※年齢操作(五年ほど過去)
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腫れた頬。目を薄紅色に染めながら、名前がおれの家に転がり込んできたのは、もう日が暮れる頃のことだった。窓から差し込む黄金色の西日に、彼女の乱れた髪が鈍く光る。肩で息をするほどに、以前よりも傷んだ髪が震えていた。
膝を抱え込んだまま、顔を見せてくれない彼女の髪に櫛を通す。少しずつ解きほぐせた頃には、名前はわずかに顔を上げていた。その俯いた眼差しを覆う前髪には、おれはまだ櫛をあてずにおく。
「タカ丸さんは、家出とか……したことってありますか?」
「家出? どうして」
「……ごめんなさい。無いならいいんです。少し、気になっただけで」
やっと名前の口から出てきた言葉は、そんな問いかけだった。
安心した。彼女のこういう、こちらに探りを入れることでしか自分のことを伝えられない癖。そんな不安定で不器用で危なっかしいところが、おれにとってはたまらなく愛おしい。
「あるよ」そう一言だけ微笑みかけると、やっと丸い目を向けられる。その目尻は、熟れた果物のように赤く腫れていた。
「……いくつの時だったかなぁ。父ちゃんと大喧嘩したんだ。どうして喧嘩したのか、もう忘れちゃったけど」
信じられない、という顔をする名前の反応こそ、彼女の問いかけの真意だった。
おれは名前の前髪を撫でほぐしながら、話を続ける。
「日が暮れて、さすがに怖くなった時、帰り道がわからなくなって……。大泣きしてたら、近所のおばちゃんが見つけてくれたんだよ」
名前は黙って俯いている。
おれは名前の背後に回り込み、そのすっかり柔らかくなった髪を一房すくい上げ、彼女からは見えないように鼻先に寄せた。少し乾いた匂いがする。
「……父ちゃんにはますます叱られた。心配かけるんじゃないって」
家の前で抱きしめられていたから、父ちゃんがどんな顔をしていたのか、おれにはわからなかったけれど……。
思い返しながら、言葉を呑み込んだ。あの頃のおれが父ちゃんにどんな思いをさせてしまったのか、彼女に知られてはいけないような気がしたから。二人家族になってから間もない頃ならば、尚のこと。
「きっと家で待ってるよ。名前のお母さんも」
もう一房、後ろ髪をすくい上げて、指と指の間で絡め合わせる。
名前は……。家出してきた、とは一言も口にしていないはずなのに、おれの言葉に何も驚かないでいる。なんてずるい子なのだろう。どんなふうにここまで転がり込んできたのか、容易く想像できてしまう。
後ろ髪を結い直し、前髪の乱れも抑え込んだ。
すっかり整えられた名前の髪型は、その泣き腫らした顔とはちぐはぐで……でも、これでいいんだ。おれは名前の前に立ち、手を差し伸べた。
薄暗い夜道を、名前の手を引いて歩く。彼女は愚図るでもなく、おれの手を握り直していた。
そして名前の家の前で、彼女を出迎えたおばさんの顔をおれは見ていた。おばさんに叱られる名前に反して、おれは何度お礼を言われたか分からない。名前と瓜二つの目を腫らしたおばさんに、おれは軽く挨拶だけを告げ、その場をあとにした。
暗い道。何度も振り返りながら、おれは自分の手を握り込んでいた。名前のぬくもりが消えない。半泣きだったおばさんに見た、名前の面影も消えない。
'181202