「……〜〜で、〜です」
「そうか。こっちは〜〜か?」
 微睡みの中、途切れ途切れに人の話し声が聞こえてくる。慣れ親しんだそれは心地良く、俺を落ち着かせてくれるものだった。重い瞼を持ち上げると、そこはいつもの光秀の部屋で、気だるさの残る体を叱咤しつつ起き上がり、時間を確認する。
(朝餉の時間までまだ余裕があるな)
 肌の不快さは残っていないが、いまいちシャキッとしない体を目覚めさせるため、湯浴みでもしてこようかと考えを巡らせた。
(昨日だいぶ飲んでしまったし)
 泊まりがけの外交が終わり、帰国した光秀を囲んでの小さな宴会ばりの夕食のあと、酔った光秀に引きずられるように部屋に連れ込まれたのだ。
 まずは服を着ようと思い、ベッドの下へと手を伸ばす――が、目的のものは掴めず手は空を切るばかり。
「あれっ……?」
「お探しのものはこれですか? 王妃様」
「っ〜〜!!」
 目の前にひらりと広げられた布切れを引っ掴んで、声の主を見上げたが、そこへ映りこんだ光秀の格好にひくりと口の端が引き攣った。
「起きたか」
「お、お前……まさかその格好で……」
「あ?」
 顔を赤らめながら指摘する俺の視線の先を辿って、察したであろう光秀は、ニヤリと口角を上げた。
「別に、今更隠すようなモンでもないだろ」
「っ……そのままで人前に出るな!」
「うおっ!」
 側にあった煌びやかな装飾が施してある枕を投げつける。しかし、投げつけられた当の光秀は、片手でいとも簡単に掴んで見せた。
 退かされた枕から見えるのは、情事の痕跡を色濃く残す引き締まった体躯で。ズボンのみを着用した光秀は、それはもう、色々なものをさらけ出している状態だった。
「しょうがねぇだろ、服があちこち散らばりすぎて探すの面倒だったんだ」
「それでも隠す努力ぐらいしろ! 馬鹿!」
「へいへい」
 上着どこやったかな、と間延びした声を発しながら背を向けた光秀の背中を見て、再び絶句する。少し赤くなった引っ掻き傷が無数に出来ていたからだ。
(爪……手入れしなきゃな)
「あったあった。ほれ、お前のも」
「ありがとう」
「入口ンとこの椅子と、あと脱衣場と、窓の近くにも落ちてたぞ」
「っ、言わなくて良い!」
 昨日、お互い酔った俺たちはふわふわした気分でコトに及んだ。服がそこいらに散らばっていたのは、まあそういう事だ。
「でもその辺で脱ぎ出したの真琴だろ」
「だから言うなって!」
 蘇るのは昨晩の痴態の数々。乗せられるままに、ストリップショー紛いのことをやらかしてしまった気がする。赤い顔のまま勢いよく立ち上がった俺に、光秀が目を瞬かせた。
「どうした?」
「あ、いや……湯浴みしてくる」
「は? 昨日のは処理したぞ」
「うん。そっちは大丈夫なんだが……目覚ましになるかなって思って」
「ふーん」
 こちらをじっと見据えながら、光秀が顎を擦る。
「俺も行くかな」
「え?」
「ンだぁ、その反応。嫌なのかよ」
「嫌……というか、その……」
(恥ずかしいんだよな)
 先ほどのやり取りと、妙に色香を放つ光秀の身体を見ていると落ち着かなくなる。そういう初な時期はとうに過ぎたというのに、ドキドキと忙しない胸元の上できゅっと手を握りしめた。
 そんな俺の様子を見た光秀が首を傾げる。
「真琴?」
「……変なことしないならいいぞ」
「変なことって?」
 目を細めて見下ろしてくる光秀の表情は、俺がどんな反応を示すのか明らかに楽しんでいるもので。
「分かってて聞いてくるのは意地悪だ」
 唇を尖らせたまま、光秀のズボンの裾を掴んだのだった。

