がらんどう







歩けば歩くほど痛みがついてまわっても、幸せを知ってるから足を止めない。

次に逢えた時、力一杯抱き締める為に、笑う練習をするんだ。

涙は飲み込んで、迎えに来たよって言うから、あと少しだけ待ってて。








「おっはよーっ」

『おはよう!』

「おはよ〜リュウ〜」

『元気ないね。どうしたの?』

「何か最近あまり寝た気がしなくて寝不足!今日も追いかけられる夢を見て疲れちゃったぁ」

『追いかけられる夢…私もよく見るよ』

「本当っ!?夢の中で走ってると現実でも動いてるのか起きた時に疲れてるよね!」

「あー、確かに。走るスピードめっちゃ遅くて捕まらないかヒヤヒヤするし!」

『わかる!夢だって気付いてなくて起きてから焦る事あるなぁ』

「良かった!一緒だっ!」


安心したのは私も同じだった。あまりにも頻繁に見るのでだんだん不安になっていたから。夢は潜在意識が反映しているものだって聞いた事がある。追いかけられる夢は時間に追われてたり、後ろめたい事があったり、不安な事があるのが原因だと。その原因を解決しなければいつまでも見続けるのかな。あまり身に覚えはないけれど、どこかで思ってる部分があるのかな。


「何度も繰り返す夢って前世の記憶かもよ〜?」

『前世?』

「それロマンチックだね!でも追いかけられる前世って犯人とかじゃない?!リュウもそう思うでしょ!?」

『…あ、うん!本当だね!』


あはは、と友達につられて笑ったけど、「前世」という単語にどこか納得している自分に驚く。胸につっかえていたものがストンと落ちたような感覚。でも、実際にそんなドラマみたいな事があるのだろうか。海外のドキュメンタリーとかで前世の記憶を持って生まれた人の特集をやっていたのを見た事があるけど、それはほんのひと握りの人だけだ。誰しも覚えている訳じゃない。

夢というには現実的すぎて、前世というには苦しすぎて。そして、とても愛おしい。


掴んだと思ったら消えてしまう煙みたいに、ただの理想や妄想かもしれない。でもそれならどうしてこんなに心乱されるんだろう。本当におかしくなっちゃったのかな。断片的で全部を覚えている訳じゃないけど、私はあの中で生きているんだと思う。そう思ってしまうのは、呼ぶ声が聞き慣れたものだったから。

どこで聞いたのだろう。
誰が呼んでくれているのだろう。



──杏さんがいいなぁ…








「無理強いは良くないぞ、少年!」

「また何かあったらいつでも言うように!」



昨日、煉獄先生に言われた言葉が頭の中を駆け巡り、どの授業を受けてても心ここに在らず状態で不死川先生に怒られてしまった。隣のしのぶに助け舟を出してもらって何とか問題は答えられたけど、いい加減切り替えないとダメだ。

でも前に出て庇ってくれた先生、本当格好よかったなぁ。生徒同士の事に入ってしまって申し訳なさそうにする表情も、夕日みたいな色の髪も、全てを見透かす深い大きな瞳も、捲られたYシャツから伸びる逞しい腕も、説得力のある温かな声も全部全部、目に焼き付いて離れない。


先生の事をもっと知りたい。
もっと近くで見ていたい。

生徒が先生に向けていい感情ではない事はわかってる。だけど惹かれてしまう。四六時中考えてしまう。


一体どうしたらいいものかと、うんうん唸りながら階段を上がって角を曲がろうとした時、足元に丸められた大きな地図が一つ転がってくる。拾って中を確認しようとした時、後ろから声をかけられて振り向いたら煉獄先生が両手に資料を抱えて立っていた。今まさに考えていた人物の登場に頭の中はパニック状態。だけど同時に思いがけない奇跡に心の中でガッツポーズした。


「すまない!拾ってくれてありがとう!ここの上に乗せてくれ!」

『そんなにいっぱい待っていたら重くて大変です。私も手伝いますっ』


他にも持たせて下さいと言わんばかりに両手を広げると、先生は一瞬きょとんとした顔をしたあと、眉を下げてふわりと笑った。


「では、お言葉に甘えるとしよう」


了承してくれたけど、私は今拾った地図だけしか持たせてもらえず、残りは先生が運んでしまう。逆に気をつかわせてしまったのではないかと申し訳ない気持ちになる一方で、そういう事をサラリとやってのける所が大人で格好いいと思った。

