戦国短編

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満月の夜は決まって閉ざされた左目が酷く疼いた。
ずきん、すぎんと眼球から上へと上って頭蓋に反響する。起きていても、寝ていても、閉じていても、開いていても、痛みは変わらず体を蝕み続けた。



こんな目、いらねえ…――







薄暗い船内を通り抜け、甲板へと出てくれば、肌寒い風が体を包み込んで体温が急激に落下する。見上げた空に浮かぶのは不気味なまでに肥大した満月。色白く青ざめた肌に突き刺さるような光。このまま見続けたら引きずり込まれそうになる感覚に侵食され、思わず目を外した。



何を恐れている。

「西海の鬼」と呼ばれる俺が苦手とする物なんか無いはずだ。奪って、喰らいつくして、全てを掻っ攫ってきた。無謀だと思われた物だって全て、全て全て。


なのに、

痛むこの左目は何だ?
疼く心の臓は何だ?

微かに震える手足に呆れた溜め息しか出てこない。





この目のせいで誰かと目を合わせる事が怖くなった。昼間はそんな軟弱な感情は野郎共とふざけてる間に何処か彼方へ吹っ飛んでしまっているというのに、夜は。何だか無性に怖じけづく。その理由を左目のせいにして逃げている事は分かってた。だけれど。




化け物め……!

災いの子よっ!

目を合わせるな!

その闇に喰われるぞ!




過去に浴びせられてきた言葉の刃が体中のあちこちに刺さって抜けやしねぇ。いつの間にかその傷は化膿して何年経った今もなお、俺を殺し続けている。


気が狂うその前に、
いっその事、一思いに



「殺してくれよォ…」

『元親……?』



突如呼ばれた己の名前に慌てて振り返れば、朧げな瞳を擦りながら佇むリュウの姿があった。いつもは一つに結っている長い髪が潮風に吹かれて揺れる。誘惑するには十分すぎる色香。冷たかった体がジワジワと解凍されていくのが分かった。


まだ寝ぼけているのか、焦点の合わない目でおぼつかない足を動かし、俺の前までやってくると不思議そうに顔を傾げた。揺れる髪が月明かりに燈され溶ける。



『眠れない…?』

「そうゆう訳じゃねぇけど、よ……」

『平気?顔色悪いよ、元親』

「………っ」



心配そうに顔を覗き込んでくるリュウから反射的に目を逸らしてしまった。普段なら、至近距離で見れるなら大歓迎だというのに。


駄目だ。今は見れない。


アイツが……―

月が、見てる。



雲一つない群青色の天。
果てしなく続く一線を生み出す波。
ざわり、ざわりと耳を犯していく音が今は無性に嫌で仕方ない。



月に怯えて震える鬼は何て滑稽なのだろう。




『……元親、』

「なん、……っ」



俯いていた顔を上げようとした瞬間、背伸びした華奢な手が俺の目元を塞ぐ。急に光を失った視界に思わずよろめきかけた体に、染み渡るリュウの体温。



『忘れていい、』

「リュウ…?」

『怖くない、怖くないよ』

「……な、」



まるでお呪いのように近くで聞こえる声。覆われる手の平から伝わってくる熱が冷たい眼球を突き抜けて体内へと浸透していく。


さっきまで疼いて仕方なかった痛みが浄化されていく心を噛み締めるよう、そっと小さな熱を抱き寄せれば、空気と共に吐き出された笑い声。そんな些細な事なのに欠けていた物が満ちていく気がした。




疎まれ続けた左目が疼く満月の日は、腕にリュウを抱いて眠ろう。どんなに深い闇に飲まれても引きずり戻してくれる華奢な手。

お前がいるから、俺は笑える。



だから、どうか。

俺からコイツだけは取り上げないでくれ。



左目ならいつでも差し出すから。






















タイトル:クスクス様

H221004 リュウ

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