食うべからずと言うなれど

※続きません

***



「どうした、名前。元気が無いな」

ランチの時間だった。食堂で滝夜叉丸がわたしの向かい側にお盆を置いて、構えるように腰を下ろす。彼もわたしと同じ目玉焼き定食を選んだらしい。山盛りのご飯からほのかに立ち昇る湯気を前に、普段より些か機嫌がよさそうに見える。
わたしはというと、飲みかけの味噌汁はすっかり冷めてしまい、本来なら大好きな目玉焼きも、中途半端に千切れて残っているところだった。

「悩み事ならこの私に相談してみたまえ」
「はあ」

わたしはため息をついて、箸を置いた。それに構わず滝夜叉丸は定食に箸を付ける。気品に溢れた箸使い。
話していいものかと悩むうちにも、滝夜叉丸は満足そうに目玉焼きの切れ端を頬張る。その微笑む顔が、今のわたしにはなんだか面白くなかった。

「……ちょっとね。アルバイトを探してるんだ」
「ほう。……名前は休日には団子屋を営んでいなかったか?」
「ま、まあ、そうなんだけど。でも、休みの時しか働けないし……。とにかく、それだけじゃ心許ないと思って」
「そうなのか」

小首を傾げた滝夜叉丸の、艶やかな髪が揺れる。

……恵まれた身分の彼には、言えるわけがない。
その団子屋の実家に、家賃の督促状が絶えず届いているということなんて。――

滝夜叉丸はいつの間にか箸をお盆に戻し、腕を堅く組んで、目を伏せていた。先ほどとは打って変わったような、真剣そうな表情。わたしは、ほんのわずかばかり目を逸らしてしまう。

「なるほど。名前が掛け持つ仕事か……」
「できるだけ地味なのがいいと思ってるんだ。目立つのは苦手だから」

ふーむ、と考えあぐねる滝夜叉丸。

――彼には悪いけれど、常に限度を超えて目立ちたがるような人間に、果たしてこの相談を解決できるものだろうか。
「きり丸にでも相談するかなあ」と、わたしが下級生の名前を出した時だった。


「――よし、ならば私が名前を雇おうではないか!」


滝夜叉丸の明朗な声が、食堂いっぱいに響き渡った。

わたしの手から箸がすべり落ちた。
その音のせいか、滝夜叉丸のせいなのか分からないけれど、周りの視線がこちらに向けられた気配を感じて、わたしは慌てて机の下に潜る。
箸を拾い上げ、這い出ようとした時、頭に衝撃が走った。痛い。机の裏にぶつかったんだ。
「大丈夫か」と弱々しく聞こえた彼の声に、わたしはなんとか頷きながら、座り直してみせる。

……それは想定外の発想だった。

「……雇うって、滝夜叉丸が、わたしを?」
「そうだ。私の登場シーンの黒子になってもらう。知らないかもしれないが、仕事は山ほどあるぞ。
 悪い話ではあるまい。なにせ私の付き人も同然なのだからな!」

愉しげに瞳を輝かす滝夜叉丸。
彼のこういう純粋なところは、憎めずにいるけれど……。今はなんだか、わたしにはとても……逃げ出したくてたまらない。

「それは、悪くはないかもしれないけど……冗談じゃなく?」
「ああ、もちろん。空き時間だけでよいのだからな。……それに」
「……何?」

「私としても、名前なら信頼できる。そう思ったのだ」

その不思議な言葉に、わたしはきっと、いや絶対、何かの術にかけられていた。
彼の天真爛漫な笑顔を前にして、首を横に降る権利なんて、やっぱり無かったんだ。


かくしてわたしは滝夜叉丸の黒子――要は付き人になってしまった。
造花の薔薇や、背景の柄を染めた幕を数種類常に持ち運び……、彼の登場シーン、自慢話中はもちろんのこと、実習、授業中、休憩時間、委員会、果ては他人の回想内にまで連れ回されながら、わたしは彼の背後でそれを広げふす。時には下級生に頼んで、小鼓も叩いてもらう。
同級生には訝しまれ、先輩には心配されたりもした。

「教科も実技も忍術学園ナンバーワン! 四年い組、平滝夜叉丸! …………」

(ほら名前、薔薇だ、薔薇を出せ!)
(は、はいぃっ!)

