春もうらら。桜が舞う季節特有の生温い風、まだ折り目も汚れも付いていない固い制服のスカートが靡いた。
この桜並木道を潜り抜けた先には、どんな新しい出会いがあるんだろう。なんて瑞々しくて、麗しくて、清らかな朝なのだろう――!
「いや、そんな爽やかな小説のプロローグの冒頭みたいに綴られても……」
てか、桜並木道なんか無いし。そもそもまだ家にいるし。
ていうかむしろまだ制服も身に纏ってないけど。究極を言えば、部屋のど真ん中でパニックぶちかまして突っ立っていますが。
壁に掛けられている見覚えのある制服を見つめ、脳内で幾つかの事実確認を行う。
昨夜は後輩の発注ミスで残業となり、終電で帰る事を余儀なくされたということ。
退社後、終電に間に合わせるべく全力疾走で駅へと向かっていたのだが……その後の事が思い出せられないということ。
そして、部屋の私物や家具の配置などを見るに、ここは私の部屋で間違いないであろうということ。
しかし、1人暮らしのはずの私が何故、実家の自室にいるのか……ということだけが謎ということだ。……なんか、ややこしいな。
部屋の中をどう見渡して見ても、大学進学を機に出て行った実家の自室である。
ただ、壁に掛けられた自分の母校の物ではない制服を除いては、だ。
そうなると、考えられる事は1つ――。
あらやだ私ってば!
間違えて実家に帰ってきちゃったのかな? この、うっかりさんめ! てへ☆
「……って、んなわけあるか!!!!!」
部屋のど真ん中でフリーズすること総じて約5秒。ようやく覚醒した頭で、意味不明な自分の思考回路に思わずセルフで突っ込んでしまった。寝起きって怖い。
バタバタと大きな足音が近づいてくると、足音の勢いのまま部屋の扉が開かれる。
その音の大きさに思わず肩がビクッと反応する。そんな乱暴に開けたら壊れちゃうよ!
「はるか!?」
何だか聞いたことのあるような男の人の焦り声に、自分の名前を呼ばれ違和感を覚える。
声の主に視線をやると、私は目を見開いて茫然とする羽目になる。
恐らく今の私の顔は驚くほど情けない顔をしているに違いない。
驚いてんのか情けないのかどっちだよそれ。なんて、くだらないことを考えるぐらいにはパニックだ。
「お前……どうした?」
開いた口が塞がらないとは正にこのことだろう。だって、あれは。
いや、あの人は、私の勘違いでなければこの世に存在しない人ではなかろうか。
茫然としている私を不審に思ったのか、男の人は「大丈夫か?」と心配そうにこちらを見ている。
いやまあ朝から大声出した挙句、呆けて何も喋らなかったら頭おかしいと思うよね。
私だったら是非とも関わりたくない要注意人物に認定である。
「はるか、今日から入学式だが……その、行けるか?」
本気で私を心配し始めたのだろう、男の人は何処となく言いにくそうに喋った。
いや本当、めちゃめちゃ元気です。ごめんなさい。
私は驚きのあまりか、喋ることを忘れてしまい返事が出来なかった。
そしてこの状況で「行けない」とは何となく言いだせず、やっとのことで小さく頷いた。
すると、予想に反して彼は「そうか!」と、とても嬉しそうに笑っている。
そんなに心配をかけてしまったのだろうか、本当に申し訳ない。
「じゃあ制服に着替えて下りて来いよ」
私はまた小さく頷き、それを見届けた彼は満足そうに「もう朝飯できてっから」と言い残して、その場を立ち去った。
何故か見覚えのある制服。初めて会った筈なのに見覚えのある男の人。
そして、聞き馴染んだ声。その声で呼ばれる筈の無い自分の名前。
何かがおかしい。混乱した頭で、それだけをようやく咀嚼して呑み込んだ。
▼▼▼
目の前にある建物の看板を見つめて、これは偶然だ。と自分に言い聞かせる。
そして、ぶっきらぼうな顔でこっちを見ている彼のこともだ。不意に目が合ってしまい、内心焦る。
大丈夫だろうか。私はいま、挙動不審な自信が死ぬほどある。こんなに冷や汗を掻いたのは26年間で初めてです。
そんな厳つい目で見つめないでください、お願いします。
「緊張してんのか? あー、やっぱ学校までついて行ってやろうか?」
そんな過保護な発言に私は勢いよく首を横に振った。今日が入学式で彼と登校したのでは目立ってしょうがない。恥ずかしすぎる。
私が高校生の頃はどうだったかな。と思い出そうとしても思い出せられない。そんなに遥か昔のことではない筈なのだが……。
「まあ、あれだ……知らない土地っつーのもあるとは思うけどよ、案外上手くいくもんだぜ」
そう言って彼は私の頭をポンポンと撫でた。見た目は怖いけれど優しいんだな、と何処か俯瞰的に思った。
その時、私の脳裏にある記憶が駆け巡った。いや、蘇った。と言った方がしっくりくる気がする。
泣いてぐずっている幼い私の頭を今みたいに彼が撫でている、記憶。
「はるか、大丈夫だから」と優しくて安心する手。感触までもが思い出せられるような、そんな記憶。
(でもこれは私の記憶じゃない……よ、ね?)
何故なら私はこの人とは初対面で、以前会ったことがあったとしてもそれは一方的に私が知っている、ということになる筈だからだ。
まあでも、このお陰か否か、もう冷や汗は止まったみたいだし良しとしよう(?)
記憶の中の幼い私は、こう呼んでいた。
「ありがと、繋心くん」
そう言うと、繋心くんは少し目を見開いてから顔をクシャっとさせて笑った。
「おう、気を付けて行って来いよ」と、やっぱり過保護な言葉もついでに付けて。
そして漸く落ち着きを取り戻した私は、ふと思ったことを聞いてみた。
「そういえば私、学校までの行き方知らないんだけど」
▼▼▼
ぶわっと春風が横切り、右手に持ったメモ用紙が飛ばされないよう少し強く握る。
あの後、繋心くんに「どうやって行くつもりだったんだ」とちょっとだけ怒られた。
怒りながらもこうして簡易的な地図を描いて渡してくれるあたり優しいのだけれど。
いや、言い方があれなだけで全然怒ってなかったのだろう。
ここへ来る道すがら、ずっと考えていた。
私が恐らく居住地としている建物の看板に‟坂ノ下商店”と表記されていたこと。先ほどの彼は‟繋心”という名前であること。
そして、私の目の前に‟宮城県立烏野高等学校”と書かれた門があること。
「ハイキュー……だよ、ね」
偶然にしては出来すぎている。何より、こんな不可解な偶然が重なって堪るものか。
家の鏡を見た時、確実に完全に鏡の中に写る私は、“私”だった。一寸の狂いもない程に。
ただ1つ言うなれば、“若かった”ということだけだ。鏡の中の私は、若返っていたのだ。
そう明らかに26歳、独身OLの顔ではなかった――。
「自分の顔なのに若々しくて眩しさに目をやられるところだった……」
なんかこれハイキューの世界じゃね。え、どういうこと。何それトリップとか夢小説の読みすぎじゃない。
あ、なるほど、夢ね。夢か、これ。それにしてはリアルだな。とか、そういう思考回路は何だかどうでも良かった。
詰まるところ私は、若さにげんなりしているのだった。