パリン!

「あっ」

 ソレは私が咄嗟に手を出す前に呆気なく床に落ちて綺麗に割れてしまった。慌てて古いチラシとビニール袋を持ってしゃがみ込む。あーあ、お気に入りだったのになあ。


△ ▼


「あれ、名前さん?」
「ん?あ、コナンくん。こんにちは」
「こんにちは」
「1人でショッピングモールにいるの珍しいね、お買い物?」
「うん、でもあっちに蘭姉ちゃんがいるよ」
「ああ、一緒に来たのね」
「名前さんは1人でお買い物?」
「そうなの」

 昨日の夜割ってしまったマグカップの代わりに新しいものを買いに来たの。と恥ずかしそうに告げるとコナンくんは「名前さんおっちょこちょいだね」といたずらっ子のように笑う。こういうところは年相応なのだけれどなあとぼんやり思う。

「気に入ったマグカップ、あるといいね」
「うん、ありがとう」

 柔らかな髪の毛を優しく撫でてから向こうに駆けていくコナンくんを見送り立ち上がる。さて、マグカップを探す旅はまだまだこれからである。


△ ▼

 ショッピングモールの何軒か回って見つけたのはかわいい犬のイラストが付いたマグカップ。

「あ、可愛い…」

 手に取ったそれは持ち手の部分が犬のしっぽみたいでとても可愛い。カップのフチと中はピンク色でこれまた可愛いらしい。しかもこの犬のイラストがいつだか見せてもらった行きつけの喫茶店のアルバイターの家にいる可愛らしい犬とそっくりで見れば見るほど愛着が湧いてしまう。私は無類の犬好きなのだ。

「(可愛い、でも、ペアかあ………)」

 可愛くて、買う選択しかないのだけれど、ひとつ躊躇うことがあるならそれはこれがペアのマグカップということだ。あいにくペアをしてくれるような恋人がいるわけではない。どうしようかなあと悩んでいれば「名前さん」後ろから声が掛かる。

「ひぁ!?」

 急に声がかかりびっくりして変な声が出てしまった。ついでに手からマグカップが滑り落ちる。まずい!と思った瞬間後ろから伸びてきた手がマグカップをつかんだ。せ、セーフ…!

「危ないところでしたね」
「あ、危ないも何も安室さんが後ろから声をかけるからですよ…!」
「それはそれは。すみませんでした」
「悪いと思ってませんよね、ソレ」
「いえ、ちゃんと悪いと思ってますよ」

 落としそうになったマグカップを私の手のひらに収めながら後ろから声をかけてきた人物はにこりと笑った。
 ちなみにこの人物もとい安室透という男。私の行きつけの喫茶店のアルバイターで探偵をしていたりする。最初は胡散臭いなぁと思っていたものの探偵としての安室さんにお世話になったこともあるので腕は確かである。

「ところで名前さんは1人でお買い物に?」
「え、1人じゃなかったら一体何が見えるんですか」
「幽霊とか」
「怖い話はしないでいただけます?」
「お嫌いでしたか、怖い話」
「嫌いです。そういう安室さんもお一人でお買い物ですか」
「いえ、先程までクライアントと会っていたんですよ。で、帰ろうと思ったら名前さんが見えたので」
「そうだったんですね。お疲れ様です」
「ありがとうございます」

 さっき拾ってもらって割れずに済んだマグカップを元の位置に戻すと「あれ、買わないんですか?」と聞かれた。

「ええ、可愛いけどペアだし…」
「恋人にプレゼントしては?」
「そんな恋人がいたらプレゼントしたいですけどねえ」

 あいにくいませんし。という意味を込めてにっこり笑う。引きつってないといいなあ、笑顔。すると安室さんは意外、とでもいうような表情をしてから口を開く。

「恋人、いないんですか」
「え、いませんけど…」
「好きな方は?」
「いませんね。あ、でもこのマグカップみて安室さん家のハロちゃん思い出すくらいにはハロちゃん好きですよ」
「ハロ、ですか…」
「ええ。ハロちゃん、似てません?」

