焼尽









「あっ!リュウ先輩だ!ラッキー!!」

「遅めに来て良かったな!!」


昼下がりの食堂、近くの席に座っている男子生徒の声に思わず持っていた箸が止まる。おそらくこの場に居るみんなが見ている方へ目を向けると、リュウが食堂のカウンターに向かうのが見えた。きっと宇髄の恋人達に記憶が戻った事を報告しに来たのだろう。予想は当たっていたようで、厨房から出てきた須磨さんがリュウに抱き着いていた。


『わっ!須磨さんっ!』

「リュウちゃんー!!良かったよぉぉぉ!!」

「こら須磨!!リュウがビックリするだろ!離れな!!」

「いーやーでーすー!まきをさんがイジメるー!!」

「二人ともリュウちゃんが困っちゃうから落ち着きなさいっ」

『大丈夫ですよ、雛鶴さん。変わらず優しくて明るい皆さんが私は好きです。また逢う事が出来て本当に嬉しいです!』

「わーん!私も大好きぃぃ!!」


まるで舞台上のようなやり取りだが、楽しそうに身振り手振りで話をしている姿が微笑ましい。よく温泉に行ったり、料理をご馳走になったりしていたな。胡蝶や甘露寺ともそうだが女性同士で出掛けたり、談笑する事が心の拠り所になっていたに違いない。食べてきたもの、行ってきた場所を嬉しそうに話してくれるのを聞く事が好きだった。


「あの周り、絶対良い匂いする…」

「美人は美人を呼ぶんだよ」

「天国だな、あの場所」

「写真撮りたいけど遠すぎてボヤけるっ」


…あまり目立ちすぎるのも考えものだが。出来ればリュウを映そうとする者の目を全て塞ぎにいきたい。そんな権利はないというのに。取り敢えず写真を撮ろうとしたあの少年は後で生活指導室へ呼び出しだな。


「煉獄、見すぎ」

「む、すまない」

「お前、そういやアイツに言ったの?」

「なにをだ?」

「なにを?ってお前なぁ。昔はもっとガツガツしてなかったか?」

「そう見えていたのか?周りに見透かされていたとは鍛錬が足りんな!」

「そういう事じゃねぇよっ!」

「宇髄、黙って食べろ。行儀が悪い」

「冨岡からも何か言ってやれって!」

「黙って食べろ」


身を乗り出して抗議していた宇髄だったが、冨岡の声に渋々と席へ座り直す。

宇髄の言いたい事は分かっている。気にかけてくれている事にも感謝している。だが心のままに動けないのは車内での出来事が引っかかっているからだ。リュウの想い人。あの子の事を全て知っているわけではないが、一途だと言う事は分かる。純粋な想いを抱えている子に俺の醜い感情は不釣り合いだった。正反対の色が眩しくて遠い。


「…彼女は以前、想い人がいると言っていた」

「そりゃそうだろうな、ド派手なのがいる」

「相手を知っているのか?!」

「あんな全身で好きです!ってオーラ出してんのに気付かないもんかねぇ」

「俺の知っている人物か!?」

「お前なぁ…。奥手になってっと持ってかれちまうぞ?俺とかに」

「……む、」

「…いや、悪かった。よくない冗談だったな」


バツが悪そうに髪をかきあげる宇髄に「平気だ」と言って笑った。

宇髄とリュウは昔から仲が良かった。リュウは宇髄の前でよく笑ったり、怒ったり、時には揶揄ったりと素の表情を覗かせる。兄弟のようだとは思っていたが、たまにそんな関係が羨ましく思う事もあった。

以前、『さよなら、天元さん!』と無邪気な笑みを浮かべて廊下を足早にかけていく姿を目撃した。彼女が宇髄を下の名前で呼んでいるのを初めて聞き、ざわりと醜い嫉妬が肌を撫でた。俺がこの世を去ったあとの二人を知らない。彼女の支えに宇髄がなってくれていたのなら嬉しい。嬉しいのだが、手放しに喜べない己の未熟さにため息を吐いた。

宇髄は器用で優しく面倒見が良く、強くて信頼に当たる男だ。そんな彼に嫉妬をしてしまう事が情けない。感謝する事は沢山あっても、妬いてしまう事はあってはならない。

須磨さん達と話し終えたリュウはこちらに気付くと、小さく笑って一礼をしてそのまま階段を降りて行ってしまった。先程まで花が咲くように賑やかだった空間がまた日常へと戻る。名残惜しさに任せて触れたら繊細な彼女は脆く壊れてしまうだろう。

