OUTBURST

Without haste, but without rest.


 Oh, the summer time is coming,
 And the trees are blooming,
 And the wild mountain thyme
 Grows around the blooming heather.
 Will you go, lassie, will you go?


 浅葱色の長いワンピースを揺らしながら、イリニは歩いていた。いつも身に着けているベールと紺色のコート、そしてロザリオは今日はお休み。真紅のマフラーを首に巻いただけの、所謂軽装(ラフ)な格好だ。

 And we’ll all go together
 To pull wild mountain thyme
 All around the bloomin heather
 Will ye go lassie go


 小さく歌を紡ぎながら、彼女は目的の少女を探す。前々から約束していた事を果たす為だ。財布を片手に村を彷徨う。特に日にちの指定はしていなかったし、急を要する目的という訳でもないので、今日会えなかったらまたの機会に……と考えていると、


「あ」
「あ」
「あ」


 探しびとと小さな運び屋が仲睦まじく(!)、仲睦まじく(!!)談笑しているのを発見し(てしまっ)た。小さくではあるが思わず声を出してしまい、目が合う。気付かれた。三者の間に気まずい沈黙が落ちる。見てはいけない場面を見てしまった気分のイリニは、バサァ…とワンピースを無駄にたなびかせながら、何事もなかったように踵を返す。


「──お邪魔しました(・・・・・・・)

「いやいやいやいや!!」
「待とっか!!」


 どうぞお続けください。そう言わんばかりの引きの良さに蜂カップルは赤面、慌てて止めに入る。お邪魔って何だお邪魔って。続けるって何を。そんな感じの事を捲し立てるふたりを見てイリニは首を傾げた。別に彼らは変な事をしている訳でも何でもない、のに何故こんなにも動揺しているのだろうか。寧ろこちらの方が変な事───この場合はタイミングの悪さを言っている───をしでかしたというのに。


「逢瀬のお邪魔をするのはちょっと……」
「お、おうせって、」
「べっべべべ別にそんなんじゃ……!!」
「……違うのですか?」


 予想外の反応に瞠目する。同じ蜂という種族同士であるというだけでは説明出来ない雰囲気がふたりにはあったので、てっきりそういう仲(・・・・・)なら今もそういう外出(・・・・・・)……つまりデート中だと思ったのだが。違ったのか。……違うのか。………違う……のか? 否、違っていないはずだ。そんな無表情から溢れる疑いの眼差しを向けられ、蜂カップルもといコハルとセンバは更に慌てる。


「な、何でお、ぉう…せ…とか!!」
「そ、そうだよ! お…ぅ、せ、なんて!!」


 この初心な反応何たるや。「逢瀬」の単語も言えないとは。というか互いにそういう仲(・・・・・)であるのなら必然的に逢瀬(デート)になる訳なのだが……。つまるところふたりして物凄い勢いで墓穴を掘っているのである。これぞ共同作業だ、夫婦のな。以上、閑話休題。


「昔、友人に読み聞かせて貰った恋愛小説の恋人が今のおふたりとそっくりだったので、てっきり」


 イリニは数年前に森で出会った年上の友人を思い出す。世間知らずで人形のような自分に様々な事を教えてくれた存在。低い静かな声の持ち主はとても博識だった。……正直その低い声から繰り出される一人二役は少々……否、大分無理があったと流石のイリニも思ったのだが(しかも片方は女役である)、それはまあ胸の内に留めておく事にして。

「彼」とはよく外で会っていた。毎日のように。


「私と『彼』とは、違う雰囲気で」


 だがそれとは違うものが。何かが。


「少なくともただの外出(・・・・・)ではないな、と」


 目の前のふたりにはあるように見えて。

 「彼」は自分を愛してくれたし、自分も「彼」を愛している。それは事実だ。だが読み聞かせて貰った恋愛小説の登場人物や目の前の蜂カップルと自分達は何かが違うとイリニは思った。ほぼ毎日会い、談笑をし、次の約束をする。その繰り返しの日々は、素直に楽しかったと言える。だけれど、そこに恋人同士の「それ」はまるでなかった。ただ「外で会う」という事ではない何か。「それ」とは一体。……相思相愛にも種類があるのか。まさしく「愛」とは何ぞや、である。

 そんな感じで脳内自己完結してしまったイリニは湯気の出る勢いで赤面するふたりをぼーっと眺め、「まあそれだけなのですが」と締めた。コハルは辛うじて「そっ、そうナンダー……」と返事は出来たものの、センバの方は4本の腕で顔と耳を覆い見ざる聞かざる言わざるの瀕死状態。俺は貝になるぞーー!! お前は猿でも貝でもない。蜂だ。ご愁傷様である。


