「あー……クソ……煙草切れてンじゃねぇか」
 逆さまにしても出てこない、ただのゴミ屑と化したパッケージをくしゃりと丸め、ゴミ箱へと投げ込む。
 仕事が立て込んだ徹夜明けの今日。
 こっちは大丈夫だからと、心配症な部下達に無理やり帰宅を促された。体は休憩を欲しているはずなのに、目が冴えてしまってどうにも寝付けない。仕方がないとポケットを探り、目当てのものを取り出したまでは良かったが、運悪くそれにも有りつけず。
「しょうがねぇ、買いに行くか」
 ニコチンを欲する衝動を抑えることができず、重い腰を持ち上げた。こんな状態で車を運転するわけにもいかず、欠伸を噛み殺しながら、ふらふらと住宅街を歩く。
 くぅと空腹を訴える音が鳴り響く。
(……そういや朝飯食ってなかったな)
 ロクに家に帰れていない状況だ。なにか食材があるわけでもない。
(飯作るのも面倒だし、食いモンも適当に買ってくか)
 そんなことを考えながら、歩みを進めた。
 適当に見繕った惣菜と、数本の酒。そして酒の肴になりそうなイカを買い物かごに放り込む。
 店を出て、とりあえずと、喫煙スペースで煙草を薄い唇に咥える。吸い込んだ煙が体を満たしていく。
「っ、あ〜……うめぇ」
 口をついて出た感嘆に、我ながらオヤジくさいと思うが、周囲に人が居るわけでもない。そのままゆっくりと煙を吐き出す。
(はぁ……なんでもいい、なんか癒しが欲しい)
 人恋しいわけではない。しかし漠然とそう思ってしまった。疲れで思考が少しおかしくなっているのかもしれない。
 灰皿に煙草をねじり込みながらガシガシと頭を掻く。
「……帰るか」
 ポツリと呟いた言葉は、立ち消える火と共に霧散した。
 ふらふらと再び来た道を戻る。
 ふと目に入った小さなペットショップ。
(ンなとこにペットショップなんてあったか?)
 普段車で走る道。ゆっくり歩くことなんて滅多になく、少しだけ新鮮な気持ちになる。気が付けばふらりと中に足を踏み入れていた。
 こざっぱりとした店内をぐるりと見回すと、小さなケージが目に入る。茶色の小さな兎が一羽丸まっていた。
 しゃがみ込みそのケージを覗き込むと、俺が側に来たことに気付いたのか顔を上げた。ぴこぴこと動く耳。くりっとした目は光の具合で、紫水晶を思わせる色合いを呈しており、吸い込まれるようだ。
「美人な子だろ?」
「うおっ!?」
 突然背後から声をかけられ飛び上がった。振り向くと人の良さそうな初老の男性が立っていた。
「すまないね、驚かせた」
「い、いえ……」
 油断していて、大げさに驚いてしまったことに恥ずかしさを覚えるが、店主はさして気にした様子もない。
「美人なんだけどね、ちょっと難しい子でね……」
「難しい?」
「あぁ――」


 カシャンと手に持ったものが音を立てる。
(って、なに俺は買ってんだ)
 店主によると人に懐きにくく、見向きもしない。ああやって訪れた人に顔を見せるのは初めてだったと。「私も顔を見せてもらうまでに数ヵ月かかったのに妬けるな」等と言われる始末。
 仕事が只でさえ忙しいというのに、生き物を飼うなんて。けれどなぜかあの瞳に魅入られてしまったかのように、自然と手が伸びていたのだ。『一度飼ったものは最後まで面倒をみるのが人として当然』そんな言葉が浮かぶ。
 柄にもないことを考える俺は、やっぱり疲れているんだろうかと思いつつ、しかし新しい家族とも言える存在を大切にしてやろうと、ケージを撫でた。
 帰宅し、そっとケージを床に置く。扉を開け、中を覗き込むと、端の方で小さく丸まっていた。中にペットショップで購入した餌と水を置く。ひょこりと耳が動いたから物音にも気付いているだろう。
「おーい、飯だぞ」
 尚も丸まったままの姿だが、店主に「環境が変わると数日は慣れないから見守るように」と言われたことを思い出す。あの綺麗な瞳をもう一度見たいと思うが、焦りは禁物だろうと、テーブルに買ってきた惣菜を並べた。