 ほら、とブルーのフチの方のマグを差し出すと安室さんは受け取ってから「確かに、似てますね」と呟く。

「ですよね」
「ハロの写真、一度見せただけなのによく覚えてましたね」
「犬好きなので。みたら忘れませんよ、あんなに可愛い子!」

 力強く答えると安室さんは小さく笑った。

「えっ、なんで笑うんですか!」
「あまりにも力強いので」
「あんなに可愛かったから力強くもなりますよ…!」
「なら、」
「?」
「これ、僕と一緒に買いませんか?」
「へ?」
「名前さんはこのマグカップを買えて、僕もハロに似たマグカップを買える。ちょうどいいですよね」
「えっどこがです!?」
「僕も新しいマグカップ、欲しかったんですよ」

 にっこり、まるで有無を言わさないような圧に開いた口が塞がらない。

「ええ、でもいいんですか?」
「何がでしょう?」
「私とお揃いになっちゃいますけど」
「ああ、それは大丈夫ですよ。むしろ…」
「?」
「名前さんとはいずれお揃いを持ってもいい仲になりたいので」
「は、?」

 多分マグカップを持っていたらわたしはまた手から落とすところだったと思う。めちゃくちゃびっくりしている。えっ、この人今なんて言った?

「あ、安室さん…?」
「はい」
「い、今の…冗談ですよね?」
「どうでしょう」
「ま、また揶揄ってますよね!?」

 そう言って慌てる私を見て安室さんはくすりと笑って何も答えず2つのマグカップを持ってレジに向かう。え、なんで何も言わないの…!!!慌てて後ろを追いかけるが神業の如くお会計を素早く済まされ値段を確認できなかった。お金!いくらですか!と安室さんの後ろで騒ぐが聞き入れてもらえず。振り返った安室さんから差し出される紙袋を受け取らずに安室さんを見る。

「割り勘です!」
「いりませんよ」
「いくらでしたか!」
「カードで払ったのでわかりません」
「レシートは!」
「もらいませんでしたね」
「カードの明細!」
「見せるとでも?」
「くっ…!」

 悔しそうにする私に安室さんは笑ってまた紙袋を差し出す。こうなったら意地でも値段を教えてもらわないと受け取らないぞ…!強い気持ちで両手を後ろに隠せば安室さんは「困りましたね」とつぶやいた。

「名前さん、思ったより頑固ですね」
「そりゃあ、頑固にもなります。安室さんだって最初、2人で買いましょうって言ったのに1人で買うんですもん」
「最初は割り勘でいいなって思いましたけど」
「けど?」
「言ったじゃないですか。僕、名前さんとはいずれお揃いを持ってもいい仲になりたいって。だから、これは僕が買うことにしたんです。そうしたらこれを使う度に僕のことを思い出して考えてくれるでしょう?」
「は、」
「ほら、現に顔真っ赤になってますよ」

 そう指摘されてじわじわと顔が熱くなっているのを自覚する。頬に手を当てて隠そうとするが時すでに遅し。

「そう隠さなくても」
「み、見ないでください…!」
「見ないでと言われても、」
「うう、ほんと、待って…」
「本当に可愛い人ですね」
「………許してください」

 降参、とでも言うように安室さんから紙袋を受け取ると彼は「おや、つれませんね」なんて笑う。わかっててやっているのだからタチが悪い。

「では、また今度お返事聞かせてくださいね」
「えっ」
「もちろん、お揃いを持ってもいい仲、に対しての返事なので」
「っ、」
「お待ちしてますね」

 そう言ってお店の前から去っていく安室さんに私はなんとも言えない表情で落とさないように紙袋の取っ手をギュッと握りしめる。
 このマグカップがお揃いとして、使われるのはきっとそう遠くはない未来だろう。