灰燼に帰す
「羽織も隊服も刀も全て燃やしてしまえ!!こんなものを身に付けているからくだらない死に方をするんだ!!!」
「父上!!やめて下さい!!」
衣桁に掛けてあった羽織を乱暴に引っ掴み、何処かへ持って行こうとする槇寿郎さんの着物を掴んで千寿郎が引き止めたが、その手も薙ぎ払われてしまう。衝撃で体制を崩した千寿郎を抱き止め、真っ直ぐに槇寿郎さんを見上げた。
『燃やせというのですか、全てを』
「そうだ!!こんなものがあるからロクでもない生き方になる!お前もだ!戦って何の意味がある!?!」
『私の事は何と言おうと構いません。ですが杏寿郎さんの事をそんな風に言うのはやめて下さい』
「なんだと!?!」
『懸命に戦い、生きた証さえ殺すというのですか』
「くだらん!!!」
『杏寿郎さんがどれだけ仲間に慕われているか知っていますか』
「黙れ!!!」
『千寿郎の手が大きくなったのを知っていますか。背がどれだけ伸びたのかも』
「黙れと言っている!!千寿郎!!お前もまさか鬼殺隊に入るなどとくだらん事を言う気じゃないだろうな!?お前にその力はない!!黙って家に居ればいい!!!」
『子供の夢を親が諦めるな!!』
腹の底から怒りが込み上げ、その熱に爛れてしまいそうだった。高い耳鳴りがして、噛み締めた唇から血の味がする。槇寿郎さんの血走った赫い目が容赦なく私を睨みつける。それでも顔を上げたまま、視線はそらさなかった。
『この羽織は槇寿郎さんのものでもあるんです。私を助けて下さった時、この炎にどれだけ救われたか…槇寿郎さんがどれだけ人の心に熱を齎したのか忘れないで下さい!』
「戯言を…!!」
本当はこんな目をする人じゃない。
本当は杏さんや千寿郎、私にも稽古をつけてくれる優しい人。本当は瑠火さんの手料理を嬉しそうに食べる人。本当は、きっと、悲しんでいるはずなんだ。先ほどから堅く握られた拳が血で滲んでいる。
まるで業火にあてられているかのように熱く肌がひりつき、息を吸うと喉が痛んだ。
「部外者には関係ない事だ!!」
「父上!!そんな言い方はやめて下さい!!」
『いいよ、千寿郎』
「リュウ!!お前はもうこの家の敷居を跨ぐな!!」
持っていた羽織を投げつけられる。
血と砂埃の匂いがして残酷な現実をまざまざと見せつけられた気がした。
槇寿郎さんは乱暴に襖を開け、そのまま廊下を大きな足音をたてながら出て行ってしまった。そして障子の破れる音、陶器が割れる音がして、手伝いに来てくれていた隠の人と言い争う声が聞こえる。まるで嵐が去った後のように静まり返った部屋に、千寿郎の泣き声とお線香の香りが充満して窒息しそうだった。
信頼する好きな声に出で行けと言われてしまう日がくるなんて。部外者と言われる事は間違いじゃない。血の繋がりもない。一緒に居れた時間だって短い。それでも私はこの家族が大好きだった。本当の家族みたいに大切に思っていたんだ。もう、バラバラになってしまったけれど。
「リュウさん……」
腕の中にいた千寿郎が涙を拭きながら前に座り直す。赤くなった目元と頬が痛々しい。乱れた髪を整えるように撫でれば、また一筋涙が溢れた。
「父上は…、本当はそんな事、思ってないです。今は混乱しているだけなんです…っ。いつも言葉が足りなくて…乱暴だけど、本当は違うんです」
『大丈夫、優しい人だって分かってるよ』
「僕は…!リュウさんの事を、本当の姉上のように思っています…っ!」
『千寿郎、』
「ここに来てくれた日からずっと…!」
『ありがとう。優しい子だね』
次から次へと溢れる涙を懸命に拭おうとしてる姿に胸が締め付けられた。そっと抱きしめたら、服をぎゅっと掴み、声を押し殺しながや必死に堪えようとして。潰れてしまいそうだった。苦しみに、寂しさに、愛おしさに。頭が痺れて言葉が出てこなくなる。
杏さんだったら何と言うだろうか。
部屋の真ん中で静かに眠る彼はもう二度と起き上がる事はない。夢と現実が入れ替わればいいのに。あと何度、この光景を目にしなければいけない。あと何度、大切な人の死を受け入れていかなければいけない。もうたくさんだと、思っていてもまた抱えてしまうのは寂しいからだ。誰かを守り、守られたいと。人は一人では生きていけないから、寄り添える場所を探す。
