(……どっと疲れが)
 とっても淫猥な夢を見て飛び起きたら、その相手が隣で寝息をたてていたのだ。
 しかもうさ耳男という、なんともマニアックなもの。
 まさかと思いその姿を探すが『まこと』は何処にも見当たらず、その代わり同じ毛色の耳を生やした青年が存在した。何より俺が惹かれた、あの紫水晶のような瞳を見間違えるはずがない。
 半分混乱した状態でペットショップに、まことと思しき青年を抱えて行くと「腕の中で大人しくしているなんて! もうそんなに仲良くなったんだね」と和やかに返され、項垂れながら帰宅したのだった。
「他のヤツには動物の兎の姿で見えてるってか?」
 視線をまことへと移すと、ソファの隅で丸まって、じっとこちらを見据えている。軽々と抱えられたことに、ご立腹らしい。
 人の姿になっても、抱えられ足ばたつかせて盛大に暴れてくれた。昨日小さいと言われ、足をばたつかせて暴れた姿と重なり、やっぱりこの青年は紛れもなくまことなんだと実感することとなった。
 さてどうしたものかと思考を巡らせていると、まことの居る方から空腹を訴える音が聞こえた。
「腹減ってんのか? そういやあんま飯食ってなかったよな」
 人間と同じものを与えていいものだろうか?
 とりあえず無難な生野菜を準備してみた。
「まこと、こっち来いよ。飯にすんぞ」
 つーんとそっぽ向き、拒絶の意を示す。
「かっわいくねぇな……オイ」
 兎と言うより猫を彷彿させるその姿に、思わず漏れた本音。一度キッと睨まれ、またそっぽ向かれる。
 整った顔立ちと、涼し気な目元から、少し冷たい印象を受ける。まぁ、でも綺麗な顔はしている。
(とは言え、怒らせちまったのは俺のせいだしなァ)
「ここ置いとくから、食いたくなったら食えよ」
 そう言い、俺はありあわせのもので作った食事に手をつけた。
 鯖の塩焼きに箸を伸ばす。脂の乗ったそれを口に運ぼうとしたとき、まこととバチリと目が合う。
 耳をピンと立て、身を起こして、こちらを伺って……というか、ガン見してくる。
「……食うか?」
 ほぐした身を差し出すと、少し警戒しながらも近付いてくる。その姿に苦笑しながらも、魚を箸で摘んでやれば匂いを確かめた後ぱくりと食らいついた。
「うめぇか?」
 もごもごと咀嚼しながら、コクリと頷くまこと。
「そりゃあよかった」
 次々と箸を運べば、ぱかりと口を開けるその姿が可愛らしくもあるのだか、そうなのだが、どうにも、
(……雛にエサでも与えてる気分だ)
 魚だけじゃなく、準備しておいた野菜も与えれば食べた。
 目覚めた時当然素っ裸で、嫌がって暴れる体に俺のシャツとパンツを着せた。尻尾が飛び出し、半ケツ状態になっていた事は目を瞑ろう。
 ぺたりとその姿でその場に座り込む、まことのシャツの裾からは、すらりとした、しなやかな白い足が見える。
「っ、あ*……ズボン買ってくっか……俺のじゃデカいよな」
(なんかイケナイもん見てる気がすんのは、なんでだ)
 俺の言葉を聞いて、まことがコトリと首を傾げる。うん、買ってこよう。
 なるべく視線をそこから逸らしつつ、残りの食事を与え続けた。


 それから数ヵ月。まことは食事の時以外、ソファやラグで丸まって一日の大半を過ごしていた。語りかけには表情や態度で意思表示をし、撫でたりするのは抵抗なく受け入れてくれる。ただズボンは嫌がって、未だにシャツ一枚という有り様だが。
 そんなある日、どうしてもその日中に処理しなければならない案件が出来てしまった。
(……どうすっかな)
 腕を組み椅子に深く凭れる。
「おっつかれさまでーす!」
 陽気な声が頭上から降り注ぐ。視線を上に向けると、前木がニコニコと人好きのする笑顔で覗き込んでいた。
「おう。どうした」
「うわっ!? どうしたはこっちの台詞ですよ。眉間の皺が一段と……」
「あ? なんか言ったか?」
「いえ、ナンデモアリマセン」
「鬼の形相になってるってコトじゃね?」
「珍しく最近、少しだけ大人しくなってきたっていうのに……残念だね」
「ユキちゃん、信長やめんか。明紫波が最近、妙に機嫌が良かったからと言って、残念がっては失礼だろう」
「オメェの言葉が一番グサッとくるわ、伊達川」
 オペが終わったのか、同じタイミングで同期の三名も職員室に帰ってきて、その場が賑やかになる。
「で? 前木クンは何の用かな?」
「あっ、そうでした。書類持ってきました」
「おう」
 前木から受け取った書類に記載漏れがないか、サッと目を通す。
「で?」
「んぁ?」
 飴を口に咥えた真葉が、面白いおもちゃでも見つけたかのような、愉しそうな視線を向けてくる。
「なにイライラしてんだヨ」
「イライラだァ? してねぇよ」
「凶悪犯みたいな顔になっているよ」
「あぁ?」
 気付いてないのかい? と、こちらもまた愉しそうに口元を歪める緋田に、思わずドスの効いた声が出る。前木の小さな悲鳴と、伊達川の溜息が聞こえた気がする。
「一体どうしたというのだ。最近は進んで家に帰ろうとするし、何か良い事があったのではないかと、皆と話していたところだったのだぞ」
「勝手に人の話題で盛り上がんな」
「君に良い人でも出来たのかと思ったけど、違うのかい?」
「あ、あ……いや」
 歯切れ悪く言葉を切る俺に、八つの視線が集中する。
(いい人ねぇ……人、じゃねぇが当たらずといえども、遠からずってトコか)
「実はな――」


