背中





真っ赤な熟れた柘榴のような瞳
瞳孔が縦長に伸びて、吊り上がる口元から尖った歯が覗いている。

今しがた下弦の肆を斬ったばかりだというのに、目の前に現れた鬼の長い舌には下弦の弐の文字が刻まれている。何故短期間にこの村へニ体も十ニ月鬼が来るのかと目眩がした。狙いは何…?

刀を鞘から抜き、構えた瞬間に感じた違和感。鼻につくキツい酸のような痺れる匂い。脳が警告音を鳴らす。

…毒だ!!

咄嗟に肩口で口を押さえて距離をとる私を見て鬼がケタケタと笑う。まるで壊れた玩具みたいだと思った。


「臭う、臭うぞ!お前稀血だなァ?」

『だったらなに?』

「ツイてる!!ツイてるぜ!!お前を喰えば俺はまた強くなれるゥ!!!!」


空気がヒビ割れそうなほどの笑い声に怒りが込み上げた。このままここで戦っていては村人を巻き込んでしまう。せっかく繋がった命が傷つく所は見たくない。守る。私が、守る。何の為にここへ来たんだ。

踵を返し、森の中へ駆け込むと思った通り鬼も後を追ってくる。少しでも遠くへ引き離す。村が見えなくなる所まで。


咳き込むと口の端から血が溢れた。先程の戦闘で肺に折れた骨が刺さったのかもしれない。長く戦えば戦うほど不利になる。ヒューヒューと鳴る煩い肺に、走る振動で全身が嫌な音をたてて軋んだ。


『氷の呼吸、参ノ型ーーー』


刀を構えた刹那、近くの木の根元で何かが動く気配を感じて手を止める。そこに居たのはまだ幼い子供が一人、泣きながら耳を塞いで縮こまっていた。

どうしてこんな所に子供が?
村が襲われた時にここまで逃げて来たのだろうか。前も後ろも分からなくなるほど真っ暗な闇の中、必死に生き抜く為に、一人で。


ーー姉ちゃん!さっき、こーんなに大きな鳥がいたんだよ!

ーーお土産あげる!村に買い物行った時、たくさんおまけしてもらったんだー!

ーー姉ちゃん…、ごめ、んね…


その面影が弟と重なる。
そうだ、離れ離れになった時とこの子はきっと同じくらいの年齢だ。
守れなかった命
奪ってしまった命
今度は絶対助けたい命

懐から出した手拭いで子供の口元を押さえた。押さえた手から怯えて震える振動が伝わってくる。小さな体の中に抱えきれないほどの恐怖を閉じ込めて、今にも壊れてしまいそうだった。


僅かに吸ってしまった毒に脳が萎縮する。動揺するな。呼吸を乱すな。集中しろ、集中しろ、集中しろ。呼吸で少しでも毒の回りを遅らせる。私が死んだら誰がこの子を守るんだ。助ける。絶対助ける。

視界が狭まる。
手が痺れて、高い耳鳴りがする。足に力が入らない。それでも気力で立て。子供を背に、一つ二つと型を繰り出し、右手と左手を斬り落とす。再生はそこまで速くない。

斬った断面からまた毒が霧状に噴き出した。目が霞んで一瞬反応が遅れた隙を狙って鬼が地を蹴り、飛び掛かってこようとした瞬間ーーー


「炎の呼吸、弐ノ型 昇り炎天!!」


真っ暗な森の中を大きな炎が火車の如く駆け上がる。まるで昼間の太陽のような光が辺りを包んだ。その陽光の中心に大きな背中が見える。旗めく白と赤の羽織。


「よく一人であの村と少年を守り切った!教えた身として鼻が高い!あとは俺に任せておくといい!!」


頼りになる背中と通る声。羽織が風で揺れて「滅」の文字が剥き出しになる。同じものを背負っているのに、こんなにも違うものなのか。

赤赤と燃える炎刀が月明かりに光る。
土が混じった灰の匂いと体を焦す熱。
残酷なほど綺麗だった。

隣に並ぶ為に、共に戦う為にと鍛錬をしてきたけど、まだまだ届かない。

この大きな背中が大好きだった。




伸ばした手が土塊のようにボロボロと崩れていく。眩しい光に目が眩んで意識が遠のいた。

あともう少し、あと少し、あと……、











ポーンポーンとボールが右から左へと転がる。昼休み、ご飯を食べ終わったあと、窓から校庭で生徒達とサッカーをやっている煉獄先生を見ていた。スーツを着ているとは思えない俊敏な動きで、先程から炭治郎くん達を翻弄している。底無しの運動神経だと思う。

