焼き魚定食

 食堂は、ランチを前にした生徒たちの声で賑わっていた。今日は鶏の唐揚げ定食が人気らしく、さくさくとした衣の砕ける音があちらこちらから絶えず耳に届く。わたしは温かい味噌汁を啜って、箸で焼き魚の中央を割き、上の身を掬いとりながら、隣の人物と話を続ける。

「それでね。魚屋さんで新鮮なお魚を買ったんだけど、捌き方を知らなくて」
「ふうん?」
「食堂のおばちゃんに付き添ってもらって練習したの。それがうまくいかなくて手が汚れちゃって……魚の血なのかわたしの血なのか、分からなくなっちゃった」
「えっ。怪我したの?」
「うそうそ。冗談だよ。うまくいかなかったのは本当だけど……」
「おお、無事ならよかった」

 そう胸を撫で下ろす彼……守一郎は、私に続くように味噌汁を吸った。彼もまた、わたしと同じ焼き魚定食を前にしている。先程たまたま彼が注文口で立ち尽くしていたところに声をかけたら、「名前と同じのにする」と言ってくれたのだ。今日の人気メニューは鶏の唐揚げ定食だというのに。

「お料理はできたの?」
「うーん。ぼろぼろのお刺身がね」
「へえ。おれもいつか名前のお料理を食べてみたいなあ」

 守一郎の何気ない言葉に、え、と出かかった声を飲み込むが早いか、その拍子にわたしの喉には違和感が残り、思わずむせてしまった。小骨が突き刺さったのかもしれない。
 口を抑えて咳き込むわたしに、「大丈夫か!?」と守一郎が肩をしかと支えてくれる。わたしは彼が差し出してくれた湯呑みを受け取り、ぐいと煽りながらお茶を流し込むことで、喉の痛みに噎せながらもなんとか事なきを得た。
 不安げに覗き込んでくる彼の澄んだまなざしは、自分の口にした言葉に他意はないことを物語っている。

「うん……大丈夫。お料理ね、守一郎に振る舞える頃までには上達するようにがんばるね」

 息を整えながらわたしがそう言い繕うと、ああ、だか、おう、だか、白い歯を見せながら守一郎は大きく頷いてくれた。それがなんだか気恥ずかしくて、つい曖昧に目が泳いでしまう。
 やっとのことで焼き魚の身をほぐす作業に戻ると、彼もお椀を手に取ったのか、箸でかきこむ腕の動きが見えた。食べっぷりがよく袖の擦れ合う音がするが、わたしが箸の先で魚の中骨を剥がしとると、ぴたりとその衣擦れ音が止まる。彼は箸を握ったまま手を止めていて、わたしの手元をもの不思議そうに眺めているようだった。彼はまだ魚にはあまり手をつけていないようだ。

「どうしたの?」
「ああ、うん。いや……」

 どうやら守一郎はわたしの手元を見つめているらしい。まじまじとした目線は、するりと俯いていき、ほどなくして両肘も下ろされた。

「……名前のお魚の食べ方、キレイだなと思って」

 そう言われて、改めて彼の皿の上とを見比べてみる。彼の食べ始めたばかりの焼き魚は、焦げた銀色の皮の隙間から艶やかな白身が見え隠れしていた。一方わたしの方はと言うと、たしかに皿に取り残された中骨は形が崩れることはなく、繊維のようにたおやかに寝かされている。

「守一郎は、お魚食べるの苦手?」
「うーん。おれはひいじいちゃんと山奥で暮らしていたから、海鮮はあまり食べたことがないんだ。美味しいけど、毟るのはまだ苦手かな」

 そう言いながら、彼は箸の先で焼き魚の中央を割きはじめた。上の身をつるりと取り剥がし、多少小骨がまとわりついていることも厭わずに一口でぱくつく。わたしの捌き方を真似ているようだけれど、ずっと見ていたのだろうか。辺りを見回しても、他の生徒はやはり鶏の唐揚げを頬張っている者が多い。
 そっか、とわたしは声に出していた。

「忍術学園には、兵庫水軍の第三協栄丸さんがよく海の幸を持ってきてくださるからね。これからいろいろな種類を食べられると思うよ」
「へえ。楽しみだなあ」

 彼は小骨ごといったのに、お茶を流し込んでしまえばもう口の中は平気らしい。そして前のめりになって中骨を剥がしとる。その様子がなんだかかわいらしくて、わたしは「上手上手」と手を叩いて励ます。……しまった、子ども扱いをしているようだっただろうか、と恐る恐る守一郎の顔を覗いてみると、彼は白い歯を見せてただただ笑ってくれていた。
 他の生徒がカウンターへ食器を返却していく中で、守一郎は焦る様子もなく箸の先で魚の骨と格闘していた。ひと気が減っていくほどに気が付いたのは、彼はこれだけ食べることに夢中な仕草をしていても、恐ろしいほどに食器の物音を立てないということだった。もう冷めきっているであろう味噌汁も、何食わぬ顔で飲み干してしまう。わたしは一応、守一郎のペースに合わせて一口ほどの魚の身を残していたのだが、いつの間にか彼はわたしとそっくりな骨の残し方をしていた。彼に合わせて、わたしも最後の一口を口にする。その身は冷たくなってはいたけれど、乾いた塩の味が舌に染みるようだった。

「ねえ、名前。明日はどんなランチが出るだろう」
「そうだねえ……こういうメニューの日の次によくあるのは、カツ丼と味噌野菜炒め定食かな」
「すごいなあ。もしそうだったら明日は何にする?」

 そう目を輝かせる守一郎を前に、どうしてもわたしは、カツ丼……とは答えることができず、咄嗟に「野菜炒め定食」と後者を挙げていた。咳払いをしてから、守一郎はどっちにするのか尋ねようとしたのだが、わたしがその問を口にするより早く、彼は「おれも名前と同じのにするよ」と白い歯を見せてくるのだった。



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