※成長(六年生)
***
陽も高く昇った、正門の前。まだ桜の花びらが残る石畳を踏みながら、わたしはその集団の元へと歩み寄った。
新年度となった新たなる体育委員会の面々だ。その中でもひときわ目立つ紫色の制服を着た背中がある。長い雀色の髷を垂らした後ろ姿に、その名を呼び止める。
「滝夜叉丸」
「ふむ。名前か」
振り向いた彼の髪が、絹糸のように揺れる。新学期の試みか、すっかり落ち着き払った低い声。
しかし、彼の顔を前にしたと同時に気付く。わたしは、その顔を見上げなければ、彼と目線を合わせることができなくなっていた。もちろん前々から、身長差が開いていることには気付いていたけれど……頭一つ分以上も引き離されるほどになるなんて。
……初めて彼を好いてしまった頃は、どうだっただろう。
この距離で、彼を見上げる首が痛い。
「どうした」
「……ううん」
「どうかしたのだろう」
「どうもしてないから。してないけど……」
上から顔を覗き込まれると、不意に目を背けてしまう。
他の委員や下級生を見れば、三之助は首を傾げ、四郎兵衛はにこにこと服についた花びらを眺めている。金吾もずいぶんと大きくなって、あの戸部先生の面影を思わせる出で立ちになろうとしている。新入生の面々は、不思議そうにわたし達を眺めていた。
その新鮮な眺めとは裏腹に、どうしてだろう。彼らが……滝夜叉丸が、遠くへ行ってしまうような錯覚がして、わたしはとうとう口を紡ぎ、俯いてしまった。
「……なあに、今日は裏山の手前で引き返すさ。私は七松先輩のような無茶はしない」
ふわりと、頭に気配が触れた。大きな手。頭巾越しに撫でられる温もりがもどかしい。
彼の声は、普段のような饒舌でかしましい語り口とは違い、わたしを仕方なく宥めるような、先生よりも穏やかな声色をしていた。
……七松先輩はもういない。委員長代理でもない。
滝夜叉丸こそが委員長となった、この体育委員会。
ここで桜に包まれる彼の姿を見ることも、きっと今年が最後なのだと悟る。
そんなことを考えてしまった時だった。
柔らかい、吐息のような溜息が聞こえた。
「お前がそんな顔をしてどうする。委員長になろうが、私は私だ。何を憂う必要があるのだ?」
見透かしていたかのようなその言葉に、頭が熱くなる。わたしは、無意識のうちに随分と情けない顔をしてしまっていたらしい。いよいよ顔を背けずにはいられなくなった。
何も言葉を見つけられずにいると、ふと、頭から離された手で髪を撫でられ、両手で頬を包み込まれた。その指先に戸惑うや否や、ぐい、と強い力に引き寄せられる。両手で顎を持ち上げられれば、嫌でも真正面に滝夜叉丸の顔を出迎えてしまう。
彫りの深い、目鼻の整った顔立ち。
その瞳は、穏やかでいながら、不遜に、けれどいとおしむように、わたしを見据えていた。
声を失ってしまった。
息が止まるほど、目を背けたくなるほど、彼はひどく美しい顔をたたえていたのだ。
滑らかな唇。その口がゆっくりと開かれる。
「この私の活躍をしっかりと見るように。いいな?」
わたしは、言葉もなく、息を呑んでしまった。
その深い深い錆色の瞳に、わたしのほうけた顔を映されてしまうと、……わたしはもう、僅かにでも頷くことしかできなくなると、彼は知っているはずなのに。
いい子だ、という囁きを合図に、頭が解放された。翻って遠ざかる気配に、ふらりと立ちくらみをしてしまう。
金吾が「あれ、いつも七松先輩が私にやってたやつだよ」と後輩に耳打ちをする声がする。それも滝夜叉丸が向き直れば、みな背筋を伸ばして足を揃えた。
あたたかな風が吹いて、正門前に薄紅色の花びらが舞い上がる。
その景色の中、新たな体育委員長は、横目にわたしに振り返るなり、不敵に微笑むのだった。
……後輩たちには見えないようにしたんだ。
あの手を離される刹那、額に残された唇の感触に、わたしはまだ目眩を覚えていた。
'180403
ネタを人様からお借りしました