残りのおかずを口に入れても味が分からなかった。いつから俺はこんなにも余裕がなくなっていったのだろうか。



どうにもこういう事には疎いので、周りの意見を聞いてみようと化学準備室へ訪れた。


「伊黒!少しいいだろうか!」

「どうした、煉獄。何かあったのか」

「君は甘露寺とはっ!」

「待ってくれ、その手の話ならもう少し声を抑えてほしい」

「すまないっ!」


伊黒は慌てて手で制し、室内のドアとカーテンを閉めた。そして俺に席へ座るように言うと、コーヒーの入ったコップを目の前に置いてくれる。お礼を言って一口、口に含めばホッと気持ちが和らいでいく気がした。

薬品に混じったコーヒーの香ばしい香り、少し薄暗い部屋の照明も心地良い。机上を這ってきた鏑丸の喉元を撫でれば、気持ち良さそうに赤い舌を覗かせ、目を細めていた。


「…さて、聞かなくても分かる。風雪の事だろう」

「君には何でもお見通しだな。恥ずかしながらこの手の事は不得意なので経験者である伊黒に話が聞きたいと思った」

「なるほどな…。言える事はただ一つ、待っていては何も始まらないという事だ」

「うむ…、」

「俺もそうだったから分かる。あの頃は誰もがそうだっただろう。想いを伝える事が相手に重みとなってしまうのではないかと」

「そうだな。ほんの小さな気の緩みが命取りになる事は嫌ってほど知っている」

「だが、今はそんな時代ではないだろう」


コップが机に置かれる無機質な音が静かな空間に反響した。真っ直ぐこちらを見据える左右で異なる瞳が静かに瞬きをする。降ってくる言葉は全て図星な事ばかり。思い当たる節しかないから情けなさに肩をすくめるしかなかった。


「俺は甘露寺に想いを告げた事に後悔は少しもしていない」

「伊黒、」

「こうして付き合えているからではない。例え振られていたとしてもだ。彼女を幸せにしたい、ただそれだけを考えていた。鬼の居ない世界で幸せならそれでいいと。お前もそうだろう」


…そうだ。
俺はリュウに幸せでいてほしい。
大切なものを奪われたり、己を傷つけられたりしないこの世界でただ笑っていてほしかった。笑わせたかった。自分の手で幸せにすると誓った昔の自分が今の俺を見たら怒るだろう。こんな平和な世に生まれておいて何をやっているのだと。


「お前は考えるより行動派だろう。ぶつかってこい。その後は何があっても話を聞いてやる」

「そう言ってもらえると心強いな。ありがとう、伊黒」

「今更遠慮をする仲でもないだろう」

「そうだな…。ところで甘露寺とは最近どうなんだ!?」

「ただ、声は抑えてくれ」


普段、冷静沈着な彼も甘露寺の名前が出ると表情を変える。目は泳ぎ、言葉をこれでもない、あれでもないと選んで話す姿が微笑ましかった。


「…伊黒は甘露寺が他の異性と居る所を見ると妬いたりする事はあるのだろうか」

「ある。彼女に近付くものは全て薙ぎ払いたくなるな」


間髪入れずに答えが返ってきて驚きはしたが、彼の一途さは知っているので納得がいく。妬くのは好きならば当然なのだろうか。伊黒達は付き合っているので分かる。しかし俺は一方的だ。無理強いをするのは良くない。分かってはいるのだが、抑えきれない黒い炎が胸の内でいつも燻っていた。

この灯火が消える事はあるのだろうか。
日に日に増しているような気もする。
いつまでも燃え続けて消えてくれない。

俺のものにならないなら誰のものにもなってくれるな、と…ーー


「難しい顔をするな。大事になればなるほど心配するのは当たり前の事だ」

「そう、なのだろうか」

「相手が嫌がるなら考えものだが、煉獄の事で風雪が困る事は何一つないように思うぞ」


大きく猫のような瞳が柔らかく細まる。情けない事を話しているのに真剣に答えてくれる姿勢が嬉しかった。

一度冷静になろう。
大切にしたいなら落ち着くんだ。
今まで抱いた事がなかった感情だから抑えが効かないのだろう。そんな感情を持っていれば悪い方向にしかいかないのは当たり前だ。

