15.余裕の笑み

「ねえ、名前。これから出かけない?」
「え」
「だから、出かけないかって」
「喜八郎とわたしが? どこに。何しに行くの」
「美味しいごはん屋さんとか。なんなら、君が好きなところに行っていいよ」
「それは……つまりデートということ?」
「そうとも言う」

 放課後にくの一教室を出たら、食堂への渡り廊下の前でわたしの行く道を遮る者がいた。
 喜八郎。彼はわたしを待ち伏せしていたのか、既に普段着に着替えており、いつも手に握っている鋤は見当たらない。
 学園内で彼は天才トラパーと異名を持つ生徒として顔が知れ渡っているのか、他の食堂へ向かう男子や女子たちが皆、こちらを横目にしながら足早に通り過ぎていく。
 珍しいことだった。マイペースな彼が誰かを特に用事もなく学園の外に誘い出すなんて。
 何か企んでいるの? そう問うてみたら、荒い鼻息がして、鋭く睨みつけられた。

「嫌ならやめるけど」
「ごめん、そういうわけじゃ……」

 あらら。こちらが誘われた立場のはずが、もう主導権は奪われてしまった。わたしが手に握りしめていたはずの食券も、気付けば喜八郎の指につまみ上げられている。
 彼にもその手応えがあったのか、先程の形相とは打って変わって、静かな笑みをたたえるのだった。



 普段着に着替えて校庭へ出ると、ぽつりと地面に立てかけられている看板に気付いた。「名前用」と筆に塗られた文字が嫌でも目に入る。よりによって誰にでも読みやすい楷書で。暗号のひとつもなく明朗に。
 看板の根元から、縄梯子が穴の底へ伸びている。少し屈んで覗き込んでみると、浅くはない穴の底がこちらを覗き返していた。
 ご丁寧に、まあどうも。いつの間に用意していたのだろう。この地下通路の存在だけで、彼が……喜八郎が、どれほど上機嫌でいることか、あらかた想定できてしまう。あるいは、彼は人並みに人と待ち合わせをすることを嫌煙しているのか。
 無視して進もうものならきっと、別の落とし穴がわたしを待ち受けているのだろう。構ってやるしか、わたしにはできない。

 やがて出口にも掛けられていた縄梯子を登りきったわたしを出迎えたのは、喜八郎のにこやかスマイルと、なまこ壁の正門だった。

「遅かったね、名前」
「誰かさんのおかげでね」
「へえ。それは憚りさま」

 湯巻の土埃を払い落とす。それを終えるが早いか、視界にぬっと手が伸びてきて、わたしの腕を攫うのだった。たこだらけの硬い手のひらに、土埃がざらつくことも厭わずに。

 また知らぬ間に用意されていた外出届を事務員に手渡し、門の切り戸をくぐり抜ける。
 そして、どちらともなく、なんとなしに、街がある方とは逆の道へ歩き出す。どこへ行くんだっけ、ととぼけた声がするのだけれど、はたしてそれはわたしにも見当がつかなかった。



'190320