戦国短編

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お昼すぎからの授業はまったくもって耳に入らない。
黒板に文字を書く音とか、シャーペンがノートをなぞる音とか、窓から入ってくる風に揺れるカーテンの姿とか、やる気を削ぎ落とすには十分すぎるもので。


そんな窮屈な空間から逃げ出すように先生に「保健室へ行く」と嘘をついて屋上まで来ていた。





重い鉄のドアを開ければ広がる空と、頬やスカートを揺らす優しい風。肺いっぱいに酸素を取り込んで大きな背伸びをし、ドアの横にある錆れた梯子へと足を掛けた。


ぎしり、ぎしりと悲鳴をあげるソレは無視して一番上まで上りきれば、見慣れた男が大の字にねっころがっている。


その人物の横へそっと近づいて座れば、太陽に反射して銀髪が眩しいほど透けて見えた。染めているくせにフワフワと揺れる髪に誘惑されて手で触れば、隠れてない右側の瞼がピクリと動く。そして、やがて開かれていく右目を覗き込み、焦点が合ったのを確認して声をかけた。



『おはよう、元親』

「ん、……おう、リュウか」



むくり、と上半身だけ起こし、大きな欠伸をしてまだ寝ぼけた目でこちらを見つめ返してくる男に小さく笑った。


いつもの覇気が全然感じられないけど、そんな姿が子供みたいで可愛いと思ってしまう自分がいる。普段は学校中、いや街中でも「不良」というレッテルを貼られている彼でも、こんな幼い顔をするのだと周りの皆が知ったら驚くに違いない。



「お前もサボリか?」

『せっかくこんなに天気がいいからジッとしてられなくて』

「はっは!分かるぜ。じゃあ、」



“行くか?”

その問いに二つ返事で返すと元親はさっきよりも大きな声で笑った。

やり方も言う事も横暴で計画性なんか何一つなくて。だけれどそんな元親の隣は不思議なくらい落ち着く。ずっと昔から。

なんでだろう。













『あれ、今日はチャリなの?珍しい』

「Myバイクは生徒会に拉致られた」



“俺のキャサリンが…”

なんて呟きながらうなだれる元親にたまらず笑いが込み上げて、隠そうと思ったのに呆気なくバレて怒られた。


この学校の生徒会は他校の生徒会と比べてかなり手強いと思う。何たって会長は豊臣秀吉という2mを超える超人だし、加えて副会長は頭の切れる竹中半兵衛。鬼に金棒とはまさにこの事だろう。


ちょっと校則を破っただけで活動停止にされる部活が続出している。こないだ幸村が蹴ったボールが窓ガラスを割った時は大惨事になったっけ。




そんな事をぼんやりと思い出していたけれど、近くで聞こえた元親の「見つかんねぇうちに行くぜ!」という明るい声にチャリの荷台へ飛び乗った。



「しっかり捕まってろよお!」

『落としたら罰金!』



大きな背中に腕を回してくっつけば、元親の声が振動して伝わってくる。それと同時に鼻を掠める香りに心臓がギュッと音をたてて縮んだ気がした。





どんどん加速していくスピード。頬を撫でる風、セットした髪がユラユラ揺れる。さっきから視界に入ってくる銀髪は、太陽の光を浴びてキラキラと反射し、肩越しに見える青い空と良く合っていると思った。


なんだか無性にドキドキしてきて、腰に回している腕に力を込めれば、それに気付いたのか元親が小さく笑う。そんな些細な仕種にさえ反応してしまう自分が悔しい。



「俺さ、思うんだけどよお、」

『んー?』

「今日授業でやった一夫多妻制の意味がわからねえ」

『え、男のロマンじゃないの?』

「俺は一人の女を大事にしていく方が幸せだと思うぜ」



思わず言葉につまる。二人乗りという顔が見えない体勢で良かったとつくづく思った。絶対、あたし、顔赤い。

他の男が言ったらキザで軽く聞こえるかもしれない。


でも、元親だから。
一つ一つ発する言葉が深くて、重くて、信じられる。そんな未来が羨ましくて。


3年後、5年後、10年後。
元親の隣には誰が居るんだろう。あたし達はいつまで一緒に居られるんだろう。季節が変わる度に不安が胸に広がった。



『きっと、元親と結婚する人は幸せだろうね』

「じゃあ、お前は幸せだな」

『……なんで?』

「リュウ、昔に言ったろ?“元親とケッコンする!”って」



カラッと晴れた空によく似た乾いた笑い声が誰も居ない辺りに響いたのと同時に、幼い頃の記憶がフラッシュバックしていく。



確か、あれは幼稚園の頃。
全学年合同で遠足に行った時、ほどけた靴紐を直していたら周りの友達とはぐれてしまった事があった。

初めて来た土地。
初めての山登り。

辺りは人っ子一人居なくて、ただ不気味な木がズラリと並ぶだけ。

不安で泣き出しそうになった時に遠くから名前を呼ばれて振り返れば、そこには息も絶え絶えな元親が立っていた。



いよいよ泣き出したあたしの手を、不安を吹き飛ばすような笑顔で握って歩き出してくれて。この頃から元親は温かくて、強くて、格好よくて、安心する存在で。


その時に言ったんだ。

『元親とケッコンする!』って。


まさかそんな昔話を遡らせてくるとは。



『お、覚えてたんだ…』

「おうよ、バッチリとな」

『穴があったら埋まりたい…!』

「はっはは!そうゆうなって!」

『うぅ…』

「なぁ、まだ有効だろ?」

『有効…?』





もう泣くなって、リュウ

だって……!

やっぱりお前は俺がいないとダメだな

うぅ……っ

だから俺が…――――




「リュウを貰ってやる」



過去と今が重なる。
あの時は同じぐらいの背丈だったのに今じゃこんなにも違ってしまった。遠くなってしまったと思っていた距離は変わらず近くにずっとあったんだ。


嬉しくて、もどかしくて、どんな風に表現していいか分からず、目の前の大きな背中へと顔を埋める。制服の上からでも伝わってしまうのではないか、と思うほど心臓が忙しなく体を叩く。


(どうか、この音が元親に聞こえませんように、)



『…貰ってくれるの?』

「ったりめーだ。他の野郎なんかに渡すかよ」



自転車を漕ぎながらチラリとこっちを見て笑ったその顔は、何処かほんのりと赤く色付いてて。初めて見たその表情にまたバクバクと心臓が痛くなって、苦しくなって。


この想いをどう伝えよう。



昔から何十回も、何万回も言いたくて伝えられなかった、たった一つの想いがある。
言葉だけじゃ表せきれない。
でもどうしても言いたくて。
聞いてほしくて。




『元親……好きだ…っ』




目の前のYシャツを握りしめ、その背中に顔を埋めながら小さく呟けば、頭の上から照れた音色で名前を呼ばれて、今度こそ心臓が爆発するかと思った。



「俺も、すっげぇ好き」



ポツリポツリと真っ白な雲が浮かぶ真っ青な空の下、夕焼けのように顔を紅く染めた二人の姿がカーブミラーに映っていた。


















H221004 リュウ

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