視線の先
断腸の思いだがゆいとは卒業までの間、過度な接触はしないと二人の約束にした。これがなかなかに辛い。視界に入るたびに構いたくなってしまって仕方ない。正直キツいがちゃんとケジメをつけて大切に付き合っていきたいので何としてでも守ろうと思う。
百年待ったんだ。あと約半年くらい待てるだろう。そうやって己に喝を入れ、負けそうになる心を何度も叩き続けた。
昼食を食べ終わり、食後のコーヒーを入れていた時、開け放たれた職員室の窓から楽しそうな笑い声が聞こえてきて顔を向ける。そこにはゆいと鈴菜、竈門少年達が一緒にベンチに座って昼食をとっている姿があった。
鈴菜は分かるが、竈門少年達とも仲が良い事に少し驚いた。分け隔てなく交流出来る事は微笑ましいが、我妻少年の距離が近いのが少し気になるな!
今も昔もゆいの周りには人がよく集まる。それは彼女の人柄が温かいからだ。相手の嫌がる事はしない、言わない。静かに耳を傾けて話を聞いてくれる。真剣に相手の目をジッと見つめながら。時には悪戯っ子のような笑みを浮かべながら。
その優しさに浸っていつも俺ばかりが話してしまっていた。本当はゆいの話を沢山聞きたいのだが、気がつけば形勢逆転している。そういう所も彼女の魅力なのだと思う。
「煉獄、見過ぎだぞー」
「っ、すまない!無意識だ!」
「気持ちは分かるけどよ。見てるだけじゃなくて手でも振ってやりゃあいいのに」
「露骨にやるわけには、」
「教師として生徒に手を振るならいいだろ」
「教師として…俺がやっても変ではないか?」
「今更何言ってんだよ、チューまでしておいて」
「何故それを知っている!?」
「あ、やっぱしてたのか」
「宇髄、謀ったな…!」
「怒るなって!余裕ないお前が珍しくてな!」
「余裕などあの子の前で持っていたことはない!」
「おい、場所を考えろォ。そういうのは飲みの席で話せェ」
ハッと我に返れば不死川を含め、他の学年の教師達も不思議そうにこちらを見ていてサーッと血の気が引いていく。
いかん、自分からバラしてどうする。
わざとらしく咳をして、何事もなかったかのように自席に戻れば宇髄が腹を抱えて笑っていた。そしてひとしきり笑った後、スーッと近付いてきて耳元で誘惑を溢す。
「卒業してからも制服プレイは出来るから安心しろって!」
「頼む…、これ以上煽らないでくれ」
「ヤバい時ってどうしてんだ?」
「…戦国武将の名を考えている」
「ははは!お前らしいな!それで耐えられているならたいしたモンだ!」
あれは耐えられているというのだろうか…。文字通り首の皮一枚で繋がっている理性だ。少しでも近付いたら簡単に切れる。卒業してほしくないが、してほしい気持ちもある。何とも矛盾した考えだ。その考えは教師としてどうなのかと思う。
「悲鳴嶼先生に煩悩を払ってもらう!!」
「え、あ、おいっ!」
悲鳴嶼さんとお経を唱えながら拝む姿に、あとで宇髄から周りの教師達に引かれていたぞ、と笑われた。おまけに職員室に来た生徒にも見られ、「煉獄先生にお化けが付いている!」と一時噂になってしまった。その話を聞いたゆいと千寿郎に塩を撒かれて少し悲しかった。
****
授業が終わって廊下を歩いていると後ろから女子生徒達に呼び止められて振り返った。途端に甘い匂いが鼻を掠める。
「煉獄先生にクッキーあげるっ!」
「これサツマイモ味なの!先生好きでしょ?」
「こっちはアーモンド入りだから!」
「ありがとう!美味そうだな!」
お礼を言って、可愛いらしいラッピングに包まれたクッキーを受け取る。学校中にどこからともなく香っていた甘い匂いは調理実習だったからか。そういえば宇髄や不死川の机に似たような袋があったな、と思い出す。
ゆいのクラスでもクッキーを作るのだろうか。少し、期待をしても良いだろうか。照れたように目を泳がせて俺を呼び止めてくれるのではないかと。子供じみた事を考えても良いだろうか。
昔はよくゆいの家に行って鈴菜と共に食事をご馳走になったものだ。思い返せばとても大胆で己を羨ましくなる。文化祭で作ってくれた焼きそばも美味しかった。そういえば自分で弁当を作って持ってきていると言っていたな。弁当か…それはいいなぁ。
また今世でもゆいが作ってくれたものを食べる事が出来たらこれ以上ない幸せだ。
緩みそうになる顔を引き締め直し、手を振りながら駆けていく女子生徒達を見送ると次の授業のあるクラスへと向かった。
それから数日経ったある日、ガシャーンと何かが割れる派手な音が校舎内に響いた。どうやら二年の生徒が誤って昇降口のガラスを割ってしまったようで、大きな怪我はなかったが念の為に冨岡が生徒を病院へと連れて行った。
木っ端微塵に砕けたガラスを宇髄は目を輝かせながら見ていたので「不謹慎だぞ」と一喝する。だが、斜めから差し込む陽光によって細かい破片が雪のように煌めいていたのを見て綺麗だな、と思ってしまった俺も宇髄と同類のようだ。
決して流れ落ちる事のない涙を溜めて夜空を見上げていたあの瞳のようだと。
生まれ変わった事で泣く事を覚えた彼女の頬を伝う雫のようだと。
バタバタと慌ただしく時間は過ぎ、あっという間に放課後になる。ガラスの一件で対応に追われて昼食をとれなかった冨岡が何処かで一休みをして職員室へ戻ってきた。出て行った時よりも幾分か顔色が良くなったように見えて安心する。口数が少なく一見分かりにくい男だが、生徒思いの良い奴だ。
「今日は大変だったな!少しは休めただろうか!」
「ああ、問題ない。後処理の対応をしてくれて助かった。礼を言う」
「それくらいかまわん!仲間だろう!」
「俺にも感謝しろよ〜?…って、おやおや?冨岡先生ったら女の子からお菓子もらってるぅ!モテモテですねぇ。地味な奴かと思ったらちゃっかりしてんのなぁ」
「揶揄うな。これは風雪からだ」
ピタリ、と思わずペンを持つ手が止まる。
それはちょっかいを出していた宇髄も同じだったようで「ん?」と首を傾げていた。
ゆいから?冨岡に?