歩く度に左右にふわふわと揺れる髪。
私に合わせてくれる歩幅。
頼りになる大きな背中。

その光景が夢で見た姿と重なって目が眩みそうになった。時折振り返って話しかけてくれる先生の肩に白と赤の羽織が見える。それはユラユラとまるで炎のように旗めいて、どこかへ誘おうとしているみたいだった。瞬きと共に羽織は消えてしまったけど、また胸の中に燻りが生まれてしまう。

なんでだろう。
先生を見ているといつも苦しい。
目の前から消えてしまうんじゃないかって思ってしまう。

変なんだ、ずっと。

転校してきてから、自分の知らないところで何かが起こってる予感がしてる。分かってて、追いつけない。本当は向き合わなきゃいけないのに、足がすくんで怖かった。



社会科準備室に着くと先生は近くの机へ持っていた資料を置き、私から地図を受け取って「ありがとう」と言った。至近距離で眩しい笑顔を見てしまって目がキラキラする。

運び終わってしまったからもう戻らなければならないけど、もう少しだけ一緒に居たくて部屋の片付けの手伝いを申し出た。突然の提案だったのに先生は快く承諾してくれて、本当どこまでも優しい人だと思う。

大きな本棚には様々な出版社から出ている歴史の本が所狭しと並んでいた。古い物は旧石器時代、縄文時代から最近の時事問題まで。この本棚を見ていたら先生がどれだけ歴史好きなのかすぐ分かる。中でも明治、大正関係の本が多いからこの辺りの時代が好きなのかもしれない。


明治、大正……

ふと、こないだ階段で見た夢の日本家屋はこの時代なのかな、と思った。でも観光地や地域によっては今もあるから決めつけられない。だけど出てくる人々の服装は現代のものとは違う。あと刀だ……刀を持っていた。廃刀令は1876年だから、それより前の戦国時代とか…?辻褄が合う所と合わない所がありすぎてもう分からなくなってしまった。

考えたところで得るものがあるのかは分からない。それでも、なかった事にするのは違う気がした。


ふと、歴史の本の中に紛れて隅っこに一冊「輪廻転生」と書かれた本が隠れるようにひっそりと並んでいるのが目に入った。その背表紙を指でなぞれば、ドクドクと鼓動が走りだす。目の奥が熱い。高い耳鳴りが右から左へ抜ける。


「何度も繰り返す夢って前世の記憶かもよ〜?」

「それロマンチックだね!でも追いかけられる前世って犯人とかじゃない?!リュウもそう思うでしょ!?」


──何度生まれ変わっても、また貴方に逢いたい




『…煉獄先生、』

「ん、どうした?」

『先生は、輪廻転生を信じますか?』


机近辺を片付けていた先生の手が止まり、ゆっくりとこちらへ振り返る。その目は驚いたような、何か言うのを抑えているような不思議な表情だった。チクリと胸が軋む。


「…ああ、そこにあった本を見たのだな。転生は、あるだろう。化学でも証明されている。世界中に症例があり──」

『先生は…?』


話を途中で遮るのは罪悪感があったけど、どうしても先生自身の気持ちを聞きたかった。困らせている事も分かってる。何を焦っているのか自分でも分からない。分からないのにジッとしていられなくて、拳をぎゅっと握り締めた。

窓から差し込む光が先生の髪を照らしてキラキラと光の糸みたいだ。隙間から入ってきた風が夏の匂いと先生の匂いを運んでくる。カーテンの旗めく音、紙が捲れる音、机の軋む音、静寂が部屋を包んでいた。ほんの数秒が何十分にも感じられる。瞬き一つ、呼吸一つするのさえ緊張で痺れてしまいそう。

その雰囲気を察してくれたのか、先生の表情が柔らかく解れて口を開いた。


「信じる」


真っ直ぐ目を逸らさずに言ってくれたから酷く安心したんだ。何故だか分からないけど、存在を認めてもらえたかのような安心感に体から力が抜ける。


『突然変な事を聞いてしまってすみません。教室に戻りますね』

「──君は、どう思う?」

『…私も信じます』


そう言って笑えば、先生は一瞬目を丸くしたけど、すぐいつもの明るい表情に戻って「そうか」と言った。


先生に別れを告げて準備室から誰も居ない廊下に出た。少しの時間だったけど、二人きりで話してしまった事実に浮き足立ってしまう。周りから見たらニヤニヤしてる怪しい奴だ。でも頬が緩んでしまうんだから仕方ない。特に内緒話というワケではなかったけど、先生と同じ考えだって事だけで嬉しくなった。

