逢引だから

川原の先の、以前たまたま見つけたお団子屋さん。
キラキラと翡翠のように光る小川のほとりに、時おり雀のつがいが現れ、追いかけ合うように飛び立っていく。そんなささやかな絶景を眺めながら、甘いお団子を頬張れるという立地がお気に入りで、今日もわたしはその縁台に腰掛けていた。

空を仰げば、青空に流れる白い雲が、ゆっくりと形を変えながら流れていく。
川の流れゆく水音、青々しい風の香り。
すっかり食べ終えたはずのお団子の串を、わたしはまだ頬張り続けている。どうにも口から離す気になれなかった。

まだここにいたいなぁ。
帰りたくない。
ああ、今すごく時間を無駄にしてる。

そんな下らない心地よさが、なぜだかどうしようもなく尊いものに思えてしまう。学園に帰れば、宿題とか、予習とか、やることは少なからずあって……。後々この手で終わらせることには変わりないけれど、こんなにあたたかい空の下、のんびりしないでいるにはもったいない。

そうしていると、ふと遠くから、とぼとぼと萎びた足取りの気配がした。誰かが近付いてくる。
わたしは特にどうすることもなく、目の前の広い川岸を眺め続ける。しかし、通り過ぎるその姿を見て、頬張っていた串を思わず落としそうになった。わたしにとってよく見知った人物だったのだ。
……けれど、その背中の曲がり具合や、高く結いあげられながらうなだれた髷は、普段見ない私服姿ということもあって、正直……いやかなり、あの爽やかに傍若無人な彼の姿とは結びつき難いものがある。
彼はこちらに気付いていないらしく、俯いたまま草鞋を摺って通り過ぎようとする。

「三木ヱ門?」

空のお皿に串を置いて、ようやくわたしはその名を呼んだ。
すると三木ヱ門は立ち止まり、こちらに向かってぐるりと顔を上げた。
あ。この表情、前に見たことがある。いつの日だったか、石火矢のユリコの調子が悪くて、彼が自信喪失していた時だ。たしかあの時は、照星さんが励ましに来てくれたことで立ち直っていたけれど、今の三木ヱ門は……更に深く落ち込んでいるように見えた。

「名前……」

三木ヱ門はわたしの顔を見るなり、肩を小刻みに震わせはじめた。やつれたような頬に刻まれたえくぼが、ひくひくと引きつっている。

「はは、あはは……。名前、聞いてくれよ。どうやら私は、ツキに見離されているらしい」
「ど、どうしたの一体」

今にも倒れそうな足取りで、三木ヱ門はこちらに歩み寄るなり、わたしの隣に深く腰を下ろした。ずるりと、縁台の赤い鮮やかな敷布が捩れ、わたしと三木ヱ門の間にいくつものシワが浮かぶ。
わたしは、店の奥に「お団子もう一皿下さい」と呼び掛けた。おばあさんの応える声がした後、隣から深いため息が聞こえる。

「……それがだな。私はなかなか、あの照星さんに火器のことを教えてもらえる機会が無いから……。それならいっそのこと、自分から会いに行こうと思って、誰にも内緒で佐武村へ行ったんだ。
 ――そしたらあっ!」
「うわっ」

突然、顔面ごと身を乗り出され、わたしは思わず仰け反ってしまった。赤墨色の瞳に、そんなわたしの目を丸くした顔が映る。
長いまつ毛を震わせながら、構うこと無く、三木ヱ門は嘆き続ける。

「照星さんは、『たまには田村三木ヱ門に火器の指導をしよう』と学園に向かった後だった、ってさ……! なあ、笑えるだろ名前。どこで入れ違いになったのか知らないが、私はいつもこうなんだ。頼むから笑ってくれよ。ははは……」
「それは、なんとも……不運だったね」
「はあ……。きっと今頃、仕方ないからってまた虎若の相手でもしてるんだろうなあ」

諦めたように言い捨てながら、がくりと項垂れる三木ヱ門。
……つまり彼は、尊敬する人物、プロの狙撃手である照星さんに会いに行こうとしたつもりが、偶然入れ違いになってしまったというわけらしい。以前にも似たような話を聞いたことを思い返す。
照星さんも彼と同じことを考えていたというのだから、あまりにも皮肉だ。それは虎若もきっと、三木ヱ門の気持ちを案じているだろう……。

間も無くして、お店のおばあさんが、柔らかそうなお団子の串が二本乗ったお皿と、二人分の湯呑みを差し出してくれた。その淡く湯気の立ち上るお茶は、ありがたいことにサービスだと言う。
わたしが小銭を手渡すと、おばあさんは三木ヱ門にも目配せしてか、「ごゆっくり」と深みのある笑みを見せて、お店の奥へと姿を消した。