「お前達も貰っただろう」
「煉獄はともかく、俺は貰ってねーぞ!」
「いや…、俺もだ」
「はっ?」
「そうなのか?まだ屋上の踊り場にいると思うが」
「…二人でいたのか?」
「ああ、そうだ」
「…そう、か」
「…煉獄っ!生徒がお前の事を呼んでるぞ!」
俺と冨岡の間に割って入った宇髄が何やら慌てて身振り手振りで職員室のドアを指差す。ゆっくりと顔を向けた先には教科書を抱えた二人の女子生徒の姿。そしてパタパタと駆け寄ってくる軽い足音が胸の中に落ちてくる。
何故、冨岡に渡した?
俺も宇髄も貰っていない。
不死川や伊黒はどうだろうか。
貰えるのが当たり前だとは思っていない。だが、期待はしてしまう。恋人が作ってくれたものは全て欲しいと思う。例え本人が失敗したと言ったとしても残さず食べたい。そう思うのはおかしな事なのだろうか。
「先生!204ページの大化の改新のところを教えて下さいっ!」
「私はアヘン戦争のところ!」
「分かった!順番に見ていこうな!」
振り払っても振り払っても胸の内で燻る炎。また湧き上がる火の粉が内側から焼き尽くそうとしている。あの子は誰にでも優しく、誰からも好かれる。
一番に優先してほしいと思うのは我儘だろうか。姿が見たい、声が聞きたい、熱に触れたい、腕の中に閉じ込めておきたい。
気がついたらするりと抜け出していくのに、何度も求めて手を伸ばし続けている。
質問に来た二人が職員室から出て行くとカナエさんに声を掛けられた。少し前にゆいがここに顔を出しに来て、理由も言わずにすぐ出て行ってしまったと。何か話でもあったのだろうか。気付けなかった事が悔しい。
足早に職員室を出て履歴の一番上にある名前を押す。数回の呼び出し音の後、聞き慣れた声が聞こえてきてホッと胸を撫で下ろす。ゆいがわざわざ来てくれたからには必ず理由があるはずだ。そう思い、問い掛ければ返ってきたのは予想を超えたもの。
『用事はないです。ただ…逢いたいと思っただけで』
先程まで燻っていた黒い感情を溶かすには充分すぎる言葉だ。ただ逢いたいと、それだけを想って来てくれたのかと。心のまま紡がれる感情ほど嬉しいものはない。俺だけに向けられた唯一無二なものだ。
改札はまだ通っていないと聞き、コンビニで待つよう伝えて電話を切るとすぐさま自席に戻って帰り支度をする。そんな様子を好奇な目で追う宇髄や他の者達に挨拶をして職員室を飛び出した。
年甲斐もなく、恋人の言葉一つでここまで胸躍らせるとは少し前までの自分では考えられなかった。…そうだ、いつもゆいの言動には良い意味で振り回されてきたな。本人にはその気がまったくないところが余計に心臓を突く。
こうして晴れて恋人同士になれても次々と止まる事の知らない欲。いつになったら大人の余裕を感じられるようになるのだろう。
その長い髪を撫でたい。
白く柔い肌に触れたい。
赤く小さな唇にキスをしたい。
華奢な肩を抱き寄せたい。
細く小さな手を握り締めたい。
全てを独占したい。
本当は腕の中にずっといて欲しい。
あの子には自由でいてほしいと思う反面、どうしようもなく欲してしまう。
まだまだ鍛錬が足りんな。卒業してるならまだしも、ゆいは高校三年生の大事な時期の真っ只中だ。俺がその時間を奪うわけにはいかない。頭ではちゃんと分かっている。分かってはいるが体は正直で。
コンビニに着くと走って中から出てきてくれたゆいを本当は人目も憚らず抱き締めたくて仕方なかった。
次の日、ゆいは弁当を作ってきてくれた。蓋を開けた時の感動を一生忘れないだろう。卵焼きに唐揚げにピーマンの肉詰めにナポリタンまで入ってる。こんなに沢山のおかずを作るのにどれだけ時間がかかっただろう。いつもより早く起きて台所に立つ姿を想像したら好きだと大声で叫びたくなった。
一つ一つ幸せを噛み締めながら食べる俺をゆいは嬉しそうに見ていた。一緒に暮らしたらこんな幸せな光景を毎日見る事が出来るのだろうか。
弁当を食べ終わり、二人で談笑しながらそんな未来を描いていると、机の上にピョンっと現れた小さな蜘蛛にゆいが飛び上がって俺の腕に抱き着いてきた。突然の出来事に全思考が停止する。掴んでいる本人は蜘蛛の動きに釘付けで自分がどういう状況なのか把握していないだろう。