……けれど、滝夜叉丸ほど目立ちたいと思わないわたしにとって、それが単純にやりやすい仕事であることも事実だった。



'111215
***

(後日)



――造花では物足りないな。

滝夜叉丸のたったその一言が、ずしりとわたしの背中にのし掛かった。体が鉛みたいに重たい。
……どうしてあの時、滝夜叉丸の誘いに乗ってしまったのだろう。わたしは過去の自分を悔やみながら、渋々返事をするしかなかった。

放課後の校門前。私服に着替えたわたしは、小松田さんに外出届を手渡す。それと同時に、預かってもらっていた腕いっぱいの花束を受け取る。
花屋さんに注文していた、本物の薔薇の花だ。
造花と違って扱いにくく、そのくせすぐに萎びてしまうから、当然注文する回数が増える。それを一度あの小松田さんに預けるということが、どれほど肝の冷えることか。
束どころか群生と言うべき数の赤い薔薇を抱くと、鼻孔を突き刺す甘い匂いに頭がくらくらする。
……けれど、ため息をつくにはまだ早い。
待ち構えていたと言わんばかりに現れていた横顔に、そう覚悟せずにはいられなかった。

「ほう。私が言ったとおり本物を買ったか。やはり造花よりもことさら美しい」
「そうだね……。滝夜叉丸、今日はどこ行くの?」

わたしは大俵みたいな花束を抱えて問い掛ける。突然現れた滝夜叉丸は、わたしが驚かないことにも驚きはしないようで、わたしを見るなり「まあ来い」と艶やかな髪を翻して歩き出していった。慌てて後を追う。

街道を行く。先を歩く滝夜叉丸の背中を、わたしは薔薇の俵を両腕に抱えながら追う。
薔薇の甘い香りが、ちくりとわたしの鼻先にふれる。
わたしは滝夜叉丸を見据えた。
その気品に溢れた背筋。忍と悟られないほどの、軽やかな足音。
優雅に、それでいて昂然と闊歩する後ろ姿に、彼の品性を悟るのも何度目だろう。
この学園で四年間ともに過ごしてきた仲とはいえ、やはり思い知らされてしまう。
……彼にとってわたしは、単なる通過点での付き合いに過ぎないのだと。

後を追おうと薔薇俵を持ち直したら、紙越しの棘に腕をチクチク苛まれて、かゆくなって仕方なかった。


――街道にある我が家には、今はわたし以外に誰も帰って来ない。一応団子屋の名残りはあるものの、休日に帰ったわたし一人が店を開くだけでは、その収入は副業にも及ぶとは言い難いもので。
だからもちろん、その家賃の督促状を受け取れるのも、わたし一人だけだった。

わたしは今、学園をやめるわけにはいかない。嫁げないのなら働くことに絞られる。けれど人には向き不向きがあるもので、わたしは人通りの中で大きな声を出し続けたり、客を巧みに言いくるめたり、うまく立ち回りできるほど器用ではない。
アルバイトに向かない性格。それが次なる悩みとなってしまった。
内職は割に合わなくて、本気で家賃を賄おうとしようものなら、睡眠時間を大幅に削ることになりかねない。それはひとまず保留として、まず何かしら、目立たなくてもできるアルバイトはないものだろうか。

……と、たまたまそこにいた滝夜叉丸に吐露してしまったのは、幸か不幸か。意外にも、彼は簡単に解決案を導き出してくれたのだ。それが今の状態。
同級生を雇うなんて思い付くところは、さすが常識外れのナルシストだと感心させられた。――


道は日当たりのいい街へ入る。
のれんが連なる家々に人が集まり、重々しい荷車とすれ違う。通り過ぎる何人かがわたしと滝夜叉丸の様子を物珍しそうに眺めているのがわかって、わたしは思わず、薔薇の中に顔を隠してしまった。

ふと、前を行く足音が止んだと思った刹那、顔面に軽い衝撃を受けた。
「いたっ」と情けない声が漏れる。滝夜叉丸の背中にぶつかったのだと分かった時には、彼が不安そうにこちらの顔を覗き込んでいた。

「すまない、名前。大丈夫か?」
「うん……。どうしたの、突然」
「向こうから来る二人を見ろ」

そう言って、滝夜叉丸はその方向を目線で指し示してみせた。わたしもつられるように目をやる。
すると、二人の見慣れた服を着た人物に気付く。
……先生だ。土井先生と山田先生が、こちらへ歩いてきている。
かと思いきや、その表情は、二人とも霞みがかっているかのように不穏そうだった。
出会い頭、先に口を開いたのは滝夜叉丸だった。

「こんにちは、先生。何やらただごとではなさそうですが、どうかなさったのですか?」

わたしも「こんにちは」と会釈する。
先に顔を上げたのは山田先生だった。

「おお、おまえ達か。いや、それがだな……」
「……あ、滝夜叉丸。まさかサクラタケ城に行くつもりじゃないだろうな」

そう土井先生が声を凄ませると、滝夜叉丸は急に背筋を反らし、顔をひきつらせ始めた。「な、なぜそれを」と狼狽える声。
その城の名前に、わたしは心当たりがない。

「サクラタケ城って?」
「名前は知らないのか。これだ」

土井先生は、そう言うとわたしの目の前で一枚の紙を広げてくれた。一見して色とりどりの、何かの宣伝のチラシのようだ。そしてそこに書かれた、派手な文字。目を細めたわたしは、無意識に声に出して読み上げていた。

