戦国短編

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開け放たれた襖から甘い金木犀の香りと共に秋風が侵入してくる。物がほとんど置かれていない虚無の自室は温度の浸透が早く、真冬は外の気温と変わらないほど下がる。それを見かねた刑部が何かと理由をつけて火桶を置きたがったが、今まで一度も使った事はなかった。




今日の分の政務を終わらせ、握っていた筆を机の上に投げやる。かたり、とやがて止まったソレから漆黒の墨が滴り、小さな池を作った。まるで涙の跡のような池にひっそりと過去が映る。


あれは雨の日だった。
黒い雨が降った日だった。


体を伝う雨粒が己の体を同じ色に染め上げる。
どうやらその地に温度を感知する機能と、憎しみ以外の感情を置いてきてしまったらしい。



今となっては、そんな事どうでもいいが。






「…そろそろ刑部の包帯を変える頃合いか」



立ち上がったひょうしに、朝から座りっぱなしだった体はギシリと軋む。例え今が休戦中だとしても、刀を握らない日が一日でもあると酷く体が鈍るものだ。



聳える山々に沈んでいく紅の夕日に覆われた城内を、刑部の名前を呼びながら歩く。いつもならこの時間帯は部屋に篭っているはずなのだが見当たらない。一体何処へ行ったのだろう。


板張りの廊下は良く磨かれて、既に先端しか見えなくなった夕日が反射して光る。
まるで鏡のようだと思う。
きっとそこに映し出される己の顔は酷く冷たいのだろう。







「刑部、ここに居たのか」

「やれ三成、我に何か用か?」

「用か、ではない。忘れたのか。貴様の包帯を変え…―」



目的の人物は縁側に座って手入れの行き届いた庭先を見つめていた。名前を呼べばいつもと変わらない表情でこちらを見る。ただ、いつもと違うのは、包帯で巻かれた指に一匹の蝶が止まっている事。


普段は忙しなく動かしている羽は畳んで、じっと静かに息を殺してる。黒地に紫が斑に散りばめられたその姿は汚れを知らない色だ。刑部の包帯によく映えると頭の隅で考えれば、胸が不安定にざわめいた。



「…何だ、それは」

「ソレとは、こやつの事か?」

「それ以外に何がある」

「なに、我が涼んでる所に来やった客よ」



刑部がふっと小さく息を吹き掛ければ、手に止まっていた蝶がゆっくりと空を舞い上がった。薄暗くなった庭でも見失わない色をした蝶は、花の上に止まってまた羽を休めている。


なぜ、のまれない。
なぜ、黒に染まらない。



「三成、蝶とは誠に美しきものよ」

「美しい、だと?」

「例え蜘蛛の巣に絡まり、足掻く事になろうと、あの光は消えぬ」

「刑部、」

「昔はソレが気に喰わなかったが、最近では見方が変わり始めたのかもしれぬな」



そう言って喉を引き攣らせて、おかしそうに笑う刑部の横に渋々と腰を下ろす。


蝶が美しい、か。


私が一生感じる事のない感情だ。何かを慈しむなど、この先ありえない。


わからなのだ。


何が綺麗で、
何が尊くて、
何が温かいのか。



「ぬしも手を伸ばしてみるといい。きっと近くに来やるぞ」

「フン、断る」

「愛情をもって接しれば向こうから来やる」

「何を言っている刑部。私に愛情などあると思うのか」



ゆっくりとこちらへ顔を向ける刑部から目を逸らすように、自分の手元へと視線を落とした。鞘を握る掌は、あちこちに豆ができ、乾燥して割れた爪から僅かに血が滲んでいる。


この手でどれほどの人を殺めたのだろうか。
切って斬って切って斬って、
最後には屍以外、何も残っていなかった。


そんな私に何かを慈しむ心などあるといえるのか。…いや、慈しむ権利など存在していない。



私は、愛を知らない。




「刑部、一つ聞く」

「はて、何だ?」

「愛情とは何だ?」

「我が教えた所で、ぬしは何も感じぬ」

「どうゆう意味だ、」

「リュウに聞いてみやれ。興味深い回答が返ってくるかもしれぬぞ」



リュウが…?

