「仕事と俺とどっちが大切なんだよ」

 漫画やドラマのようなフィクションでしか聞いたことのないセリフをまさか自分が言われるとは思ってなかった。3秒くらいびっくりして固まった私に目の前の男は眉間に皺を寄せる。

「どっち」
「えっ、仕事」

 間髪入れずにそう答えると目の前の男はテーブルに自分のお代だけ置いて「そんな冷たい女だとは思わなかった。別れるわ、じゃあな」と1人さっさとお店を後にした。その後ろ姿を見て私はため息を吐く。あんたも仕事も比べるもんじゃないでしょうよ………。もぐもぐと残りのご飯を食べすすめていれば後ろの席からくつくつと笑い声が聞こえた。しまった、後ろの席は人がいたのか。しかし人の不幸を笑うとはロクな奴じゃないなと無視してご飯を食べていると声をかけられた。

「相変わらず仕事人間だね、苗字ちゃん」

 かけられた声がどうも聞き慣れた声だったので横を向いて口を開く。

「人の不幸を笑うロクな奴じゃなさそうなのがまさか萩くんだとは思わなかったよ」
「俺だって笑いたくて笑ったわけじゃないってば。でもあんな台詞まさか飯屋で聞くと思わないじゃん」
「まあ確かにね」

 さっきまで彼氏…ああ、違うか。元彼が座っていた席に腰を下ろすのは警察学校時代の同期だ。卒業前に機動隊のスカウトを受けて確か爆発物処理班に所属していたはず。機動隊、白バイに憧れた時期もあったなあ。

「で、人の不幸を笑う萩くんは私に何の用かな?」
「何の用って、ん〜苗字ちゃんが1人寂しく泣いてないかと思って」
「私、冷たい女らしいからフラれたくらいで泣かないわよ」
「さすが捜一のマドンナは違ぇや」
「は?マドンナ?なにそれ」
「え、苗字ちゃん知らないの?周りからそう呼ばれてるよ。捜一の2大マドンナ」
「2大…?ああ、もしかしてもう1人は美和子ちゃん?」
「確かそう」
「美和子ちゃんは美人さんだもんねえ」

 食後のお茶を飲みつつひとつ下の後輩の美和子ちゃんを思い浮かべてしみじみと呟いた。

「おーい、年寄りくさくなってるよ」
「お茶にホッとしちゃってつい…」
「さっきフラれた人の姿とは思えないなあ」
「…やけに強調してくるね、萩くん」
「いや、たぶん浮かれてるからかな」
「?」
「ね、苗字ちゃん」
「なあに」

 テーブルに備え付けられているタブレットで食後のデザートを頼む。

「仕事に理解があって、同業者、ちなみに同期であんな面白台詞は言えないけど惚れた女には一途な優良物件があるんだけどどう思う?」
「………それは、」
「好きなんだ、苗字ちゃんが」

 口を開こうとした瞬間に、タブレットで注文したデザートが配膳ロボットで運ばれてくる。タイミング悪すぎて居た堪れないなあと思いつつ受け取りロボットを返してからデザートのきなこアイスを一口。

「私、今さっきフラれたばっかりなのだけれど」
「知ってるよ。さっき言ったでしょ、浮かれてるって」
「それにしてもフラれてすぐの告白は驚くんだけど?」
「記憶に残るでしょ?」
「………私ね、」
「うん」
「父親が刑事だったの。捜査中に犯人に殺されそうになった子供を守って死んだの。私がまだ5歳の時だったわ。それから母は私を女手一つで育ててくれて。とても苦労していたのを覚えてる。だから、私付き合う相手にはひとつの条件を付けてるんだけど…萩くんは守れる?」
「どんな?」
「私を置いて死なない人」

 きなこアイスを溶け切る前に食べ切って萩くんを見れば彼はちょっと困った様に頬を掻きながら「それは難しいね」と呟いた。

「俺は爆処だからいつも危険と隣り合わせだ」
「ええ」
「でも苗字ちゃんだって捜一だから危険と隣り合わせだよね」
「そうね」
「お互い何があるかわからないから約束は難しい」
「ええ」
「だけど俺は約束するよ」
「えっ」
「苗字ちゃんより先に死なないし、苗字ちゃんが知らないところで死なない。だから俺と付き合って」

 そう言って真剣な表情でこちらを見つめる萩くんに恥ずかしくなって私は目線を逸らした。

「えっと、その、」

 しどろもどろになりながらお茶の湯呑みの縁を指でなぞる。萩くんはそんな私を急かす事はせず返事を待ってくれている。

「そんなに真剣に言われたら、えっと、」
「照れた?」
「…まぁ、」
「顔、赤いもんね」
「〜〜〜っ、」
「普段は冷静なのにそうやって照れるのも可愛いと思うしそう言うところも好きだよ」
「っ、あの、ほん、と、ねぇ…」
「返事はまた今度でいいからさ、よければ意識してくれると嬉しいな」

 してます、今めちゃくちゃしてます。必死にコクコクと頷いた。それを見て萩くんは満足そうに笑ってから隣の席に戻って行く。私は深呼吸を数回繰り返してから自分の先の伝票とテーブルに置かれたお代を持ちお店を出た。いつ、返事をしようか。そんな事を考えながら。
 …我ながらフラれたばかりなのに告白されてそっちに舞い上がっている姿を見ると現金だなあ、と冷静になる。でも過去の男は新しい男で塗り替えるべきと高校の友達も言っていたし。

「(警視庁で会えたら返事、しよう)」

 そう決めたのにそれから萩くんには全然出会えず、私が告白の返事をする前に巻き込まれた爆弾騒ぎで萩くんにプロポーズされたのはまた別の話である。