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体を突き抜ける風、肌を注す熱、潮の匂い、鴎の鳴く声。頭上から見下ろす太陽が水面に反射して宝石のような輝きを放つ。
遠くに見える水平線を目指して海を縫うように進撃するこの船は、命より大事な存在だった。何せ、この俺を慕って着いてきてくれる野郎共を乗せてんだ。何物にも変えられねぇ、俺の一番のお宝と言ってもいい程の自慢の逸品。
「アニキ!陸が見えてきやしたぜ!」
「おうよ。そろそろ着く頃合いだと思ってたぜ。野郎共ぉ!碇を下ろせぇ!」
“アニキー!”
もはや恒例となった掛け声を合図に甲板が慌ただしく音をたてる。帆をたたみ、舵をきり、速度が降下していく船。綱を巻き取る音、碇の金属音、活気だつ野郎共の声。毎日聞いてる音なのに飽きる事なんて一度もなかった。徐々に姿を現し近付いてくる陸に胸がうねりをあげて踊る。
まさかこの地で。
海よりも焦がれる物に出逢えるなんて、思ってもみなかった。
小さな祈り。
碇槍を肩に担ぎ、すたっと乾いた音をたてて船から飛び降りて久しぶりの土の感触を踏み締める。木材とは違う生きているような心地好い感覚に何だか懐かしくなったのと同時に、この地にはどんなお宝があるのだろうと、体が疼いて仕方なかった。
「いきなり村の真ん中を突っ切って面倒な事になるのは御免だからな。まずは周りから探りを入れていくぜ野郎共ぉ!!」
「「アニキィイ!!!」」
地を揺さ振るほどの雄叫びをあげて男達は四方八方へと散っていく。傍から見たら柄の悪い輩。それでも俺にとっては可愛い子分に違いはなかった。
(あんなにはしゃいでるアイツらは久しぶりに見るなァ)
くいっと上がる口角を隠さず空を仰げば、心地好い風に身を任せて流れていく鱗雲が目に映る。
「良い天気だぜ」
宝探しにはうってつけのな。
野郎共の小さくなっていく背中を見送り、俺は反対の方向へと足を踏み出した。
静かな海岸沿い。
小石と砂が混じり合う声が歩幅に合わせて鳴いている。大人数で盃を交わしながら騒ぐのも好きだが、たまには波音しか聞こえないこういう場所も悪くない。
最初に船から降りた地点から東へどれほど歩いて来ただろうか。先程より日が傾いてきたから随分な時が経ってるはずだ。アイツらは何か見つけただろうか。
頭の中でぼんやり考えていると、視界の隅で花びらが舞ったのが見えた。舞った、というより散ったという方が正しいかもしれない。一枚、また一枚と俺の目の前を風に流され飛んでいく薄紫に身を染めた花びら。この辺りに咲いている花ではなさそうだ。
一体、何処から。
気がついたらまるで誘い込まれるかのように勝手に足が動いて、花びらが流れてくる方向へと向かっていた。
近付くにつれて甘いお香の香りも混じってくる。やや小走りに岸辺を駆ければ、切り立った丘の上に、「女性」というにはまだどこか幼さを残した、あどけない表情を浮かべた一人の少女が、海を眺めながら岩の上に座っていた。
「………っ、」
その光景に思わず息をのんだ。小柄な花の刺繍がされている淡い色の着物に薄紅色の肩掛けを羽織り、長く伸びる艶やかな黒髪と仄かに染まる頬。真珠を思わせる透き通るほど白い肌に、抱き寄せたら折れてしまいそうな華奢な腕。
視線を下に向けると、細く長い指から先程から追いかけてきた花びらが零れては、風に煽られ流されていった。
絵に描いたような光景とは、まさにこの事なのだろう。
目を奪われたまま動けなくなった俺に気付いたのか、座っていた少女は一瞬驚いた顔をして、風で乱れた髪を耳にかけた。その行動につられて簪に着いている鈴が空気を震わせるように小さく鳴く。
「アンタ、一人かい?」
『…貴方は?』
「俺か?俺は西海の、」
“西海の鬼だ”
などと言ったら脅かしてしまうに違いない。ただでさえこんな見た目だ。周りから見たら、か弱い少女に集ってる族にしか見えないだろう。かといって本名を言って、四国の長が国をほっといてこんな場所に来ていいのかと、問い詰められても困る。
……まぁ、西海の鬼と名乗った所でも同じ事か。
『西海の……?』
「あー、いや……西の海から来たんだよ」
『海賊さんなの?』
「なっ!何でも分かった?」
『そんな大きい碇を背負ってるから』
“なんとなくね、そう思ったの”
強張った表情が一変して、柔らかな笑みを浮かべる姿を見て心臓が壊れそうな音をたてて軋む。まるで、空に散っていった花びらのようだと、柄にもなく風流な事を思わずにはいられなかった。
「…怖くねえのか?」
『どうして?』
「海賊だぞ?アンタみたいな綺麗な女、とって食われる可能性だってあるじゃねぇか」
『他の人は警戒するかもしれない。でもあたしは羨ましいなって、』
「羨ましい?」
『だって、自由だから』
「…アンタは自由じゃねぇのかい?」
色白の肌に影がさす。
俺から視線を逸らして、海に目を向ける横顔が初めて見た時と同じくらい寂しそうだった。このまま引き止めなければ堕ちていってしまいそうな、そんな色を失った目。
『本当は外に出たら駄目な体なの』
「どこか悪いのか?」
『…少しだけね。でもずっと自室に篭っているのは嫌で、時々こうやって内緒で外へ出てるの』
そう言って足元に咲く一輪の花を摘み、先程と同じように花びらを一枚一枚空へと解き放つ。
あまり外へ出られないのなら、きっとこの世にある半分の景色も知らないでいるんじゃないか。
季節の花も、突然の雨に打たれる事も、船の上で吹かれる風も、お祭りの雰囲気、屋台の匂い、村人が作物を作ってる姿も、野原を駆け回る幼子達の笑顔も。
そんなの、
寂しいじゃねぇか。
「…なぁ、俺がアンタの見た事ねぇ世界を教えてやるよ」
『え、でも…』
「俺は自由きままな海賊だって言ったろ?どんな荒波も乗り越え渡ってきた旅路は、絵巻にしてもいいくれぇ面白い事ばっかでよぉ」
これは一種の賭けだった。
拒絶されたら大人しく身を引こう。
所詮、海賊の言う戯れ事だ。
そう言われたら終わりだが。
『だって、自由だから』
知ってほしかった。
もっと綺麗な世界を見てほしかった。
『…聞きたいな、』
「……っ、」
『海賊さんの話、もっと』
“知りたい”
笑った顔は牡丹のように美しく、椿のように儚かった。
(ぽとり、と落ちてしまう前に)
「おうよ!聞いて驚くなよ?」
契れた花びらは静かに海へと還り、穏やかに揺れる水面を見つめながら、俺は今まで歩いてきた軌跡を一つずつ思い返しながら口にした。
鳶が頭上で旋回している。
耳鳴りに似た風は、もう止んでいた。
続く
H221006 リュウ
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