早くくっつけばいいのに

浜⇔夢主←斉藤、綾部


***
(タカ丸)


「早くくっつけばいいのに」

 陽が高い中、影が差す焔硝蔵の裏。
 どん、と音を立て、喜八郎の背中が、踏み鋤を地面に突き立てる。
 そして彼ははっきりとそう口にした。ぼくはその言葉に三回ほど瞬きをしてしまった。

「タカ丸さんもそう思いませんか」

 そう言って振り返る喜八郎は、ひどく不機嫌そうに眉を顰めていた。
 強引な振り方だけど、彼の言葉にはぼくも心当たりがあった。あてはまる人物の名前を二つ挙げてみる。

「……守一郎と名前のこと?」
「そうでーす」

 すると、間髪入れずに気の抜けた返事が来る。喜八郎は不貞腐れながら「見せつけてくれちゃって」だの「バレバレでむかつく」だの呟き、挙句の果てには「名前に最初に目をつけたのは僕なのに」なんてぼやいている。
 ……ぼくだって、昔名前からお嫁さんにして欲しいって約束されたことがあるんだけどな。まあそれは置いといて。

「二人で落ちちゃえばいいんですよ」
「喜八郎の落とし穴に?」
「そう!」

 ぼくの言葉が思い通りだったのか、びし、と人差し指を向けられる。

「そのまま出られなくなっちゃえばいいんですよ」
「髪も結っちゃう?」
「恋に落ちて二人は髪ごと結ばれる、と」

 洒落たことを言いながら、喜八郎は苦虫をかみ潰したように顔を歪めていた。その表情はぼくの気持ちも代弁してくれてるみたいで、少しだけ頼もしく見えた。


***
(喜八郎)


 作戦決行。この時間になると、食堂から昼食を終えた生徒がまばらに散り出すのだ。
 僕はタカ丸さんを連れて、校庭へと急ぐ。
 既に罠は仕掛けてある。見覚えのある目印もすぐに見つけ出せた。

「そろそろ名前と守一郎が出てくるはずです」
「よく知ってるね」

 素直そうに感心するタカ丸さんに、僕は目もくれず目印を取っ払う。そして少し下がって茂みの裏へ身を隠す。

「元々名前が一人でいたから……」

 毎日校庭を徘徊してるうちに、名前を見かける場所と時間とが分かるようになった。毎日、ずっと見てたのに、今ではそこに守一郎がついてくる。こんなに苛立たしいことがある?
 ……そんな僕の気持ちを悟ってか、タカ丸さんは痛ましそうに眉を吊り下げていた。でも、タカ丸さんだって何度か名前をお昼に誘っていることを知っているから、僕はそれすら鼻息であしらう。

 間もなく想定通り、見知った顔が二人並んで校庭を行くのが見えた。案の定、名前と守一郎だった。
 談笑する二人は、足元も見ずに、互いの笑顔に見とれあっている。
 タカ丸さんの、息を呑む音がする。
 そうだ。そのまま真っ直ぐ歩いて、二人は同時に、空洞の地面を踏む――。


***
(守一郎)


 硬い土壁。
 泥まみれになった服。

 不覚だった。真っ先に俺はそう恥じた。
 名前との雑談に浮かれて、足元をまるで見ていなかった。
 先程まで何でもなく名前と並んで歩いていたのが、一瞬の浮遊感に足を取られ、気付けば穴の底に崩れ落ちていた。幸い咄嗟に体勢を変えたことで、俺が名前のクッション代わりになれた……が、その分体が向かい合って、名前の細くて柔らかい体と密着してしまっているのも、幸い、なのか。
 自分のものじゃない体温を一身に受けて、胸がやけに騒ぎだす。
 顔中が熱くなるのを抑えながら、名前に怪我をしてないか尋ねるが、彼女は言葉もなく相槌を打つだけだった。

 確かにここはいたずらに罠が多く、こと落とし穴に関しては注意するよう食満先輩に口酸っぱく言われたばかりだったのだ。だからその犯人像は、俺もよく知っている。

「喜八郎、お前だろ!」

 穴の淵に切り取られた空に向かって吠える。膨む肺に名前の柔らかい上体が揺れて、甘い香りが漂う。落ち着かない。
 すると案の定、その人影が顔をのぞかせた。喜八郎だ。

「だいせいこう」
「くそ……っ。名前が怪我でもしたらどうするんだ!」
「その時はその時……」

 喜八郎のあっけからんとした返答に俺は面食らった。もっとがなり立ててやりたくなったが、どうしようもない。無駄な体力を使うより、まずはここを抜け出すことにする。

「名前、狭いけど……立てるか?」
「う、うん……」

 俺の胸の上ですっかり丸まっている名前に声をかける。
 名前が恐る恐る起き上がると、離れる上体がなぜか少し寂しくなる。
 ――が、しかし。名前の手が滑ったのか、再び胸に衝撃を受ける。ふわりと跳ねる名前の前髪が、俺の鼻腔をくすぐる。
 なんなんだ。心臓が緊張している。わけがわからない。こんなにも早鐘を打つ血液。重なってる名前の胸に、どうか伝わらないでほしい。

「あ、頭が……」
「え?」

 身じろぎながらそれだけ呻く名前。俺は窮屈な腕を持ち上げて、自分の頭を撫でてみた。
 絹糸のような手触り……は、俺の髪の毛じゃないはずだ。球のようなボリュームを感じる。