わたしはお団子の串を一つ取って、手を添えながら三木ヱ門へ差し出す。

「ほら、これ食べて。すっごく美味しいから」
「名前……」
「大丈夫。また今度来れば、きっと照星さんに会えるよ」
「…………そうだな」

三木ヱ門は、まだ立ち直りきれていないような、それでいて優しげな微笑みを見せてくれた。そして、わたしの手からお団子を受け取ると、小刻みに啄み始める。

「それにしても……悪いな、名前」
「何が?」
「団子だよ。今、銭は持っていないんだ」
「あっ。いいよ、気にしないで」
「今度、倍にして返すから」
「そんな、倍なんて……」
「遠慮することないだろ。こっちの気が済まないんだよ」
「……あの、だって、二皿もお団子食べられないと思うから」

わたしがそう言うと、突如として、三木ヱ門が頭を抱えて俯いた。
「ああ全く」とか「おまえってやつは……」とか、ぼやく声がする。まずい。どうも彼にとって想定外のことを言ってしまったらしい。わたしは慌てて、別の会話を探しだす。

「そうだ! 今度はさ、三木ヱ門が照星さんに会いに行く時に、わたしも一緒に連れてってもらってもいい? 火縄銃の練習がしたくて」

すると、三木ヱ門は口先から伸びた串を上下させながら、宙を仰いだ。
眉をひそめ、険しい表情を浮かべている。

「もちろん私は構わない。……だが、照星さんはお忙しい方だから。万が一断られてしまったら、名前に悪いな……」

わたしの顔を見ることなく呟く三木ヱ門。その仕草は、まるでたった今、照星さんに会い損なった自分を哀れんでいるかのようだった。
けれど、しばしの間が過ぎると、彼は笑顔を取り戻してわたしに向き直る。

「そうだ。名前さえ良ければ、今からでも学園に戻って、私が練習に付き合ってやろうか」
「ほ、本当!?」
「わっ、お、おい」

思わず三木ヱ門に身を乗り出してしまった。彼の見開いた瞳に、今度はいやに期待の満ちたわたしの眼差しが映り込む。

「そ、そんなに喜ぶなよな……」
「……あ、ごめん」
「よし。これ食べ終えたら、さっそく行くか。名前、あとの一本食べておけよ」
「うん。ちょうどね、三木ヱ門が食べてるとこ見てたら、やっぱり美味しそうだなと思って……」
「ふーん。本当は二皿いけるんじゃないのか?」

軽やかな笑い声をこぼす三木ヱ門に、なんだか照れくさくなってしまう。最後のお団子の串を取り、一番上のものをかじると、柔らかい餡が生地と混ざって、奥歯にじんと溶ける。不思議と、一人で食べていた時より甘く感じた。





学園へ向かおうと、川原沿いの道を辿る。
並んで歩くと、視界の端で、三木ヱ門の顔が私の目線より高くなっていることを思い知る。いつも同じ色の忍装束で眺めていたから、なかなか変化に気付けなかったのかもしれない。

「……なんだよ。人の顔見てニヤニヤと」
「う、うそっ、笑ってた?」
「はは、嘘だよ。見てたのは本当だけど。……あ。足元、気を付けろよ」
「え? ――うわ、わわっ!」

三木ヱ門が振り向いてくれた刹那、足のつま先に思わぬ衝撃が走る。ぐらりと腰が崩れ、思わず片足をつこうとすると、小袖の裾が両膝を縛り付け――
転ぶ。その言葉が頭をよぎった。

……しかし、わたしの顔面に待ち構えていたものは、地面に叩きつける衝撃ではなく、温かくて柔らかいものだった。

「言ったそばから。全く……」

声が近い。三木ヱ門の匂い。
まさかと思った。
肩を掴まれるぬくもり。

わたしの身体は倒れることなく、三木ヱ門の腕に抱きとめられていた。

「え、あ……っ。ごごご、ごめん!」

慌てて離れるが、今度はかかとが滑る。なんとか踏みとどまるも、手をばたついてしまった。

はあ、と呆れたような浅い溜め息が聞こえて、わたしは恐る恐る顔を上げる。
……そして、目を疑った。

「ほんと、危なっかしいな。ほら」
「……え」

三木ヱ門が、わたしに片手を差し出していた。ぶっきらぼうな口調とは打って変わって、その顔はいやに血色がいい。
ぼーっと立ち尽くして彼を眺めていたら、不意に手をとられた。見た目より大きな感触に、強く引っ張られる。

「……早く行くぞ。時間がなくなる」

あ、手。
手を繋がれたまま、引きずられるように彼の後を追う。少し汗ばんでいるのか、彼の大きな手のひらが、わたしの手の甲にしっとりと吸い付いて離れない。
指先から伝わる体温。自分のものと違うぬくもりが、なんだかとてもむず痒くて、頭がチカチカする。

……しかし、歩き出した刹那、わたしの鼻先が何かに追突する。慌てて退ると、目の前に三木ヱ門の肩があった。

足元を見下ろす。三木ヱ門が立ち止まっていたことに気付く。早く行くぞ、なんて言ったそばから、一体どうしたというのだろう。
ようやくその理由が分かったのは、三木ヱ門の向こうに現れた一頭の黒い馬の、鞍に跨る人物の顔を見た時だった。
三木ヱ門が身を乗り出すなり、いの一番にその名を呼んだ。