甘い匂いがする。風で靡く髪の隙間から眉を下げ、泣きそうに狼狽えてる表情が見えた。透けるような白い肌、長い睫毛、形の良い赤く小さな唇。
落ち着くんだ。
何も思うな、考えるな。
伊達政宗、真田幸村、長宗我部元親、毛利元就、豊臣秀吉、織田信長、徳川家康、武田信玄、井伊直虎、上杉謙信……、
「…小さな蜘蛛だ、逃してやろうな」
『素手でいくんですか?!』
「大丈夫だから任せておくといい」
鬼殺隊にいた頃、その小柄な体格をものともせず果敢に鬼へと挑んでいくお前が今は指先ほどの蜘蛛に驚き、怖がる一人の少女。他の者には見せたくない弱みだ。
潰してしまわないよう、指で蜘蛛を掬うと、開け放たれた窓枠へと乗せてやる。その一挙一動を静かに見ていたゆいが椅子に座り直しながら感嘆の声を出した。
『かっこいい…、』
「…っ、蜘蛛が苦手とは何とも愛らしいな」
『え…っ?!』
今度は顔を真っ赤にさせてワタワタと慌て出すから本当に心臓が持たない。焦ったい。簡単に届く距離にいるのに伸ばせない手がもどかしい。いっその事、破ってしまおうかなんて悪い顔が覗く。鍵が掛かった誰も踏み入れられない室内で、欲のままに。
「君はもっと危機感を持った方がいい。ここには俺と二人きりなんだぞ」
『先生に対して危機感を覚える事はないですよ?』
「ほう…言ったな?」
目を白黒させるゆいに椅子に座ったまま近付いて距離を詰める。驚いて後ろに下がろうとするゆいの足を自分の足で挟んで更に引き寄せた。キスが出来そうな距離まで顔を寄せれば、ゆいの顔が更に赤く染まり、小さな唇をキュッと力なく甘噛みする。
その甘美な光景に、少し驚かせてやろうと思った俺の方が煽られてダメだと思った。
「俺も教師である前に一人の男だ。密室に好きな女性と二人きりになって何も思わないワケがない」
『せ、先生…あのっ』
「今すぐその口を塞いで机に押し倒してしまいたいのを必死に抑えていると言ったら、お前はどうする?」
『……っ』
「気を許してくれるのは嬉しいが、無防備すぎるのも考えものだぞ」
『ごめんなさい…っ。次からは気をつけるので、その…っ』
「ん、どうした?」
『先生が、格好よすぎるので頭がキャパオーバーしてます…』
「…な、」
『近くにいればいるほど好きが更新されると言いますか…あの、困ります…っ』
「そ…、それは大変だ…?!」
『大変です…!』
火照った頬に、薄く開いた口、ガラス玉のように大きな瞳が揺れて様子を伺うように見上げられたら視界が色香で眩む。言ったそばからカウンターを受け、思わず片手で顔を覆うと身を引いた。今のは危なかった、本当に。とんでもない破壊力だ。
ゆいはゆいで両手で顔を覆って表情を隠している。そのまま手首を掴んで開いて顔を見たいところだが、そんな事をしたら本当に止まれなくなるだろう。
あと約半年か…
「…あついな、」
『…はいっ』
季節はもうすぐ冬になるというのに、全身が燃えてしまいそうなほど火照って仕方なかった。
視線の先
休み時間、男子生徒達とサッカーをしていた。コート外に飛んで行ってしまったボールを追い掛ける生徒を見ていた時、ふと校舎に目を向けると三階の窓辺で宇髄とゆいが話しているのが見えた。何やらいつものように言い合いをしているな、と見ていると宇髄の腕がゆいの肩に回り、そのまま引き寄せて髪を豪快にかき混ぜる。ザワリ、と肌を嫌な冷気が逆撫でしていく。
いいな、と思ってしまった。
在学中は無闇に触れないと約束したというのに。
兄弟みたいに仲の良い姿が胸に刺さる。
簡単に触れる距離が酷く羨ましかった。
「煉獄先生!ボールいきますよー!」
「…ああ!任せてくれ!」
足りないんだ、ずっと。
付き合えた今も余裕がないのは何故だ。
満たされない。
乾く、枯渇する。
ああ、いつになったら満たされる。
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