灰色の城 前編

 朝から出発したつもりでも、とうに短くなった影がわたしの足に付き纏う。
 伸び果てた芝生をつま先でかき分けながら進む。目的地は実家の団子屋と同じ方向で、途中まではよく知っている道のはずなのに、まるで初めて見るような錯覚に襲われる。足首にちりちりと痛みが横切り、小袖の裾をたくしあげてみれば、小さな切り傷の群れとご対面。刃のごとく足元を覆うこの草の海は、まるでわたしがこの先へ進むことを拒んでいるかのようだった。

 罰ゲーム。そう銘打ってババ抜きの敗者であるわたしに下された命令は、今回ばかりは生易しいものではなかった。
 ――この学園から西の街道にそびえる、廃墟となった城。その城から、髑髏(しゃれこうべ)を一つ持ち帰ること。――

 どうしてこんな挑戦に応じてしまったのだろう。学園から城までは、往復で半日もかかるというのに。「優しい学級委員長さまのためだから」そう口々に言う友人たちの、猫のような微笑みをよく覚えている。くの一のたまごとはいえ、友人相手に無茶なことを思いつく……なんてことを考えはじめるから、わたしはまた彼女たちにからかわれてしまうのだろうか。
 ああもう、早いところ美形な髑髏でも見つけて、日が暮れるまでには引き上げよう。もしも敗者がわたしでない他の誰かだったとしても、きっと同じ命令が下されていたのだろう。これは単なる罰ゲームなのだから。

 乾いた土の道を進むと、橋に辿り着いた。腐敗したのか熟したような木材で組み上げられた、無骨な橋だ。その下では、青黒いお堀の水面が、風もないのにこちらを誘うように波紋を広げている。そして仰ぐ真昼の廃城は、人の手と自然とが混ざりあいながら朽ち果てた、沈黙の語りべのようだった。灰色の瓦礫や錆びた砂の山が日差しに照らされ、彼らはこの城の魂を、この場に偽りなく晒している。石垣に這い上がる蔦の、朽ち果てた亡骸たち。塀はところどころ大きく割れているものの、なおも役割を果たそうと、肩を組み合うようにして連なっている。
 今にも崩れ落ちそうな橋に、わたしは慎重に足のつま先を乗せる。ぎしり、ぎしりと軋む悲鳴をあげながらも、橋はなんとかわたしの歩みを凌ぎきってくれた。深い雑草にまぎれて、錆びた臭いが淡く漂う。わたしは中腰になって、何度も後ろを振り返りながら、その橋をあとにした。
 まずは天守跡を探そう。もしも倉庫などが残っていれば、そこにはきっと戦の遺品が、記憶が詰め込まれているに違いない。
 建造物はもはや崩れ果てたのか、土台となったであろう床下の跡、白く平らな地面だけが残されている。その虚ろな惨状に反して、植込みは伸び果て、ただただ深い緑や土のにおいが鼻腔を通り抜けていく。真昼であるにも関わらず、足元は闇に溶けていくかのようで、知らず知らず足取りもせわしなくなってしまう。足首を撫でる雑草に、絡みつかれているかのような感触。

 ……ここは、いたずらに踏み入って良い場所ではない。それでも、危険だとわかっているのに、罰当たりだとわかっているのに、どうしてわたしはここまで来てしまったのだろう。くの一教室での、彼女たちの笑みが再び脳裏に蘇る。「学級委員長さま」と無邪気に微笑む声が、知らぬうちに耳の奥で残響となって消えない。とある同級生の男子に、ヘボくの一と繰り返し謗られる声も蘇る。ところが、彼女たち曰く、そんなわたしだからこそ、毎年学級委員長に選ばれてしまうらしい。……わたしはみんなのように強かに振舞えるわけもなく、そうしようとしても疲れてしまうばかりで、ただ個性として受け入れるしかなかった。

