日の落ちた薄暗い廊下をひたひたと歩く。今夜は月のない晩で、その暗さがより顕著になる。とは言え夜目が利くようになったおかげで、それほど問題があるわけでもない。
 目的の部屋へとたどり着きノックしようと手を上げかけた。
(っと、まだ寝てっかな?)
 昼間の様子が頭を過ぎり、結局は扉を開けて中の様子を伺うだけに止めた。カーテンが引かれた部屋の中を占領するように置かれた大きなベッド。その上に愛しの吸血鬼様が眠っていた。
 ほんの少し血色の悪い肌を撫でる。
「……みつひで」
「悪い。起こしたか?」
 だだっ広いベッドの上に横になった真琴は、閉じていた瞳をうっすらと開いた。微睡みの途中だったのか、とろりとした目を細めて息を吐く姿に、纏う色気に、状況も忘れて思わず生唾を呑む。
「いや、少し前に目が覚めた」
「そうか」
 新月の日は真琴の力が弱まる。
 吸血鬼としての力はもちろん、生きるものとしてのそれも。けれど、それもその日だけのことだからと、真琴は笑って見せる。それを補うための『俺』が居てくれるからと。
「それに……そろそろかなって」
「おう。『メシ』の時間だ」
 伸ばされたしなやかな腕が、首に絡み付いてくる。強請るように見つめてくる、今ではすっかり見慣れた燃えるような赤い双眸に、知らず笑みが深くなった。


 一度の吐精で気を失ってしまった真琴を背後から抱きしめながら、腕に抱く大きさと触り心地は、あの頃から何一つ変わっていないと、そんなことをぼんやりと思った。
 初めて俺が変貌を見せた満月の晩から、ずっと真琴は俺に身体を開いてくれる。ある時からそれに新月が加わり、お互いがお互いを埋め合うようになっていった。
 息を吸い込むと、汗の匂いに混じり腹の底をズンと重くさせるような、芳香な香りが入り込んでくる。
(……満月にはまだ早いだろ)
 獣の本性が見え隠れする中、理性を総動員して、未だ保ったままの逸物を抜き去ろうと体を動かした。
「……あ?」
 そこで違和感に気付く。
 離れようとしていた腕を掴まれて、ご丁寧にもしっかりと前で組まれ腹に回すようにされていたのだ。
「真琴くーん?」
「もうちょっとだけ」
「朝もンなこと言って、二度目ですぐ落ちたじゃねぇか」
「今度は光秀が加減してくれるから大丈夫だろ?」
「っ、ぐ……」
 体力の無くなっている真琴を気遣うべく、楽な体位での挿入に至ったわけだが、それも見抜かれていて言葉に詰まる。そんな俺に真琴は小さく笑いを零すと、静かに息を吐いた。
「お前を待っている間、昔のことを思い出してたんだ」
「昔?」
「あぁ、色々あったなと思って」
「こんだけ生きてりゃな」
「そうだな。でもココでの思い出が一番多い」
「だな」
 真琴をそっと抱きしめると、俺の腕を掴んでいた手に力が込められる。
 あれから数十年。姿が変わることなく永い時を生きている俺たちは、様々な土地を転々としてきた。そして今、真琴と出会った街に帰ってきている。
「……本当に光秀と二人きりになってしまったな」
「寂しいのか?」
 かつて住んでいた頃とは様変わりした町並み。それは人も例外ではない。
「少しだけ」
「まあ、確かに物寂しさはあるけど、前も言ったじゃねぇか……真琴とずっとイチャイチャできれば、俺はそれでいいって」
「……馬鹿だろ」
「おー。真琴に関しては馬鹿になる」
 クスクス笑う真琴の、しっとりと湿ったうなじを見つめながら、こういう環境に真琴一人を置いてきぼりにすることがなくて、本当に良かったと思う。
 確かに真琴の言うとおり、取り残されることへの寂しさはあるけれど、それ以上に共に過ごせる日々が楽しくて、嬉しくて、愛しくてたまらなかった。
「昔といえば最初の頃の、満月のオメェの固まりようときたら――」
「あっ、あれは、忘れろ! あれでも緊張していたんだ」
「ガッチガチでベッドに転がってた時はどうしようかと思ったぜ」
「もう忘れてくれ……」
 食べてくださいと言わんばかりに、まな板の上の鯉よろしく、ベッドの上で固まっていたのは一度や二度ではない。そうなると何故かこっちも手を出しにくくなるというのが人間の心理で。普段から『メシ』を含めて、ちょっとは加減しろと言われるぐらいに情を交わしていたのに、おかしな話である。
 けれど理由が分かってからは、愛しくてしょうがなかった。
「気持ちよすぎて怖かったんだろ?」
「う……」
「あれはあれで可愛かったけど……今じゃ、こーんなだもんな?」
 すっかり俺のカタチに馴染んだ真琴のそこに手を這わせると、息を呑むのがわかった。
「っ、ぁ」
「そろそろ動いてもいい? オッサンかなーり、限界なんだけど」
「いいけど、明日、行きたいところがあるから、ッ、そのっ……」
「どこに?」
「川……魚釣りしたい」
「魚かよ」
「駄目、か?」
 おずおずと振り返る真琴の目尻にそっと口づけを落とす。
「構わねぇよ。七輪も持ってくんだろ?」
「あぁ」
「そうと決まれば、明日に備えて精力つけなきゃな?」
「そればっかりだな」
「第一誘ってきたのは真琴のほうだろ」
「うん……まぁ」
 そう言いながら、すりと足を絡ませてくる真琴の頬がほのかに赤く染まっていて、それがとてつもなく美味しそうに見える。
(いや、それだけじゃねぇな)
 真琴の存在そのものが俺を惹きつけてやまない。
 共に在る幸せを噛みしめながら、今日もそれに溺れていくのだった。




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