「――カッコいい忍者なら誰でも参加オーケー、ハンサム忍者コンテスト――……?」

滝夜叉丸の溜め息が聞こえる。

「……すまない、名前。私はただ、自分の美しさを試したかっただけなのだ。誰かに止められでもしたら厄介だと考えて、名前にも伝えなかったのだが……」
「その勘の鋭さは誉めてやる。しかし、本来目立ってはならない忍者でこんなコンテストなど、どうなんだかな。地味な城のくせ、優勝賞品が城の財産まるごとなどという噂もあるようだ。ますます怪しい」
「し、城の財産」

山田先生の言葉に、わたしは思わず生唾を飲んでしまった。

「まあ、行っても構わないが……既に六年生や他の先生が偵察に向かっているから、お前達の出番は無いかもしれないぞ」

そう土井先生がいたずらっぽく笑うと、滝夜叉丸は唐突に背筋を伸ばした。

「いいえ、先生! この滝夜叉丸を侮ってもらっては困ります。必ずや優勝して、私の実力、そしてこのコンテストの実態を暴いて御覧に入れましょう。

 ――さあ名前、早く行くぞ!」

高らかな声に、わたしの袖は強く引っ張られた。
刹那、視界が薔薇に覆われ、足がもつれるのを慌てて取り直す。小走りにぐいぐいと引かれながら振り返ると、土井先生と山田先生が、困った顔で手を振っているのが見えた。


サクラタケという城があったなんて初耳だったわたしは、とにかく滝夜叉丸について行くしかない。次第に狭まる道にも、この薔薇の束だけは散らすまいと、腕の痺れも厭わずに、ひたすらその後を追う。

……忍者のコンテストなんて、先生の言う通り、変な話だけれど。
それでも数日前から、わたしは滝夜叉丸より、この日を空けておくよう頼まれていた。本気なんだろう。彼は優勝賞品が城の財産まるごとという噂を聞いても、元より興味がないようだった。もちろん、何かの罠だろうと察していたからかもしれないけれど……。

わたしは……その噂がもしも本当なら、わたしも参加して優勝を勝ち取ってしまえば、今の家賃停滞生活からも、抜け出せてしまえるのだろうか……。
なんて、口にはしなかったものの、そう思ったことは事実だった。

なんだか、目の前を行く滝夜叉丸の背中が遠い。
わたしは彼の隣へと、早足に並ぶ。

「……ねえ、もしも滝夜叉丸がコンテストで優勝したら、賞品はどうするの?」
「さあな。私はハンサム忍者の名を冠して頂点に立ちたいだけだ。『もしも』ではない、私が優勝するのだ!」

「――お城の財産って噂が、本当だったら」

無意識に声が低くなる。
滝夜叉丸はというと、不意にわたしから顔を逸らす。そしてぽつりと、囁くような声で語った。

「……噂だろう。だが本当だとしたら、まず私一人の手に負える話ではなくなる。それに私は、別にそんなものは欲しくはないのだから……もしも本当なら、辞退させてもらうだろうな」
「ふーん」
「そちらから聞いておいて、なんだその返事は」
「いらないんだったら譲ってくれればいいのになあ。……なんてね。
 でも確かに、自分の手に負える話ではない、か……」
「名前?」

滝夜叉丸に言われるまで、そんな現実的なことは考えてもみなかった。わたしが貪欲なのか、彼がストイックなのか。さては、彼にとっては城一つの財産なんて、欲するに値しないものなのか。
抱えている薔薇が重く、遠慮なく腕にもたれかかってくる。
しかし溜め息をつこうとした途端、その腕の中がふっと軽くなった。

――まさか、落とした?
慌てて両手で宙を泳いでいると、

「持ってやる」

聞いたこともないような声がして、顔を上げた。
真剣な顔をした滝夜叉丸が、こちらを見下ろしていて、……その腕には、ついさっきまでわたしが抱えていたはずの薔薇。

「あっ」

――いいよ、わたしの仕事なんだから。

わたしがそう口にするが早いか、滝夜叉丸はまるで聞かんとばかりに背を向け、既に歩き出していた。
……薔薇を取り上げられて、物寂しくなったはずの胸が、不意にあたたかくなる。

「…………ありがとう」

小走りに駆け寄り、その背中に告げた。


「ふん……。とにかく、あの峠を越えたらサクラタケ城だ。歩きながらになるが、まずは打ち合わせを始めるぞ」
「了解です、ダンナ」
「ダンナって呼ぶな!」

滝夜叉丸が薔薇を持ってくれた理由は分からない。威張ることも、照れることもなく。先程と全く変わらない優雅な足取りを、わたしはただ追いかけるしかなかった。



'110529
長編として書いていたもの