 この廃墟は、かつてはホドホド城と呼ばれていたらしい。その名前は、七十年前に起こったバフン岳の戦いのことに交えてよく耳にする。マツホド城の支城で、本城とともに既に廃墟となっている地だ。セミタケ城の猛攻を前に一夜にして落城してしまい、マツホド城も間もなくして滅ぼされたのだという。どのようにしてホドホド城が一夜にして落城したのかは、今でも学園や街や城でさまざまな憶測が飛び交っている。かくしてそのほとんどが、今昔のマツホド忍者への風当たりの強い噂だった。先生も友人も、地主さんもお侍さんも農家の人も近所のおばちゃんも、七十年も過ぎ去っていながら、誰もがその目に見たことがあるかのように共通してこう吹聴する。――マツホド忍者隊は、ヘボい忍者隊なのだと。それは聞き覚えのある謗りだった。七十年経っても尚ヘボ忍者と言われるマツホド忍者に、わたしは同情していたのだろうか。

 だから、――わたしはその、地面に転がる白い陶器のような殻を前にして、……震える足を止めることもできず、とうとうその場にへたり込むしかできなかった。
 野に晒された頭蓋骨。言われていた通りの、髑髏というものだった。これを、これさえくの一教室に持ち帰れば、わたしは罰ゲームを終え、少しだけ彼女たちに度胸を認められる。あの同級生にだって、もうヘボくの一だとは呼ばれなくなるかもしれない。なのに。どういうことだろう。青い刃のような雑草に貫かれ、蟻の通り道となったその抜け殻に、わたしは手を伸ばすどころか、すっかり腰が抜けてしまっていた。
 もちろん、この戦乱の世に骸などそう珍しいものではない。合戦場に行けば、いくらでも目を見開いた肉体が転がっているし、学園でも、医務室へ転がり込めば骨格標本と二人きりになれる。けれど、特に外では感染症の懸念もあり、自ら近寄ったり、手で触れたことはない。そしていくら朽ち果てて白くありふれた殻になっていようとも、元は誰か人間の皮膚を、毛を、体温を纏っていたのだ。それはまた別の誰かにとってはきっと、大切な子であった、親であった、友人であった、あるいは恋人であったのかもしれない。
 彼――ひょっとしたら彼女――は、この姿になっても尚、ヘボ忍者と呼ばれ続けていたのか。そんな事実と想像とが絡み合い、唐突に姿を変え、えも知れぬ体の震えとなって襲いかかる。

 どうしたらいいの。
 既に滅びた無念の地で、他の誰にも迷惑をかけていないこの亡骸を持ち去るなんて、ひどく罰当たりなことではないの?
 それに、持ち帰った後はどうするの?
 皆に飽きるまで見せ果せたら、この城にまた返しに来るの?
 それとも、自分たちの手で燃やしてしまうの?
 さっぱり見当がつかないから、彼女たちもきっと本気で口にしたつもりではないのかもしれない。「本当に持って帰るとは思わなかった」、そんな声が今にも耳に聞こえてくる……。

 ……髑髏は、諦めよう。彼女たちには、何か代わりになるものを探して帰ろう。無茶して見栄を張ることなんてない。そのためにこの頭骨の主の、知らない誰かの尊厳を侵すこともない。そう言い聞かせながら頭骨を見つめ直すと、生あたたかい風がわたしを包み込んだ。髪のあいだをすり抜けるようにして、あたりの草木を揺らしていく。あの骸から伸びる、刃のような葉たちも、さわさわとその亡骸を庇いあっているみたいだった。

 この骨のある位置は、階段のふもとだったらしい。苔にまみれた城壁との隅に、眠るように佇んでいる。わたしはなんとか腰を上げて、服についた土くれを払いながら、頭骨に更に歩み寄る。そして膝をつき、両手を折り重ね、目を伏せた。
 ホドホド城。一夜で落城したという、無念の地。そこで息絶えた誰かの亡骸。それはもしかするときっと、この城を守ろうとした誰かなのかもしれない。――
 ゆっくりと瞼を開き、顔を上げた。その刹那。更に風が吹き荒れて、小袖の裾に絡みつく。雑草は潜めきあい、その身を折り重ね合う。……