 気が付けば兎を飼い始めてから一週間が過ぎていた。
 それまでは仕事が立て込むと二〜三日は帰宅しないことはザラで、日付が変わる頃に帰宅することも、ままあった。それがどうだ。ここ一週間はよっぽどな事が無い限り早めに仕事を切り上げ、毎日のように帰宅していた。いや、これが当たり前の事なのだろうが……。
 真葉には頭でも打ったかと言われ、前木には素っ頓狂な声で驚かれもした。――もちろん一発ずつお見舞いはしたが。
「まこと、ただいま」
 数日考えて、名付けた名前を呼ぶ。
「っと……今日もあんま食ってねぇな」
 ケージを覗き込むと、朝とあまり変わっていない餌が目に入る。水は全部飲んでいるようだ。
 ふわりとした茶色の毛並みをひと撫でする。
「お、逃げねぇな」
 恐る恐る触れた昨日は案の定逃げられ、少し落ち込んだ。
 そして触れてみてハタと気付く。
(? こいつ震えて……)
 触れた小さな体は小刻みに震えていて、酷く頼りなく見える。
「あー……急にンなわけ分からねぇとこに連れてこられたら、そりゃビビるよな」
 安心させるように、極力優しく撫でてやる。
「怖がらせちまったな」
 大丈夫、怖くねぇよ、何もしねぇ。幼子に語りかけるようにゆっくりとした口調で、ふわりとした体を撫でる。
 いつの間にか、こちらを見ていた双眸。じぃと品定めをするかのように。
 やがて、すりと体を擦り付けてきた。
「お、いい子じゃねぇか」
 怖がらないように、そっと胸元に手を回す。尻を支え持ち上げるも、両の手ですっぽり覆ってしまえる程に小さい。
 暴れるかと思ったがそれもなく、静かにその身を預けてくれる。
「……ちっせぇな」
 抱き上げポツリと零した言葉に、手の中で大人しくしていたまことが、反抗でもするかのように足をジタバタさせる。
「うおっ! 何だァ、怒っちまったか?」
 まるでこちらの言葉を理解しているように暴れまわる。
「思ったより元気じゃねぇか」
 飼いだしてから此の方、蹲っている姿しか見ていなかったが、大丈夫なようで胸をなで下ろす。
「……男の子っと」
 ひょいと目の前に体を掲げ確認をしていると、顔面にまことの足が見事にヒットした。
「って! 蹴るな、蹴るな! 悪かったって」
 俺の行いを咎めるような行動。いきなりそりゃ失礼だよなと侘びを入れ、あやす様にまことを撫でてやる。
 暫くそうしていると諦めたのか、再び大人しくなった。
 まことを膝の上に乗せ、帰りがけに買ってきた惣菜をテーブルに広げる。
 こう遅い時間となれば自炊はさすがに無理だが、以前より確実に生活のリズムが良くなっている気がして、思わず笑いが出る。膝の上で大人しくしているまことを見つめ、コイツのお陰なんだろうなと、ひとりごちる。
 腹も膨れほろ酔いの状態で、いつの間にか、すぴすぴと寝息をたてるまことを見下ろす。そこからじんわりと、自分以外のものの温かさが広がる。明日は幸い仕事も休みだ。抗えない眠気に逆らうことなく、ソファにごろりと横になった。



『ぁ、ン……あぁっ』
 淫らにくねる細腰を掴み、奥を暴けば目の前の裸体が跳ねる。
『ひぁっ! あぅっ、んっ、ぁ!』
 開きっぱなしの唇からは、ひっきりなしに掠れた嬌声が溢れる。快楽によって歪められた形の良い眉、うっすらと開いた瞳は、吸い込まれそうな紫水晶。
 乱れた濡れ羽色の髪の間から見える、茶色の長細い耳は、兎のようで――。

 慌てて飛び起きた。なんて夢を見ていたのだと。
 そしてふと視線を下に向けると、そこには夢に見た人物と同じ髪色の青年。その髪の間からはひょっこりと、そう、まるで兎のような耳が飛び出していた。
 ふにと感触を確かめるように触れると、まことを撫でていた時のような錯覚に陥る。
「んぅ……」
 目の前の人物がころりと寝返りを打ち、僅かに瞼が持ち上がる。そこに現れたのはどこまでも綺麗で、透き通るような紫水晶だった。




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