから他人事ではないな、と冷や汗が流れた。実弥さんの補習、怖いんだろうなぁ。あの大きい三角定規とか振り回してそう。次のテストは本当に頑張らないと駄目だと決心し直していると、炭治郎の視線がこちらに向けられる。そしてふわりと嬉しそうに顔を緩ませた。


「リュウさんから煉獄さんの匂いがします。一緒だったんですね」

『本当?さっき話したからかな』

「それに嬉しそうな匂いも」

『嬉しそう?』

「温かくて幸せな匂いです。昔からそうでした。リュウさんは煉獄さんの事を本当に好ーーー」

『ストップ!』

「ふがっ!」


ごめん、と思いながらも咄嗟に炭治郎の鼻を摘む。鼻が利くのは今世でも健在で見抜かれていた事に驚きと恥ずかしさが湧き上がった。

前はもっと抑えられていたと思うんだけどな…。浮かれてしまっているのだろうか。だとしたら気をつけないと。そういう時が一番危ない事を知ってる。もっとしっかりしないとだ。


『この事は杏さんには内緒にしてほしい。知られたら駄目なの』

「え…、どうしてですか?だって煉獄さんーーー」

「後輩虐めは良くないな」

『「義勇さん!!」』

「先生、だ」


竹刀を片手にいつの間にか音もなく現れた義勇さんに二人して大きな声を出してしまった。名前を呼ばれた本人はそんな事などまったく気にも止めておらず、いつもの涼しげな顔をしたまま立っている。


「下校時間は過ぎている。早く帰れ」

「善逸達を回収したら帰ります!」

「…ああ、不死川のか。教室内で取っ組み合いをしていたな」

「え!?」

『大丈夫だったんですかっ?』

「不死川は野獣みたいな男だが、話は分かる奴だから大丈夫だろう」

『余計に不安だ…。早く見に行った方が良いかもしれない』

「そうします!」

『私も行くよ?』

「いえ!ここは俺に任せて下さいっ!」


バビッと敬礼をして元気良く手を振りながら走っていく炭治郎に、隣で「走るな!」と叫ぶ義勇さんを押さえながら小さくなっていく背中を見送った。


何故補習で取っ組み合いになっているのか心配ではあるけど炭治郎がいるなら大丈夫だろう。…大丈夫か?鬼殺隊にいた時、実弥さんと派手にやり合っていたような…。確か接触禁止まで出されていた気がする。

火に油を注いでしまったのではないかと不安になり、やっぱり追い掛けようとした私の肩に義勇さんの手が置かれる。


「心配はいらん。不死川だって教師だ。その辺の区別はつく」

『そうだといいのですが…ブチ切れると止まらない事があるので』

「他人より自分の事を心配しろ。遅い時間に一人歩きはするな、早く帰れ」

『大丈夫ですよ。変な人が出たら投げ飛ばしますから!』


ムンッとガッツポーズをすれば義勇さんは小さく溜息をついた。そして僅かに眉を下げて困ったように笑う。いつものキリッと張り詰めた空気が溶けて、穏やかな水面が広がるみたいだった。

元から穏やかで天然な人だったけど、その不器用さ故に他の柱たちと反りが合わない事が多々あった。勿体無いなぁと思う反面、本人が馴れ合いを好まなかったから無理に引き合わせようとはしなかったけれど、今はあの頃より上手くいってるみたいで安心する。

年上だけど、どこか弟属性を感じる時がある不思議な人だった。


『義勇さん、丸くなりましたね』

「昔と比べたら筋力は劣るが、太ってはいない」

『そういう意味じゃなくて。相変わらず天然ですね』

「天然ではない。お前の目は節穴か」

『急に辛辣っ』


懐かしいやり取りに思わず笑みが溢れてしまった。怪我してるのに藤の家の人達が慌てて止めるのも振り切って逃げようとしたり、普段は凛としているのに犬が近くにいると顰めっ面をしたり、好きな食べ物が出てくると少し幼い顔をして笑うところとか、楽しかった日々が次から次へと降ってきてじんわりと胸が温かくなる。


こうやって大切な日々がまた一つ更新されていく。変わらず一緒に生きていける奇跡と尊さを忘れてはいけない。沢山の命の上にある想いを意思を蔑ろにしてはいけない。

それが今を生きるという事だから。






「良かったな、また煉獄と逢えて」

『はいっ!…え?』

「なんだ」

『まさか知ってる…?』

「何の事だ」

『いや、えっと…何でもなかったです』

「お前が煉獄を好きということか」

『わー!!待って下さい!どうしてそれを!?』

「もう遅いから早く帰れ」

『義勇さんーっ!!』

「先生、だ」











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