「っと!! ところで!!」
「はい?」
「何か用だったかな?! 私を探してたみたいだけど!!」


 突然の話題転換。だがそれは本来の目的だ。

 以前、イリニはコハルの年齢について訊ねた事があった。そこから彼女が生業としているドリンクに興味を持ちお勧めを教えて貰ったので、今日はそのお勧めを買いに来たのだ。ただ、コハルがいつも開いている露店にいなかった為、こうして探しに来た訳なのだが……逢瀬の邪魔をしたならば馬に蹴られる前にすぐさま退散「ぉぅ…せ! とかじゃないから!! 大丈夫!! ね!! センバ君!!」「あっああああ!! そうだな!!」無理をするな蜂カップル。あと「逢瀬」ではなく「デート」と言えば幾分か恥ずかしさはないのではなかろうか。はい閑話休題、その弐。

 とにかく商品は露店にあるから一緒に行こう! とコハルは相変わらずの真っ赤な顔でイリニの腕を引っ張る。センバも同様に引っ張るので、まあ本人達がそう言うなら……とイリニはされるがままについて行くのだった。


***


「はい! こちらがウチの商品になりまぁす!!」


 ででんっ、と置かれた幾つかの樽。それなりの大きさのそれらは甘い匂いがする。コハルがお勧めしてくれたのは林檎のジュース。だが一概に「林檎ジュース」と言っても種類は色々あるとの事で。正直保存が効くなら買い溜めも辞さないつもりだったのだが、ここまで多様にあるとなると、迷う。口元に指を当て、イリニは唸る。どのジュースにしようか。「Appel, pappel, pirum, parum……」「エッペルペッペル?」「聞いたことない言葉だな」「あ、『どれにしようかな』みたいな歌で……」指差しあれやこれやと呟きつつ選ぼうとするも、決まらない。そんなあまりの悩みように、コハルは見かねて助け舟を出す。


「試飲もできるよ!」
「是非お願いします」


 即答である。彼女の電光石火の反応を見てセンバは笑った。自慢の彼女が丹精込めて作った商品なのだから当然美味だ。それを理解しているかのようなイリニの食い付きようは、見ていて嬉しくなる。それぞれのジュースをワンカップずつ貰い、一気に煽るのではなくちびちびと味わいながら飲む様子も、やはり作っている側のコハルからしてみると職人冥利に尽きるものである。一口飲むごとに感想を言いながら、イリニは最後のジュースを口にした。その瞬間。


「──あ、」


 はらり、と。

 紫瞳から雫が流れ落ちた。


「………えっ?!!」
「ど、どうしたの?! ジュースに何か……?!」


 口元を抑え俯く。その拍子にぼろぼろと涙は零れ、地面に染みを作る。コハルとセンバが慌てて顔を覗き込むと、イリニは堪らないというように目を固く閉じていた。それでも止めどなく涙は溢れている。どうしよう、自分のドリンクに何か不備があったのだろうか、コハルは顔面蒼白だ。だがイリニは、違う、と。そうじゃない、と、告げる。

 そう、ただ、


「林檎を食べた事はあるか?」

「懐かしくて」


 真紅の龍がフラッシュバックする。
 愛する「彼」の言葉が、再生される。

 何の因果だろうか。口に広がる甘味、仄かな酸味。かつて友人がくれた林檎のドリンクと、今口にしたコハルのジュースは、同じ味だった。こんな事ってあるのだろうか。駄目だ。思い出してしまう。あの時の事を、大切で大好きな日々を。

 思い出して、しまう。
 それだけ。ただそれだけの事なのに。

 初めて出来た友人と過ごした日々。
 時間にして短く、密度にして濃く。
 「彼」はヒトとして、一人の少女として、己が存在する事を赦してくれた。
 何も返す事が出来なかったから。
 「彼」に何も、伝えられなかったから。

 だから、せめて。


「もう嘆かないって、決めたのに」


 なのに。涙が止まってくれない。
 泣きたくない。泣きたくなんかないのに。

 「彼」の最期に。あの時を最後に。
 そう決めたのは自分なのに。


「すみません、泣いて」


 はらはらと落ちる涙を拭いながらイリニは謝る。せっかくコハルの好意で試飲させてもらっているのに泣き出すなんて、非常識にも程がある。これでは後味が悪くなってしまう。そう思っての謝罪だった、のだが。


「……どうして謝るんだ?」
「え、」


 眉間に皺を寄せたセンバが、そう問うた。


「大好きなひとのために泣くのは、悪いことなのか?」


 その言葉はイリニの胸を貫いた。真っすぐな目がこちらを見ている。彼の「大好きなひと」であるコハルもこちらを見ている。二対の真っすぐな目が、「彼」と、「彼」の最期と、重なる。カタカタと身体が震え出す。それを抑える為胸元を掴むが、止まらない。止まるはずがない。