「……しょ、照星さんっ!?」

まさしく三木ヱ門が先程会おうとしていた人物が、漆黒の馬に跨り、その凍るように無機質な白い顔でわたしたちを見下ろしていた。照星さんだ。

「奇遇だな。田村三木ヱ門と、…………」
「こちら、同じ忍術学園の名前です」
「こ、こんにちは!」

三木ヱ門に紹介され、即座に頭を下げる。

……そうか。照星さんは三木ヱ門に会いに学園へ行って入れ違いになったのだから、わたしたちが学園へ戻ろうとすれば、これは偶然なんかじゃない。
三木ヱ門は、『誰にも内緒』と言っていたから……わたしは口を挟まないつもりだけれど、彼は一体なんと言うのだろう。

などと三木ヱ門の様子を伺っていたら、先に口を開いたのは照星さんだった。


「たった今、君に会いに学園へ行っていたんだが……どうやら、邪魔をしてしまったらしいな」


微笑むようなため息に、まさかと思い、耳を疑う。
なのに、照星さんの、わたしと三木ヱ門とを交互に見比べるかのような視線。否応無しにその言葉の意図を悟ってしまい、わたしはみるみる頭に熱が走るのを感じた。

「あ、あの、じゃ、邪魔だなんて、ままままさかそんな……ね、ねえ三木ヱ門?」

しかし、彼とはまだ手が繋がれたままだったことに気付いた。誤解されて当然じゃないか! 思わず振り解こうとする。

――が、それより早く手が軽くなっていて、わたしの指先は、滑稽にも宙を泳ぐこととなる。
触れる空気が手のひらのぬくもりを奪って、そこだけが水を浴びたかのように冷たくなった。

「いえ、彼女とはたまたまそこで会っただけです」

三木ヱ門の、淡白に微笑む声がする。
その言葉を聞いて、わたしはどうしてか、駆け出したくなる衝動に襲われた。
すっかり体温の失われた手を握ると、胸の奥にじんと痺れがわきあがる。

「なるほど。では、私は失礼する……」
「あ、照星さん、待ってください!」

通り過ぎようとする照星さんを、三木ヱ門が呼び止める。

「何かな」
「あの、今度、名前を連れて照星さんのところに伺ってもいいですか? 私も、教えてもらいたいことがたくさんあって……!」
「ああ。もちろん、歓迎する」
「ほ、本当ですか!」

三木ヱ門は、わたしが聞いたことのないような声で話していた。彼がどんな顔をしているのか、見ずとも分かる気がして、わたしは目を背けてしまう。
そして照星さんは、馬を戦慄かせるなり、ひらりと走り出していった。わたしがその背中に一礼すると、手を振っている三木ヱ門の姿が視界に映る。

土煙が舞ったあとには、わたしたちだけが残された。

「……名前? どうした」

三木ヱ門がわたしに振り返った刹那、風が吹いて、前髪が視界を遮る。

「う、ううん。行こう」

わたしは三木ヱ門を促す。どうしてか、笑顔を意識しながら。三木ヱ門はというと、そんなわたしの作り笑いを知ってか知らずか、裏返った声で取り繕うように話すのだった。

「ま、まあ……。晴れた休日に、二人で、普段着で、甘味処から歩いてきて、こんなんじゃ、誰がどこからどう見ても、その……」
「逢い引きに見えるって?」
「……そ、そうだよ」

手の甲を口に当て、小さくそう言い放つ三木ヱ門。
視線を逸らされたことを幸いとばかりに思い、わたしはその顔を覗き込んで言った。

「なら、そういうことにしちゃおうよ」

できるだけ冗談めかしたつもりだったけれど、三木ヱ門の仕草がぴたりと硬直したのが見えた。
そして間を置かずに、再び片手を奪い取られる。

「ああっもう、馬鹿なこと言ってないで、行くぞ!」

火縄銃練習したいんだろ!
そう声を投げつけられて、腕を強く引っ張られた。強引な力に、わたしの踵が浮いて、たどたどしくも泳ぎ出す。三木ヱ門は、こちらに隣を歩かせんとばかりに背を向けていて、わたしがその顔色を伺うことはついに叶わなかった。

「……三木ヱ門」

……馬鹿なことって。
そう言ってまた手をとってくれるのは、どういうわけなんだろう。

ついさっきまでの息苦しさが、しんと清流に溶けていくかのようだった。
汗ばんだ手のひらから、わたしの手に滲んでいく体温を感じる。

わたしは……わけもなくその背中に触れたくなって、足早に歩み寄ろうとする。
しかし、すぐにつま先がもつれて、三木ヱ門の背中めがけてずっこけてしまうこととなるのだった。



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