はまこ参る!

※微エロ、女装

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 おかしな申し出だと思ったが、名前から「抱いてほしい」と言われて断れるわけはなかった。

 薄暗くも燭台の灯りがほのかにあたたかい部屋で、名前に見守られる中、おれは山田先生……いや、伝子さんに教わった通りに、薄花色の派手な着物に桃色の帯を締めた。自分の髪を頭の上で二つに括りあげ、結びきれなかった後ろ髪を肩に遊ばせる。じゃらじゃらと垂れ下がる花飾りを差してみれば、いやに頭が重たくなるのだが、頭を揺らすたびにかちあう髪飾りの音が賑やかで、癖になりそうだった。お化粧は彼女が施してくれるのだというので、何も手は加えずに、自分の乾いた唇だけを舌先でなぞってみる。

「すごくきれい。何もつけなくてもいいくらい」

 女物の着物に、へああれんじを加えたおれの姿を眺めて、名前は恍惚そうに言葉を零した。彼女が纏うのは、闇のような生地に金色の装飾が施された品のいい晴れ着だ。そんな大人っぽい召し物と淡いお化粧で見上げてくる名前の方が、おれよりもずっときれいだと思うけど。

「お化粧、してくれるの?」
「うん。まだ『守一郎』だもん。じっとしてて」

 ふわりとあたたかい香りがしたかと思うと、頬にやわらかな手が触れて、白粉を纏ったちーくの先端が顔に近付く。思わず目を瞑ると、力みすぎていたのか「そんなに緊張しないで」と笑う声がした。ごめん、と呟く声が情けなくこぼれ落ちる。
 頬骨を撫でる毛束の感触がくすぐったい。丹念に塗り込むかと思いきや、手早く顔中をなぞり終える。次に更に手早く目の下をはたいていったのは、頬紅だろうか。耳元で「目、まだ閉じてて」と囁かれてしまっては、そのか細い声に頭のてっぺんまで痺れてしまい、返事の言葉も出なかった。
「あいしゃどーを塗ります」
 閉じた瞼の上を、何かでなぞられる。名前の指だろうか。普段他人に触れられることの無い部位、無防備な皮膚の感触に、眼球が震える。
「仕上げに、口紅を差すからね」
 その言葉に、頭の中で名前の紅をこさえた薬指を想像した。唇にしっとりと載せられたのは、その細くてやわらかな指の腹だろうか。なぞられる指先。紅を塗られたところが痺れていくみたいで、肩が身震いしそうになる。

「もういいよ、目を開けて」

 透き通った声が、耳をくすぐる。おそるおそる瞼を開けたおれの視界を覆うのは、名前の顔……お化粧のためか、いやに熱を帯びて見える眼差しだった。名前はおれの顔や頭や膝元までを見比べながら、ため息混じりに目尻をとろつかせる。

「すごくきれい。守一郎……ううん。しゅいちこちゃん」
「しゅいちこちゃん……? うーん」
「嫌?」
「浜子、の方が呼びやすくない?」
「そうだね。浜子ちゃん。あなたの言う通り」

 名前はおれの言うことをなんでも受け入れるのだが、否定されるよりは全く悪い気はしなかった。これでおれも少しは伝子さんに叱られずに済むだろうか。

「不思議。今のあなたが、わたしにしか見えていないなんて」
「確かに、おれにも見えてない」
「わたしだけの浜子ちゃんだね」

 甘い香りが鼻腔に広がったかと思うと、おれの胸に名前が飛び込んできていた。

「抱いて。お願い、浜子ちゃん」

 なんてはしたない、と喉までのぼってきた言葉は、彼女の姿に吸い込まれて掻き消されてしまった。物欲しそうに濡れた眼差しと、金色の衿元から覗く胸の隙間に、甘い、吐息の匂いが降りかかる。濡れて光る瞳に、細くて白い首がたよりなくて、言葉とは裏腹に、燭台の炎に溶けて消えてしまいそうな、幻みたいな姿だった。女の名で呼ばれているというのに、下腹部に熱が走ってしまう。おれは徐ろに名前の紅い頬に手を伸ばす。
「いいの?」とだけ訊ねると、何も言わない名前におれの唇が奪われた。
 紅の色が混ざり、溶け合う。着物もお化粧も、せっかく丁寧に繕ったのに、その手で崩すことをいとわない。化粧品に施されているのか、ほのかに果実の香りが鼻先を掠めて消えた。その残り香を手繰り寄せるように、夢中になって互いに貪り合う。抱き寄せた彼女の肩や背中は、おれの乾いた手よりもずっと小さい。縋るみたいに絡んできた彼女の指先が、いつもよりも温かかった。いつしかじゃらじゃらと囃し立て始めたのは、おれの髪飾りの音だったか。部屋はますます暗くなるが、燭台の灯りはまだ淡く金色に揺れ続けていた。




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