先生は男女学年問わず大人気で、いつも沢山の生徒達に囲まれていた。そんな光景が微笑ましく、また少し羨ましく思う所もあって。もっと話したいのに意識しすぎてしまって声をかける寸前で断念してしまう。みんなみたいに笑って話したいな。先生の事をもっと知りたい。心を無にして平常心を作る練習しようかな…。


太陽に反射してキラキラ光る金髪が水面みたいに綺麗で。楽しそうに笑ってるその姿に見惚れていると、急に先生がこちらを見上げてきたから心臓がビクリと跳ねた。他の女の子達なら可愛いく手を振ったり、声をかけたり出来るのだろうけど、そんな愛嬌や度胸があるワケなく、咄嗟にしゃがんで隠れてしまう。

もう、本当に情けない。ここは三階だから気付いていないと思うし、隠れる方がおかしい。もういっその事、透明人間になってしまいたい。


「リュウ、次の授業は美術だからそろそろ移動…ってどうしたの?」

『ちょっと流れ弾に被弾したといいますか…』

「あ、煉獄先生ね」

『先生って何であんなに眩しいの』


うんうん唸る私を見てしのぶがニコニコしてて。何だか余計に恥ずかしくなった。もう一度見たかったけど、そんな気持ちの余裕はないから、美術の教科書やノートをかき集めて急いで教室を出た。


美術室がある別棟へ続く渡り廊下を歩いている時、突如ドカーン!という派手な音と共に校舎が揺れた。地震ではない一瞬の揺れだったけど、目が覚めるような大きな音に校内がザワザワと騒ぎ出す。


『なに今の…何か爆発した?』

「あの人は…!!」


隣を歩いていたしのぶは、額に血管を浮き上がらせて低く呟くと、まるで氷の上を滑るような速さで廊下を走って行ってしまった。あっという間に姿が見えなくなり、渡り廊下に一人ぼっちになる。しのぶ、凄い怒ってたけど、何か心当たりがあるのかな。

私も後を追う為に美術室へと階段を駆け降りていると、前からこの間タオルを落とした1年生の女の子が歩いてきたのが見えて足を止める。女の子は私に気付くと慌てて頭を下げた。


「こないだはすみません!タオルを拾って頂いたのに勝手に走っていなくなってしまって…」

『ううん、私の方こそ急に話しかけて驚かせてごめんね』

「そんな事ないです!リュウ先輩に話しかけてもらえて凄く嬉しかったです!」

『名前…、知っててくれたんだね』

「あ!馴れ馴れしくてすみません!」

『かしこまらなくていいよ』


慌てて身振り手振りで話す姿が可愛いくて思わず笑ってしまう。当の本人は笑われた事に頬を赤くすると、手で顔を覆って「すみません…」と小さく消えそうな声で呟いた。喜怒哀楽がコロコロと変わる空間はとても居心地が良い。正直で嘘がつけない、凄く素直な子だ。


「私、鈴菜っていいますっ」

『鈴菜ちゃん、綺麗な名前だね』


声に出して呼んでみれば、ストンとしっくりと落ちてくる不思議な感覚。今まで同じ名前の友達や知り合いはいなかったのに、呼び慣れているような、なんだろう。当たり前に流れているのに、決して掴めない水をかき集めているみたいだった。目の前で嬉しそうに笑う鈴菜ちゃんを見ていると、ホワホワと温かい気持ちになる。


『鈴菜ちゃんは次は何の授業?』

「次は歴史です!」

『煉獄先生の授業なんだ、いいな。先生の授業楽しいよね』

「はい!!こないだは突然男子達と騎馬戦初めてましたけど」

『凄い見たい、その光景!私のクラスでもやってくれないかなぁ』

「きっと先生ならノリノリでやってくれますよ!リュウ先輩はこれから何の授業ですか?」

『選択の美術だよ』

「美術…今の凄い音もそこからなので気をつけて下さい!」

『え、震源地って美術室だったの?』

「宇髄先生はよく問題を起こしているので…」


苦笑いを浮かべて明後日の方向を向く鈴菜ちゃんに不安が募る。まさか自分がこれから行く目的地が問題の中心だったとは。きっとそこにしのぶも居るのだろう。尚更早く行かないと。