何度も、何度でも。
雨が降り、花が萎れて、鳥は撃ち落とされる。手を合わせて祈った願いは泥に塗れ、喉が焼けるように痺れて凍ってしまった。触れた感覚も土塊だ。
時計の針が再び動き出す事はもう、二度とないんだ。
目が覚めたのに体が怠く、焦点が合わない。朝ご飯も味がしなくて、琥珀や母と何を話したのかさえも頭に入ってこない。いつの間にか着替えた制服に、鞄を持って家を出た。
梅雨の合間の晴れ。
雨上がり特有の湿気を含んだ土の匂いに、空を映す水溜りを避けながら学校を目指して歩いた。
道路を走る車のエンジン音も、行き交う人々の声も、猫の鳴く声、飛行機が通り過ぎる音さえ膜が張ってるかのようにずっと遠くで鳴ってる気がする。地に足がついているのか不安になった。
この違和感は学校に着いてからも変わらなくて、しのぶにまた心配をかけてしまって申し訳なくなる。自分はここにいるのに、どこか浮遊してるみたいに意識が飛んでしまいそうで怖かった。痛みはないけど昨日倒れた時に頭を打っていたのかな。むしろそうであってほしいと思うくらい、頭の中が混乱して仕方なかった。
休み時間になり、ボーッと廊下の窓から外を見ていると、後ろから名前を呼ばれて振り返る。そこにはいつもの元気な姿に影をさしたような煉獄先生が立っていた。
「冨岡から君が倒れたと聞いた。具合はどうだ?」
『今は何ともなく元気です。迷惑をかけてしまってすみません』
「迷惑なものか。この学校で君に何か言う者はいないと思うが、慣れない土地に気疲れはするものだ」
『知らないうちに疲れていたのでしょうか…』
「怪我をしていなくて安心した。ゆっくり休んで、またいつもの君を見せてほしい」
にっこりと眩しいほどの笑みを浮かべる先生にスーッと心が楽になっていくのを感じた。
窓から差し込む太陽の光が先生の髪をキラキラと照らしてる。まるで向日葵みたいだと思った。常に上を向き、光に向かって真っ直ぐ伸びる大輪の花。季節外れの気温も、頬を撫でる風も心地よい。
朝からフワフワとしていた違和感も先生の熱で溶けて、視界がはっきりと覚醒していった。不思議だ。さっきまであんなに不安で怖かったのに、今は1ミリもそんな事はない。
…花じゃなくて、煉獄先生は太陽だ。みんなが向日葵で先生を目指して上を向いている。その笑みに惹かれて、力強い声で呼んでほしくて手を伸ばそうとするんだ。わかるよ、私もそうだから。
『先生は夏が似合いますね』
「それは光栄だな。夏は好きな季節だ!君は夏より冬が好きそうに見える」
『よく分かりましたね』
「雪がよく似合うと思った」
ーーー刹那、
自分が一面雪景色の中に一人で佇んでいる姿が浮かんだ。上から深々と音もなく静かに落ちてくる結晶が黒い羽織へと積もっていく。
昼間なのに雲が分厚くて暗い。こういう陽が届かない日はーーが出る。だから急がないと。誰かが死んでしまう前に。重たい刀を握り直し、人々を避け、木々の合間を縫うように走っていく。そうだ、いつも走っていた。だけどいつも間に合わなかった。泣きたいのは奪われた人々の方だから、私が心を痛める権利はなく、怒りと憎しみで己を保つしかなかった。そうすればまた戦える。……ただ、
「風雪?」
『……え、』
「すまない、変な事を言ったな」
『いえ!雪が好きなので嬉しいです!ただ…、』
「ただ?」
『ずっと、冷たくて…』
何を触っても、誰かを抱き締めても冷たい、冷たい、冷たい。恐怖を宿した目が転がっている。最期は何を願って、何をその瞳に映して息き絶えていくのだろう。
灰になって昇っていった先にあるのはどこだ。そこは暖かいのだろうか。それとも身を引き裂かれるほど痛みを伴う場所なのだろうか。迎えに行かないと。私が行かないと。待ってるはずなんだ。
そこに、弟がーーー
「…君は、」
『…なんでもないですっ!』
自分の口から出た言葉に自分自身で驚き、首を振って笑った。今の光景は一体何だったんだろう。立っていたのは知らない場所だった。でもどこか懐かしく、胸騒ぎがする。いつもの夢と同じ感覚。昨日といい、最近頻繁に似たような夢を見るのはどうしてだろう。