「……ただいま」
 静かに玄関の扉を開け、体を滑り込ませる。一日半ぶりの我が家。以前の俺ならばよくあること。しかしまことを飼い始めてからは、初めてのことだった。
(まこと、どうしてっかな……)
「それにしても、アイツ等……揃いも揃って笑いやがって」
 昨日のことを思い出し、苦虫を噛み潰したような表情になる。
 ペットを飼っていること。しかも兎ということを明かすと、その場が水を打ったようにシンと静まり返った。次いで起こった笑い。堪えているのは、百歩譲ってまぁ良いとしよう。遠慮せずケタケタと涙を浮かべたり、引き笑いにも似たそれに思わず青筋が浮かぶ。
 力尽くで黙らせた数分後、仕事が立て込んで帰れないことを告げると「それなら俺が様子を見てきますよ」と前木が願ってもない申し出をしてくれた。実家がペットショップということもあり、二つ返事で頷いたのだった。
 リビングの照明を灯す。入り込んできた煌々とした明かりに、思わず目を瞑る。
「まこと?」
 周囲を見渡すも、ラグにもソファにも求める姿はない。
 昨日の夕方と今朝も、様子を見てきてくれたらしい前木がその姿を確認したらしいし、どこかで寝ているのだろうかと歩みを進める。
(そういやラグに丸まって同化してたから、エラいビビったって言ってたな)
 前木にも顔を見せなかったようで、少しショックを受けていたのを思い出し、笑いが溢れる。今度礼に何か買ってやるかと、前木の好きそうなものを思い浮かべつつ唇を摩りながら寝室へと向かう。
「ンなとこに居やがった……」
 オレンジ色の小さな照明が灯る薄暗い寝室。そこにこんもりとした、小さな影。手足をぎゅっと丸め、さながら胎児のような格好で、すうすうと寝息をたてるまことの姿に自然と目元が緩んだ。手を伸ばし、さらりとした髪の感触を楽しむ。ふと視線を下に落とすと、まことの手にはあるものが握られていた。
「っ!!」
 まことの手が、しかと掴んでいたもの。それは家を空ける直前まで身につけていた寝巻きだった。
 ぞわりと、言いようのない感情が、腹の底から湧き上がるのを感じた。
 一人用にしては大きいベッド。日本人男性の平均身長を軽く上回る、この体を休めるには十分すぎる程の広さだが、目の前で小さく体を丸めて眠る様は繊細で儚く、そして酷く頼りなく見えた。
 もぞりと動く体と、すうっと開かれた瞳。ぼんやりと虚空を見つめる紫は、やがて俺の姿を捉えた。
「わり、起こしちまったな。ただいま」
 垂れていた耳をピクりと動かし、俺の言葉をしかと聞いているような仕草。髪を撫でる手を受け入れ、目を細める姿に心が温かくなると同時に、痛んだ。
 この広い部屋にひとりぼっちにさせてしまったこと。人の姿をしていると言うのもあるが、それでも確かに俺の心に庇護欲とは別の感情が芽生え始めていると、実感せざるを得ない。
 再び目をとろんとさせ、うとうとし始めたまことを見て、その手を止める。
(シャワーでも浴びて、腹でも満たすか)
 踵を返しかけたその時、くいっとシャツを引っ張られる感覚に首を回す。するといつの間にか起き上がっていたまことが、切なげに眉を垂れ、首を小さく横に振って見上げてきた。
「眠ぃならまだ寝とけ」
 駄々をこねるような仕草。
 どうしたもんかと頭を掻いていると、ぱたりと、白い剥き出しの太腿に雫が落ちた。
「は? 泣っ、あ〜……」
 ポロポロと、吐露出来ない感情の変わりとでも言うように、次々と溢れる涙。
「寂しかったよな。ごめんな」
 声もなく震える肩を抱き寄せる。優しく背中を摩ってやると、弱々しくも腕に縋り付いてきた。
「どこにも行かねぇから安心しな」
 そっけない態度を取られることが多く、まだ懐かれていないと思っていた。けれどこうやって感情を露にして欲してくれることに、不謹慎ながらも嬉しいと思ってしまう。
(これ以上は流石に……ヤベェよな)
 ぶっちゃけ顔は好み。俺以外知る者がいない、頼る者がいない隔絶された世界。まことが人ならざる者だということを、忘れてしまいそうになる。
 そんな邪な思いを抱えつつ、まことが落ち着くまで背中を撫で続けた。


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