せめて卒業式まで持ち堪えてくれ。
それまでは教師と生徒だ。
手を出すな、触れたくても我慢しろ。


暗示をかけるように何度も何度も自分自身に心の中で呟いた。



その日の放課後

翌日の授業の準備を終えて校舎内の戸締りをしていると、教室にリュウが一人で残っているのが目に入った。俺の足音に気付き、会釈しながら微笑む姿に引き寄せられるようにして教室内へ足を踏み入れる。

何度逢っても足りない。

見かける度に話したくて、顔が見たくて仕方なくなってしまう。一人の生徒に執着している事がバレるのは良くないので、なるべく自然を装って近付いているが気付かれてしまうのは時間の問題かもしれん。


「こんな時間にどうした?」

『テストが近いのでしのぶに教えてもらっていたんです』

「テスト勉強をしていたのか!遅くまでしっかりやっていて偉いな!」

『不死川先生と数学で良い点を取らないと補習にするって約束をしてしまったので必死ですっ』

「そう、なのか…」


リュウの口から他の異性の名前が出る度にギシリと理性が軋む。心に決めたばかりだというのに何故冷静になれない。リュウの方が俺よりずっと大人だ。情けない事にその瞳に映るもの全てに嫉妬してしまう。名前を呼んでもらえるものに羨ましいと思ってしまう。

年上であり、教師という立場で生徒を導いていかなければいけないというのに、腕を掴んで引き止めてしまいたくなった。自由でいてほしい。もう鬼の呪縛はない。俺が足を引っ張ってどうする。

頭では理解できるが理性はそう簡単に頷いてはくれず、伸ばした手がリュウの髪に触れた。そして一束掬い、そこへ口付けをしそうになったのを無け無しの理性で踏み止まる。髪から手を離し、グッと拳を握り締めると至近距離で目を白黒させているリュウにいつもと変わらない表情を向けた。


「葉っぱがついていたぞ!」

『は、葉っぱ…?いつ付いたんだろう?!ありがとうございますっ』


耳まで赤くさせて身振り手振りで慌て出す姿にミシミシと腕を組んでいる手に力が入る。

頼むから俺の前で無防備にならないでくれ。
頼むから易々と俺をこの距離に近付けさせないでくれ。

でなければ俺はお前を逃してやれなくなる。


二人分の鞄を持って慌ただしく教室を出て行く後ろ姿を見送ると、窓枠に腰を掛けて大きく深呼吸をした。行き場の無い感情が廊下を走っていく足音に混ざって溶ける。

揺れ動くのは鍛錬が足りないからだ。最近は忙しさにかまけて剣道場にも顔を出せていなかった。心と身を引き締める為に今日家に帰ったら素振り千回だな。


よし、と膝を叩いて立ち上がったのと同時に胡蝶が教室を覗き込んできた。そして俺を見つけると首を傾げて不思議そうな表情を浮かべる。


「煉獄先生、リュウを見ませんでしたか?」

「今しがた君の所へ行くと言って慌てて教室を飛び出して行ったぞ」

「あら、行き違いになってしまいましたね」

「そんなに時間は経っていないのですぐ追い付けるだろう」

「はい、そうします。その前に一つ、リュウが慌てて出て行ったのは何故でしょう?」


その問い掛けに一瞬息が詰まったのを胡蝶は見逃さず、好奇心旺盛な目で様子を伺ってくる。隠し事や嘘は彼女の前では何の意味を持たない事は重々理解しているので、先程の出来事を告げると肩をすくめて笑っていた。


「それは大変な事をしましたね、先生」

「ぐうの音も出んな…困らせてしまった」

「困っているように見えましたか?」

「…驚いていたな」

「リュウが先生の言葉に困る事はないですよ」

「いや…。俺の気持ちが彼女を傷付けてしまう可能性だってゼロではないんだ」

「そう思うのは先生がリュウの事を大事に思っている証拠です」


大事にしたい、という気持ちはあの頃から一ミリも変わっていない。だが、厄介なのはそれを上回っている腹の底で燻り続けている感情の方だ。醜く、情けないものがここまで堪えるのかと頭を抱えたくなる。


