暇つぶし

 校庭の木陰の下。いつも名前が本を読んでいる特等席を覗きに来ると、やはり簡単に彼女を見つけることができた。木漏れ日に本を広げ、少しまどろむ姿に、刹那だけ声をかけるのもためらってしまう。しかし名前はおれに気付いてくれて、笑顔で軽く手を振ってくれた。おれはほっと胸を撫で下ろして歩み寄る。

「守一郎、散歩なの?」
「まあね。ほんとは鍛錬にでも行こうと思ってたんだけど……」

 急に名前に会いたくなっちゃって――と、先ほど教室で三木ヱ門の前では簡単に口にできたばかりの言葉が、不思議そうに首を傾げる本人を目前にしたら、なぜだか声に出なくなってしまった。

「読書の邪魔かな」

 隣に腰を下ろして、それだけ問うて、名前に伝わったかどうか。ただ、本を閉じておれから少し目をそらす名前が、なんだかとてもかわいい。

「ううん。わたしも今日はやることなくて」
「じゃあ、ここで一緒に休憩する」

 おれはその場に寝転がった。木陰に乾いた草むらが暖かい。名前を誘うように手を招くと、名前も少しぎこちなく本を手に抱えたまま横になる。地面に降る前髪が、とても無防備に見える。
 やわらかな風がそよいだ。からからと揺れる木漏れ日に、名前のまどろむ顔が光り物のように照らされる。おれも草むらの布団に体が沈んでいくようだった。

「あったかいな」
「うん」
「このまま寝ちゃいそう」
「……そうだね」
「名前」
「なあに?」
「どっちが長く起きていられるか勝負しようか」
「何それ、変なの」
「だっておれが寝たら、名前はどこかに行っちゃうかもしれないだろ」
「そんなことしないよ」
「そうか?」
「……守一郎は、わたしが寝たらわたしを置いて行っちゃうの?」

 名前のところには睡魔がもう目前まで来ているのか、声が細く甘くなっていく。
 おれは、そんなことしない、と寝ながら首を振った。

「名前が起きるまでずっとここにいるから。もしもどこかへ行かなきゃいけなくなったら、悪いけど、無理やり起こさせてもらうから」

 そう言うと、名前はとろけるように微笑んで、ありがとう、と息をもらす。やがてひどくゆっくりと、その目を伏せた。……


 ……勝負に勝ってしまったのだろうか。
 そんなことより、こんな草むらで睡魔に呑まれてしまったであろう名前の姿が、あまりにも脆いこわれもののように見えた。
 薄く開いた唇から吐息が流れ、そのたびに名前の小さな肩や腕に押された胸がゆっくりと上下する。白くて柔らかそうな頬に、きらきら木漏れ日が揺れる。力の抜けた指先は、小鳥を包むかのように丸まっている。

 ――こんなに隙だらけでキレイなもの、置いていけるわけがないだろ。

 それだけ呟くと、ふと、もしもおれが先に眠ってしまったら、名前もこうしていたのだろうか、なんて考えがよぎってしまう。

 おれもなんだか意識がふわふわと宙に浮き始めた感覚がするから、辛うじて自らの手を引き寄せ、名前の丸まった手の上に重ねてみた。
 白くてやわらかな名前の手に比べ、おれの手は骨ばって日に焼けている。青や緑や黄色に揺れる景色の中、少しばかり嘘のような心地を覚えながら、結局おれも、意識が遠のくのを待つだけだった。

'170203