「っ、あーー生き返る」
「ジジくさいぞ」
「うっせ」
 くすくすという笑い声が広い浴室内に響く。光秀の髪から落ちた雫が首元に垂れてきて、その擽ったさに身を捩ると、よりいっそう抱き込まれる。
 光秀のベッド数個分はありそうな湯船に、隙間なくぴたりとくっついているこの状況に今更何か言うつもりもない。二人で湯浴みをするときはいつもこう。広い空間が勿体ないと思うが、互いに離れるという選択肢はハナから持ち合わせてはいなかった。
「今日は書類整理か?」
「おー。外交中のがたんまり残ってやがる」
「何か手伝えることはあるか?」
「手伝えること……ねえ」
 そう呟きながら尻をするりと撫でる手に、体がビクンと跳ねた。光秀はそれに気付いていて、さらにムニムニと揉み込んでくるものだからタチが悪い。
「ふ、ぅ……光秀」
「悪い悪い、変なことしないんだったな」
 すんなりと離れていく手に、ほんの少し寂しさを感じてしまったなど、口が裂けても言えるはずもなく。少し考えたあと、くるりと方向転換し、光秀に向き合うようにして膝に乗り上げた。
「真琴?」
「い、今は駄目だけど……その、夜なら……」
 いいぞと、ぐっと体を近づけてぽそりと耳元に小さく了承の意を落とせば、光秀が小さく息を呑むのがわかった。
 しばしの沈黙。そして大きな溜息が聞こえたかと思うと、肩口に光秀が顔を埋めてきた。
「わっ!? 光秀?」
 何か拙いことでも言ってしまったのだろうかと、オロオロする俺をよそに、ぐりぐりと額を肩口に押し付けられる。
「今……真琴閉じ込めてえって思っちまった」
「……へ」
「誰の目にも触れさせないよう、俺だけをずっと――」
「光秀」
 互いの思いが同じと分かった日も、ほんの少し仄暗さを滲ませた言葉を聞いたことを思い出す。普段の自信に満ち溢れた姿からは想像できぬ言葉に驚きはしたが、内心喜んでしまった自分もいる。
 未だに顔を上げようとしない光秀の言動が気になり、少し屈んでその顔を覗き込んだ。口元に緩く笑みを浮かべながら細められた深い青に、息の仕方も忘れたように釘付けになる。
「……なんてな。真琴と一日中いちゃいちゃグッチョグチョしたかっただけだ」
「ぐ、ぐちょ……」
「真琴としばらく触れ合えてなかったから、オッサン人肌恋しいんだわ」
「昨日あれだけしたのにか?」
「半分ぐらい充電できた」
「……燃費悪いんじゃ」
「なんだと」
「わっ! やめろって、ふはっ、くすぐったい」
 脇腹をつつかれて腰を引くも、いつの間にか足を光秀の足でがっしりと固定されていた。いたずらに鎖骨のあたりにも軽く歯を立てられ、それにさえ敏感に反応して息が上がっていく。
「俺はさ、真琴がこうやって側に居てくれるだけで充分なんだ」
「そうなのか?」
「おう。この国を愛してるし、守らなくちゃいけねえ。でもそれ以上に、真琴が居るから守りたいって気持ちが強くなった」
「……光秀」
「だから、ずっと俺の隣で笑っててくれ」
「うん」
 光秀の背中にそっと腕を回し、逞しい胸元に頬を寄せた。
「でも、ただ隣で笑ってるだけなんて、俺の性にあわないから、少しは寄りかかっても良いんだぞ」
「ちっせぇから潰れんじゃねぇか?」
「そっちのことじゃない!!」
 勢いに任せて顔をあげれば、そこには嬉しそうに笑う光秀の顔があった。分かってるとばかりに、頭をポンと軽く叩かれた瞬間、ぶわりと身体中に熱が灯った気がした。
「ありがとな」
「ん」
 茹だってしまいそうなぐらいクラクラするのは、たぶん風呂の熱気だけではないはず。横抱きにされ、再びゆったりと湯に浸かる光秀の腕の中で縮こまりなながら、そんなことを思った。


「週末空けててくれな」
「何かあるのか?」
 その日の夜、驚異的な速さで仕事を終えて戻ってきた光秀に、約束通りぐっちょぐちょに愛された。指の一本も動かせない俺の髪を梳きながら、光秀が思い出したように呟いた。
「俺の誕生日の式典、だとよ」
「誕生日、の……式典?」
「おー。そんな歳でもねえし、いいって石黒には言ってたんだけどよ……秘密裏に計画されてたらしい」
「光秀もうすぐ誕生日なのか?」
「おう……って、言ってなかったか」
「聞いてない!」
「あー……去年は色々あって、そういう雰囲気でもなかったからな。こういうことが出来るのは平和の象徴でもあるって言われてな」
「そうだけど……」
 俺も光秀も大変な時期だったから、敢えて言わなかったのだろう。けれど、俺としては大事な人の誕生日ぐらいちゃんと知っておきたかった。
「って、あー……真琴、もしかして誕生日知りたかったのか?」
「す、好きな人のぐらいはちゃんと知っておきたい」
「そりゃ悪かったな。けど俺も言われるまで自分の誕生日なんざ忘れてたぐらいだ」
「それでも! 『おめでとう』ぐらいは言わせてくれ」
「……おう」
 何も持っていない俺を助けてくれた愛しい人が生まれた日に、せめて『ありがとう』と祈るぐらいは。
 僅かに赤くなった光秀の耳元に小さく笑みをこぼすと、俺はあるひとつの案を思いついた。

 光秀の誕生日まであと数日。




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