何故ここにアイツの名前が出てくる。
今の話と何の関係があるというのだ。


困惑する姿が顔に出ていたのか、刑部は押し殺したように笑うと廊下の突き当たりを指差した。誘導されるように同じ方向へと目を向ければ、ゆっくりと一つの足音が近づいてくるのが分かる。



…この歩き方はリュウだ。



予想は当たったらしく、突き当たりの角を曲がってきたリュウと目が合うと、ぱたぱた小走りで駆け寄ってきた。その姿が先程刑部の手に引き寄せられていた蝶と被る。



『この時間帯に二人が縁側に居るのは珍しいね』

「なに、ちょっとした戯れよ。三成、先程の事をリュウに申してみよ」

『先程の事って?』



そう言って私の左隣へ腰を下ろしたリュウは、不思議そうに頭を傾げて次の言葉を待っている。反対側で刑部が笑っているのが肩の揺れ方で分かった。



「貴様に一つ聞きたい」

『ん、なにー?』

「愛情とはなんだ?」



口にした途端、目の前の人物はキョトンと目を丸くさせて口ごもる。何か私は変な事を聞いたのだろうか。


ただ、本当に分からないのだ。刑部が言う「愛情」というものが。そんな感情、私は今まで持っていた事はあったのだろうか。こんな血が染み付いた私なんかに。




ふいに『三成、』と凛とした声で名前を呼ばれた。我に返って顔を上げるとリュウの穏やかな笑みが映り、張り詰めていた胸のざわつきが沈んでいく感覚に襲われる。


いつも、そうだった。

コイツが傍に居ると憤慨していた感情が冷却されていくのだ。



『愛情って、温かい物なんだよ』

「温かい?」

『誰かが誰かを想う気持ち。その人の為なら何でも出来る、って思える気持ち』



傷だらけの私の手にリュウの手が触れる。冷たい皮膚にリュウの熱が浸透して上がっていく体温。何故か懐かしいと、思っている自分がいた。



『刑部が三成に小言を言うのも愛情』

「ヒッヒ。ちと歪んでるかもしれぬぞ」

『家臣達が三成に寝るよう、気遣ってるのも愛情』

「アイツ等がか?」

『三成は、ほっとけないから』



触れている手から感情が溢れ出してきそうだ。


…そうだった。

何故懐かしいと思ったのか。


泥雨に塗れたあの日、血と黒雨で震える手を握ってくれたのは他でもない、リュウだった。泣き叫び、掠れた喉で己の崇拝するお方の名を呼び続ける事しか出来なかった私を、抱きしめたのは華奢な腕だった。



『あたしが三成を心配するのも愛情だよ』

「何故、私なんかに構う」

『三成だから、かな』

「どうゆう意味だ?」

『じゃあ何で三成は刑部の看病をするの?』

「それは、」



今更考えて言葉が途切れる。

何故、だ。
気がついたらいつも己の体より優先して奴の体調を気にかけていた。寒くはないか、苦しくはないか、怪我はしてないか。




「ぬしには不幸は似合わぬ。我だけで充分よ」




…そうか

失いたくないからか。
もう私の元から誰一人去ってほしくないからか。

置いて逝かれるのは、あの日だけでいい。





『三成が刑部を思う気持ちと、あたしが三成を思う気持ちは同じだよ』

「同じ気持ち、か」

『いつか気付く時がくるよ。…あわよくば、三成のその思いの先にあたしがいれたらいいな、なんて』



困ったように語尾を濁す横顔。日が落ちて、体を突き抜ける風が冷たくなったというのに、握られている手が焼けるように熱かった。


既にボロボロの私の手を、まるで壊れ物を扱うように静かに触れてくる細い指は、いつも私を闇から引き上げてくれていた。


この熱が無かったら私は、私ではなくなっていたかもしれない。見境なく目の前に立つ全ての者を斬り捨て、怒り狂い、はいずり回っていたはずだ。



『あたしが三成を心配するのも愛情だよ』



愛情、か………





『夜風に当たりすぎるのは体に悪いから、そろそろ戻ろう?』

「そうよなぁ。やれ三成、戻るか」

「…リュウ、」

『どうしたの?』

「貴様は先程、心配する事も愛情だと言ったな」

『そうだね。大切だから心配するんだよ』

「では、私がリュウに、共に生きてほしいと願うのも愛情というのか」

『……え、』

「私の元から去ってほしくない。血に染まってほしくない。たわいのない話を聞かせてほしい。そう思う事は愛情なのか?」

『みつな、り…』

「どうやら、私には貴様が必要みたいだな」



頭で思った事をそのまま口にしてみれば、隣でリュウは声を失った鶯のように固まって動かなくなる。月明かりしかない薄暗い縁側なのに、慌てて言葉を探す横顔が鬼灯色に染まってみえて。



何故だか、じわりと胸の中が温かくなった。それがリュウのいう愛情という物なのか分からない。



だが、何処か穏やかでいられる。




『愛情って、温かい物なんだよ。誰かが誰かを想う気持ち、その人の為なら何でも出来るって思える気持ち』



リュウの為なら私は。


残された僅かな灯を奪うだけでなく護る刃として、命が尽きるその日まで翳し続けようと、そうお前と契りを交わそう。























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さやかリクエストの三成夢です。いつも素敵すぎる絵をくれるお礼に書かせてもらったのですが、オチが迷子ですいませ…っ!あたしの書く三成はヤンデレみたいになってしまう。こんな話ですが、読んでいただけたら嬉しいです!

リクエストありがとう!★


H221014 リュウ

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