おんなじ

「あ……」

昼下がりの帰り道。川沿いに歩いていると、見知った人影に気付く。
だだっ広い川原で膝を抱えてため息までつくものだから、頼りない背中が更に小さく見えた。

小松田さんだ。
お互いの立場上、こんな私服の時でしか話しかけられる機会がない。わたしは小松田さんに声をかけた。

「どうしたの、こんなところで」
「あ、名前ちゃん……」

すると小松田さんはゆっくりと顔を上げてから、私を見て少し驚いた顔をしていた。
隣に腰を下ろすと、小松田さんがぐずりと顔を拭う。

小松田さんは、忍術学園の事務員。
わたしは、ドクタケ忍術教室の事務員。
それにもかかわらず、小松田さんがわたしを警戒する様子はない。
ぷっくりとした丸い頬。頼りないけれど大きな肩。ああ、小松田さんの顔だ。わたしはもう少しだけ近くに歩み寄って、そっと顔を覗き込む。

「いたら悪かった?」
「そ、そんなことないよ!」
「ならよかった」
「でも……名前ちゃんは」

そう言いかけるうちに、小松田さんはみるみるうちに涙目になり、しまいにはわたしの懐にしがみつきだしまった。服が着崩れしそうになる。慌てて引き剥がそうとすると、小松田さんはわんわん声を上げて泣き始める。
働いている大人がするとは思えない表情で、「名前ちゃあああん」と泣きついてくる。

「ああ、わかった。学園長か吉野先生に怒られたんでしょう」

震える大きな肩を撫でながら、お決まりの場合をふっかけてみる。
すると、本当にその言葉通りだったらしく、小松田さんは嗚咽まじりにうんうんと頷きだした。鳩みたいだ。

「この間……。この間、名前ちゃんを学園に入れたから。それでもしも何かあったら、どうするって……言われて、僕……」

うわあーんっ! と更に泣き叫ぶ小松田さん。

……あれかあ。とわたしは宙を仰いだ。
以前に一度、小松田さんに会おうと忍術学園へお邪魔したことがある。そして、小松田さんはわたしを喜んで迎え入れてしまった。
あの学園にとってみれば、敵対する城の者を連れ込んだとなっては、忍者ではないとはいえ、いよいよただのお客様ではなくなるのだろう。わたしも軽率だったと少し省みている。

「うーん……。それは先生方がごもっとも」
「そんなあ! 名前ちゃんはそれでいいの?」
「いいのも何も。仮にもドクタケの人間なんだから」

今だって、忍術学園のヒミツを聞き出そうとしてるのかもよ。なんて笑ってやると、こともあろうか、キッと鋭く睨まれてしまった。その眼差しに、わたしは不覚にも言葉を失う。

「……どうしたら、名前ちゃんはドクタケの事務員をやめてくれるのさ」

むすっとした顔で体を離し、膝を抱え直す小松田さん。
しかしその言葉は、わたしにとっては少し面白くないもので。思わずひくついた眉間を、悟られなければいいのだけれど。

「小松田さんだって、忍術学園に行く前に、ドクタケ城に応募してたじゃない」

そこから忍術学園に縁ができたという話だ。

「あの時は必死だったんだもん」
「そう? でもこの間、穴太さんがやってた入隊テストを受けてるところを見たよ」

わたしがそれを言うと、小松田さんは黙り込んでしまった。

……小松田さんがドクタケに来ればいいのに。と、口をついて出そうになる言葉を呑み込んだ。彼にも裏切れない人たちがいることは分かっている。だから今、わたしたちはここにいるのだ。

川の向こうでは、もう陽が暮れはじめていた。
黄金色に光る川。風が少し冷たい。
今頃、忍術学園では、小松田さんはもう許されているのだろうか。

「……これから、あんまり会えなくなるね」

わたしは、少し小さな声で言った。
すると、小松田さんは大きな目を更に丸く膨らませ、次第にふるふると身を震わせ始めた。

「いやだ……いやだよ、そんなの」

小松田さんは、わたしがつい目を逸らしたくなるような顔をする。そしてそれを知ってか知らずか、小松田さんはわたしの肩を両手で掴む。
その瞳のあまりの深さに、真正面から見据えられてしまう。

「……僕、忍者になるから。そしたら絶対、名前ちゃんを守ってあげるから」

それだけ言うと、小松田さんはわたしの手を握り、その頬に寄せた。子供が人形を抱き寄せる仕草のようで、わたしは急に体温が上がるのを感じた。
なんて皮肉なのだろう。

「……それなら、今度こそドクタケの忍者になってくれるって、信じてるよ」

熱の灯る胸を押さえながら、声を忍ばせて伝える。
すると、小松田さんは意外にも、はにかんだ笑顔を見せてくれるのだった。
あり得ないと思って言ったつもりだったのに。

それから、途中まで一緒に帰ろうと腰を上げる。
小松田さんはスキップを踏みながら、わたしの先を行く。その背筋は、えらくぴんと伸びていて、今日はじめて見かけた時とは全く違う背中に見えた。
彼はこれから学園に戻ったら、また先生たちに叱られるのだろうか。心配を掛けされるんじゃないって。ドクタケの人間とは不用意に絡むなって。

わたしはもう、あそこへ行っちゃいけないんだろうな。

そう思い、再び宙を仰いだとき、夕陽に長い影が溶けていた。


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