「まさか……くっついてるのか……?」

 恐る恐る名前を見やると、困り果てたように目尻を紅潮させている。なぜか緊張が走り、俺は思わず目を逸らしてしまった。
 不意に空から、ちょきちょき、と金属音がする。
 穴の上で逆光に象られた派手なシルエットに、俺はその名前を叫んだ。

「タカ丸さんですか、こんなことをしたのは!」
「だーいせいかーい」

 タカ丸さんの、喜八郎を真似たように笑う声に、かっと頭が熱くなるのが分かった。
 しかしそれとは逆に、名前が顔を隠して震え出す。

「守一郎……ごめん、わたし……」
「な、なんで名前が謝るんだよ」
「だって……だって、さっき食堂でご飯食べたばかりで」
「うん……?」

 名前はその震えた手で握っているのが俺の服だと気付いているのだろうか。俺のくしゃくしゃによれた襟元から、潤んだ瞳が上目遣いに覗いた。
 そして気恥ずかしそうに、目尻まで赤く滲ませて言った。

「……重い、よね」

「……え」

 あ……。


***
(名前)


 爪の中がもう、土だらけかもしれない。
 心臓の音がうるさいのに、その胸はぴっとりと彼にくっついていなくちゃならない。こんなに苦しいのが、伝わってしまってもおかしくない……。

「苦しいよね……ねえ、守一郎」
「ダメだ。頼む、おれを見ないでくれ」

 わたしがやっとの思いで恥を忍んで尋ねたのに、守一郎はその一点張りだった。顔を背け、目を手の甲で隠して頑なに外そうとしない。その口元はひどく苦そうに噛み締められいた。
 渋々わたしは守一郎の胸の上で身を丸くする。するとまた守一郎の甘臭い汗の匂いが胸に広がって、体内を擽られる錯覚が走る。
 着崩れてしまうとわかりながらも、つい手元にある守一郎の服を握りしめてしまう。わたしももう、泣きそうな気持ちになるんだよ。

 やがて穴の上から、喜八郎の素っ頓狂な声が響く。

「二人とも、出てこないけど大丈夫ですかー?」

 わざと落とした奴が言うか、なんてまた守一郎の怒鳴り声がするかと思ったけれど、それも無かった。
 ただ、力なく「誰のせいだよ」という低い声がして。
 ああもう、耳元でそんな風に呟かないでほしい。

「縄持ってくるから、待っててね」

 タカ丸さんの声がする。いつも通りの穏やかな声色だけど、わたしたちを文字通り頭こんがらがってるこの状態にさせた張本人だ。タカ丸さんの足音が遠ざかるとともに、喜八郎の気配も消えた。
 穴の底に取り残されたわたしと守一郎。見れば守一郎は諦めきった様子で、宙を見つめていた。

「名前……」
「……何?」

 わたしには目もくれずに呼びかけるのだから、少し意外だった。それどころか、守一郎は更に目を伏せてしまう。

「おれさ、ずっと言いたかったことがあるんだけど」
「ど、どうしたの突然……」

 しかし守一郎は、その言葉の先を口にしなかった。すっと目を細く開き、苦いものを噛み潰したかのような顔で言う。

「…………いや、やっぱごめん。今はダメだ。……。もっとちゃんと、おれが決めた時に言うから」

 そうわたしを見据える守一郎の瞳は、ひどくまっすぐに、凛と光を灯していた。


***


 それから二人は、このいたずらを仕掛けた張本人達によって引き上げられた。しかし二人は立ち上がることも無ければ、土汚れた服をはたくこともなく、俯いたまま黙り込むのだった。

「おやまぁ、すっかり元気なくしちゃって」
「大丈夫ぅ?」
「……だから、誰のせいだよ……」

 守一郎がひどくゆっくりと起き上がり、喜八郎とタカ丸を睨めつけようとした……が、その瞳はすっかり覇気を失っていた。ふっと顔を背け、まだ座り込んだままでいる名前に手を差しのべる。

「名前、立てるか?」
「…………う、うん」

 立ち上がろうとする名前。
 不意に膝がよろけたのを、守一郎がその肩を支えて抱きとめる。

 それを見て、喜八郎は唇を尖らせた。一方、タカ丸はにこにこと薄ら笑いを浮かべ、言葉もなく頷く。

「喜八郎……こんな悪ふざけ、許されると思うなよ」
「どうどう」
「あのなあ!」
「まあまあ二人とも。怪我はなかったんだし良かったじゃない」
「タカ丸さんも! 髪の毛が絡まっていなければすぐ出られたかもしれなかったんだ!」

 ぴいぴい喚く守一郎に、喜八郎もタカ丸も悪びれる様子は無かった。

 揉めているうちに、ふと守一郎は何かに気付いたように辺りを見回した。喜八郎とタカ丸は動じずに目を逸らす。
 名前の姿がないのだ。守一郎の顔がみるみる焦燥に染まる。

「あ……! 名前、どこ行ったんだ!?」
「さっき、走ってっちゃったよ」
「おやまぁ……」
「名前!」

 あくまで知らん顔でいる共犯者に、守一郎はついに挨拶もなく背を向けて駆け出した。せつなげに零した名前の名だけを残して。



「……ちょっとやりすぎちゃったかな?」
「さあ……」
「くっつくと思う?」
「そうでないと困ります」

 喜八郎は、そう低い声で呟いた。踵を返し、地面にぽっかりと開いた穴を見つめる。恋に落とした穴。これも後々、用具委員である守一郎自身に埋めさせることになる。
 最後まで皮肉な罠に、喜八郎は人知れず乾いた笑みを零すのだった。



'161011