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※死ネタ
※主人公は伊達軍の忍
鬱蒼と生い茂る森の中、昼間なのに木々の葉によって光が届かず、まるで夜のような暗闇が広がっていた。
鼻腔を掠める湿った空気が漂い視界を鈍らせ、足場の為に踏み付けた幹がミシリ、ミシリと静かな世界に音をたてる。それ以外は無音。
忍である立場上、こうゆう静かな場所は嫌いではなかった。遠くの音まで聞こえるから人の気配に気付きやすい。人混みではまみれてしまう。様々な感情や視線や物音に。
「俺様とした事が予定より遅れちゃったよ。旦那怒ってるかな〜」
偵察先に行く前、旦那に「帰ってきたら手合わせ願いたい!」なんて頼まれたから少しでも早く帰らないと鍛練する時間が無くなってしまう。もし帰りが夕日の落ちる頃になってしまったら一大事だ。
(俺、殴られるんじゃね?)
あの燃え滾った拳で殴られたらたまったもんじゃない。いつも間近で大将と旦那の殴り合いっぷりを見てきたんだ。その威力は嫌ってほど分かってるっつうの。
吹っ飛ばされる障子、穴の開く床や天井。直すのはいつも俺様なんだけど。もう少し給料を上げて欲しいなぁ、ホント。
はぁ、と小さく溜め息をついた時、自分のすぐ近くで動く人の気配を感じた。ぴたっと立ち止まり、神経を研ぎ澄まして辺りを見渡せば、木の茂みから現れた一つの影が口を開く。
『っ…、なんだ、佐助か』
「あららっ、久しぶりの顔じゃん。リュウ」
構えていた苦内をしまいながらヘラリと手を振ればリュウも安堵した表情を浮かべた。風が吹く度に揺れる葉の隙間から一筋の光が射し、ほの暗い森のあちこちを照らす。
「そっちも戦場偵察とかだったり?」
『視察は視察でも戦場じゃないよ。どっかの誰かさんの雇い主があたしの主に火をつけたみたいで、動向が気になるんだって借り出されたの』
「…まさか真田の旦那の事?」
『政宗様も燃え滾ってるよ』
はぁ、と困ったように溜め息をついてるわりにリュウの顔は穏やかに笑っていて。
なんだろう。
きっと俺が旦那を思う気持ちと似ている気がする。危なっかしくてほっとけなくて、変に素直だから目を離せない。
…ってなんで母親みたいな気持ちになってるわけ、俺様。
「じゃあさっきまで武田に居たのか。何ならもっとゆっくりしていけば良かったのに〜。俺も帰るし」
『長居は出来ないよ。政宗様にも夕刻までには戻るように言われている』
「健気だねぇ。独眼竜がそんなに大事?」
『なに当たり前な事を聞いている。あたしの命はあの方の為に存在しているのだ』
「かすがと同じ事を言うなぁ〜。女って怖いねぇ」
おどけて言ってみたものの、本心はこんな事を言いたかった訳ではない。
主君の為に命を張るのは忍の役目であって生きる意味や、誇りになる。その思いを無下にしたいんじゃない。
ただ、リュウには。
忍になってほしくなかった。
そんな事をぼんやりと考えてた。
いつも。ずっと。
お前と出逢ってから。
誰かの為になんて命を易々捨てないでくれ、と。
「なぁ〜。もし、俺が何処かの国の主だったら、リュウは護ってくれたりした?」
『…遂に頭までおかしくなったのか』
「ちょっとちょっと!それは言い過ぎでしょーが!」
頭“も”ってなんだ。
他もおかしいみたいじゃん。
俺は一番まともな人だと思うけど?
武田軍の中では。
『でも、あながち間違ってはないよ』
「え、ええ?」
『佐助が雇ってくれるのなら、あたしはお前に命を懸ける』
目眩がした。
まさかそんな返事が返ってくるなんて思ってもみなかったから不意をつかれて顔に体温が集まる。この場所が暗くてよかった。こんな格好悪い所を見られる訳にはいかない。
大事な女の前では格好つけたがるのは男の性だと思う。
『そろそろ、あたしは行く』
「え、ああ……気をつけろよ」
『佐助こそ、無理をするな』
(それは、こっちの台詞でしょ。)
リュウはふわりと笑って音もなくその場から姿を消した。風につられてちぎれた葉がゆっくりと地上へと舞い降りていく儚さに忍の運命が映し出されているかのようで。決して綺麗な死に方は出来ない。所詮、雇われた身だ。生まれた時も死んでいく時も、先の見えない暗闇なのだろう。それでも生きていかなければならない。
例え明日が来なくても。
目の前が血に染まろうとも。
お前が居なくなろうとも。
「…リュウが、死んだって?」
配下の忍の口から紡がれた言葉に頭の中が真っ白になった。耳鳴りが頭蓋を圧迫して鳴り止まない。
何故、どうして、
いつ、誰が……
「国主である伊達政宗を庇って討たれたとの事です」
「…………」
「長……?」
「…ああ、報告ご苦労さん」
独眼竜を庇って、か。
本当、忍らしい死に方だね。
リュウらしいよ。
自分が心から慕う者の為に最後の最期まで命を懸けた。それでお前は幸せだった?
忍の道に幸福なんて字は何一つないけれど。
最期は笑って死ねたのか?
独眼竜の背中が頭に浮かぶ。
国主は周りにいる大切な誰かを失っても、後を追って死ぬ事が出来ない。
その事実が残酷で、だけれど何処か滑稽で。
リュウを失った俺は、今まで独り占めしてきた青い竜を憾む事しか出来なかった。
「……すけ、佐助っ」
「…へ?あ、ごめん…旦那」
「暗い顔しているぞ、何かあったのか?」
「んー、…ちょっとね」
旦那にまで気付かれるほど顔に出てたなんて忍失格だよ、本当。
灰色の雲が太陽を隠して、縁側に座る俺と旦那の顔に影を作った。薄暗い。冷たいような、温かいような不吉の風が吹き荒れる。
ああ、なんて。
ちっぽけな世界。
「…旦那はさ、もし自分が大事にしてる物が忽然と無くなったら、どうする?」
「急にどうしたのだ?」
「復讐とか、する?」
「佐助、……?」
心配そうに顔を覗き込む主に思わずハッと我に返った。
自分でも制御出来ないほどの憎悪が体を包んでいる事が分かる。禍禍しく纏わり付き、離してくれない悍ましい闇。人を……大事な人を失うと生まれるこの痛みが“憎悪”という感情なのだろうか。
「何でもないよ、旦那。今の事は忘れて」
「し、しかしっ」
「旦那は前だけを見て。俺様の大将はアンタだけなんだからさ」
その為にこの命がある。
もしも旦那の為に死ぬたのなら……向こうの世界でリュウとまた再会出来るだろうか。
いよいよ空が泣き出した。
この雨で俺の血と悪で汚れた手を洗い流してくれればいいのに。
擦っても、擦っても落ちないで皮膚へと染み込んでいく。
アイツの居ない世界ならいらない。いっその事、壊してしまえと。
そんな風に真っ直ぐ生きる事が許される時代だったら。
しとしと降る雨を縁側から見つめ、声を殺しながら疼く胸を必死に押さえ付けた。
影に溶け込む。
H22 0913 リュウ
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