鈴菜ちゃんと別れて足早に美術室へと向かい、ドアを開けると焦げた匂いが風に乗って全身を包んだ。中には先程まで炭治郎くん達とサッカーをしていた煉獄先生と冨岡先生が居て、二人に囲まれるように宇髄先生が怒られている。怒られていると言っても落ち込んでるワケではなく、長い銀髪を掻き上げながらあっけからんとしていた。

一体何が起きたのかと、ドア付近で腕組みしながら立っていたしのぶに聞くと、溜息混じりに左側の壁を指差す。壁、というか壁だった場所の方が正しい。通りで風通しが良いワケだ。そこは巨人が外から殴って開けたんじゃないかってくらい大きな穴が開いていて、綺麗な青空が見える。ありえなすぎる光景に開いた口が塞がらない。


「宇髄先生が爆破したんです」

『爆破っ!?』

「前に同じ事があった時は椅子や画材が壊れるだけで済みましたけど、今回は随分と大惨事です」

『前科があった事に驚きなんだけど…』

「いつもいつも懲りない人です」


そう言ってしのぶは小さく溜息をついた。笑顔は崩さないけど、思わず敬語になるくらい怒っているんだろう。珍しい表情が凄く新鮮だ。


「宇髄!君はいつも度がすぎる!」

「久々にこうピン!ときたモンでつい、な」

「つい、の加減を考えてほしい!」

「教室を爆破するなど規則違反にもほどがある。教師がこれでは生徒に示しがつかん」

「芸術は爆発だって言うだろ?」

「「宇髄!!」」

「悪かったって!!すぐ片付けっから!」


肩をすくめる宇髄先生
竹刀で今にも殴りかかりそうな冨岡先生
腰に手を当てて呆れたように溜息をつく煉獄先生
ポッカリと大きな穴の開いた美術室
焦げ付いた匂いと、絵の具や木材のザラついた匂い

あまりにも非日常で不釣り合いの光景が何だかおかしくて思わず笑ってしまった。一斉に三人の先生が驚いてこちらを見つめる。笑った事を怒られると思って咄嗟にしのぶの後ろに隠れると、しのぶもおかしそうに顔を逸らしながら笑った。

恐る恐る顔を出せば、困ったように眉を下げて笑う煉獄先生と目が合ってドキッと心臓が痛くなる。先生もそんな顔するんだ…。初めて見た表情に体温が上昇して仕方ない。

でも、怪我人は居なかったから良かったものの、煩悩を抱くのは不謹慎だ。邪な思いを振り払って私も片付けに加わった。


「はぁ〜、あんなに怒る事ないよなぁ」

『宇髄先生って危ない人だったんですね』

「女子はそういう男が好きだろ」

『危ない、のベクトルが違う気がします』

「ふーん、お前はヤンチャな奴と真面目で堅い奴ならどっち?」

『私ですか?聞いても何の特にもならないと思いますけど』

「なるね、興味がある。お前の事だから後者だと思うけどな」

『真面目で堅い人…』


チラリと横目で追ってしまうのは他の誰でもない、煉獄先生だった。こうして今も黙々と無駄な動き一つなく部屋を片付けている所や、いつも生徒が楽しく授業を受けられるように前日から準備してくれる優しくて、真面目な人。堅いのはどうなんだろう。規律に厳しいのは先生だから当たり前なのかもしれないけど…でも、曲がった事が嫌いな人だという事は分かった。面と向かって対話がしたい人なのだと。

先生と過ごしてきた短い期間を思い返していると、宇髄先生が急に顔を近付けてきたから驚いて声を出しそうになった。長い髪飾りが揺れる音がすぐ近くで聞こえる。菖蒲色の瞳の中に驚いて固まる私が映って変な感じだ。強い香水の匂いに頭がクラクラする。

そんな私を見ていた切長の目元が悪戯に笑っているのを見て嫌な予感を察知し、後ずされば宇髄先生も一緒に着いてきて距離を詰められた。先生は背が高いから、見下ろされると顔に影がかかって視界が暗くなる。