「リュウが弱音を吐いたのは過去に一度だけ。泣いているところは見た事がありません」

「俺も見たのは記憶を取り戻したあの時が初めてだ」

「煉獄先生の前だとリュウは自分らしくいられる。だからどうか守ってあげて下さい。貴方の傍にいるリュウが私は大好きなんです」


凛とした強さの中に花のような柔らかさのある声で紡がれた言葉が真っ直ぐに刺さる。守りたいのに傷付けてしまう俺はこの言葉を向けてもらえる価値があるのだろうか。


夏よりも沈むのが早くなった日没が深く青い影の中に溶けていく。今の心情と似ていると思った。







****


昼時でごった返す購買で壁に背を預けてスマホを弄っているリュウを見つけた。胡蝶達と一緒ではなく一人で画面を見ながら嬉しそうに顔を綻ばせているのを見て可愛いな、と思うのと同時にジリジリと心臓が締め上げられていく。

誰と連絡をとっているのだろう。
何を見てそんな嬉しそうな表情をするのだろう。
相手は知っているのだろうか。
こんなに無邪気な想いを向けられているという事を。

それがどれだけ幸福な事なのかを。


「何やら嬉しそうな顔をしているな!」

『せ…、先生っ!』


近付いて声を掛ければビクッと肩を上げて驚いて後ろ手にスマホを隠した事にチクリと胸が痛む。やはり知られたくない事なのだろうか。いつもは真っ直ぐ見つめてくれる瞳が焦ったように泳いでいる。


「没収しないから安心しなさい。楽しげな様子だったので気になってな」

『ありがとうございます…、でも決してやましいものではなくて!あの、ちょっと画像を貰って…』


思い浮かんだのは以前、一年生のクラスで授業参観があった日。廊下で宇髄とリュウがスマホを見ながら親密に話していた姿。後日、宇髄に聞いても「秘密!」の一点張りで教えてもらえなかった。二人で何を隠しているのだろう。俺には話せない事なのか。息苦しい。身が焼けそうに熱く、痛む。


「…それは、宇髄に貰ったのか?」

『どうして分かったんですか!?』


咄嗟に出た名前にリュウが過剰に反応する姿を見て頭の中で何かが切れる音がした。ドス黒い炎が燃え盛る。全てを焼き払って一面を焼け野原にしようとして。

こんなに欲深い俺の傍に居て、何故お前はずっと無垢なままでいられるのだろう。

何故変わらず笑いかけてくれるのだろう。




…それも今日までだ。


「放課後、手伝ってほしい事があるのだが少し時間をもらえないだろうか」

『はい!帰りのHRが終わったらすぐ行きますね』


いつもと変わらない明るく無邪気な返事が今は残酷で重苦しい。この清らかさも俺の手で失われてしまうのだろう。綺麗な新雪に足を踏み入れて跡を残す。静かに、深く、色濃く、見失わないようにその体に刻み込んでしまいたい。二度と消えないように。もう何処にも行けないように。

まさか俺がリュウと宇髄の関係にここまで気持ちが揺らいでいるのを知らないだろう。他の異性と楽しげに話す姿を見て拳を握り締めるような情けない男である事をお前は知らないだろう。知られたくないのに自分で墓穴を掘り続け、降り止まない感情がずっと耳奥で鳴っていた。



放課後になると宣言通りにリュウはすぐ社会科準備室に訪れた。屈託のない笑みを浮かべて。そんな姿を前にして罪悪感がないと言ったら嘘になる。

だが、もう止められそうになかった。


パタパタと机にあった資料集を手際良く棚に片付けていく後ろ姿に声をかけた。


「リュウ、」


決して学校では呼ばないよう気をつけていた下の名前を口にする。案の定、驚いた表情の彼女が振り返った。


「冨岡から最近、お前の様子がおかしいと聞いた。竈門少年の鼻を摘んでいたとな」

『それはっ…た、戯れです』

「宇髄ともか?」

『え…、』

「身に覚えがないという顔だな」

『そう、です…』

「頻繁に美術室に行っているようだが」

『それは宇髄先生に呼ばれるので…、』

「呼ばれたら誰の元へでも行くのか?」

『煉獄せんせ、い…?』





嫌なら振り払えと言っても、リュウは優しいから黙って掴まれたままでいるのだろう。

誰かへ助けを求めて伸ばす手も、
逃げようと駆け出す足も、
俺以外の名前を呼ぶ声も、

理性を煽る炎が焼き尽くして灰になるまで消えてくれない。

跡形もなくなった灰を抱き締めて「愛してる」と言っても、もう届かないというのに。








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