先生の前世はどうな人だったんだろう。きっと変わらず真っ直ぐ熱くて、人懐っこくて、よく笑い、周りから信頼されてる強い人。そう、強い人。


「今日からここが君の家だ!」

「リュウが認めたなら心配はないな!」

「心は必ずリュウと共に在る」



グニャリ、と視界が歪む。目の前が突然白黒に映し出され、高い耳鳴りと木々のざわめく音がする。呼吸に合わせてズキズキと痛む顳顬を押さえながら座り込めば、冷や汗が頬を伝った。

なんだろう、今の…
煉獄先生の声だった気がする…
でも私はそんな事は言われていない

…言われてない?本当に?
なんでそんな事を思う?
わからない。わからない。わからない。
それなのに他人事だとは思えなくて。

よろけながらも立ち上がり、窓へ目を向ければ顔色の悪い自分が映っていた。


『酷い顔…』


思わず乾いた嘲笑が溢れる。
まるで夢の中にいるみたいだ。
さっきまでの浮き足立っていた気持ちが一瞬にして崩れさる。急に不安になって先生に会いたくなった。あの温かさに触れたいと思ってしまった。変だよね、まだ逢って間もないのにどうしてこんなに惹かれるんだろう。初めて逢ったはずなのに、もっと前から知ってる気がするのは何でだろう。


『初めて、あった…?』


本当にそうなのかな。
そう、なはずなのになんで。
違和感でザワザワと胸が落ち着かない。
自分の知らない自分がいるみたいで怖かった。私は何かを知ってる?忘れてるの?誰に聞いたらわかる?どうしたら、この苦しさから解放される?



「リュウ先輩…?」


はっとして声がした方を振り向けば、焦った顔をした炭治郎くんが駆け寄ってきてくれた。そしてフラつく私の肩を支えて顔を覗き込む。花札のピアスの涼しげな音がすぐ近くで聞こえた。


「どうしたんですか!?顔色が悪いです!保健室に行きましょう!」

『…ありがとう。でも、もう大丈夫』

「大丈夫じゃないです!今にも倒れそうな顔してますよ!足取りだってフラフラで…っ」

『ちょっと立ち眩みしただけだから平気だよ』

「動いちゃダメです!」


炭治郎くんの手がスッと伸びてきて額に触れる。今の私の体温より冷たい手が気持ち良くて大人しくしていると、炭治郎くんは少し考えるように頭を傾げてうんうんと唸った。その仕草がお兄ちゃんらしくて、普段から妹や弟達にもやっているんだなぁと温かい気持ちになる。


「熱は…ないみたいですね」

『炭治郎くんは優しいね。本当に大丈夫だよ、ありがとう』

「先輩はいつも自分の事を後回しにしすぎだと思います。みんな心配なんですよ。全部、一人で持っていってしまうから…」


突然俯き、力無く話す姿が心配になり、声をかけようとした時ーー支えてくれてる手から血が滴っている事に気付いて目を見開く。

一筋、一筋足元へポタポタと水溜りを作っていく血、血、血。まるで臓器に苦いものが流れ込んできたような感覚に気持ち悪くなる。

なに、これ。
どうして止まらないの。
どうして傷つかないといけないの。
どうして守りたいものばかりいつも守れない。


『怪我!怪我してる!早く止血しないと!!』


慌てて掴んだ炭治郎くんの手には傷一つ無くて。それどころかさっきまで流れていた血溜まりさえ跡形もなく消えていた。


「大丈夫です。誰も、怪我はしてませんよ」

『うそ…、』


冷水が背中をなぞった。
私が今見たのは何?
幻覚だったの?
でも至近距離で確かに見たんだ。
鉄臭さも覚えてる。
なのに、なぜ。
全て無かったことになってるの?
頭がパンクしてしまいそうだ。

震える私の手を握り返しながら炭治郎くんが優しく笑う。


「リュウ先輩、」

『た、炭治郎くん…』

「貴方が守ってくれたものを今度は俺が守ります。俺が、俺達が必ず守りますから、だからどうか笑っていて下さい」

『笑えない、よ…』

「もう、怖いものは何もないですよ」


穏やかな声と陽だまりのような手の温もりと、静かに笑う顔が精神安定剤のようにスーッと荒れた心へ徐々に染み渡っていく。波のない湖のように。果てない水面を歩いているように。


いつも何かと戦っている。
そんな人達をよく夢で見た。
みんな首から上が見えない。
呼ばれて振り返ってもそこには誰も居ない。
だから前を向くしかなった。

腕が上がらなくなり、足がもつれて目が見えなくなっても、耳が聞こえなくなっても、動けるなら生きている限り走り続けた。戦い続けた。


夜明けを信じて。








昨日と違う今日がある

明日も今日とは違う明日なのか









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