「おやおや〜?誰を想像してんのかねぇ」

『…何のことでしょう。早く片付けますよ』

「お前は案外分かりやすいよな。今だって一丁前に女の顔させててバレバレだっつうの」

『いつ、誰がそんな顔をしましたか!というより顔が近いです!距離感がおかしいっ』

「仕方ねぇなぁ。俺がド派手に相談のって」

「宇髄せーんせっ!煉獄先生がバチバチに怒ってますよ〜」

「やべっ」


助け舟を出してくれたしのぶの背の向こうで煉獄先生が腕を組んでこちらを静かに見ていた。薄らと額に血管が浮き出ているような…組んでいる腕もぎゅっと力が入っている。片付けをしている最中なのに話してる場合じゃなかった。先生を怒らせてしまった事にチクリと胸が痛む。

急いで宇髄先生から離れて、ちり取りを片手に床に散らばった破片集めを再開した。




※※※


あらかた片付け終わったかな、と周りを見渡したら、開いた壁の穴から差し込む陽光に反射して光る破片に目が止まった。

キラキラと角度を変えて何度も光る様は、まるで宇髄先生のバンダナみたい。あとは……そうだ。刀身に似てる。月明かりの中、火花のように一瞬チラつく光。冷たい色。残酷なほど綺麗なもの。

その光に吸い寄せられるようにしゃがみ込んで手を伸ばした時、


「触っては駄目だ。手を切ってしまうぞ」


すぐ近くで聞こえた声に驚いて固まってしまう。内心パニックになってるのを押し殺しながら振り向くと、思ってた以上に近くにあった煉獄先生の顔に今度こそ思考が停止した。


「怪我はしていないか?」

『だ、大丈夫です』

「見せてみなさい」


挙動不審な私の手を先生の大きな手が包み込む。触れられている所が燃えるように熱い。先生の手、ぶ厚いなぁ。指の付け根に豆が潰れて硬くなった跡がある。ちょっとやそっとじゃここまでならない。どれほど鍛錬をしてきたのだろう。

気が付けば肩が触れそうなほど近くに先生が居て、優しく安心する匂いがする。ふわふわと風に揺れる紅が混じった金色の髪。近くで見ると改めて思い知る端正な顔立ち。クールビスでノーネクタイになった無防備な首元に、アイロンがかったワイシャツから伸びる筋肉質な腕。大きな目が真剣に私の手を見てる。緊張で窒息しそうだ。情報量が多すぎる。

手、震えてないかな。
こんなに煩い鼓動、聞こえてないかな。
声は上擦ってなかったかな。


「うむ、良かった。どこも、切ってないな」

『ありがとうございます…気をつけます』

「傷がついたら勿体ない白魚の手だな!」

『…っ、それは言い過ぎです!』

「本心だ!そこは真意に受け止めてくれると嬉しい!」

『でも、…ありがとうございます。…先生は何か武道をやっていますか?例えば剣道など、』

「よく分かったな!家が剣道場をやっているので、時間がある時は素振りや打ち合いをしている!手も厚くなるし、豆も出来てしまうな!」

『そうだったんですね。煉獄先生は袴姿も似合ってて格好いいんだろうなぁ』


頭に描いていた姿につい本音が口に出てしまったと気付き、慌てて誤魔化そうと先生の方へ向き合えば照れたように口をつぐんでいたからつられてこっちまで赤くなってしまう。

自分でも驚くほど大胆な事を言ってしまった。だけど恥ずかしいと思う以上に、そんな反応をする先生に惚けてしまって仕方ない。愛しい、と胸がきゅうと鳴いた。


「君に言われると嬉しいな」

『え、』

「さて!片付けを再開しよう!」


先生が「よし!」と膝を叩いて立ち上がる。急いで一緒に立ち上がったらクラクラと目の前が揺れた。楽しそうに腕を振りながら歩いていく大きな後ろ姿。頼もしく、温かく、いつも守ってくれた。全てを背負い、真っ直ぐ歩いていく。この後ろ姿が大好きだった。

そう、きっともっとずっと昔からーー




「あとは俺に任せておくといい!」

首から上はいつも白くボヤけて見えない。でもあの凛とした声と大きな背中は先生だったのかなぁ……

そうだったらいいのになぁ…












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