「誰だ」

 体が凍りついた。矢に射止められたかのように。
 人の声だ。
 まさか、人がいたなんて。気配はなかった。その動揺を煽るようにまた風に煽られ、陽の光が雲に隠される。薄暗くなったところで、わたしはやっとの思いで立ち上がることができ、その声の主に向き直った。
 無数の蔦に抱かれた青い階段の上。わたしを見下ろす人影は、……どうやら大人のものではないらしい。

「ここで何をしている」
「あ、あの……ごめんなさい。わたしは……」

 凍てついた低い声が響き、その厳格な圧力に思わず両手をあげてしまう。
 ところが、わたしが後じさりながら謝ると、「あれ」とやや間の抜けた声がして、その気配は急変した。

「君は……名前さんか?」

 途端に、それはわたしが聞いたことのある声色に変わった。これは……わたしは、誰だか知っている。だけど、もしかして。
 そんな混乱を抱えながら、わたしは震えたままの声で、心当たりのある名前を呼んだ。

「守一郎さん?」

 彼はうんと頷き、軽く両手を広げてみせる。手ぶらのようだった。わたしは息を呑んで、彼を見据えることしかできずにいた。
 燃えるような黒髪、太く整った眉毛、大きな瞳。そして惜しみなく朗らかな声……。思いがけない再会の相手だった。
 彼……守一郎さんは、きょとんとした顔でこちらを見つめ、しかし沈黙も束の間、鋭く辺りを見回したかと思うと、その手を伸ばし、わたしの手首はたやすく引き込まれた。わたしはまだ、足がもつれるというのに。
 腕を引かれ、守一郎さんの真剣そうな顔を眺めながら、青い階段を上る。洞窟のように松の木が茂っている。どこに連れて行かれるのだろう。彼に握られた手首が痛む。ただ、彼の豊満な黒髪が、初めて会ったときと変わらずに揺れている。

「びっくりしたなあ。名前さんがここにいるなんて」
「わ、わたしも、ごめんなさい」
「どうして謝るんだ」
「人がいるとは思ってなくて……」
「そっか。そうだな。ところでお店は?」
「……今日は、ちょっと」
「このところ、ずっとだよね」
「はい……」

 守一郎さんはわずかに笑いかけてくれるけれど、階段をのぼりきるまで、決してこちらに背中は見せずにいた。わたしも気が緩むわけはなく、胸に汗が伝う不快感を覚えながら、目をそらせずにいる。
 そして開けた場所に出るや否や、洞窟を抜けたように目がくらみ、手が解放された。顔をあげれば、青々しい空を背負った守一郎さんが、静かにわたしを見据えて問いかける。

「……ここは廃墟だ。君みたいな人が立ち入っていい場所じゃない。一体何をしに来たんだ?」

 それは先ほど出くわした時と似ている、厳かな声だった。弓なりに通った鼻筋が日差しに照らされ、その洗練された顔立ちが、わたしに静かな圧力を持って押しかける。彼のほうが先客だと……いや、この地の番人だと、あたりの景色が言葉もなく語っているようだった。今までの、うちのお客さんとしての守一郎さんとは違う。今はむしろ、わたしの方こそが招かれざる客なのかもしれない。
 わたしは息を呑んで、正直に口を開いた。

「友達との、罰ゲーム……肝試しで」
「肝試し? こんな所でどうやって」
「それは、ええっと」

 先ほどの髑髏を持ち帰ることだなんて言えない。

「一人で行ってきて、何かここに来た証拠になるようなお土産を持ち帰れって……」
「へえ」
「だから、あの……ここが守一郎さんにとって大切な場所だったのなら、知らずに踏み込んでしまって、ごめんなさい」

 忍者の学校やくの一教室のことは話せないけれど、謝りたい気持ちは本心だった。
 頭を下げたところで、また沈黙が流れる。

「……大丈夫。怒ってないよ。それに、君はわかってくれているみたいだ」

 その言葉に顔を上げると、守一郎さんは目を細めて太い眉を下げており、警戒されている気配は薄れていた。
 ほっと安心するとまもなく、耳に何やらごろごろと鈍い音が触れる。何の音だろう。その方を見ると、守一郎さんが気恥しそうな面持ちで、自らのお腹を両手の下に隠していた。



後編