「悪い事……でしょう」
「どうしてだ?」
「いつまでも泣いてたら、『彼』が心配します」


 身体と連動して、声も震える。その震えは「感情」という撃鉄、「トラウマ」という引鉄。それらによって溢れ出したものは、


「ようやく戦争から解放されたのに」
「友人が…私、が泣いてたら」
「『彼』は……イリニは…っ」

「安心して逝けない!!」


 「叫び」という暴発を起こす。

 「彼」……イリニには安らかに睡っていて欲しい。
 あなたが心配するような事は何もない。
 もう、休んでもいいのだと。
 安心して、欲しい。

 イリニの睡りの妨げになってはならない。
 そう願う自分が、他ならぬ「彼」の友人である自分が、その妨げになるなど絶対にあってはならないのだ。

 だから。


「だから!!」
「だからって!!!」


 「少女」の言葉を遮って、負けじとセンバも叫び出す。声にはしないが、コハルもまた、彼と同じ思いで彼女を見上げる。


我慢してまで泣かない(・・・・・・・・・・)ってのは違うだろ!!!」

「───、」


 我慢、してまで。心の中で繰り返す。
 ───かしゃり、と、何かが崩れる音がする。


「好きなやつが自分を想って泣く、それはすっごく悲しいことだ!! 俺だってコハルが泣いてたら嫌だ、だけど!! 泣きたいのに我慢して、思ってること全部抑えつけて!! 無理して笑ってる方が!! 俺は嫌だ!!!」


 全部抑えつける。無理して、笑う。わら、う。
 ───かしゃかしゃと軽く、呆気なく。


「苦しいのに、つらいのに。なのに泣いちゃいけないなんて、そんなの悲しすぎるよ」


 嗚呼、どうしてこんなに眩しい。
 どうしてこんなに澄んでいる。

 ───かしゃん、と。


「──なかないで」


 彼らの涙は、どうして。

 

 色付いた世界は、どうして。


「どうしたらいいのかわからなくなる」


 こんなにも。


「だ、から、なかない、で」


 美しいのか。

 石を落とした水面のように、視界が揺れる。ぼやける。大粒の雫が頬を伝う。ふたりに手を伸ばし、大きな瞳から零れる真珠のような涙に触れる。泣かないで欲しいと口にはすれど、その手は決して拭うものではない。指先を濡らしたそれは、どこか温かくて。矢も楯も堪らず嗚咽が漏れる。


 暫くの間、彼らは声を上げて泣き合った。


***


 目元を赤く泣き腫らしながらも、彼らはどこかすっきりした表情で顔を見合わせる。「少女」は知らず知らずのうちに溜め込んでしまっていた思いを吐き出し、憑き物が取れたような気分だった。心に蓄積されていた黒く重たい感情を引き摺り出された彼女は、穏やかな目でセンバとコハルを見つめる。ふたりには感謝の念しか浮かばない。


「泣くのも、悪くないですね」


 ぽつりと呟かれた言葉には感嘆と驚愕が含まれていて、ふたりは思わず笑った。続いて発せられた「カルチャー・ショック、というものでしょうか」という台詞は更に笑いを煽り、最早大爆笑である。カルチャー・ショックなのはその感想の方だ、とふたりは言った。

 「少女」は思う。何も変われていなかった(・・・・・・・・・・・)と。痛感したのだ。感情を抑えていた時点で、銃を手に戦場を駆けずり回っていたあの時と何ら変わっていなかった。進んでもいない。退いてもいない。ただ停滞していた。現状維持のまま、「昔とは違う」と自惚れていたのだ。

 泣いたら心配する。弱さを見せたら友人は睡りにつけない。それを理由に、歩みを止めてしまった。何一つ成長しないままでいた。


「我慢してる方が向こうは心配すると思うぜ?」
「ちゃんと前に進んで、『私はあなたがいなくっても大丈夫なんだよ』って言ってあげればいいんだよ」
「そう……ですよね。イリニなら」


 自分の成長を誰よりも喜んでくれる。
 泣く事も、赦してくれる。
 きっとそうだろう。
 だから。


「最後に飲んだこのジュース、これを下さい」


 飲む度に思い出すだろう。大切で大好きな日々を。
 また泣いてしまうだろう。二度と会えない友人への思いに。


「まいどあり!!」


 でも、それでいいのだ。どれだけ嘆いても過去が変わる訳じゃない。嘆くだけ無駄なのだ。だけど、それは即ち、好きなだけ泣いてもいいという事で。過去を嘆き、悼み、そうしてそれを踏み台にするのだ。前に進むには、新しい自分を見付けるには、これでいい。これがいい。過去に執着して歩みを止めないために。


「おふたりとも──」


 思い出の品物を抱え、「少女」は振り返る。センバとコハルを眩しそうに、そして慈しむように紫瞳に映し、彼女は告げる。


「──ありがとうございます」


 これが、第一歩だ。



「「──わらった(・・・・)」」



急がずに、だが休まずに。

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