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「どうした、浮かない顔して」
『…聞いて、海賊さん』
「おう!俺で良かったら何でも聞くぜ?」
『………た、』
「ん?」
『見ず知らずの殿方に嫁ぐ事になったの、』
体を包む風が止んで、耳鳴りがさざ波の音を消した。
嫁ぐ……?
今確かにそう言ったのか?
リュウが?
嘘だろ、そんな急な話
隣で遠くの水平線を見つめるその横顔は柔らかく、揺れる黒髪が時折目元を隠して表情が見えなくなる。
手を伸ばせば届く距離のはずなのに、一向に動けないこの両手が憎い。ぎゅう、と拳を握り締めれば爪が皮膚に刺さって切れた。
(奪うだけで、他には何の意味も持たないのか)
『でもね。相手の殿方は頭が良くて、戦も強いって』
「……リュウ、」
『これでやっと、今まで体が弱くて迷惑をかけてきた父上と母上に恩返し出来る』
「リュウ、」
『…恩返し、出来るのに』
「………」
『どうして……っ』
“震えが止まらないの”
その瞬間、気がついたら小刻みに揺れる華奢な体を抱きしめていた。リュウは一瞬びくりと反応したがすぐに大人しくなって俺の胸元へと顔を埋めてくる。肌を掠める髪に現実だと思い知らされて、花の匂いに似たお香が余計に心臓を苦しめた。
見ず知らずの奴に嫁ぐ。
この時代には珍しい事じゃない。そうやって城と城、国と国を結んできたんだ。そんな策略の上に愛情なんて微塵も無いのだろう。
虚しいじゃねえか。
寂しいじゃねえか。
顔も性格も分からねぇ奴と幸せになれるはずがねぇ。
リュウのように繊細な奴には、自由に笑っていてほしかった。同盟なんて檻に閉じ込めてほしくなかった。
『…ごめんなさい、もう大丈夫です』
「謝んな。言いたい事、言っていいぜ」
『……少し、怖くなったの。もし殿方が冷たい人だったらとか、』
「ああ、」
『考えたら怖くなって……でも、』
「…………」
『海賊さんに話したら安心した』
そうやって無理矢理笑うモンだから、俺は気付かないふりをしなければならなかった。
コイツは親から知らされたあと、ずっと一人で悩んでたのか。誰にも不安を言えず、ただ親に恩返しする為に自分を殺して閉じ込めて。
生きた心地なんかしなかっただろう。
自由になりたかっただろう。
救えない己の手が憎くて仕方ない。
“もう行かないと、”
すっと立ち上がる動作に合わせて簪の鈴が鳴る。足元の着物を軽く叩いて、揺れる髪を耳にかけると、リュウは初めて逢った時と同じように柔らかな笑みを浮かべた。口元に引いた紅が余計に色付き、海に沈んでいく夕日より綺麗で尊く、もう何も話さなくてすむように塞いでしまいたくなった。
『もうこの場所には来れない。でも、最後に此処から見た景色が一人きりじゃなくて良かった』
「俺なんかで良かったのか?」
その問いにリュウは黙って頷き、肩に掛けてある羽織りをぎゅっと掴んだ。
震えてる。
自惚れてもいいのなら、とっくに俺はコイツを掻っ攫ってる。
疼く、胸が、手が、言葉が
もし、海賊と国主の娘じゃなかったら。
誰も恨めねぇ。
恨むとしたら神様という奴にだろう。
まったく笑えねぇよ。
『ありがとう、長曾我部元親さん』
「…っ!何で俺の名を」
『父上が言ってたの。この城下に四国の長が来てるって。海賊なのに村人に優しくて、強くて、』
「…リュウ、」
『貴方に逢えて良かった』
真珠のような頬を流れた一筋の雫。隠すように笑う鬼灯の化粧。
ああ、駄目だ。
離せる訳なかった。
置いていける訳なかった。
出逢った瞬間からずっと、コイツが隣に居てくれたらどんなに満たされるだろうかと。
神様か何か知らねぇけどよ、例え荒くれ者の海賊と国の姫君だったとしても。
陰と陽の理だったとしても。
奪うだけしか出来なかった俺の両手を、リュウの為だけに使わせてほしい。
「行くな」
『も、元親さん…?』
「俺にはお前が必要なんだよ」
リュウが何か言葉を発する前に着物から僅かに覗く手首を掴んだ。思ってたよりも細くて、潮風に吹かれていたせいで少し冷たい。
「俺が連れて行ってやる」
『……え』
「見た事ない大きな海の果てまで」
『…駄目だよ、行けない』
「お前は逃げ出したンじゃねぇ。俺が奪ったんだ」
『それだと元親さんが…っ』
「俺は海賊だぜ?欲しいお宝は必ず頂く」
“それが海賊の流儀ってモンよ”
逃げようとした手がぴたりと動きを止めたかと思うと、そこには泣きそうに顔を歪めたリュウがいた。小さな子供のように硝子玉みたいな瞳へ大粒の雫が溜まっていく。
そうだ。
この表情が見たかった。
人間らしい本当の顔が見たかった。
もう、誰かの為に、とか考えなくていいから。
お前の好きなように感じて生きてほしい。
人は誰しも自由で尊い生き物で。だからこそ強くて眩しいのだと。
『…元親、さん』
「ん、どうした?」
『連れていって…っ』
ああ、この言葉が聞きたくて俺は海を越えて来たのだと思った。四国から果てしない波を渡り、幾夜の闇を越えて、お前に逢いにきたんだ、リュウ。
掴んでいた手首を軽く引っ張り、飛び込んできた小さな体を思いっきり抱きしめた。鈴の音がすぐ近くで聞こえる。
胸元で俺の名前を呼ぶリュウが愛しくて、そっと耳元へと口づけた。
「俺のモンになりやがれ、」
完結
H221008 リュウ
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