弟を迎えに行く…?もう琥珀は中学生だ。迎えに行かないと迷子になってしまう年齢でもない。それなのに、なんでそんな事を思うんだろう…
先生の大きな目がジッと見透かすように私を射抜く。自分でも変な事を言ってしまったと焦ったが、脳裏から離れないあの光景。匂いも温度も妙に現実味てるから、違和感が生まれるんだ。知らない場所を知っている。それがどれだけ異質な事なのか、本当は分かっているんだ。
『今日、私のクラスで歴史の授業がありますよね』
「…ああ、四時限目にあるな」
『煉獄先生の授業好きです。だから楽しみにしてますね」
呆気に取られた顔をした先生が何かを言い出そうとした時、次の授業の始まりを知らせるチャイムが鳴って途切れる。
本当はたくさん話したかったけど、いま先生に聞かれても上手く話せる自信がなかったから助かったと思った。
「冨岡から君が倒れたと聞いた。具合はどうだ?」
心配して、わざわざ話しかけてくれた。
大勢いる生徒の一人で、先生にとっては些細な事かもしれないけど、嬉しかった。本当に胸が高鳴るくらい嬉しかったんだ。
ーー放課後
かまどベーカリーに行くと言ったらやっぱりしのぶも知っていたらしく、カレーパンとクロワッサン、あと日替わりパンがオススメと教えてくれた。しのぶは今日部活があるから今度一緒に行こうと約束して、教室で別れる。
学校の最寄り駅を通り過ぎ、歩くこと十分。HPで見た写真と同じお店が見えた。看板には可愛い丸い字体で「かまどベーカリー」と書かれていて、童話に出てくるような木の造りに心が躍る。
ドアを開けるとカランカランと来客を知らせる鐘の音が鳴り、バターと小麦粉の焼ける甘い香りに全身が包み込まれた。中は学生や主婦が五、六人ほどトングを持って楽しそうにパンを選んでいて、噂通りに人気なお店なんだなぁと思う。
みんなと同じようにトレーとトングを持って形や色が様々なパンを眺めていく。甘い物からお惣菜パンまで、どの世代でも食べたくなるものばかりだ。
「カレーパン焼き立てですっ!!」
クロワッサンをトレーに移していた時、厨房から男の子が明るい声でバスケットいっぱいのカレーパンを運んでくる。動作に合わせて花札柄のピアスが人懐っこい笑顔に合わせてカラカラと鳴った。カレーパンは琥珀が大好きだから買って帰ろうと思い、男の子の傍に行くと、その子は振り返って大きな目を更に真ん丸にする。
「あ!あのっ!!え!?!」
『取り敢えず落ち着こう?』
「すみません!来て下さって嬉しいです!リュウ先輩!!」
『私の名前…』
「はい!俺、同じ学校の1年、竈門炭治郎といいます!」
バビッと元気よく敬礼する姿が可愛いくて思わず笑ってしまった。笑われた本人はまたワタワタと慌ただしくしてて、そんな反応も懐かしく思う。
…懐かしい?
変だ、初対面のはずなのに。
まだ一年生なのに学校が終わったあとに家を手伝っているんだ。偉いなぁ。年齢よりしっかりとしているように見えるのはそのせいなのかもしれない。
お会計の時に試作品のパンを二つ入れてくれた。私と弟の分らしい。弟の事も知っていた事にも驚いたけど、転校生というものは目立つから広がっていてもおかしくないと思った。
『ありがとう。大事に食べるね』
「ありがとうございます!またいつでも来て下さいね!!」
『うん、絶対くる!また学校でね』
「はい!楽しみにしてます!!」
裏表のない笑顔が、言葉がずっと耳の中で反響してる。心地の良い音。真っ直ぐ最後までやり切る強い目だった。折れない意思を持った心だった。
紙袋をぎゅっと抱えるように持つと、香ばしい美味しそうな匂いが溢れてくる。琥珀は喜んでくれるかな。食べ盛りだからペロリとパンも夜ご飯も平げそうだな。
小さい頃と変わらない嬉しそうな顔で食べる姿が浮かんで思わず足速になる。
守らなきゃ、姉として先に生まれてきたのだから。
今度はしのぶも誘って一緒に行こう。
「弟がいるんです!私と一緒に川へ落ちたんです!」
灰塵に帰す
過去に置き去りにした思いを取り返す為に生まれてきたんだよ
周りからしたら笑われるような事かもしれないけど
幸せになりたくて
もう一度やり直しにきたんだよ
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